ガッシュ・ザッパーは二柱の精霊を連れてセレスタ東部の草原地帯を旅していた。
 セレスタ商国の勢力圏はラッセル砂漠を中心に、大きく分けて南部オアシス・海岸地帯のダークエルフ商業圏、北西部密林地帯の狐獣人商業圏、東部草原地帯の人間族商業圏に南東部エルフ森林領、四つの文化圏で構成されている。
 その中でも東部草原地帯は穀倉地として発展しており、また青蛇山脈越しに接しているのがレンファンガス王国という立地のため、セレスタ内ではかなり安定した土地とされている。
 しかし安定していると言っても「比較的」という話で、豊かな生産力に惹かれて盗賊の出没も絶えない。またセレスタの軍事戦略上はあまり重視される土地ではないため、この地を預かる東方軍団は北方軍団と並んで弱兵との評判で、事実、兵員数も南や西と比べてかなり少ない。
「リザードマンねぇ……荒事の経験は豊富なのかい? 疑うわけじゃねえが、俺にゃどいつもこいつも差がわからねぇ。昨日来た商人のトカゲとどう違うのかわかんねぇよ。何か武勇伝でもあるなら、半分は酒場の賑やかしってことで雇ってもいいがな」
 酒場の用心棒の募集に応じたガッシュを待っていたのは、そんな胡散臭げな言葉だった。
「チェッ。人間族以外は信用なしってか」
「誰だとしても冒険家組合で名を上げてるってんなら信用するさ。しかし流れ者をペロッと信用して裏庭から金貨袋かついでドロンされちまったなんて話、今時分どこだって聞く。そんなことしなくても稼げるプロだって証明が欲しいね。エースナイト徽章でも持ってりゃ話が早いが」
「んなもんホイホイ持っててたまるか。贅沢言いやがって。だいたい酒場如きにエースナイトいちいちつけてたら何人いたって足りねえや」
「違いねぇな」
「ともかく、半年前までは南方軍団の歩兵だった。今でもそこらの冒険家なら五、六人来たってノせる自信はあるぜ」
「口だけじゃな」
「テストでもするかい?」
「おいおい、チンピラでも集めて来いっていうのか? 馬鹿言うな、いちいち採用テストにそんなことしてたら街のチンピラが売り切れになっちまう。だから用心棒は実績を先に用意してくれって言って……」
 酒場の店主が言い終わるのを待たず、ガッシュはその辺にあった空の酒瓶を、酒場の出口にいたブライトに投げ渡す。
 距離、ざっと5メートル。
「頭の上に軽く上げてろ」
「こうかい」
 言われた通りにするブライト。
 その瓶に、無造作にガッシュは腰から抜いたトマホークを投げつける。
「うわっ!?」
 悲鳴を上げたのはブライトではなく店主だった。
 トマホークはブライトの頭上の瓶、その首をカシャンと刈る。
 その瞬間にガッシュは「絹の鎖」を引き、トマホークはブライトの頭上を数センチと行き過ぎることなく、ガッシュの手元に再び戻ってきた。
 パシッとそれを掴み取り、店主をちらりと見るガッシュ。
「なんなら、もういっぺんやってみせてもいいぜ」
「お、お連れさんを殺すところだったじゃないか。あんな美人を」
「絶対に当てない自信がある。それとも曲芸じゃ物足りねえか?」
「わかったわかった……強引なトカゲだ。日当200枚、プラス揉め事一件で20枚、飲み代半額ってんでいいな?」
「荒事任すにしちゃしょっぺえな……日当は300枚よこせ」
「飲み代通常でいいならそれでいいぞ」
「チェッ。……280」
「こっちは無理に雇う義理はないってこと理解してるか?」
「260」
「お連れさんが歌でも歌うなら別口扱いで払うが」
「……250」
「220」
「230」
「220だ」
「……それでいいよ」
「かっかっ。リザードマンは商売上手と聞いてたが、お前さんは駄目駄目だな」
 店主に笑われた。ガッシュはチロチロと舌を出す。


 ガッシュは戦士として鍛えられて育ったリザードマンである。実際、街のチンピラ程度なら何人相手でも手ぶらで負ける気はしない。
「おう、こんなトコでトカゲとは珍しいじゃねえか。しかも尻尾がねえ。さてはビビッて自分で切って逃げてきたか? ひゃひゃひゃひゃ」
「チッ、喧嘩なら買ってやるよ」
「やめなよガッシュ」
 しかし酔っ払い相手にいちいち殺気立つ血の気の多さは如何ともしがたい。ヒーリィもブライトも、こういう仕事をガッシュがやるのは向いていないんじゃないかということで意見一致していた。
「ちょっと因縁つけられたぐらいですぐ喧嘩したらあっという間にクビだよ?」
