朝を迎え、ボルトン爺さんの目をヒルダさんに診察してもらう。出掛けにそうするように頼んでおいた。
今後もここに来る事があるかもしれないし、ボルトン爺さんは大きな宿屋の主。一番世話になりやすい相手だ。悪い言い方になるが、恩を売ってコネを繋いでおくのはひとつの方策だろう。
まあ、目の疾患が手に負える程度なら……だけど。
「おじーちゃん、若い頃鍛冶してたのかしら?」
「爺ちゃんなんていうな。まだ150だ。……ああ、鍛冶はやってたよ。才能なくてやめちまったが」
「その時に受けた目の奥のダメージがじわじわ広がってる感じねえ。それに濁りもあるかしら……目自体が弱ってきてる部分もあるけど」
「どうなんだ、治るのか治んねえのか」
「治るけれど、加齢による衰えは完全にはケアできないのよね。暇があるならポルカの霊泉に来るのが一番なのだけど」
「ポルカの霊泉ってあれか、随分昔に噂だけなら聞いたことあるぜ。なんでも治るんだったか。本当なら医者上がったりだな」
「それが本当なのよねえ。まあ気軽に行けない場所なのが一番のネックなんだけど」
「……本当なのかよ。目もか」
「目も、よ? 手足頭おなか、心の臓でもおちんちんでも、何でも人並み以上に元気だったあの頃に戻る奇跡の泉なんだから☆」
「なんだい、アンタそこ行ったことあるのかい。トロットの奥地って聞いてるが、ダークエルフが気軽に行ける場所じゃねえだろう」
「それがねー。私もうそこの住人なのよねー☆」
ヒルダさんは軽い調子で話しながらも診断をまとめ、「ちょっと五分ぐらい見えなくなるけど気にしないでねー」と呟いて何か魔法をかける。幻影による感覚遮断の麻酔か何かだろう。
「ほ、本当に大丈夫なんだろうな? このまま真っ暗ってこたねえよな?」
「本当少しくらい待てないかしら? いい大人がだらしないわよー☆」
「で、でもよう……俺、目ぇ開けてるよな?」
「思わず瞑っちゃわないように見えなくしてるのよ。はい、もう口も動かさないで黙ってー」
「んぐ」
横で補助役をするテテスが爺さんの頭とアゴを押さえる。これで喋れない。
その間にヒルダさんは細やかに指でこめかみの辺りの空中を掻き撫でるようにしながら呪文を早口で詠唱し、次々に違う魔術を施していく。
「……はい、処置終了。これで少なくとも夜に本読むくらいは楽になるはずよー」
「マジかよ。まだなんにも見えねえ」
「だからあと少ししたら見えるようになるわよ。ドワーフのくせにせっかちなんだから」
「ドワーフがトロいってのか? のんびり鉱山で石だけ掘ってる、訛りも抜けない田舎ドワーフなんかと一緒にするな。俺ぁ都会派だから遥かに……っと、ぼんやり見えてきた……」
「のんびり昼間に寝て夜にチェックインさせるお宿の主人とは思えない主張ねえ」
ボルトン爺さんはしばらく目を見開いたまま、何かに触ろうと宙で手をゆるゆるかき回していたが、ある時点から視界がはっきりしたらしく、動きが急にしっかりする。
「お……お、おお、見える……すげえな、全然ボヤけねえ。眼鏡もねえのに」
「今のところはね。一、二年も経ったらまた怪しくなるわよ、焦点合わせるための筋力が弱ってきてるのは年齢的なものだから」
「そうか。歳は取りたくねえな……」
喜びも束の間、しみじみ呟く老人に、ヒルダさんはそれでも笑いかける。
「だからポルカに来るといいわよー。あそこならそういう衰えはだいぶ回復するからね☆」
「……こんだけの腕があるなら、黙って往診してりゃあ、いくらでもふんだくれるだろう、アンタならよ。この街が異種族に冷たいっつったって、アンタみたいなのならいくらでも抱えたい人間族はいるぜ」
「小銭稼ぐのはもういいのよ。今の私は愛に生きる女なの☆」
人を見事に癒してこう言えるのはすごくかっこいいが、その相手との関係が不倫であるというのを考えるとすごく気まずい。
そんな内情は知るよしもなく、ボルトン爺さんはしみじみと手を見ながら呟く。
「ポルカか……若い頃なら健康なんてと言えたもんだが、何やっててもしんどくなってくると、そういう話もちと興味出てくるもんだな」
「今はセレスタ人でも行きやすくなってきてるから、もし興味あったらオニキス商会の関係者に話をすると段取りつけて貰えるわよ☆」
「オニキス……ああ、ここらじゃあまり流行ってねえが、話せる心当たりはあるな。アンタ、関係者かい」
「うちの兄が仕切ってるのよ。この前から、ポルカやその向こうのエルフ領と取引太くする計画が本格化してるはずだから、商隊に相乗りできるはずよ」
