男爵邸のアイリーナの部屋まで、本人とラン王女ともども引き上げる。
 めでたい日だというのに突然出てきた「ラン王女を殺す」という言葉の強さに少し困惑している。
「さて。スマイソン殿はもはやいくつもの国々で貴人と親しむ身じゃ。なんとなくは承知の事かもしれぬが、確認のためにも明確にしておこう。……貴人への処遇は国家への処遇。そして、国家への無礼はどんなことでも『ただの冗談』では有り得ぬ。……逆に言おう。貴人に恩を与えることは『無償の好意』でも有り得ぬ」
「それは……」
「ゆっくりと返してくれ、などと竜の乗り手が言うのはかえって悪手じゃぞ。返す手段に選択の余地を与えれば、それは恩への値踏みを要求するも同じ。竜の乗り手が売った恩に、ただびとどもが値切れるはずもあるまい。過大な財宝を献上するならまだ良い話、彼奴らの政争に利用された挙句に哀れな敗者を贄として差し出すことも有り得る」
「そんなのはひねくれ過ぎじゃないのか」
「人の世の出来事はしばしば最悪の想像のさらに下を行く。笑い話ではないぞ」
 アイリーナは真面目だった。
 彼女には少し高い椅子で堂々と足を組み、片手に持っている扇を手の平にゆっくりと打ち付けながら、俺を試すような目で続ける。
「ゆえに、恩を売ったなら見返りの要求もまた配慮と心得よ。それも、他者から見て充分な形で、じゃ」
「……それが、どうして王女を殺すなんて話になるんだ」
「それは最悪の話じゃ。……あくまで面倒ごとを全て嫌うのであれば、王女を殺し、何もかもなかったことにするのも、竜の乗り手のありうべき選択肢。……それもまた王女より提示されたこと」
「…………」
 王女が、自ら?
 アイリーナに向き合う形で傍らに立つ王女の横顔を見る。……表情は読み取れない。
 自分の命の話をしているのに、まだ幼さの残る歳の娘がそんな顔をするのは、並々ならぬ決意と覚悟の証でもあった。
「その上で、じゃ。……王女よりいくつかの提案がある」
 アイリーナは机に積み上げられた羊皮紙の束を指し示す。
「ここのところ、王女が執筆していた『神話』じゃ。といってもそなたには読めんじゃろうが」
「その通りだから簡単に説明してくれ」
「うむ。……今後そなたがどれだけ踏み込むか……別の言い方をすれば、『受け取ろうとするか』によって、いくつかの発表用の筋書きが提示された。大雑把にまとめるなら。短期的な話で済ませようとするならそなたのことは多く語られ、壮大な脚色を加えられることになる。長期的に関わるつもりなら逆じゃ。実地で威を振るうなら語りによる説得力は必要ない、ということじゃの」
「待てよ。威を振るうってなんだ。ドラゴンで暴れろってことかよ」
 つい声が荒くなってしまう。一拍置いて、アイリーナにぶつけるのも筋違いかと思って王女に視線を移そうとするが、アイリーナはそれを許さないとでも言うように声を重ねた。
「そなたは何じゃ、アンディ・スマイソン。そなた自身にとってなどという観念的な話などではない。セントガルドから見て何者じゃ。わらわは今、そういう話をしておる」
「それはっ……」
「竜の乗り手、ドラゴンライダー。それに絡んだことを彼女が民と他の王侯貴族にどう説明し、それをもってそなたにどう返礼を与えるか、という手続きの話じゃ。その過程でそなたがどう動き、どういう結果を引き出すか。そこに選ぶ余地を作っておる」
 だけどそれは、と反論しようとするが、アイリーナはそれを許さない。
 氏族長としての彼女本来の威厳で場を支配し、俺を釘付けにする。
 ……王女をかばっているのか、と心の隅で気が付く。
「セントガルドはそなたが竜の乗り手であることを知らぬ。竜の乗り手じゃからこそ、王女が手続きを踏まず、ほぼ単独で身を任せることが正当化もされる。……ただ病を癒すためだけに手を貸しただけというのがそなたの心情じゃろう。それ自体さえ、例の遭遇がフィオーナの落ち度とされ、極刑とされることをを免れるための方便じゃというのもまた事実。そんな気遣いから巡り巡って余計な手間を取ることになるのが納得いかぬと、そなたが叫ぶのも正当と言える。しかしじゃ」
 パシ、と扇を手に叩きつけ、アイリーナは強い瞳で俺を見据える。
「『神話』ではないにしろ、貴人が動いた以上はストーリーが必要なのじゃ。それこそ蒙昧なものには『神の奇跡』で誤魔化せようが、王女の周囲はそうではない。それを納得させ、折り合いをつけるために竜の姿と力を活用する。それが成らねば、彼女らに健康の代わりに密通などのあらぬ疑惑を与え、政争の中で見殺すだけに終わる」
「…………」
 何かを言おうとして、言葉を文章にできる気がしなくて、薄く手を開いて握り、だらりと下ろす。
 道理はわかる。そうだ。ボナパルトのおっさんたちの反乱やレンファンガスのクーデター騒動、そしてカールウィン事件さえもそうだった。
 王侯貴族のやることには大義が重要だ。そこに疑念があれば立場も安全も簡単にひっくり返る。
 それはラン王女にだって同じはずだ。
 俺たちはただただ善意で霊泉の良さを紹介し、可哀想な女の子に健康な体を与えただけ……そんなフワッとした人助けをしているつもりでいたけれど、しかしとんでもない急所を与えて帰すことにもなりかねないのだ。
 もしも俺が本当にただの庶民なら、霊泉を教えた礼にいくらかの金貨袋でも与えられれば八方丸く収まったのかもしれない。
 しかし俺はひれ伏す庶民ではなく、彼女以上の立場を誇るドラゴンライダーとして彼女に接し、憐み、施した。
