霊泉は飲めば万病に効き、浴びれば傷を癒すと言われているが、実際のところ、その効果の差は長年住んでいる住民にもよくはわからない。
 ポルカにいる限りは、よほどの不潔者でない限りは霊泉水を浴びるし飲む。他の水を手に入れる方が難儀するくらいだ。もちろん汲み置きすれば効力は消えるが、あえて効力を消す必要があるのは酒を造る時くらいだし(ジョニーの親父さんによると、なんかうまく酒になってくれないらしい)。
 結局どっちが効いているのか、あるいは効いていないのか、というのは切り分けようがないのだった。
 で、ラン王女の症状に関してはいわゆる病気に属するので水を飲ませておけば効果は強いはず……なわけだけど、温泉に入ることももちろん無意味とは断じられないわけで。
「ドラゴンやエルフの皆さんまでもがお墨付きを与えるほどの温泉……もちろん入ってみたいです!」
 わざわざお忍びでバスメイズに行っただけあり、温泉自体もだいぶ好きらしいラン王女は勢い込んだ。
 しかし。
「一般住民や巡礼者たちと一緒になるけど大丈夫?」
「あ……」
 ヒルダさんの質問に少し微妙な顔をするラン王女。
「そういうの駄目なヒト?」
「あ、ええと……いえ、こちらの風習ではローブを着たまま入るわけには……いかないのですよね?」
「……そうねえ。まあ……注意はされそうね」
「……それに、ちょっと……不用心といってフィオーナがまた怒りそうな気もして」
 なんだかんだでフィオーナの言うことも完全無視というわけにはいかないらしい。色々的外れなことを言うので全部却下しているのかと思っていたが、外交案件だから強く出ざるを得なかっただけで、普段はそういうわけでもないようだ。
「なるほどー……となると、公衆浴場でなければいいのよね」
「……ま、まあ……そうなのですが……あるのですか?」
「一応浴びる手段はあるわよ? 男爵のお屋敷には個人風呂もあるらしいし」
 領主の特権として、一応個人でひとつ源泉を独占もしている。まあ、いざという時に男爵邸だけで籠城戦もできるように、ということらしいけど。
 しかし風呂掃除も大変だし、男爵も奥さんも公衆浴場の方で交流するのが好きなため、普段はあまり使われていないらしい。
 そちらに頼み込めば、ラン王女ほどのVIPなら使わせてもらえる可能性はある。
「他にも北の森の泉を使う手もある。ほぼ同じ効能の泉が、森の結界内にもあるからの。普段は人を入れぬ特殊空間じゃから、人払いも完璧じゃ」
 アイリーナが言っているのは結界牢のことだろう。まあ牢に閉じ込められる罪人がいれば話は変わってくるはずだが……この口ぶりだと、普段はよほどのことがない限り結界牢には入れないのかな。
「単純に霊泉水を沸かし直して浸かるという手もありますよ♪ たらい浴びでよければですけど」
 コスモスさんの提案は……うん。まあ現実的と言えば現実的だけど、住民はしない発想だよね。タダの温泉があるのに、同性にすら裸晒すのが嫌、という理由でそんな燃料の無駄遣いはあまりしない。
「まあ……何より簡単なのはアレよねぇ」
 腕組みをするグロリアさん。周囲にいる雌奴隷たちとディアーネさんは、それが何か一瞬で通じたように揃ってうんうんと頷く。
「アレ……とは?」
「近場にあるのよ。絶好の場所が。そこらの住人や顔も知らない観光客は絶対に入ってこないし、広いし静かで安全で、多少違う入り方しても誰も文句言わないところ」
「……あの、ではそこで……いいのですよね?」
 ラン王女は「そんないいところがあるならどうしてすぐに言わないのでしょう」と不思議そうな顔をする。


