「まず理解しておくべき事実として、私とアンゼロス、そしてネイア・グランスは、単なる脚力だけの話ならそうは変わらない」
 ある日、町外れを見に行くとアルメイダがフィオーナの前で腰に手を当てていた。
 着ているのは久々に戦闘装備。ただし、武器は持っていない。
「もちろん貴君よりは高い水準だがな、フィオーナ・ゲンニル。……重要なのは、それでも私はアンゼロスよりずっと速い。その差がどういう事か、という問題だ」
「……もったいつけずに次に進め」
「この話はただの肉体強化論ではない、と理解してもらいたいものだ。……正解は走り方の差だ。そして勘と予測力、想像力の差ともいえる」
「……??」
「ただ走るのに何故そんなものがいるのか、という顔だな。今から見せよう」
 アルメイダがアンゼロスを呼ぶ。アンゼロスは身軽な運動着だ。鎧を纏ったアルメイダに対して見るからにハンデがある。
 そして二人で並び、アルメイダが指を鳴らすと同時に走り出す。
 アンゼロスが数歩分も早く前に出たのに対し、アルメイダは悠然と……圧倒的な速度で、即座に追い抜かす。
 走った先には森から少し離れて立つ一本杉。そこまでの100メートル程度の距離で、本来なら速いはずのアンゼロスは完全に置いて行かれてしまっていた。
 そして結局、アンゼロスが一本杉からほとんど離れないうちに、アルメイダはスタート位置まで戻ってきていた。
 あまりの差に最終的には脱力しながら戻ってきたアンゼロスを横目に、アルメイダは再び口を開く。
「まずこれが走り方の差。彼女がスピードを武器にした戦い方に転向して数年足らず、私は百年以上。同じだけの筋力でもただやり方が違うだけでこれだけの差がつく」
「……ぼ、僕は悪い例っていうことかっ……それなら教えてくれたっていいじゃないか」
「今まで特に教えを請われたこともないからな。もちろん私のやり方を参考にして今から研鑽するのは止めないぞ」
 涼しげなアルメイダ。
 まあ実際、今まで彼女を講師として頼りにしたことないからな……どちらかというと何でも体力と根性で解決する系の人種だと認識していたし。
 でもさすがにそれだけの時間、一分野のトップであり続けるとなれば、自分の強さに理論のひとつもないはずはない、ということか。
「種明かしをすれば、私たちくらいの脚力で常人と同じやり方で走れば、地から足が離れている時間に馬鹿にならないほど減速する。風の割り方と低重心の保ち方、そして力を無駄にしないで加速し続けるのに独自の工夫が必要になる。さらに実戦となればただ快足を競うだけではない。曲がる際の体捌きや目配りの仕方……アンゼロスは完全にそういう高速戦独自の工夫がない例だな」
「……うぅ」
 しょげるアンゼロス。
 今やマスターナイトにも匹敵する能力……と目されているのに、こと高速戦闘においては未だにアルメイダやベッカー特務百人長、そしてディアーネさんには数に数えられていないのは、そういう見劣りがあったからか。
「そしてもうひとつ。これはただの機動力ではない『速さ』の話だ。……相手より速さで上回れれば、そのまま押し切れるかもしれない。だが互角、あるいは後手に回ったとなればもうどうしようもない……なんてことはない。フットワークやハンドスピードが劣っていても相手より『速く動く』ことはできる。駆け足の速さはただの前提として、こちらこそが騎士の『速さ』の本質だ。……相手の動きを予測し、乱し、隙を作らせる。極端な言い方をすれば、相手より一秒遅いなら、二秒先回りして剣を出せばいい。常に自分の選択肢をできるだけ多く取り、相手の選択肢をできるだけ減らす。こちらが敵から追いつめられる危険を冒さず、相手だけを追いつめる……そういう戦運びをされた相手は、お前の『速さ』、つまり戦場支配に慄くだろう。それを身につけた時、お前は騎士として一流になるんだ。フィオーナ・ゲンニル」
 アルメイダはそう言ってフィオーナを指さし、走ることを促す。
「さあ、まずは走法だ。何も考えなくても無意識で効率よく走れるように繰り返し体に覚えさせろ。まだ貴君の力では私の速度は出せないかもしれないが、今よりは速くなるはずだ。速ければ速いほど余裕が生まれる。それは決して無駄にはならない」
 言われてくるぶし丈ローブを膝までたくし上げ、アルメイダの指導の下に走り方を徹底的に叩き込まれ始めるフィオーナ。
 でも走る訓練って地味につらいよね。木剣でぼこぼこ殴られるよりはマシかもしれないけど、あの調子だと本当に足が動かなくなるまでやってから霊泉連行だろうし。
 うちの隊の長距離行軍を目的にしたランニングも楽ではないけど、完全に動けない状態まで追い込まれることは滅多にない。いや、入隊したての奴は最初のうち泣くけど。
 何度も何度もそういう足を酷使する訓練を続けるって、防御できれば痛くない可能性もある剣術稽古より精神的にキツいんじゃないだろうか。
「……ところでアンゼロスは完全に駄目出しされてたけど、ネイアはどれだけ追いつけてるんだろう」
 ふと呟くと、近くでフィオーナの霊泉輸送担当として見ていたライラがスッと寄ってきて教えてくれた。
「ネイアめは最初の頃はそうでもなかったが、駆け方はすぐにディアーネやベッカーから学び取っておったぞえ。相手の追い詰め方に関しては元より一流じゃ」
「……やっぱりか」
 なんかそんな気はしてた。
 普段からことさら消えるような動きは見せないが、参考にして身になるような技術を見逃すはずないよね、彼女が。
「まあしかし、アンゼロスがなってないというのは厳しい言いぐさじゃと思うがのう。元より受けて返すが奴の剣。速さを売りにした戦い方を身上とせぬならば、そう必要な技でもない」
「なかなか庇うなぁ」
「ほほ、我が騎士じゃからの。……アルメイダは確かに速い代わり、アンゼロスのような決め手の一打が抜けておる。ゆえに一対一なら勝負もわからん。だというに、言わせっぱなしでは少々な」
「意外とそういうの、お前もこだわるんだなあ」
 もうちょっとライラは鷹揚に構えてそうな気がしてたけど。いや、でも贔屓の娘に対する過保護は元々か。