「ほう、オニキスの元締めの家族かい。そりゃまた……」
居住まいを正すボルトン爺さん。
それを少し遠巻きに見ながら、グロリアさんが肩を竦めて横目で俺を見る。
「オニキスってのは、ボルトンには一番利く名前みたいだねぇ……それどころじゃないんだけどね、この団体」
「ややこしくなるから……」
俺は唇に指を立てる。グロリアさんは皮肉げに笑う。
ベッカー特務百人長が引率する元麻薬患者&バウズ班は、特に問題も起こらず普通に町の大通りの宿を取れたらしい。
ライラとバウズが長距離を隔てて超聴覚で会話できたおかげで(普通に喋っても町の反対側の相手の声が分かる)、結構あっさり落ち合えた。
頭を掻きながらベッカー特務百人長は溜め息。
「ここの特殊事情についちゃ有名だから、お前らの中の誰かが知ってるもんだと思ってたよ」
「残念ながら東部に用がある子、誰もいなかったんで……」
一応ライラが知ってはいたんだけど、それも百年前の知識だしな……。
「ベッカー特務百人長って国内のことはホントなんでも詳しそうですね」
「諜報旅団ってのは国内の内偵が仕事の半分だからなぁ。一枚岩じゃねえ国ってのは大変だよ」
「ここらも潜入で?」
「北方軍団司令部詰めっていや、言い方悪いが閑職だ。ボンボンの将軍候補生が学校代わりに集まる。だけど暇だと人間、何企むかわかったもんじゃねえからな」
北にトロット軍団があって、そこでトロット人部隊に混じって精強の部隊を重石に置いている関係で、北方軍団は四方にとりあえずの脅威を持たない比較的安全な軍団とされる。あとは青蛇山脈に守られて大規模な敵勢力の心配のない東方軍団もそう。
そのため、指揮軍略を学ぶ将軍候補生は、よほど即戦力の見込みがある者は海賊対策や南部大平原からの脅威に備える南方か対アフィルム防衛の西方、それ以外の者は北方か東方軍団に配置されて経歴を積み上げていくことになる。
が、何かと地方閥や種族主義の入り込む余地があるのがセレスタ軍の特徴だ。若い将軍候補から妙な思想集団が形成されて、中央の命令をないがしろにする……なんていうのは、残念ながら珍しい話ではない……らしい。
そこらは末端の兵士、それも特殊部隊としてディアーネさんの庇護下にあった俺たちクロスボウ隊にとっては全然関係がない話だけど。
「何度もボンボン相手に名探偵の真似事するハメになったもんさ。士官教育の将軍候補ってーと大商人の一族ってのがお決まりだ。ザクッと殺って済ますわけにもいかないし、いざとなると金で無理押ししてこようとするしで、ホント面倒臭いったらねえのな」
「……ご愁傷様です」
「ああいう任務は勘弁して欲しいもんだが……今後前線で暴れるって歳じゃなくなってくると、ああいう仕事が本業になっちまうんだろうなあ。やだやだ」
首を振るベッカー特務百人長。
後ろで腕組みをしていたバウズが口を挟んでくる。
「世間話は置いておくとして、この後どうするのだ。こちらの女たちにゆっくり観光させるのはいいかも知れんが、お前の雌奴隷たちは居心地が悪そうな街だ。すぐに出るのなら準備させるが」
「ああ……うーん」
俺の勝手で連れてきちゃったんだ。そっちの班の女の子たちにも多少は観光する機会をあげるべきだろうか。
亜人街の方にいれば俺たちはそう困らないし、それでもいいかもしれない……と思うんだけど。
「どうしようかなあ……」
俺が答えを出しあぐねると、アイリーナがずいっと進み出てきた。
「して、そちらの娘たちはどういう具合なのじゃ。見て回りたくてウズウズしておるのか」
「いや、そうでもないな。息苦しさを感じる娘が多いようだ。人間に対してはあまり攻撃的な者はいないのだが……街の雰囲気だろうな」
「雰囲気……ふむ」
俺から見るとハーモニウムは穏やかで、決して重苦しい感じはしない。
クラベスほどではないが緑豊かで、どの道も広く、町中央のゆるやかな丘に北方軍団司令部を戴き、数段の段々畑のように造成された街区は人通りも多く、治安の悪さも感じない。
「出来すぎておるのは感じるのう」
アイリーナが口元を隠して目を細める。
「出来すぎてる?」
「町の風合いが調律されすぎておる。異種族たちの裏通りにあった活気がこちらには全くない。……軍の睨みが効き過ぎておるのか」
「あー、それもあるだろうが……ここらの仕切りをやってる連中の仕業だね」
黙っていたグロリアさんが口を開く。
ベッカー特務百人長が俺にジェスチャーで「誰?」と尋ねる素振りを見せたので、俺は軽く紹介。
「亜人街の方で絵師やってるグロリアさん。空色の破門者らしいです」
