仕事が終わった後、ガッシュは軽く運動する。
元々強靭なリザードマンの肉体は人間族などに比べて鈍りにくいが、強敵とでくわすことなど滅多にない用心棒業務だけではやはり勘が落ちてくる。
敵のイメージを強く持ち、それに対して血を高ぶらせ、本気の戦いを再現する。
それがガッシュにとって自分の力を維持するための大事な日課であった。
「……シャッ! がぁっ!」
何も生えていない冬場の畑の真ん中で、自分で作ったカカシを相手にトマホークを何度も投げつけ、あるいは叩きつける。
急所の代わりに瓜を数個取り付けてある。カカシを破壊せずに瓜だけを破壊する。それが概ねの鍛錬内容である。
張り切ってカカシを十数本も立て、ケチなことを言わずに豪快に破壊……なんてことも一週間前にはやったのだが、鍛錬が数秒で終わる割に準備に時間がかかりすぎるということに、終わってから気づいたりしている。
斧を振り回したり投げまくったりするだけなら空に向かってやればいいのだ。
的確に体を使い、狙った通りに動く。イメージトレーニングと併用するならそれをメインにしなくてはいけない。
……などという反省を真面目に聞いてくれるのはヒーリィだけだった。ブライトは半分聞き流しつつ月明かりで本など読んでいる。
「よっし……今日はこんなところか」
ガッシュは最後の瓜を「絹の鎖」で振り回したトマホークで豪快に叩き割ると、瓜の汁まみれの刃をボロ布で拭いて、カカシを引き抜き、訓練を終える。
この畑の持ち主が誰かは知らないし特に挨拶をする気もないが、まあ散乱した瓜の破片を見ても子供の悪戯だと思ってくれるだろう。
「ガッシュも何かこう、必殺技みたいなの編み出せばいいのに。せっかく変な武器持ってるんだし、変な呼吸とか構えとかいろいろあるでしょ?」
「変、変って言うんじゃねえよ! 老師はな、信頼できる技は自然に生まれ身につくものであって、仰々しく作った技は決して頼ってはいけないって」
「でもガッシュ、特技って斧投げるだけじゃない」
「そりゃ……」
「サンドワームの時みたいに通じない相手にあったら、また誰か来るの待つだけになっちゃうよ?」
「……そりゃそうなんだけどよ」
ガッシュ自身も薄々はわかっている。老師の教えは向学心あった上での戒めだ。
ガッシュの武技が貧相なのは、単に斧捌きが本当は「前振り」であり、戦いを決する一撃を尻尾に依存していたというだけのこと。
尻尾がない以上、ガッシュは斧や別の体術に決め手を生まなくてはいけない。
その事実を未だに受け入れたくないのだった。
「ヒーリィの言う通りだね。幸いにしてガッシュ、君の腕力脚力は悪くない。呼吸法の心得もある。その気があれば威力のある大技も開発できるだろう」
「……一応、老師が使ってた体当たりとか、技自体は知ってるんだけどよ……だって、こういうのってそうそう打てる技でもないしな、ほら」
「はぁ……君は当分、二流戦士の域を出ないね」
「なんだと!?」
「ガッシュ、やめなって。ブライトには誰もかなわないよ」
「くそ、不死身だからっていい気になりやがって……」
ブライトに殴りかかったところで全く何の解決にもならないのはガッシュにもわかっている。実際のところ、ブライトはこの三人の中では一番戦闘的な能力の持ち主なのだ。
「そもそもガッシュが男らしくないのが悪いんじゃない?」
「お、男らしいってなんだよ!」
「ブライトが本当に意地悪で言ってると思う?」
「…………」
ヒーリィの言葉に目を逸らすガッシュ。
二人ともガッシュが戦士として上を目指せるように言っているのだ。そんなことはわかっている。
ただ、ガッシュの中で整理がついていない。それを口先で誤魔化しているのは、確かに男らしいとはいえない。
「くそ……尻尾がやられなければな……あれならそんじょそこらのオーガなんて一発で足を折ってやれる威力だったのに……」
