ラン王女はアイリーナたちへの質問攻めをひとしきり終えると、今度はそれを書き留めるために自室にこもり始めたらしい。
自室と言っても男爵邸で彼女に割り当てられた客間なんだけど。
「別にこもって作業するくらいはいいんじゃないか?」
「それだけといえる範囲ならよいんじゃがの……マイア!」
困り顔のアイリーナが呼ぶと、珍しくマイアが普通にドアから現れる。
「説明するんじゃ」
「……前回は一日半ぐらい連続で作業して急に倒れてびっくりした。霊泉に運んで行ったら復活したけど、今もまた丸一日近くカリカリやってる」
「丸一日って……えーと」
「22時間ぐらい」
「……す、すごい集中力だな?」
まあ……俺も時々時間を忘れることがあるけど、さすがに平然と20時間以上ってのはない……はず。そんなに体力持たない。
……いや、ラン王女は一応兵士として体を使ってる俺よりも遥かに体力がないはずだよな。
「下手に健康になる前は無茶すると喘息ですぐ寝込んでた、ってあの弱い騎士が言ってた。……健康になっちゃったせいで逆に自分の限界がわからなくなってる節、ある。正直、この前は本当に死んだかと思った」
「マジで……?」
マイアはもちろんドラゴンなので、見た目以外にも心音とか体温とか、相手の状態を見立てる手段は豊富だ。そのマイアが本当に死んだかもと真顔で言うのは……うん。そういう類の冗談得意じゃないし、本気だよな。
そういえば、王都で修業してたころ、先輩職人……というか、別に同門ってわけでもないけどスリード工房の近くで個人でやってた職人が、突然ぽっくり死んでしまった話を思い出す。
特に病気があったわけでもなかったが徹夜しがちで、自分のインスピレーションを大事にする感性重視派の職人だったらしい。
職人の世界は門外とそうそう交流するものでもなく、見習いの俺なんかその彼と懇意なはずもなかったので伝聞なのだが、ある朝に嫁さんが見つけた時には遺作の剣を握ったまま冷たくなっていたそうだ。
『早死にする職人は駄目だぜ。結局生きてなきゃ客に渡すことも次を作ることもできねえ。客の注文を満たす品を作る、そして客の信頼を得る、それを次の仕事に繋ぐ。職人はそれを繰り返すのが本分だ。回し続けてナンボなんだ。死んだら伝説になれるかも知れねえがそんなのは悪目立ちってもんよ。義理がなってねえんだ』
と、スリード親方がいつものように酒で真っ赤になりながら俺たち弟子に説教していたものだ。……門派は違ったが親方の弟の娘婿だった、というのは後で聞いた。
「一応、区切りがついたらすぐ霊泉に連れていくつもりなんだけど……どこまでで止めたらいいかよくわからなくて」
「……フィオーナはなんて言ってる?」
「今はアンゼロスにぼこぼこにされてる」
「…………」
こういう時はやめとけよアンゼロス、と思ったが、フィオーナを鍛えるのはそれはそれで大事なことなので文句も言えない。
「アイリーナ、もっと強く言えよ。死なれたら困るだろ」
「……あの王女が自ら大丈夫と言うなら、それ以上も言えぬのじゃ。あれでなかなか頑固じゃからのう」
身分的には命令できる立場でもないし、強くも諫められないか。
しかし、うーん。
……俺が直接言うのが一番か。
仕方ない。
ラン王女の部屋を訪ねると、なかなかすごい数の紙が干してある。
こういう文書は書いてすぐに巻いたり重ねたりすると滲んだり裏写りしたりしてしまうので、書いたら干すしかないのだが、南部語がびっしり書かれた紙が床一面に散らばっているのはちょっと壮観だ。
これを短期間でたったひとりの少女が書き記したと思うと、それだけでなかなかの偉業だ、と思ってしまう。読めないけど。
「王女様」
声をかけるも、机に向かっているラン王女は全く聞こえていない様子。
試しに背後まで近づいてみる。手は動いているので意識を失っているわけではなさそうだ。