「誰?」
「あー……南のセントガルドっていう国の王女様で、ラン・ブルーライト姫だ。持病持ちだって言うんで、しばらく療養させたいんだけど」
「アンタがそう言うなら邪魔はしないけど。……その子大丈夫? 立ったまま気絶してない?」
「し、正気です……大丈夫ですっ」
 全裸で迎えたコルティが怪訝そうな顔をするが、そのあけっぴろげな姿に驚いたわけでは無論ない。
 秘密温泉のそばではレイラとシャリオが木を引っこ抜き、岩を掘り出して整地を進めていた。ドラゴン体で。
 50メートル以上の成竜が二頭がかりで土を掘り返している姿は衝撃的だったのだろう。ここまでの道は木々に視界を遮られ、それが開けた瞬間にドラゴンがドドンと現れたのだから慣れていないと心臓に悪い。
 一応「ドラゴン娘たちに守らせている」ということは言っておいたんだけどね。
「こいつがコルティ。シルバードラゴンで、えーと……そっちのドラゴンの妹」
「違う。あれはシャリオ」
「……うん。じゃあそっちのドラゴンがレイラで、こいつのお姉さん。銀竜で一番話しかけやすいと思う」
 コルティに訂正された。レイラの方が少し体格大きいと思ってたけど違ったようだ。……よく考えたらあまり意識して違いを見比べてなかったな。
「それであれがシャリオ。ちょっと不愛想だけど天然なだけだからあまり怖がらなくてもいい」
「天然とはなんだ」
 シャリオがドラゴン体のまま、不機嫌そうにこちらに顔を向けてくる。
 体がでかいので声もでかい。そして半開きにした口の中は巨大な牙がこれまた銀の輝きを放っており、非常に凶悪。
 こいつが犯されて喜ぶ雌奴隷じゃなかったら俺も身構えちゃってたな、と思いながら笑っていなそうとすると、ラン王女が「ひゃああ」と声を上げてへたり込んでいた。
 ……今まで見せていた胆力から考えると我慢できそうな気がしたんだけど、フィオーナの目がないからそこまで気張れなかったか。
「大丈夫。あの二頭もコルティも、俺には絶対服従の雌奴隷だから」
「あ、あああ……あ、あの……ドラゴンも……ですか……?」
「なに、その子ドラゴン慣れてないの?」
「……だいぶ畏怖してる感じ」
 コルティはふふんと笑い、自分もドラゴンになってみせようとした(いや、そういう気配を感じただけなんだけど)ので、俺は慌てて彼女の肩を抱き、乱暴にキスをして止める。
「っ……なっ、もうっ……がっつかないでよっ……♪」
「……イタズラでラン王女脅かすな」
「……バレた?」
「そういうつまらない真似するとエロいことしてやらないぞ。レイラばっかり使ってやる」
「や、やだっ、そんな怒らないでよ」
 コルティとイチャイチャしていると、いつの間にか人間体に戻ったレイラとシャリオがじーっと眺めている。
「……こほんっ」
「その、私は抜きなのか。レイラにはするのに」
「……えーと、まあその。まずは用件を済ませようか」
 コルティを放し、ラン王女の側に立つ。
 コルティは裸だがレイラとシャリオは一応服を着ている。
 クリスタル・パレスの服飾文化は東方山地様式なので、重ね着の長衣を基礎としたファッションはセントガルド様式のくるぶしローブと共通点があるな、と思う。まあ比較的、という感じではあるけど。
「彼女は喘息らしいんだ。ヒルダさんの見立てでは霊泉の効力ですぐに良くなるらしいけど、彼女は王女様だからあんまり庶民の多い女湯に裸で入るのは良くないらしくて」
「封建国家の王女の体なんて本来国民みんなのものでしょ? 必要な時には誰に捧げる覚悟も持つべきもの。こういう時にまでことさら秘するものじゃないでしょうに」
「……急に賢そうなことを言うのはやめてくれないかコルティ」
 あと内容も不穏当だ。
「アンタは庶民だから知らないだろうけど、王侯貴族の女って実際はそういうものよ。家や国の方針で誰とでも契るからこそ、無条件にいい暮らしだってさせてもらえる。だからこそ身を捧げるなんて発想が出てくるんでしょ」
「理屈ではそうだろうけど……って、お前」
 身を捧げる……って、王女がそんなこと口走ったのはまだ説明してないのに。
 知らん振りして全部把握してたな。地獄耳のドラゴン耳で。
「どうせコイツに捧げるつもりの体ならローブなんて着て入るのは禁止ね。脱ぐのにすら躊躇してたら、私らからチンポ抜ける瞬間に間に合うわけないんだから」
「っ……」
 真っ赤になるラン王女。
 あーもう。
「お前に任せようってのが間違いだった。……エマ!」
「はっ」
 呼んだらすぐに空から着地してくるエマ。
 多分30メートルくらいの範囲にいたんだろうな。わざわざ呼ばれるまで近くで待ってるあたり、マイアやライラとは違う変な遠慮深さを感じる。
 とはいえ、彼女が常識面で一番頼りになる。
「ラン王女の案内係と護衛、頼めるか。できるだけ意向に沿うように便宜を図ってくれ」
「はっ。……あの、何か」
 エマがラン王女に怪訝そうな顔を向ける。ラン王女は俺にしがみ付いて硬直していた。
「……こ、このひとも……ど、ドラゴン…………?」
「……うん」
「…………い、今、私……ドラゴン四頭に……囲まれ……」
「い、いや、気をしっかり持ってくれ。ドラゴンは別に怖くない。ちょっと空が飛べて吹雪が吹けるだけのスケベ美女だ。ドラゴンはわけもなく飛び掛かってきたりしないから、むしろエルフの方が凶暴だ」
 呆然と聞き流す王女と、少し困惑するエマ。
「飛び掛かられたことがあるのですか主様……」
「……昔この辺でね」
 実のところ、今でもほんのわずかには過激派が飛び掛かってくる可能性がなくもないあたり、本当にエルフの方が怖かったりする。
 フェイザーはもう来ないだろうけど、エルフたちの中には未だに納得いってない派閥ありそうだしな……。
 ドラゴンはその点、ちゃんと会話になるから全然マシだ。ライラが最初にドラゴンライダーという箔をつけてくれたおかげで、そこを主張している限り問答無用の実力行使はされないし。
 でも、ドラゴンはやっぱりドラゴンというだけで怖いんだろうな。知ってても平気でオナニーのオカズにするオナニーブラザーズや、男湯に混浴してくれるというだけで気を許してしまったポルカの男衆が特殊例過ぎるのか。
「……王女が怯えるから、入浴する間は黒首輪三人はちょっと離れててくれ。俺の家にでも」
 コルティは不満そうな顔をしたが、レイラは苦笑、シャリオは淡々と頷き、街の方に歩き出す。
 そして王女は……それでもやっぱりエマに怯えてるな。背格好はほとんど変わらないからちょっと面白い状態だけど。
「エマは頼りになる子だから安心していいよ。魔物が何十頭いても負けないし、護衛としては最高だ」
「…………う、うう」
 優しく諭しても王女は俺の袖をつかんで離さない。
「……そんなに怯えられると私も困るのですが」
 エマも困惑。
 ……ここはエマに任せてフィオーナの方も回っておきたいんだけどなあ。
「エマ。一緒にお風呂に入ってあげて……って言いたいけど」
「……護衛が離れるわけにもいきませんから、それは良いのですが」
 王女に手を放して、とジェスチャーしても、ふるふると小刻みに首を振るばかり。
 よほど巨大なドラゴンたちの姿と、その人間体四人による「怪物に囲まれる実感」が身に浸透してしまったか、ほとんど駄々っ子。もっとしっかりした子だと思っていたが、やはり限界はあったのか。
 でもせっかく温泉に来て入らせないわけにもなあ。
 …………。