「……追い討ちをするようでなんだが、君がそんなものに頼れなくなってよかったと私は思うよ」
ブライトは肩をすくめた。
「なんだと」
「君はそこらのオーガをやっつけるのが最終目標なのかい? せめてエースナイトぐらいいってから一流を名乗って欲しいところだけれど」
「……え、エースナイトになれねえっていうのかよ、尻尾打ちじゃ」
「岩人形を尻尾だけで倒すのは難しいだろうねぇ」
「…………」
自信を持っていたとはいえ、岩人形を倒すのは確かに難しい。木を薙ぎ倒す程度ではなく、文字通り岩を打ち砕く攻撃力が必要だ。
エースナイト試験で岩人形の多い迷宮を踏破しなくてはいけないというのは広く知られている。
ガッシュはそれに届かない技にいつまでも執着している時点で、エースナイトの器はないのだ。
「そ、そんなんになれなくても……」
「一流を名乗ることは出来る、かい?」
「……畜生め」
「ガッシュ。私は君がそんなものになれなくても別に怒りはしない。しかし君が自分の問題点から目を背けたまま旅をするなら、いつかつまらないことで命を落とすことになるよ。ヒーリィと違って、私はそういつまでも君についていると決めているわけじゃない。いつまでも守ってやれるわけじゃない」
「テメェに守ってもらおうなんて……」
「運悪く困難な状況にあれば、成長できない戦士はあっさり死ぬんだ。君が戦士であるならば、それしかない。戦う事しかできない人種なら、決して逃れることは出来ない」
ブライトは穏やかな口調で諭す。喧嘩腰のガッシュだったが、その言葉に反論の余地はない。
確かにガッシュはそういう人種なのだ。
戦うだけが能であり、危険から遠ざかって生きることは、出来ない。
ならば弱ければ死ぬ。当たり前だ。
「ヒーリィの回復術は君のそういう限界を僅かに底上げしてくれるだろうがね。死者を救うことは、いかに精霊でも無理だ」
「…………」
「君がヒーリィと旅を続けるなら、本物の戦士になりたまえ。永遠を生きる精霊と少しでも長く添い遂げようというなら、君の力はあまりにも危うい」
「……くそ、そこまで言うなら……テメェ、次からは練習相手になってもらうからな? 不死身なんだ、多少痛いのはアリだろ?」
「ははは、まあ、私を痛めつける程度の技で……」
ブライトが本を閉じて笑い、低い石塀から立ち上がる……と、その背後に何気なく現れた男がいる。
あまりにも自然すぎて、一瞬ガッシュも見落としそうになった。
が、その肩に担いだ得物がガッシュの感情を一瞬で沸騰させる。
「!」
翼刃槍。
刃先が紅葉のように広がり、攻防にいくつもの使い方ができる槍だ。
自分の尻尾を切り落としたその槍の記憶が、その使い手の記憶をも蘇らせ、それが目の前に現れた男と重なる。
その男、本人だ。
「テメェ!?」
ガッシュの叫びにブライトが反応し、振り向く……いや、その直前で槍が気負いもなくヒュッと伸び、ブライトの喉元に鎌のように突きつけられる。
「見つけたぜ。確かにこりゃあいい獲物だ」
「ブライト!」
「おっと動くな。……いや、トカゲ……お前は」
「ハッ、覚えてるのか」
男はガッシュの手元に視線を注ぐ。
膂力に長けるリザードマンは斧使いも珍しくないが、ガッシュの斧は見れば分かる程度には特徴的だった。
そして、リザードマンにも関わらず尻尾の影がない。
「生きてやがったのか」
「おかげさんでな」
「……砂漠の宝石蝶の護衛がお前とはな。噂の『赤砂のホセ』ならケツまくるしかないところだが、お前なら正面からでもなんとでもなりそうだ」
「フン。仲間の石つぶてはもう飛んでこないぜ」
「あの泥水の中で俺と互角だったトカゲが、平地で俺にかなうとでも思ってるのか」
男はブライトの喉からゆっくりと槍を外し、ガッシュに向ける。
ガッシュは畑の柔らかい土に太い足指を埋めながら臨戦態勢に入る。
「ガッシュ!」
「ヒーリィ、下がってろ。ブライトも手を出すな」
