すれた感じのエルフ女性に連れられて、闇を縫うように寂れた道を進んだ先に、まるで急に「セレスタ」が現れた感じがした。
「わ……」
「賑やか……!」
いかにもセレスタらしい猥雑な空気。露天のテーブルに寄り集まったオーガや獣人、ドワーフにリザードマン、そしていくらかのダークエルフ。
それはまさにセレスタ特有の、坩堝の中のような喧騒だった。
いや、この街自体もセレスタには違いないんだけど、今までいた区画はどちらかというと閑静で折り目正しく、まるでトロットの高級住宅街の通りのようだった。酒場からだって度を越えたドンチャン騒ぎは聞こえてこなかったのだ。
「異種族ごたまぜ、誰でもOKの宿ならこのあたりだ。……晩にもなってから十何人もご案内となると……ボルトンのホテルくらいかね。あのジジイ、昼は苦手だからって玄関閉めてるから、今がちょうどチェックインのいい時間だ」
「大丈夫なのかそこ……」
「贅沢言うほど宿の数はないよ? それと、あそこに食事のサービスなんて気の利いたものは期待しない方がいい。食べるならここらで摘んどきな。エルフ好みの薄味の食い物はないけどね」
女性はそう言うと、そこらで飲んでいたテーブルから勝手に骨付きチキンを取り上げて一口齧る。
取られた客がすぐ反応した。
「あっ、てめっ……何食ってんだ!」
「ケチ臭いこと言うんじゃないよデニス、肉の一本や二本で」
「……なんだ、グロリアの姐さんか。もう仕事は上がりかい」
顔見知りだったらしい。
「今日のところはね。まったく、飲まずに帰れる気分じゃないってのに変な奴らにも絡まれちゃって。……エルフこれだけ連れてきたのにねぐらも探せないんだとさ」
「おー……こりゃ綺麗どころが揃ってらあ。なんだいアンタら、どこから来た?」
「どこからって言われると……こことは言いづらいけど、とりあえずはトロットの田舎……かなあ」
「トロットぉ? トロットからエルフ連れてここへ? 異なこともあるもんだ」
おかしな顔をするデニスという名の中年狐獣人。
まあ、ここらのセレスタ人の認識としては、トロットは未だにエルフと敵対する国でしかないだろう。
そういうのが変わり始めてから、実際に認識が広がっていくまでには時間がかかる。
「トロットの奥にはエルフの森がある事は知っておろう」
アイリーナがそう言って、デニス氏の皿から肉をひょいと取り、齧る。
デニス氏は「あっ」という感じに口を開きかけて、苦々しくまた閉じた。
「それがどうかしたってのか」
「今はそこも開かれておる。少なくないエルフが往来しておるぞ」
「はぁ? 本当かよ。なんで急にそんなことになってんだ。エルフの連中ときたらお高く止まって言う事変えないんで有名だろ」
「あたしのことかい」
「いやグロリアの姐さん以外の話だって」
テーブルの端に行儀悪く腰を載せたまま鳥足を食うグロリア女史。それを飲み込むと、アイリーナをその骨でぐいと指す。
「ま、あたしも気になる話だ。北で何かあったのかい。アンタはどこの氏族の何者だい」
「名乗ってもよいが、そなたの方が先ではないかの?」
「……あたしはグロリアだ。氏族は空色だったが破門済み。さあ、言ったよ」
さくっと名乗るグロリア女史。……って、破門?