 そんなフィオーナの特訓風景を日常の一部としながら、ポルカはあわただしく秋を迎えている。
「商人も減ったなあ」
 ジョニーが番兵の恰好で街の門に立ちながら、遠く小さくなっていく行商人の馬車の姿を眺めている。
 もうすぐ収穫祭なのでその後に帰ればいいのに、とは街のみんなが思っていることだが、まあ山越えに三週間かかることを考えると雪につかまるギリギリの時期だ。備えのない商隊は雪の中ではなかなか厄介なことになってしまう。
 そのジョニーの隣にはキール……ではなく、ランツ。
「この恰好、実は一度してみたかった」
「こんな古めかしい胸鎧にダサ兜に重いだけのハルバート、どうしてそう思うんだよ」
 ジョニーが呆れるが、ランツの気持ちはちょっとわかる。
「歩兵の恰好って後衛兵としてはちょっと憧れるよな」
「わかりますかスマイソン十人長。あとちょっと形式が古いのもポイントですよね」
「うんうん。なんかこう、あんまりガチっぽいとロマンが減るんだよな」
 なってみたいのはリアルな現役歩兵ではなく、「子供の頃憧れた兵隊さん」であってそれ以上ではない、というか。
 俺たちクロスボウ隊はせいぜい革服やヘッドギア程度で、こういういかにもな兵士の武装には縁がない。だから大なり小なり、ちゃんとした恰好の歩兵の姿にコンプレックスを抱えているところはある。
 なんというか「なってみたい」だけなのだ。あんまり実用性を求めると、その武装に見合うように鍛えるところから、となって話が変わってしまう。
 情けない魂胆と言いたくば言え。あえて今から転科したいんじゃないんだ。実際の兵隊生活は大変なんだ。
「……それにしてもキールはどうしたんだ」
「ゴートの奴もですけど、収穫祭の準備が大詰めで手が必要なんだとかで」
「キールんちは確かに忙しそうだもんなあ……いやジョニーんとこも忙しそうなもんだけど」
 ジョニーに水を向けると、ジョニーは肩をすくめた。
「キールんとこみたいに料理や菓子の仕込みならいざ知らず、造り酒屋は大して変わんねえって。祭りのための樽出しならそれこそオーガのほうがよほど使えるだろ」
「……つまりゴートにお役目を取られて、門番でもしてろって追い出されたってこと?」
「うるせえな! そもそも手がいらないって話だっての! 元々ウチの連中だけで足りるんだっての!」
 まあなんとなく代役やらせてもらったランツの例を見てもわかる通り、門番の仕事なんて一応異常が起きないように見てればいい、ということで持ち回りでやるユルユル仕事で、一応男爵から正式に町民に命令されている労役ではあるものの、ちゃんとやってるかチェックされるわけでもない。
 昔はそれでもエルフとか街に入れないように頑張ってたらしいんだけどね。そのエルフと仲良くなってしまった今は、よほどのことがない限りは何も止めない。つまり本当に誰か立ってるだけでいい。
 ジョニーいらない子疑惑深まる。
「だいたいそういう話なら一番お前がどうなんだよアンディ! ずーっとフラフラしやがって!」
「あー……これでも一応、一仕事した達成感を味わってる最中だから、うん」
「なんだ一仕事って! お前兵士だろ! 何と戦ったってんだよ!」
「……戦ったわけじゃないんだけど」

 収穫祭を明日に控えた今朝、ようやく俺は満足いく「龍の宝玉」アクセサリーを作ることに成功した。
 俺にしてはだいぶ時間をかけたが、まあモノがモノだけに仕方ないところはある。
 せっかくだから収穫祭でラン王女に渡そうかな、と思っているんだけど……下手にロマンチックな渡し方するとややこしくなりそうで、悩ましい。
 みんなの前で渡すか。二人きりで渡すか。あるいはフィオーナを交えて。いや、むしろドン引きするように雌奴隷揃えた後夜祭的な席上で渡すとか。
 ……うーん。どれもなんとなく不安だ。

 そして悩みを抱えたまま、収穫祭当日がやってくる。

(続く)

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