翌日。
 起き抜けの「儀式」を終え、温泉で朝風呂を浴びてから、ふと気が向いて男爵邸に向かう。
 兵士としての仕事も鍛冶仕事もほぼ終わり、火急の件はない。こういう時こそ子供との交流を深めていきたい。
 用がないといっても、いくつか大ごとになりかねない事案はある。新都市建設だとか、ラン王女たちのこととか、あとクリスタル・パレスとの今後の付き合いとか。それにそろそろ秋ってことは、もうすぐレンファンガスの魔物大侵攻も始まる。
 そういうのを考えていくと、今さしあたって暇な状態でも、急に何が始まってしまうかわからない。心と時間に余裕がある状態の今を大事に過ごしたいものだ。

 男爵邸に入っていくと、館の中が妙に静か……いや、どこかで音楽が鳴ってる?
 男爵家の人々はみんな聞き惚れてるってことだろうか。
「こっちか……?」
 セレンたちの部屋とどっちを優先するか迷ったものの、まずはどういう状況なのか確かめてからでも遅くはない。
 音に引き寄せられるように館内を辿っていく。
 男爵邸はお城とまではいわないものの、なかなか広い。男爵家の家族だけが住むなら明らかに部屋数過剰だが、よその貴族が家臣を数十人引き連れてきてももてなせる程度の広さは貴族邸としては必須なのだそうで、そういう客間を借りて今はセレンたちや北のエルフたちも過ごしている。
 そんな客間の合間にいくつか遊び心のある部屋があり、例えばそれは刀剣や美術品を収蔵する部屋だったり、何代か前の男爵が終生没頭したという手作りパズルの部屋だったり、アルモニカのジャングルの珍しい猿を飼っていた部屋だったりする(男爵が子供の頃に死んだので今は剥製が飾られていて、子供たちにはとても不評らしい)。
 それらのひとつに楽器部屋があり……というか、たぶんそういうのの一つだろうと思う。存在を今知ったそこには笛や弦楽器、妙に多い鉄琴などをはじめとして多数の楽器が飾られていて、その窓辺でセレンが竪琴をかき鳴らし、ノールさんがコントラバスをピチカートで弾いて低音を合わせている。そして、その音楽を伴奏にして、アップルとラン王女が歌を合わせていた。
 アップルはエルフ語。ラン王女は南部語。
 それぞれに異国の響きを持つ歌が、同じメロディで響き合っている。
 ……そして、部屋に詰め掛けて聞き惚れている男爵一家や使用人たち。
「……アイリーナ。これ、どういう?」
「邪魔するでない」
「……ごめん」
 聴衆に混ざっていたアイリーナに説明を聞こうとしたら邪険にされてしまった。いや、まあ俺が悪いよね。うん。
 しかしアップルとセレンはわかるんだけど、ノールさんが演奏してるのも意外なら、ラン王女が自ら歌うっていうのもどういう趣向なのやら。
 でも、声は確かにいい。アップルと同じく、喉の使い方を知っている歌声だ。
 きっと、きちんと音楽教育を受けていたんだろう。音程も声の震わせ方も堂に入っている。
 やがて歌が終わり、場が拍手に包まれて、そこでようやく俺はアイリーナに再び話を聞くことにする。
「アイリーナ」
「……王女の喉が良くなったというのでな。喉の試しついでに歌でも一曲、という話をしておったら、我らが北の森と南部大平原で同じ歌が伝わっておる……という雑学を思い出しての。わらわが提案してみたのじゃ」
「同じ歌……どういうことだ?」
「誰が作ったのかは知らん。とにかく同じ旋律が他の地方に伝わり、現地の言葉で適当に歌詞をつけて歌われるというのはよくある話じゃ。北の森では山と山の恋の歌、南部ではどこぞの母が旅立つ我が子を思う歌になっておる」
「……ずいぶん違うな」
 山と山の恋。……あまり想像できないが、まあメルヘンなあれなのだろう。
「まあ、北の森の歌は大体そんな調子じゃ。情が強いものや俗悪な詞はそう長くは伝わらん。良くも悪くも品格を気にする」
「それもつまらなそうだなあ」