ガッシュは久々に、腹の底で血が煮えたぎるのを感じる。
「コイツを殺らなきゃ俺は進めねえ」
「じゃあお前は永遠に立ち往生だな」
「抜かせ」
月夜の郊外、枯れ草の生い茂る畑の隅。
二人の男が猛獣の笑みを交わす。
「お前には何人も仲間を殺られた。生きてたなら、こっちもタダで逃がす理由はねぇんだ」
「お互い様だ」
カチン、とガッシュが両の斧を火打石のように鳴らす。
それが合図となり、翼刃槍の男は月を背景に高々と跳び……。
「これだから男は!」
「いいかげんにしなさい!」
ブライトの振り上げた手から迸った太陽のような烈光が、猛った二人の目を灼く。
それとほぼ同時にヒーリィが両手から水流を放つ。
水の槍なんて可愛いものではない。それぞれ滝を投げつけるような豪快な怒涛。
空中の槍の男は為す術もなく横殴りに食らって畑に墜落し、ガッシュも視界を奪われたままうわーっと土を巻いて吹き飛ばされて泥まみれ。
「男同士で勝手に二人で世界を作るんじゃない。気持ち悪いな」
「そーやってすぐ自分酔いするからガッシュは駄目なのよ! さっきのブライトのお説教聞いてなかったの!?」
精霊二人はたいへん不機嫌に男二人を見下ろした。
「ぺ、ぺっ……お、おい、手を出すなって言ったのに……それに人前でそんなん見せたら」
「ふん。……申し遅れた、というより名乗らせてもらっていないが。私の名はブライト・ライト。光の精霊の端くれだ。私の首をそんなチャチな得物でかき切った所で何も起きんよ。宝石蝶とやらにはよく間違えられるがはっきり言っておく。別人だ」
ブライトは彼女にしては早口で自己紹介を済ませ、それきり槍の男を無視。
「ねえガッシュ。私たちは強くなって欲しいとは言ったけど、そういうのってこんなのに意地を張り通すためじゃないのぐらい、わかってよ」
ヒーリィは泥だらけのガッシュを抱き起こし、真剣にその目を見つめる。
「だけどな! 俺は、コイツに!」
「負けたし尻尾やられたし仲間を殺されたっていうのは何度も聞いてる。でもガッシュ、それにもう一度挑んだってガッシュは何も手に入らないよ」
「んなこたねえ! 戦士としての、リザードマンとしての誇りがかかってんだ……!」
「仮にそれを取り戻して、それで明日どうするの?」
「あ、明日?」
ガッシュはヒーリィの問いかけに戸惑う。
「それは明日のガッシュにとって必要なの? 明後日なら役に立つの? 何ヵ月後に必要になるの?」
「……そ、そういうことじゃねえんだよ」
「そんな、なんにもならないものにガッシュが命を懸けちゃうなら! 死ねるんなら! 私はどうすればいいの!?」
「…………」
ガッシュは反論をしようとして、やめた。
どうせ「女にはわからない」程度のことしか言えない。そして彼女らは本質的に生命ではないのだ。性差の理屈なんて本来は意味がない。
そして、何より自分の間違いを具体的に突きつけられた。
そう。ガッシュは、ヒーリィと旅をするのだ。
ずっとずっとヒーリィを愛し続けると誓っているのだ。
それなのに、命を張らなくてもいい場面で意地になって、自分に酔って、命懸けの戦いにすぐに応じてしまう。
そんなことをしていいはずはない。それは守る相手を持っている責任感がない、愛されているという自覚がない。
全くの愚挙としか言えない。とうに失ったはずの誇りなど、ヒーリィとの日々に比べれば何ほどのものだというのだろう。
結局、染み付いたものに反射的に従っていただけで、ガッシュは深く考えていなかったのだ。
「悪かったよ」
ガッシュはチロチロと舌を出しつつ、目を逸らしながらではあったが謝った。
悲しそうだったヒーリィと不機嫌そうなブライトは顔を見合わせ、ようやく表情を緩める。
一方で、それなりの高さから受け身なしで叩きつけられた翼刃槍の男は、哀れにも手足も首も変な方を向き、虫の息だった。
「それでこれ、どうする?」