急に出てきた重そうな言葉に、周りの雌奴隷たちと顔を見合わせる俺。
一方、アイリーナは平然とそれを聞き流して名乗る。
「白のヤンの娘、アイリーナじゃ」
「………………」
グロリア女史、絶句。
ポロリと骨を取り落とす。
「姐さん?」
デニス氏がそれを拾い(一応テーブルの上だった)、ちょっと残った肉を齧りながらグロリア女史を見上げる。
なんで絶句したのかわからないようだった。……いや普通分からないよな。うん。
「わらわの顔を知らぬとはいえ、父の名ぐらいは知っておったようじゃの」
「白のヤン……ヤンって確か……ちょいとお待ちよ、なんで北の九氏族の長の娘がノコノコとこんなところに」
「耳が遅いじゃろうと思うて父の名から口にしたが。今はわらわが長じゃ。父は既に隠居しておる」
ちょっと得意げなアイリーナ。これだけいい反応してくれると、なんだか気持ちいいのはわかる。
それだけグロリア女史は狼狽していた。
「っ、そ、それこそなんでっ……え、待っ……よ、よく見りゃそこの赤い髪の女っ! あんたもしやっ……」
「空色のディオールが娘、オーロラ。申し遅れましたわ」
「!!!」
彼女は驚愕に目を見開く。
「しかし、同じ氏族のこととはいえ、わたくしはあなたの破門の経緯を存じ上げません。差し支えなければお伺いしても?」
「……チッ。……そうか、あのぼっちゃんにも妹ができたとは聞いていたがね」
溜め息をついて、デニス氏の横に座るグロリア女史。
「楽しい話ってわけでもないよ。疲れてる奴らはボルトンのホテルに寝かしてやったらどうだい」
「……あ、ああ」
俺は雌奴隷たちに手振りで指示する。
解散。行動は各自の判断で、というサインだ。ホテルに荷物を預けにいくなり、食事を摘んでおくなり。
軍の手信号なので、関係ないネイアたちやガントレット、それにフェンネルなどはきょとんとしていたが、アンゼロスやルナ、ヒルダさんが察して周りを誘導してくれる。
そして、青空酒場(青空とは言っても夜だけど)に残り、差し向かいに座ったのはアイリーナ、オーロラ、それにライラと俺。
パーティ用の結構広いテーブルなので、グロリア女史とデニス氏以外にも酔客が数人いる。すでに夜も深まっているというのに、綺麗どころが急に増えたのが不思議ながらも嬉しいらしく、こちら側に口笛を吹くものもいた。
「……そんなに注目するほどの話でもないと思うんだけどね」
「なに、この際じゃ。疑問は遠慮なく聞こう。この街の情勢然り、そなた個人のこと然りじゃ」
「……物見遊山に話すことじゃないよ、破門の経緯なんて」
「どうしても言いたくないというなら放っておくがな。互いに名乗ったのじゃ。気になる同士、知らぬ顔で済ませあうこともなかろうて」
「……ちっ。ま、確かに北の氏族長とクラベスの姫君が雁首並べてこの街の裏通りをフラつくなんて、なかなかおかしな事態だ。思わせぶりに素通りされても気持ちが悪いね」
グロリア女史は給仕の娘が持ってきた陶器の杯を受け取り、それに湛えられた火酒を一口含んでからこちらをジッと眺めた。
「どういう流れでそんな要人がここらをウロつくんだい? まずそっちから教えておくれよ」
「そなた、火竜戦争は?」
「? ああ、見てるよ。その頃はまだクラベスの近くにいた」
「ならばドラゴンライダーの伝説もきちんと耳にしておるじゃろうな。……砂漠最後の黒竜、そして北の森の青竜の末娘。さらに彼方の地の銀竜、それらを単身にて従えるドラゴンライダーが現れた」
「……なんて物騒な話をするんだい」
火酒をまた軽く舐めるように飲むグロリア女史。
隣のデニス氏も生唾を飲む。
「その……ドラゴンライダーって」
「人でありながら、ドラゴンに命令できる奴のことさ。そいつの機嫌次第で街も森も燃えてなくなるかもしれない。人類はそれを止められない。だってもう、奴らを唯一仕留められるドラゴンスレイヤーはご禁制だろう?」
「……っ、そ、そうか」
「ってことは、そいつの対策を練るために……縁のありそうな土地を交渉に回ってるってとこかい?」
えっ。何その俺が悪者みたいな。
……あ、なんかさっきのアイリーナの物言い、ちょっと思い返してみると確かにドラゴンライダー脅威論的な語り口かもしれない。
そう思ってライラをちらりと見ると、ライラは笑いを噛み殺すような顔をしていた。
「ま、関係なしとも言えぬ。わらわが言えるのはこの程度じゃ。あまり詳しい話は政治じゃからの」
「…………」
深刻な顔をするテーブルの向こう席。
ネタばらしをしてまともに説明しようか迷う俺。笑いを噛み殺すライラとオーロラ。
……そしてネタばらしをするといろいろ面倒な証明をしなくてはいけなくなるパターンだと気づき、俺はひとまず言葉を飲み込む。
「して、そなたのことを聞かせてもらおうかの。何故破門され、何故このような街におる」
「……酒飲み話にしたって半端な話だ。そんなに楽しみにされても困るよ」
アイリーナから視線を逸らし、萎縮したように呟くグロリア女史。
またしばらく酒を舐め、そして溜め息をついて。
「……描いた絵が長老会で問題になったのさ」
「ふむ?」
「物事に凝って過ごせる程度の寿命はある身だ。色々描いたが、人の体ほど訴えの強いモチーフもなくてね。……それで、この国には裸の女を描く巻物、あるじゃないか。あれにインスピレーションもらって描いた奴が長老会に取り沙汰されて……あとはお決まりのけしからんってなアレさ」
「…………」
裸の女を描く巻物?