「うむ。……まあ、それはどうでもよい」
 少し照れながら微笑んでいるラン王女は、俺の視線に気づいて少し表情を変え、こちらに駆け寄ってくる。
「スマイソン様!」
「綺麗な声だった。喉、いいみたいだな」
「はい! どんなに思いきり歌っても発作の兆しさえもありません!」
 喘息が怖くて喉を酷使することを恐れていた彼女が、今は思いっきり活動できる。人生の重石が取り除かれたことの喜びに溢れている。
 そういう歌だった……ということだろう。聞きながら涙ぐんでいた人がちらほらいたのは、経緯を知っていたからか。
「若い方の人生が開けるところに立ち会うのは良いものですな。王女殿下」
「男爵様。お耳汚しを」
「いやいや、美しい歌声に心洗われました。ポルカでも随一の歌い手たるアップル君に勝るとも劣りません」
 アップルって男爵家でもそういう認識なんだ。……いや、俺もアップルより上手い奴なんて知らないけど。
「ノールさんって楽器も弾けたんだ」
 コントラバスを片づけているノールさんにも声をかける。
 ノールさんは肩をすくめて微笑み。
「ホセに昔教わったのよ。踊る以外に芸がないっていうんじゃ、足を捻ったらどうするのか、なんて言われてね。実際、たまに役に立ってるわ」
「こんな大物の楽器の奏法なんてそれこそ滅多には使えないでしょうに」
 コントラバスは巨大だ。形としてはバイオリンの親玉だが、全長はノールさん本人より大きい。
 中空の構造だから重さはそんなでもないとはいえ、旅のダンサーが備えとして持って歩ける大きさではない。
 ……が。
「これ選んだのはたまたま目に付いたからってだけ。パーカッション系も笛も、ギターも竪琴もだいたい使えるわ。ことあるごとに仕込まれたからね」
「……すげー」
 思った以上にマルチタレント。いや、芸歴80年、300歳のダークエルフだからこそか。
 あんな極まったダンスだけでも生きた至宝といって差し支えないのに、他にもいろいろできるのはなんかもうズルい。
 ……まあディアーネさんも似たようなものか。
「それより、セレンちゃんとアップルちゃん、本当いいウデしてるじゃない。あっちのコは色々無理がありそうだけど、私の伴奏として組んで欲しいくらいよ」
「ノールさん的には初めてでしたっけ、彼女らのこういうの聞くのって」
 それなのに一発勝負で合奏しちゃうのも凄い。もうなんか凄いとばかりしか言ってない気がするけど。
「たまにだったらいいですけどねー」
「エレちゃん放っておいて二人で酒場とかはね……」
 困り笑いで顔を見合わせるセレンとアップル。エレニアの世話はセレンのみならず、もはやアップルにとっても重大な役目みたいだ。
 まあ元々二人で協力して俺を囲いつつ、交代で働く……みたいな未来図を描いてたくらいだしな。いざ子供が生まれた今、子供の世話は全力で協力しあうのが彼女たち的には当然なのだろう。
 ……顔も覚えられない程度にしか接していない俺の駄目親度がさらに気になる構図だ。
「それなら、ウチの子たちの音楽の先生はどうかしら?」
 男爵夫人がニコニコしながらセレンに寄ってくる。
「ウチでやるならピーター君やエレニアちゃんの心配もいらないし。これだけの腕なら授業料も弾めると思うわ」
「え、えーと……」
「……考えておきます……」
 若干たじろいでいるセレンとアップル。
 小銭稼ぎには結構積極的だと思ってたんだけど、何か不本意なんだろうか。ピーターとエレニアの心配がいらないというのは確かにそうだし、かなりの好条件だと思うんだけど。
 ……という俺の疑問に対し、答えを教えてくれたのは、いつの間にか近くにいたメイド姿のフェンネル。
「奥様、あの手この手で二人をこちらに留まらせようとしているんです。ここまでピーター君たちを一緒に育てたのに、スマイソン家の方に引っ込まれてしまうと寂しいから」