「けどよヒーリィ。吹っかけてきたのはアッチだぜ」
「はいはい。我慢強いガッシュが好きだなー私」
「……わかったよ」
「いい子いい子」
 ヒーリィに頭を撫でられつつ酒を煽るガッシュ。
「そもそもにして、揉め事処理が担当のはずの君が酒を飲んでてどうするんだい」
 ブライトはそのすぐ近くでやはり酒を舐めながら言う。
「ちょっとぐらい良いだろ。賄いのメシの付け合わせだ」
「まだ日が落ちていくらも経ってないのに三杯も飲んでちゃ、いざとなっては足がフラつくんじゃないかい」
「そこまで弱くねえっつーの」
「やれやれ。……ヒーリィ、君の力で彼の酒気は抜けるのかい」
「できると思うけど……急に抜くとすごい気持ち悪くなると思う」
「だから俺は酔ってないっつーの」
 ガッシュは心配性な二人に肩をすくめる。
「ちゃんと仕事するのは九割ガッシュ自身のためなんだからね?」
 ヒーリィは指を突きつけてガッシュのトカゲな鼻面を押した。
「私たちは極端な話、金銭など必要ないからね」
 とか言いながら酒は嗜むブライト。
「ガッシュの分の通行税だけがあれば出国できるんだし。ブライトや私はその時だけ消えて核元素ガッシュが運べば済むんだし」
「わーってるよ」
 ガッシュがわざわざ働くのは青蛇山脈を越えてレンファンガスに出るためだ。
 次の精霊祭まで何しよう、なんてぼんやりと話してから、結局大陸東側に出ることにしたのである。
 ヒーリィとブライトは本人たちの言う通り、生きていくのに金銭は必要ない。というか生物ではないと言う方が正しい。
 ガッシュはヒーリィには言っていなかったが、南部大平原を歩いて彼女を楽しませた後は東方山地に行こうと思っていた。ブライトの持っているような「キー・マテリアル」の可能性を考えるなら、神秘山盛りの地である東方山地をおいて他にはない。
 大旅行になるだろう。行き先で言葉も通じるとは限らない。実質一人旅の分だけとはいえ、資金は多い方がいい。
 となればコツコツ稼いでいくしかなかった。商売に長けたリザードマンといっても、ガッシュは戦士一辺倒の男なのでこういうことしかできない。せっかくありついた働き口、できるだけ長く勤められるに越したことはなかった。
「私ができる仕事があればよかったんだけどね。流れ者の女ではせいぜい踊り子か、あるいは娼婦か」
 ブライトがやや自嘲するように言うと、ガッシュはギョロリとブライトを睨む。いや睨んでいるつもりだがリザードマンでない者には凝視と区別がつかない。
「お前やヒーリィにカラダ売らせた金で何をしろってんだ」
「売ると言っても精霊の肉体は仮初めだよ。何をしようと穢すことなどできはしない」
「それでもだ。ふざけんな、俺をこれ以上情けない男にする気か」
「えへへ……ガッシュ♪」
「こら、あんまりくっつくなヒーリィ。一応仕事中だ」
「やれやれ。今更だと思うがねぇ」
 酒場の隅で、人間族基準では絶世と言っていい美女二人を肴に酒を飲むトカゲ人間。
 気をつけるまでもなく一番目立っていたのだが、本人は気づいていない。リザードマンに対する奇異の視線だろうとか思っている。
 このあたりの微妙な鈍さが改善されないと商売人は難しいだろう、と店主は苦笑いした。


 ガッシュが用心棒の仕事を始めて約一週間。
 徐々にその奇妙な組み合わせにも周りの人々が慣れた頃だった。
「おい、俺たちに酒。一番上等な奴だ!」
 二人組の男が入ってくるなり上機嫌に叫ぶ。
 街には数軒の酒場があるが、ここは店構えも小さく、常駐している娼婦もいない。大手を振って金を使える者はあまり来ないところなので、そんな注文は否が応にも目立った。
「ここは一番上等でも『ノックハート』だよ。奮発したいなら麦穂通りの酒場に行きな。あっちには火酒でも果実酒でもいいの揃えてるところがある」
 店主は訝りながらもそう教える。
 だが二人はそんな店主のテンションの低さを気にすることはない。
「じゃあそれでいいさ。とにかく出してくれや。あと一番いい肉料理だ」
「……はいよ」
 店主は頷くとキッチンの料理人にアゴで合図し、自分は酒の瓶と陶ジョッキを出す。
 そしてカウンターの隅で今日の賄いを食べていたガッシュに近づき、指でカウンターをトントンと打った。「注意しておけ」という合図だ。
「ガッシュ。どう思うね」
 ブライトが隣で酒を傾けながら目配せする。