「放置してもいいんじゃないかい。私は特に助ける理由がない」
「私も」
ヒーリィとブライトはやたらとドライな会話をしている。一応殺そうとした相手ではあるが、ガッシュは相手に同情した。
「……いくらなんでもあんなので死ぬとか、人生の幕切れには酷すぎる。ヒーリィ、なんとかしてやってくれ」
「殺せってこと? ガッシュがやらなくていいの?」
「いや助けてやれって言ってるんだよ! なんでお前らそう冷酷モードなんだよ!」
「私は理由があれば人助けもするが、基本的には他人が生きようと死のうと大して気にならないタチでね」
「まあ、私もあんまり……ガッシュがそういうなら助けるけど、直した後にまたバトルとか馬鹿なことしないでよ」
精霊たちは意外と冷たいようだった。確かに世界をさすらう精霊が目に付くもの全てを助けていたらキリがなくはあるが。
渋々回復術を施し始めたヒーリィは、男の槍を片手で取って遠くに投げ捨てようとして……その刃の中央に埋め込まれた妙な輝きの石をじっと見つめる。
「なに、これ」
「ん?」
ガッシュも覗き込む。基本は青で、塗料を水に流したような歪んだ白や黒の模様がある。
宝石に見えなくもないが不透明で、あまり値打ち物には見えない。
「ふむ。見たことのない石だね」
ブライトも覗き込んで、すぐに興味なさそうに身を起こす。
だが、ヒーリィはその石をじっと見つめ、目が離せないようだ。
ガッシュはピンときた。
「おいブライト。……これって、アレじゃないのか」
『キー・マテリアル』。
精霊を閉じ込め、安定させる物質。
ブライトは「龍の宝玉」だったが、ヒーリィはこの宝石かもしれないと思ったのだ。
「どうかね。私はあまり期待しない方がいいと思うが」
「ヒーリィ。どうしてそんなにガン見してんだ」
「……なんか、懐かしい……うん、なんだろ、昔……昔、なんかで見たような……」
「ふむ。懐かしい、ね……もしかしたらヒーリィと本当に何か関係があるのかもしれない」
「何かってなんだよ」
「さて、ね。……私もヒーリィの過去の事なんて知らないさ」
ブライトは時々男の体の変な方を向いている四肢を直してやる。ヒーリィは片手で術を施しながら、槍の穂先を見つめ続けていた。
数十分後。
「……チッ。まあ、礼は言うよ。納得はいかないけどな」
槍の男はふて腐れた顔でヒーリィにそう言った。
「悪事をしようとするからだ。クズめ」
ガッシュは勝ち誇る。これくらいは許されてもいいだろう。
「俺はギャレイ・チェスター。……そっちのトカゲは知ってるだろうが、タルク周辺で盗賊やって指名手配の身だ。賞金が欲しいなら憲兵隊に連れてけばいい。まぁ、こんな寝ぼけた土地の檻なんてすぐ抜け出してやるけどな」
「ハッ。それじゃ遠慮なく突き出すか」
「待ってガッシュ。……ねえ、この石って何?」
「……石?」
「槍についてる奴」
「……見逃してくれるなら穂先ごとくれてやるよ。トロットのシュランツ産の業物だ」
「そう? ありがと」
「お、おい、見逃すのかよ」
「いいじゃない、どっちでも」
「路銀……」
勝手に決められてしょんぼりするガッシュ。
「まあ憲兵隊に突き出せばどうせ没収されるものだろうし、両取りできる気もするがね」
ブライトが呟いたのでガッシュはそうかと気づいて追おうとするが、ギャレイはあっさりと姿を消していた。
「そんなにその石気に入ったのか?」
「ん……なんだろ、見てると何かが思い出せるような……そうでもないような……」
「どう思う、ブライト」
「……何か反応しているのは間違いなさそうだが、どうかね。……せっかくだから由来を調べてみるかい?」
「え、まさか」
「今ならトロットに出入りする分には通行税も安いと聞いたことがある」
(続く)
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