「……ああ」
 なるほど……。
 俺も「父親と認識される男」の座を男爵に取られそうで危機感あるけど、セレンたちも下手したら「母親」としての地位をおびやかされかねないわけか。
 いや、本当にここまでお世話になりまくってるから、まるで敵視するような言い方はとんでもないんだけど。
「アンディ君も、ピーター君たちはここで育ててあげた方がいいと思わない? ここならメイドが常にいるから面倒が見られないことはないわけだし……マリーさんも昼間はここで働くんだから寂しくないでしょう」
「……い、いやー……」
「それに、家に小さい子供がいると……ほら、アッチにも集中できないでしょう?」
「…………」
 う、うわぁ。
 ……まあ、男爵夫人も子沢山だから今更こんな露骨な話したところでどうってわけでもないけど。
「その辺は大丈夫じゃ」
 ずずいと出てくるアイリーナ。
「乳母役をする雌奴隷も、子作りに励む雌奴隷も十二分におるぞ。すでに数十人じゃ」
「そうは言っても、子育て経験のある女はいないんでしょう」
「む……」
 男爵夫人、なかなか引き下がらない。
 というか、痛いところ突いてくれる。
 雌奴隷たちの中には確かに子育て経験者はいない。それがある男爵夫人と男爵家の使用人たち(ポルカのおばさん方多数在籍)がノウハウ面で絶対優位にあるのは事実だった。
 実際、今までもそうだったように、ここに預かってもらうことにはとても安心感がある。
 でも。
「俺の子はこれからたくさん生まれる予定なんで、それを全部ここに預けるってわけにはいかないでしょう。今までのことは本当にありがたいんですが、男爵家がたかだか領民の一人の子供たちを育てることにかかり切りになるわけにはいかないはずです。それならピーターたちだけ特別扱いはできないですよ」
「……それは、まぁ……」
 男爵夫人はしぶしぶとうなずく。
 そう。雌奴隷は数十人いる。となれば、俺は最低でもそれと同じ数だけ子供を作るつもりでいるわけだ。
 となれば、ピーターと同じように全員男爵家で育てていたら、俺の子供で広いこの屋敷も溢れかえってしまう。
 それを全部受け入れられるのか、愛情込めて育てられるのか、という問いには、さすがに男爵夫人も強い返答はできない。
 まあ俺だってその数を一気に育てられるのか、という点にはちょっと途方に暮れる部分はあるんだけど。それを今言ってもしょうがない。困ってから考えよう。
「まあまあ。今日はただ、良い歌と演奏を聴けた。それだけでいいじゃないか、ダリアもアンディも。そう真面目な顔をするな」
 男爵がまとめてくれる。奥さんのピーターに対する母性の暴走にはちょっと手を焼いているようなので、声をかける頃合いを見計らっていたんだろう。
 風向きを変える意味で、俺は壁に飾ってある楽器に目を向ける。
「ところで男爵、この妙に多い鉄琴って何?」
「ああ、これか……これはな」
 男爵は苦笑。
「実は、スマイソン親方の作品だ」
「え?」
「親方は楽器作りに詳しくなかったが、お前が昔、演奏の才能を示したことをとても喜んでいてな。しかし笛や弦楽器は鍛冶屋の手に余る。自分で作れる楽器らしい楽器はこれくらいだ、というので、お前が王都に行った後、いくつも試作してはウチの楽器と出来を比べていたのだ。……いつかお前が帰ってきたら祭りで弾かせてやるんだ、とね」
「……そっか」
「結局、戦争の後に作るのをやめてしまったが。……置いていったのを捨てるのも忍びなくてな」
 男爵は微笑みと哀しみの入り混じった顔をする。
 ……俺もきっと同じような顔をしているんだろう。
「……弾いてみていいかな」
「いいとも。……ああ、今日はいい日だ。この鉄琴たちにとっても」

(続く)

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