「いきなり来て雇えと迫ったかと思えばもう辞めるってか。まあ予想はついてたが」
酒場の店主は溜め息をついた。
「なんでだよ」
「そう長居する気のある奴のつく仕事じゃねえからな」
「……自分で募集かけといてその言い草も酷ぇな」
「いいんだよ、こちとら店を開いて十五年、いつもじゃねえが小銭稼ぎに来てくれる馴染みも何人かいる。押しかけ用心棒一人いなくなっても困りゃしない……ああ、連れの二人を目当てに来てた客が減るか」
「チッ。心置きなく旅立たせてくれやがる」
「トカゲ野郎相手にジメジメ別れを惜しむなんて気持ち悪いからな。ほれ金だ。また来いよ」
皮袋に金貨と基準宝石を詰めて寄越す店主。
基準宝石は高額貨幣の代わりとして定められている特定の大きさの宝石のことだ。目利きのできない通常の小売店では使えない場合があるので両替に持っていく必要があるが、旅の持ち運びには便利なものだった。ささやかな気遣いが嬉しい。
「近くに寄ったらな」
ガッシュは力強く握手をして店主と別れる。
「それにしてもトロットか。寒い土地だって聞くし、ヒーリィが行きたがってたのと真逆だな」
ガッシュは改めて旅荷物を背負いながら小さく溜め息をつく。
実はガッシュも寒いのは苦手だ。いや、得意なリザードマンなどいるものではないが。
「ガッシュと一緒ならどこでもいいよ。寒いとかあったかいとかっていうのも、あんまり大した問題じゃないしね」
「そりゃお前はそうだろうけどな」
精霊は本質的に不滅である。やろうと思えば、温度も感じないようにできるだろう。
「ヒーリィのパワーアップ大作戦のためだ。暖かいリゾート旅行はまた来年にでも持ち越したまえ」
「リゾートなんて言える場所まで回るつもりはなかったけどな……」
「どこだってきっと楽しいよ、ガッシュと私なら」
ガッシュの太い腕を宝物のように抱き締めるヒーリィ。
「……私は無視かいヒーリィ」
「ブライトはいつフラフラどっかいっちゃうかわかんないじゃない。それに、元々私たちだけで旅してたんだし」
「おやおや。せっかく連れ立っているというのに水の精霊は冷たいものだ」
「怪し過ぎるんだよお前は何もかも!」
と言いつつ、内心ではブライトを頼りにしているガッシュである。なんといっても精霊というものに対する知識は彼女だけが正しいものを選別し、溜め込めるのだから。
セレスタからトロット王国入りするのにもいくつかのルートがある。
国境を接している距離が長いのだから当然といえば当然だ。
国境警備は戦時に比べて格段にゆるくなり、密入国者や盗賊たちの跋扈も問題になっているが、真っ当に出入りするとなると一番近く安全なのはバッソンという街から峠道を通り、シュランツの街に至るルートだろう。
最短距離であることも魅力だが、街道整備からまだ年月が経っておらず、セレスタ北西部を押さえる狐獣人たちと東部を押さえる人間族支配域のちょうど中間点にあるため、どちらの勢力も出張りすぎていないのもポイントだ。
そういう「偏らない」地域ではガッシュたちのような珍妙な組み合わせでも追及されづらい。
できるだけトラブルなく進みたいガッシュにとっては重要な部分である。
「バッソンという町、最近まで寒村だったのが戦争後に万を抱える町に急成長したっていう話だが……貿易というの素晴らしいね。精霊の霊験で町おこしをしても滅多にそうはいかない」
ブライトはここ最近眺めていた本を軽く叩いて微笑む。どうやらセレスタの各種国内事情を扱う紀行本の類らしい。
「金勘定の景気がいいだけで短期間にそんなに人がたかるってのも、なんとなく嫌な話だと思うけどな」
ガッシュの感覚から言うとどことなく卑しい感じがしてしまう。
戦士一筋で潔癖に生きてきたせいだろう。本来、商売上手のリザードマンが持つものとは言えない感想だ。
「そんなだからこの前の酒場の親父にも呆れられるんだよ、君は。セレスタは商売の国だろう。半端な主観でたくましく金貨を稼ぐ者達を見下してどうするんだ」
「見下してはいないけどよ……」
「むしろ見習いたまえ。君は私たちのようにふわふわと存在できるわけではないんだろう」
「そうだよガッシュ。戦士だ戦士だって言って回っても誰も食べ物なんかくれないんだから、もっと商売上手にならないと」
「へいへい。全く、どこでも金カネと辛い世の中だぜ」
ガッシュと二柱の精霊は安い乗合馬車を利用しながら砂漠の東を北上し始める。
昼間は馬車、夜は徒歩と野宿。貧乏旅行者の定番コースだ。
幸い、ガッシュは体力だけはあるのでこの旅の仕方は苦にならない。ヒーリィやブライトも歩くだけなら疲労を訴えることもない。
金には縁がないものの、それはガッシュたちにとっては相応しいのかもしれなかった。
バッソンに着くころにはそれから一ヶ月ほど経っていた。
「さすがにここらまで来ると寒いな……」
セレスタ最北端。
真冬でも降雪はしないとはいえ、風は冷たく、容赦ない。
「なるほど、なかなか賑わっているね。あれが本にも載っていた競技場か」