 その国と本気で戦争さえできる巨大な武力であるドラゴンライダー。
 それが偶然王族に接触して、親しげに交流して、しかし小銭のやり取りでおしまいでは誰も納得しない。
 ことによっては彼女を政敵とみなし、あるいは国家への叛意ありと解釈する兄弟や他の国内勢力が、ラン王女の自由を奪い、ドラゴン勢力である俺たちとの交渉の種にしようとしたり、単純に抹殺することさえあるかもしれない。
 そういったこと全てに対するケアを本格的にやるか、本人任せにする代わりに情報を多くして脅しを利かせるか、それとも王女を殺して全部なかったことにするか。
 って、殺す選択肢なんか取れるか。趣味悪いし、連れてくる手間から何から全部が無駄になる。
 ……いや、でもセントガルド一国を相手取る危険と天秤にかければ……いやいや。やっぱりナシだろ。
 ちらりとラン王女を見る。
 俺が「殺す」という選択はしないということくらいは、今までの交流でわかっていると思う。
 だが、だからこそそれを提示することによって俺に決断を迫った……?
 ……やっぱり王族という奴は、一筋縄ではいかない。
 深呼吸。
「……アイリーナ。意見を聞きたい」
「ふむ。……己で熟考せよと言いたいところじゃがの」
「限度があるだろ。俺は外交の事なんてさっぱりのクロスボウ兵だぞ」
 他の知恵者を集めて、というのも少しは頭に浮かんだが、ドラゴンたちは「お好きに」としか言わないだろう。ディアーネさんやクリスティ、あるいはオーロラ、シャロン、テテスなども知恵者に入るだろうが、集めれば集めるだけ実家の立場による発言しかできなくなる。それは「当主」アイリーナの意見を求めるより建設的かというと少し怪しい。
 何より、アイリーナはラン王女の事情にある程度理解を示している。一番深く考えているのは彼女で間違いないだろう。
 アイリーナは小さくため息をつき、細い足を組み替えた。
「その前に。……王女に手を付ける意味の話をしておこうかの」
「……いや、それは本人いるところでする話?」
 っていうか手を付けないといけないの? どうしても?
「王女に手を付け、所有権をそなたが主張しておけば、単純にその身に安全を与えられる。これが第一の理由じゃ。ドラゴンライダーの妻、あるいは情婦となった女を傷つければ理屈抜きにどうなっても文句は言えぬからのう。……別に手を付けんでも、付けたという話で口裏を合わせておくこともできるが、その場合ラン王女は単純にセックスを知らぬまま強力な男避けをするだけになる。あとから実は手を付けてなかったとバラせるようなアテがあるわけでなし、よほど生涯セックスをしたくない理由があるなら別じゃが、単純に丸損じゃぞ。そなたも王女も」
「……あー」
 そう言われると……無理にパスするのもどうかというのは、確かに。
 王女自身が乗り気なら……あ、いや、そうじゃなくて。まだ「第一の理由」だ。
「第二は?」
「そなたの気持ちの問題じゃ。抱いた女を独占するためならなんでもするじゃろ、そなた。どうせややこしい問題に首を突っ込むなら踏ん切りをつけよ」
「なんだその投げやりな理由は」
「半端に構えておったら後悔すると言っておるんじゃ。そなたを巻き込むために自分の命を賭け台に乗せてくる娘じゃぞ」
「…………」
 王女を見る。王女もこちらを見ている。
 その瞳には生まれつきの重責を担うもの特有の、強い光がある。
 荷を下ろし、気楽な身になる選択肢などありはしない。考えたことさえもない、過酷な世界に生まれてしまった者の光。
 ……今もまだ、俺はどうするという返事をしていない。
 まだ彼女は命を賭け台に乗せている。そして、俺に勝負を迫っているのだ、と、不意に理解する。
 アイリーナは気配で察したのか、言葉を継いだ。
「聖獣鎮めし我らエルフの英雄、そして至剣聖を救い、勇者を救い、偉大なる竜の乗り手と呼ばれしアンディ・スマイソン。甘く愚かな愛しき我が主よ。そなたにわらわが勧められる道はひとつじゃ。……そなたはそなたであるように。それをなじる者は誰もおらぬ。誰もがそなたの翼となり、剣となり、盾となるじゃろう」
「……ずるい答え方するよなぁ」
 俺の言葉に、アイリーナはニヤリと笑う。
 そしてラン王女は俺に向き直り、自らの胸に手を置く。
「……この身は、成人となるまでは保たない。そう、医者には言われてきました。ゆえに、私には……私とフィオーナには、良き未来などない。……将来というものが用意されていないというのが実情です。本当なら数年のうちには私は墓に入り、フィオーナは尼として俗世を捨てることになっていたでしょう」
「……そっか。でも」
「ええ。病は癒えました。ゆえに紡がなければなりません。さらなる神話を……あなたに報いるための神話を超えた、しるべなき神話を」

 貴人が何かをするためには、ストーリーが必要だ。
 俺に充分な礼を用意するためには、国民を納得させ、他の王族や貴族たちにも出費を認めさせる必要がある。そのために、王族の特権として相応しい「神話」を紡ぎ、提出するというプロセスが彼女には必要だった。
 だが、彼女の宣言はそれを超え、本格的に未来を描こうとする意志の表明。
 俺は……俺たちは、これからそこに踏み込んでいくことになる。
 どこまで表立っていくのか、どんな力が必要になるのか、何もわからないまま。
 少女の賭けに、勝ちを認める。

(続く)

前へ 次へ
目次へ