ラン王女はちょっと変わった緑色の髪をしている。長さはセミロングというところか。
魔術適性の強い体質だとたまにそういう色になるらしい、と同じく緑系の色をしているテテスに聞いた。実際、北の森のエルフにはそこそこ見かける色だ。
「……ラン王女って魔法得意なのかな」
ぼそりと俺が呟くと、ラン王女は周囲を見渡し、少し恥ずかしそうに湯に沈む。
「この場で得意と言えるものではありません……」
「……あ、あー」
この場。つまりマイアやエマをはじめとして、ドラゴンたちが多数を占める空間。
そりゃ言えない……っていうか、ドラゴンたちよりも上手いなんて胸が張れるのはエルフでもそうそういないだろう。
「いや、俺が言ってるのはそういう相対的な話じゃなくてね。人間社会における一般的なレベルで」
「そういうことなら……まあ、使える方と言えるかもしれませんが。こういった簡単なものしか」
ラン王女は湯の中からそっと手を持ち上げ、ゆっくりと夕空に差し伸ばす。
暮れ行く空にほのかに光の粒が生まれ、そこからゆっくり溢れ出るように幻想的な青い光が広がる。
一番星を空から取ってきた、と言われると納得してしまいそうな優しく神秘的な輝きだ。
「なんか特別な感じがするな……」
「ただの照明用の光の魔法です。……蒼き光の継承者として相応しいように、宮廷付きの者が呪文をアレンジしてくれただけのものです」
「その……なんだ、蒼き光ってのも、そろそろどういうやつか教えてほしいんだけど」
と、前々から疑問に思っていたことを口にしてみる。
王女が逡巡したところで、何の話をしているのかテテスに教えてもらっていたフィオーナが何かを言って俺を睨み、指さした。
「……?」
「あ、あの……ラン様と真面目な話をしようというのならその破廉恥な真似をやめろ、と」
ネイアが教えてくれる。……つい手癖みたいな感じで手近にいたネイアのおっぱいを触っていた。
「って、ネイア、何言ってるのかわかるのか。南部語なのに」
「えっ? ええ、まあ……ここしばらくで覚えました」
「覚えた……?」
いやちょっと待て。テテスが喋れるのは諜報員だし不思議はないけど、ネイアは本当にここ数日しか南部語に触れる機会なかっただろ……?
しかも話してるのってこの王女とフィオーナの二人だけだぞ。王女は俺たち相手には北西語喋るから、聞く機会はかなり少ないし。
仲間内の喋れる誰かに教わったにしても早すぎる。
「えっ、何か?」
「……ふつう、そういうのは異常なのよ……何で二日三日で当たり前みたいに聞き取れるのよ」
絶句してる俺に代わってベアトリスが突っ込んでくれる。
ネイアは何が問題なのかわかってない顔をしているが……これも「覚えが早い」で片づけられてしまうんだろうか。
と、無視された恰好のフィオーナが再び何か大声で突っかかってくる。
いや、まあ状況的にさすがにわかる。おっぱい触ったまま真剣な話を聞こうとするなということですよね。はい。
ごもっともだと思うので素直におっぱいからは手は離す。
代わりにネイアの肩を抱き寄せて隣に引っ張ったが、まあ翻訳役として許してほしい。いや水面下で脇腹から腰を撫でて所有欲を主張してたりするけど。
なおも噛みつこうとするフィオーナだが、それはエマが制した。そっちは任せよう。
「……ええと、蒼き光……ブルーライトの話ですね」
取りなすようにラン王女が口を開く。
「ブルーライトとは、セントガルド本国における月光神話にまつわる言葉で……我々王家が自任する役割をも表します。蒼は黎明を表し、かつての時代、朱く沈んだ月が蒼く輝いて上るその時に、新たな時代が始まったという言い伝えによります」
「……ええと、それは今セントガルドが作ってる神話とは別で?」
セントガルドは現在、自分たちで宗教の聖典たる神話を生み出している最中だという。
月光神話というのはそれと同じ調子で最近の誰かが作った設定なのか、それとも別口の伝承なのか。
どっちでもいいといえばどっちでもいいんだけど、気になった。
「下地には土着の伝説があるのです。時代の変わり目に、月がありえない色に光った……という、ただそれだけのものといえばそうなのですが」
「うーん」
月が変な色になった。それだけ。
逆によくそれだけの話を言い伝えてきたなあ、という感じではあるけど。
「なんとなくは察せられますね」
首を突っ込んできたのはテテス。
「何が?」
「歴史的に実在した現象から、セントガルド以前にあった宗教性を省くとそういうものになる、ということです。……月というか、空の色が変わることはあるんですよ。極端に『気』の流れがおかしい時には」
「そうなんですか?」
意外そうな顔をするラン王女。……もしかしてその月光神話というのを自分で信じてなかったのか。