「何するところ?」
「本来的にはスポーツを観戦するところのようだね。それ以外にも祭りや見世物などにも使われているらしいが」
「スポーツなんて何やるんだろう」
「球技や競走などの大会が定期的にあるようだけどね……何かやっているならいいが」
「おいおいヒーリィ、ブライト。トロット行くのはどうするんだよ、そんなトコ覗いてる暇なんかあるのか?」
ガッシュは決めた目標にとにかく邁進したいタイプである。
が、精霊二柱は暢気なものだった。
「暇あるのかって言われると……うーん、なんか急がなきゃいけない理由ってあったっけ……」
「私にはないが、ガッシュにはあるのかもしれないね」
「別にねえけどお前らがトロット行きたいって言ったんだろうが!」
「じゃあ寄り道しようよ」
「問題はないね」
「……はぁ。ったく、長居するつもりはないからな? ただでさえお前ら目立つんだから」
ガッシュは戦うだけが能の筋肉馬鹿で、精霊たちはとても高尚な存在のはずなのだが、何故か時々逆転した気分になってしまう。
「……俺が無駄に焦ってるだけなのか?」
「無駄ではないよ。ヒーリィはこうしている間にも古い思い出をポロポロと取り落としているのだろうし、あの『石』が何なのか、知りたいというのは私も同じだ」
「……なのに観光はまったり楽しむよう仕向けるのな」
「なのに、じゃない。だからこそ、さ。旅を楽しむ気持ちを忘れてはいけないよ、ガッシュ・ザッパー。確かな当てがあるわけじゃない、いつまで続くかもわからない、無理に終える必要すらもない旅だ。何も手に入らないかもしれない道のりを、ただ急いで突き進んでも空しいだろう?」
「……好きじゃねえな、そういう失敗ありきの言い草は」
「言い方を変えようか、ガッシュ」
ヒーリィが競技場の周りを駆け回り、注意書きや記念碑などを見て楽しんでいるのを横目に、ブライトはうっすらと微笑みながら言う。
「……たった数か月分しかないんだよ、彼女の『心』は」
「わかってるよ。だから……」
「それを克服する『キー・マテリアル』を手に入れることが大事……だと思っているのは分かるがね。それを急ぎ過ぎて、彼女の数か月分の『心』に、楽しかったとか、心地良かったとか、好きだとか……そういうものがなくなってしまったら可哀想だろう?」
「っ……」
「君はヒーリィを愛しているかもしれない。時間を積み重ねていっそう強固に愛していけるかもしれない。しかしヒーリィは、君との何ヶ月かの思い出を愛し、頼っていくしかないんだ。忘れてはいけないよ。その時間が無味乾燥なものになってしまったら、ヒーリィは君に義理立てる理由は何もないのだということを」
……思い知らされる。
やはり、自分は愚かなのだと。
この光の精霊は、それでもガッシュたちのことを一番よく考えてくれていると。
「夜の楽しみをいっそう頑張ってくれるのもいいがね。思い出は色々あるに越したことはないと思わないかい?」
「……まあな。消えちまうかもしれないが」
「君の役目は、それに絶望しないこと、ただそれだけだよ。彼女と過ごす日々を無駄でないと信じて」
「わかってる。……ああ、よく理解したよ」
ふと、気づく。
ブライトがガッシュとの関係を「相乗りする妙な傍観者」以上に踏み込まないのは、きっとこのためなのだ。
ヒーリィよりも楽しんではいけない。彼女を「外す」ような真似はできない。
あるいはガッシュ以上にヒーリィの幸せを願っているがゆえに、その位置から動くわけにいかないのだろう。
「ならば、君もそんな渋い顔をせずに、観光を楽しもうじゃないか」
「リザードマンの表情なんて見てわかるか馬鹿」
「わかるとも。私を誰だと思っているんだい」
「……ああ、精霊の持ってるチカラかなんかか?」
「ハズレだ。……ふふ、好きなものを眺めていれば微妙な違いも気になるさ」
「あ?」
なんだか妙に恥ずかしい言葉を聞いた気がしてガッシュは聞き返す。
しかしブライトは微笑むだけ微笑んで背を向け、ヒーリィの方にさっさと歩いていってしまった。
「お、おい!」
慌ててその背を追うガッシュ。
「ガッシュー! なんか明日面白いことやるってー! 女相撲大会ー!」
「え、ちょっ……何言ってやがんだヒーリィ、町の競技場でそんな馬鹿なことあるか!?」
「え、ほら掲示板に」
「……マジだ」
「はっはっは、出るとしようかヒーリィ」
「うん! 面白そう!」
「いや待て! いくらなんでもお前らな!?」
ちなみにガッシュが心配したような半裸の取っ組み合いではなく、しっかりと既定の上下を着た上でやるものである。
……そして彼らを影から見下ろすものたちがいた。
「おやおや、飛び入り参加希望者のようね」
「ふふふ……女相撲がどれだけ厳しいものか教えてあげようかしら」
大物ぶって腕組みしているのはエステル・マクレイン(45)とドロシー・アイザック(44)である。
(続く)
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