後ろから何かビックリでも仕掛けようか。耳元に息でも……って、危ない危ない。雌奴隷でもないのに何考えてるんだ俺。
あまりなんでも許してくれる女の子が多すぎると発想が駄目になるな。反省。
気を取り直して、背後からもう一度。
「王女様、起きてる?」
「…………」
敢えて居眠りを疑っているかのような言い回しをしてみたが、ラン王女は反応しない。ひたすらカリカリと羽ペンを動かしている。
使い切ったと思われる口の空いたインク壺がゴロゴロと机の隅に寄せられていて、彼女の集中の壮絶さを物語っている。絵の具でもないんだから普通は一気にこんなには使えない。
……普通に声をかけるだけじゃ無理か。あんまり馴れ馴れしくするのも庶民としちゃ不敬だし、ドラゴンライダーとして親しくしようと思うわけでもないんだけれど。
肩を叩くことにする。
「王女様」
「……っ!? えっ、あ、はいっ!?」
やっと気づいた。
一度少し面倒そうな顔で目を向けてから一旦書面に目を戻し、ギョッとした顔でこっちを見直してペンを取り落とす。
「すっ、すみません、あのっ……フィオーナかと思ってて!」
「……そんなに声が高いつもりはないんだけどなあ」
「集中していたので呼ばれているということ以外気が回らなかったんです……!」
声の違いもそうだけど、北西語で呼ばれてるのにフィオーナと間違えるってどうなんだ。あり得るのか。
……まあ本人がそう言ってるならそうなんだろうけど。
「注意力落ちてるんじゃないか? 何書いてるのかわからないけど、そんなんじゃミスも増えるだろうに」
「い、いえ、むしろいくらでも書けるくらいの状態なので……その」
「多分それは錯覚だ」
22時間。寝てないのはともかくとして、それほどの時間完全に絶食状態では頭が働かなくなる。
集中力が高まっているというより、単に何をやっても出来がよく思えるくらい頭が働いてないんじゃないだろうか。
……って、俺もよく作業中にハイになるから気をつけないといけないな。作品を読めもしないのにクールに批評してる場合じゃない。
「今日は一度ペンを置いて、メシ食って温泉に入ろう。一度死にかけたらしいじゃないか」
「し、死にかけたなんてそんな。ただ頑張りすぎて貧血になっただけですよ」
「マイアは死んだかと思ったって言ってたぞ」
「大げさです……」
駄目だこりゃ。自分がどんな無茶をしたのか理解できていない。
強がっているだけなのかな、と少し思ったが、すぐに処置できるのにこんな変な形で死線に挑む意味はいくらなんでもないだろう。
……っていうか、俺もこのぐらいの歳の頃には自分の体に変な信頼があったものだ。気合と根性さえあれば何晩の徹夜でもどうにでも誤魔化せる、みたいな。
中年という称号が近づいてきた今、無理をすれば相応の跳ね返りもあるというのは理解できてきたけれど、喘息というハンデを急に克服したラン王女はまさにあの頃の俺……いや、それ以上に、自分の限界などというものは認識できなくなっているのだろう。
「ドラゴンにどうにかされるならともかく、部屋で日記書きすぎて死んだ、なんて神話はフィオーナも情けなくて持ち帰れないだろ。体は大事にしないとせっかく治った意味がない」
「……日記ではないんですが……うぅ」
あえて聞こえない振りをして、俺は王女を立たせる。丸一日執筆していただけあって案の定足元はフラフラで、病弱王女に逆戻りしたようにしか見えない。
その肩を支えながら、こんなことはトロットのレイナ姫……レイナ王妃やレンファンガスのフレア女王には間違ってもできないな、とふと思う。
縁のない他国とはいえ、王女様にあまり気安く偉そうに接するのはよくないことなのだが、でも今の彼女の手綱を引けるのは俺だけなんだから仕方ないよな、と自分に言い訳をして、あえて年上として彼女の無茶を諫めよう。
部屋を出るとフェンネルが微笑んでいた。