グロリアさんは「破門者」という響きを聞いたときだけ耳をピクッとさせたが、それだけで話を続けた。
「スプリングス商会って連中が圧倒的な感じで仕切ってるのさ。この町のあらゆる店やサービスは元を辿るとほぼ全部そこに行き着く」
「……影の支配者か」
「ここで生活しようとすると、どっかで奴らに膝を屈しなきゃいけなくなる。それこそ軍は別としてね。……行政ならいざ知らず、誰も彼もがひとつの組織に尻尾握られて生活するってのは、ちいっと行儀悪い真似はしづらいやね」
「そっか……」
セレスタ内の人間族勢力の一大拠点。
それなら当然、商売を旨とするセレスタでは大商人がいることになる。
タルクではオニキスを最大としつつも複数の勢力が競争をすることで活気を保っていたのに対し、ここでは一勢力が全てを握ってしまっているのだ。
良きにつけ悪しきにつけ、競争というのがある場所は互いに批判を呼び起こす。それは泥の投げあいでしかない場合もあるが、全体としては自浄と改革を促進する。
逆に言えば、競争が存在しない場所では、より優れたものに変わる必要に迫られず、自浄も改革もなかなか起こらないのだ。
となると、住む人間たちの思考も停滞する。現状維持より上には向かなくなる。
「なるほど、そりゃ息苦しい……のかな」
「田舎育ちならともかく、もっと活気のあるところに慣れてる奴には面白くない雰囲気だろうねぇ」
グロリアさんは手を軽く広げる。
「一度こうなるとなかなか風穴も開かないんだ。……今というものに満足してる奴ばっかりだよ、ここは」
「グロリアさんも?」
「まあね。……はみ出しモノなりの待遇ではあるけど、好きなことをしながら生きていくことだけはできる。破門者だからってそれ以上に追及しようなんて手は、ここには届かない」
「…………」
どこか。
ぶっきらぼうに、自嘲気味に、切って捨てるように言う彼女の言葉には、悲哀がある。
彼女としては破門の過去は、自分の好きに生きているという自負でもある。それ以上同情すべきことではない……ということなのだろう。
実際、破門者となったエルフに、それ以上の幸せなんて望むべくもないんだろう。
だから、俺が今、なんとなく感じている想いは余計な感傷でしかないんだ。
彼女は何もかも覚悟の上で、余人の届かない位置にいる。
助けを欲してなんかいない。
……だから、そこにいる彼女に無理に手を伸ばして触れるとするなら、それは彼女を「助ける」ことではない。
「そうか。……でも、そろそろ飽きてない?」
「ん……?」
「ここが安定してしまって、今と同じ日常しかないのなら。今と同じように描くしかないのなら。……そろそろ新しいものを見たくないの、グロリアさん?」
「……そりゃね。頭の中だけでこねくるのは飽きるところもあるけど。でもあたしにはここが……」
「一緒に色々見に行こう」
俺は、グロリアさんの目を見て、言う。
「俺はあなたの描くものが好きだ。あなたが息苦しい場所で不自由してるっていうなら、美味い空気を吸う手伝いくらいはしたい」
「……なかなか強引じゃないか。一発犯って、情でも湧いたかい?」
「それもある」
俺は素直に肯定する。
「あなたとのセックスはすごい良かったし、放すのが惜しいって面は否定しない」
「順番待ちだよ」
「他の奴には何ヶ月か待ってもらおう」
「……おいおい」
「俺たちはこれから色んな場所に行く。ドラゴンの翼で、きっとこの町からは想像もしないような場所にも行く。それをあなたが見て、それをどんな絵にするのか見たい」
「……口説くんならさ、もっと女がキュンとくる口説き方とかないのかね?」
「俺、あんまり自分で女を落としたことなくて。……でも俺は、あなたが狭い世界に隠れながら生きていなきゃいけない人だとは思えない」
「…………」
「何ヶ月か、俺に時間をくれ。俺と一緒に来てくれ。それでもここに戻るのが最善だと思うなら、また連れてくる。約束する」
「……はぁ、やれやれ。いい年こいて青臭いこという子だ」
グロリアさんは苦笑いして。
「……いいよ。確かに……ここであと何十年、同じようにしてても、何がどうなるわけじゃない。少し休暇といこうかね」
今に満足している彼女に俺が手を伸ばすとするなら、それは彼女を「助ける」ことではない。
「手に入れる」という決意だろう。
……だとしても、それを否定する者は、誰もいなかった。
(続く)
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