……エロ絵巻?
え、あれを真似したせいで破門……?
「お、おい、オーロラ、長老会って? 親父さんが一番偉いんじゃないのか」
「何もかもを氏族長が手配するには、空色は大きすぎますから……判断を上げるほどではない細かい事案に関しては、各地にいる長老が近隣と話し合って調和を図るのです。父を押さえるほどではありませんが、発言権は強いようですわ」
「権限の冗長化は弊害が強いと思うがのう」
「……お言葉通り、境界の曖昧さが互いに遠慮と策謀の余地を生み、問題となることもあるようです」
アイリーナとオーロラの説明でだいたい理解する。
そしてちょっとげんなりする。
老人がなあなあで運営する、権限は強いくせに責任の所在がよくわからない裁定機関って……相手することを考えるだけで気が重い。
ポルカでは男爵が唯一の貴族当主として踏ん張ってくれてたけど、王都にはそういう伝統的な権力構造がそこかしこにあった。
行政機関としてではなく、慣習的な「逆らっちゃいけない意見集団」みたいなのが各職業組合、各地区ごとにあるものだった。
それは目には見えない呪縛のように新しい動きを阻害し、活力を奪っていく。
本当は誰が言ったのかもよくわからない言葉が、木霊のように閉じた世界の内側を響き、理由も不明確なままに「道義的に許されない」「けしからん」という無価値に近い言葉の渦で、相手を柔らかく包んで窒息させる。
反論先を隠した感情だけが、幾重もの蜘蛛の巣のように絡みつき続ける。それを相手にしたらどんな反発も通用しない。わかるしかないのだ。
グロリア女史はそれに丸呑みされて、潰された。
「しかし女の裸とは。女の身でありながら」
「はん、長老会もそこをつついてくれたもんさ。……男の裸ならよかったのかね」
「本人の性欲と理屈付けられる方が、理解がしやすくはあったじゃろうな」
「嫌いじゃないけれど、手応えには欠けるね。それに表現するってのは受け手への挑戦だ。それは必ずしも自分の欲に繋がっているばかりじゃない。女として持つ理解と美意識、理想と発想……それらで組み上げたモノを男の本能に問い、認めさせるってのも本懐さ。自分の本能しか相手にしない表現者ってのも求道的だが、別に真似たくはないねえ」
「……そこらは専門の者同士でなくばわからぬのじゃろう」
「そうだね。喋りすぎたよ」
グロリア女史は苦笑。
しかし俺は、彼女の言葉に感じ入る。
それらは表現者として普遍的な何かをも含んでいた。
鍛冶屋として聞いてもよく筋が通るのだ。
別に剣を打つ鍛冶屋は優れた剣士ばかりじゃない。自分の実感ばかりでは打てない。
だが剣士も鍛冶屋ではない。体感として持っている理想が工学的に正解でない、機能的でないということはままある。
表現者と受け手として、その感性のギャップを想像力で埋め、あるいは対案を提案し、訴えかけ、そしてそれが相手の理想をも凌駕したと認められる……それはひとつの至福である事は疑いようがない。
そして、何より。
女性の裸に真摯に向き合って恥じぬ、その魂の気高さに言い知れない崇敬を感じる。
「それで、森から蹴り出されて……ここに流れ着いたんだ」
「ここはエルフが住むには良い環境とはいえぬようじゃが」
「それがいいのさ」
少し寂しげに笑うグロリア女史。
「破門されたエルフが、そうでないエルフと隣同士で仲良くやれるものじゃないだろう? エルフに冷たいくらいの街の方が、結果的にはぐれ者には暖かかったってことだよ。それにここはエルフに親切じゃないが、セレスタの街だけあって積極的に喧嘩を売るような街でもない。知らぬ存ぜぬ見て見ぬ振りってなもんさ。生きていきようはある」
「それはそうかもしれぬが……しかし、こうも差別の強い街もあるのじゃな、セレスタにも」
「過去数百年の間には、ここらはトロットであった時代もあるからね。セレスタ以前にはこの草原地帯が独立国だったことだってある。よそにゃ人間の住み心地なんざ知ったことじゃない、っていう異種族コロニーは、いくらでもあるじゃないか。クラベスだってそうだろ? 人間だって諸種族の一つだ。そんな街を持つ権利だってあるってことじゃないのかい」
「……ふむ」