「食事の用意はすぐにできます。こちらの霊泉水をお飲みになって少々お待ちください」
その背後で、小走りで桜の氏族のメイドさんが厨房に向かうのが見えた。耳のいい彼女らは話の流れを聞いていたのだろう。
手渡された陶コップを王女は受け取り、少しはしたなく喉を鳴らして飲み干すと、また少しフラッとしてから目が覚めた顔をする。
「お、美味しい……」
「水も飲まずにこもられていたのですから、体が欲していたのでしょう」
……フィオーナがアレな子過ぎるから見落としてたけど、ラン王女も危うい子なんだなあ、と思う。あんなフィオーナでも側についていないといけないくらいに。
フィオーナとは別の意味で常識や危機意識が欠けている。
彼女を救う、というのは、このまま帰すだけで本当にいいんだろうか、と余計なことを考えてしまう。
あまり踏み込み過ぎるべきではないとは思うんだけど。
夜。
王女に食事をさせて入浴もさせ、寝かせた後、秘密温泉でゆっくりしていたらフィオーナが現れた。
相変わらず特訓でボコボコにされているようだが、今日は自力で歩ける程度で終われたようだ。
「……お前か」
「よう」
フィオーナの言葉は難しい慣用句とかでなければわかるようになってきた。こっちからも簡単な挨拶くらいはできる。セントガルド式じゃないけどそこは勘弁してもらおう。
「ラン様が世話になったようだな。……礼を言う」
「あー……」
フィオーナは躊躇なく入浴用のローブに着替え、ざぶざぶと温泉に浸かりながら妙にしおらしく言う。
まさか素直に礼を言われるとは思ってなかったので答えられずにいると、フィオーナは痣をさすりながら溜め息。
「北西語でいいぞ。お前が私の言葉を理解できるように、私もある程度は北西語が分かるようになってきた」
「え、マジ?」
「アイリーナ様のおかげだ」
……そういえばアイリーナ側でもフィオーナに教えてみるようなこと言ってたっけ。
教えられてこれだけの期間である程度聞き取りができる……ってことは、思ってるほどには頭悪くないのか?
「なんだその意外そうな顔は。私だって町人と言葉が通じないのは気にしているんだぞ」
「あんまり真面目に座学やりそうに見えなかったから……」
「す、好きではないが、勉学を不真面目に受けるほど性根が曲がっているつもりはない!」
……そうだな。真面目といえばいつも真面目なんだな、こいつ。
要領は悪いけど。
「……ラン様の記した神話を読んだ。お前がいかにエルフ領を救い、トロットを救い、ドラゴンたちの戦いを制したか、という神話……まだ途中までだが」
「え、あれそういう内容なの」
っていうかそういうのって神話になるのか。王族もセントガルドも関係ないじゃん。
フィオーナはあきれ顔をした。こいつにそういう顔されるのなんか嫌だな。
「ラン様が神話を作るための土台だ。お前が何者か、何をなしてドラゴンの主となったか、それを詳らかにしない事にはラン様の勇気も価値が出ないだろう」
「……まあそうなのかもしれないけど」
そういうの全部神話にしてたらとりとめもなくならないか。信徒みんなで共有できるのか。
……という疑問にはフィオーナは答えない。
「正直、信じられる内容とは言えないが……いや、ラン様を信じないというわけではないが」
「いや、信じられないのは普通の反応だから」
俺自身も人から聞かされたら笑い飛ばさざるを得ない部分がちょっと多い。
しかし、とフィオーナは俺と、少し遠巻きに見ている黒首輪の銀竜娘たちを見て。
「……少なくとも、奇跡は起きたのだろうな、と思う」
「まあ……うん」
曖昧に頷く俺に、フィオーナはなんだか少し大人びた笑みを浮かべ。
「こちらの話だ」
「……?」
よくわからないことを言った。
何がこちらの話なんだろう。
(続く)
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