「『気』の流れがおかしい時には、確かに歴史的な事件が起きやすいものです。……凶作や魔物の跋扈があれば、人は追いつめられますからね。戦争も革命も、そういう時にこそ起きるものですし」
「そういうものですか……」
「実際、300年前の北部六国の惨禍の際には、夕方でもないのに空が真っ赤に染まったという記録が複数あります。魔物が国中を荒らし尽くす惨劇の最中に空がそんな色になったら、もうこの世の終わりとしか思えませんよね」
「まあ、なあ……」
真昼間から空が赤く染まる。世界の色が変わる。
想像するのは難しくないが、実際にそんな情景を目の当たりにしたら、生き延びようという気力が萎えてしまうのもわかる。
「おそらく、セントガルド建国前はその現象をもたらすものに、また何かの精霊信仰というか、人格神みたいな概念も付随したと思います。それを残しておくのはきっとセントガルドの信仰として不都合があるのでしょうから、神話を編み直す段階で消えた……消したんでしょうけれど」
「……かもしれませんね。とにかく、蒼き光……ブルーライトとはそういった月光信仰のひとつに由来し、黎明、つまり始まりを意味する好ましき色。ゆえにセントガルド王家は勃興より、聖典を蒼と紫の二つの系統でまとめ上げ、それぞれの編纂責任者として若い世代の王族を指名しているのです」
「……編纂責任者って、よくわからないけど責任重大なんじゃないか」
「ええ、まあ……実際の編纂はそれぞれの編纂委員会の承認を必要とするので、飾りの役職でもあるのですが」
気まずそうに微笑むラン王女。
「実際の政務や軍務を働き盛りの世代が担うため、聖典編纂はそういった仕事に適さない王族を無役としないための名誉職と呼ぶものもあります。……そういった側面も、否定はできないでしょう」
と、そこでフィオーナが口を挟む。
「ラン様。相手がドラゴン使いだからとて、あまり情けない謙遜などなさらぬ方が。……噂はどこからでも伝わります」
……例によって直接はわからないのでネイアに目を向けると、小声で訳を教えてくれる。
「平気よフィオーナ。……ここは外国のエルフの森で、しかもドラゴンたちが守っているのだもの。地獄耳のスパイなんて入り込めるはずもない」
「しかし」
そこまでで南部語の会話を切り上げ、ラン王女はフィオーナを無視することにしたようだった。
「……とにかく、私が称号としてブルーライトを名乗るのはそういった理由です。……もちろん、一般にはフィオーナのように、私自らが聖典の担い手として歴史を大きく動かすと信じている者も多くあります。……過去の歴史を紐解けば、そういう機会に恵まれた者もいますが」
「なんというか……面倒そうだな、というのが正直なところ」
「そうでしょうね」
曖昧に笑うラン王女。
聖典の担い手……歴史の主役、か。
幼いころからそういうプレッシャーをかけられて成長するなんて、俺には縁遠い話で……しかし、現実には彼女は今、最も「歴史を動かす力」に接近しているという部分もある。
「ならば、主様との深い関係は是が非でも欲しいでしょうね」
エマが静かに呟く。
……ラン王女が俺にカラダを捧げるという筋書きが、彼女らにとってはやはり都合のいい展開。
どういうきっかけにしろ、病弱な肉体とへっぽこ女騎士しかない彼女が、歴史を動かす「ドラゴンの力」と接近する。そうなったことを宣言できる状態に持っていく。
そうなればセントガルド内部でのポジションは大きく動くだろう。「どうせ無力な小娘」と侮られた今よりも幸せかどうかはわからないけれど。
ラン王女は、勢力を伸ばす王国内でなにがしかを掴む機会を手に入れる。
そのために処女を捧げるのが、愚かな取引かどうかは……今は断言できない。
「とりあえず、事情は把握した。全部とは言わないけれど」
そして。
「でも、今のところはラン王女に手を出す気はない。利用されるとわかっていて踏み込むほど女は不足してないからな」
まだここまでの旅と戦いの始末が付いていないのに、これ以上多くの厄介事を抱え込む気は起きない。
ただただ、俺たちは癒しを提供したいという一心だったのだ。もののついでで国家レベルのトラブルに手を出すつもりはない。
「…………」
ラン王女は目を少し逸らして、曖昧にため息をつき、そしてまた俺を見る。
「フィオーナがいますので、今のところはそれで。……またお話しできればと思います」
……うーん。
諦めてない感じというか、まだ何かありそうな感じというか。
とりあえずは健康体になるのに専念してもらいたいんだけど。
(続く)
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