「ま、もう少し楽に生きさせてくれてもいいとは思うけどね。……ああ、絵を描く以外じゃロクに稼げる仕事もない、その稼ぎだってそう頻繁じゃない。春の安売りもしなきゃ凌げない晩もある。だけど森にいるよりゃ、生きてることに有難みを感じるようになったよ」
杯を少し酔いの回った目で寸時眺め、それから俺に軽く流し目をくれるグロリア女史。
「ああ、そうだ。アンタは悪くなさそうだ。どうだい、今から一晩五十で。タルクの娼婦とまではいかないけれど、これでも街に上客がつく程度には手練れだよ」
「ほ。どうする飼い主殿」
「な、なんだよ」
「床に混ぜるも情けじゃろう。うるさいセレンやディアーネもおらん。遊んでいくのもよかろうて」
「情けって……」
「なんだい、混ぜるってことは、この中かさっきの中にでもオンナがいるのかい? やるねェ、モテそうにない顔してるくせに。こちとら複数に混ざるってのも全然アリさ。そっちは贅沢に浸れて万歳、こっちは負担が少なくなって万歳だ」
ニヤニヤしながら言うグロリア女史に、隣のデニス氏が食って掛かる。
「お、おいおい、今からそんなんに売るくらいなら、そろそろ俺の相手もしてくれよ姐さん。一日二件が関の山っていうからみんな順番待ちしてんだぜ?」
「アンタは先週相手してやったじゃないか。それにたまにはこっちにも相手を選ばせてくれないかねぇ? 似た面子で延々続くと飽きも来るってもんだよ」
「そりゃねえよ姐さん……」
「クックククク。ま、三倍払うなら順番飛ばしも考えてやるけどね」
「ご、五十の三倍!?」
「それはこの青年への特別割引だよ。通常料金は百だろ?」
「三百は無理だよ……」
へろりとしょげるデニス氏に周りの酔客はゲラゲラ笑う。
しかし……不思議な空間だ。
みんなでご利用してる娼婦を囲んで、こうもあっけらかんとして。
やっぱり白エルフの娼婦なんて希少だから大事にされてるのか。それに大体の異種族から見たら大先輩だからこそ、みんな頭が上がらないのか。
童貞切ってもらうとその後も逆らえないって言うもんなあ。俺もセレンにはなかなか逆らえない。
「あー……それも大変興味があるんですが」
「なんだい? 五十もないのかい」
「いや……その、グロリアさんの描いたというその女体絵を見てみたいかな、と。もし今もまだ描いてるのがそれなら」
「へえ」
グロリア女史はニヤッと笑う。
「エロ絵巻好きな方?」
「もちろんです」
気取った言葉を飛ばして「エロ絵巻」という俗語に飛んだ瞬間、俺はこの女性と心が繋がった気がした。
なんとなくそんな気がしていた。
そうであったらいいなと思っていた。
「これがあたしの最新の作品。『淫魔の舞踏』だ」
グロリアさんが案内してくれた自宅にて、俺は差し出された絵巻物を開き、感激する。
「……おお……おお……!!」
「ま、自慢じゃないけど結構売れてる……」
「全部下さい」
俺は机の上にあった分を全部掴んで言うと、グロリアさんは口を開いたまま困惑した顔をした。
「……え、いや、そんな」
「友人たちにも配るんで」
「え、えー……う、嬉しいけどさあ……」
いや、実際ちゃんと定価で買う奴らいるんです。頼まれてるんです。
一応代金はポルカでのドラゴンたちの秘宝取引のおかげでなんとか出せるし。
「……わかった、売る。……売るけど」
「やった」
「……売るけどちょっと待ってて。その……あの、さっき別の奴の相手してきて……ちょっと汚いから」
「え」
「その……それだけ買ってくれるってのに渡してハイ終わりってわけには……いかないっていうか、気がすまないし……」
グロリアさんは顔を赤くして、視線を逸らして。
「あ、えっと……ボルトンのとこに泊まるの? だったらボルトンに、あとでグロリアが来るって話を通しといてくれたら行くからさ……うん」
「……い、いや、まあ……相手してもらえるなら嬉しい限りですけど」
……ええと。
なんだろう。ただのサービス精神というのは分かってるんだけど。
「よかった。……た、楽しみにしててよ」
なんか急に言葉遣いも幼くなったというか……耳も嬉しそうにピコピコしてて……この人、可愛い。
(続く)
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