 と、いうわけで。
「これさ。多分フィオーナが一番怒るパターンだと思うんだよね」
「し、仕方ない……仕方ないでしょう、こんなの……無理ですっ」
 薄いローブで入浴する王女。それに2メートルほど離れて端然と入浴するエマ。
 そして、王女の真横にぴったりくっつかされる俺。
「もともとライラがドラゴン七頭いるって言ってたと思うけど……」
「……信じていなかったわけではないですが……でも、ほ、本当に見ると……無理です……!」
 本当、ドラゴンという巨獣による迫力って一般には恐ろしいものなんだなあ、と実感する。
 もう、その牙をいくら見ても食いちぎられるなんて想像はできず、人間体の方を基準に「話せる相手」とか「セックスできる女」と思ってしまう俺は改めて特殊過ぎるのかもしれない。


 温泉から上がってスマイソン家の方に行くと、フィオーナが倒れていた。
「お、おい」
「どうしたのですフィオーナ!」
 俺がまごつくのを尻目にラン王女が素早く駆け寄る。
 フィオーナは痣だらけになっていた。
「……誰がこんなことを」
「私」
 にゅ、と家の玄関から顔を出したのはローリエだった。
「どうしてこんな……」
「……最初シャロン姫。次にアンゼロスさん。それから、私」
「……なに?」
「順番に、この人の稽古の相手した。……私、剣ほとんど使ったことなかったのに全然負けなくて」
「……ふ、不覚……っ」
 フィオーナは凄惨な顔でガクリと力尽きた。
「フィオーナ!?」
「は、早く霊泉に連れて行こう」
「私が運びます」
 エマがお姫様抱っこをして秘密温泉に跳んでいく。
「……まあ霊泉あるし、って思ってやっちゃったんだけど……駄目だった?」
「もう少し加減してあげて。お前も一応一般人基準ではだいぶ強い方だし」
 ……実際霊泉だとああいう単純な打撲なら明日には治るんだけどね。
 ……でも逃げずに倒れるまで挑んだ根性だけは評価してもいいかもしれない。女騎士フィオーナ、あっぱれだ。

(続く)

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