「俺らと同じ流れ者だろ。服の感じは砂漠南のモンだな、こっちの奴らは盗賊でももう少し小奇麗にしてやがる。……一山当てたって感じだな」
 暗に、盗品の処分を終えた盗賊だろうと当たりをつける。
「私も似た見解だな」
 ブライトは微笑む。
 その反対側に座ったヒーリィが、あっと声を上げた。
「どうした」
「え、ええと……なんだろ、なんだかちょっと……」
「?」
「……懐かしいような、変な感じがして」
「懐かしい?」
 ガッシュは首を捻る。
 と、その声に気付いた二人組がこちらを凝視して……黙って立ち上がり、ツカツカと近寄ってきた。
 マズいか。いや、ヒーリィたちはいざとなったら隠れさせよう、とガッシュは素早く考え、丈の長い上着の下に隠した斧の重みを、腰のわずかな揺すりで確認する。
 が、ガッシュたちには目もくれず、二人の男はブライトに近寄り、その顔を覗き込むようにして。
「……やっぱり!」
「ノール嬢じゃん! いやー、俺ファンだったんだよ!」
「俺もだよ! 何、踊らないの!?」
 突然すごく嬉しそうにしだした。
「あ、いや……人違い、じゃないかな?」
 ブライトは戸惑ったような声を上げてのけぞる。
「そんなわけないよ、その服といい、その顔といい! 俺、人の顔間違えないのが特技なんだ」
「あんたノールだろ!? 砂漠の宝石蝶! とぼけんなって!」
「…………」
 ブライトが困った顔をしてガッシュに視線で助けを求める。
 ブライトが困り顔なんて見せるのは滅多にないことなので思わずガッシュは吹き出しそうになったが、やはりトカゲ顔なのでその気配が他人に伝わることはない。
 とはいえ、馴れ馴れしく酒を注ごうとしてくる二人組に、ガッシュは立ち上がることにした。
「やめな。女を困らせる真似はベッド以外じゃ男の恥だぜ」
「あ?」
「なんだお前、トカゲ野郎が人間様に」
 そこまで言ったところで、ブライトはスッと立ち上がり、ガッシュが食事に使っていたナイフを取って軽く宙に放る。
 次の瞬間にはそれを男の後ろから手を伸ばして掴み取り、その男の喉に当てていた。
 消失。そして出現。
 歩数にして二、三歩程度の距離だが、精霊の挙動は一般的には理解の範疇外だ。
「あまり彼を侮辱はして欲しくないねえ。彼はこれでも私のイイ男だ」
 食事用のナイフなので、押し付けた程度では肌に傷はつかない。
 だが、それを力を入れて引くだけでどうなるか。それを微妙な刃先の動きで伝えながら、ブライトは囁いた。
「なっ……何が」
「お、おいおい、ちょっとした冗談にカリカリすんなよノールさんよ。俺らはただアンタの踊りをだな」
「私はノールという女じゃない」
 ブライトが珍しく不機嫌そうに言う。
 出番がなかったかな、とガッシュが苦笑していると、男たちはどう合図したものか、突如同時に動いてブライトの腕を掴み、逆に捕らえる。
 その動きはやはり普通の市民のそれではない。修羅場をくぐった者の意識と動きだ。
「ブライト!」
「おっと動くなクソトカゲ。……なんか持ってやがるのはわかってる。この女にケガさせたくなきゃ窓から捨てな」
「ガッシュ、捨てることはない……ぐっ」
 ブライトは腹を殴られた。精霊なので本質的にダメージにはならないとわかっていても、ガッシュは逆上する。
 だがそれはヒーリィも同じだった。
「ブライトに何すんのよ……」
「嬢ちゃんも仲間か。ちょうどいい、こっちに来な。トカゲ、言う通りに……!?」
「な……なっ……!?」
 ヒーリィは何もしていない。
 二人をただ、見つめただけ。
 そして。
 二人の体内の水分に干渉し、血液の循環を止めただけ。
 だが、それはまともな人間なら凄まじい負荷になる。
 息をしているのに呼吸を止められているようなものだ。取り込んだ酸素が体に巡らなくなる。
 ヒーリィがなにをしているかまではわからなかったものの、ガッシュは急に苦しそうな顔をし始めた二人に反射的に襲いかかり、殴り倒す。
「がっ……」
「ぐおっ!」
 斧を使うまでもない。もともと鱗に覆われたガッシュの双拳は人間よりもずっと強烈な硬さを持つ。
 それに加えて、兵士の時分には充分に訓練も行い、殺し方も無力化もしっかりと学んできたガッシュは的確に急所を攻撃することに慣れている。
 男たちはそれぞれ一撃ずつで立ち上がれなくなっていた。
「けふっ……すまないガッシュ」
「いや、余計なお世話だったろ」
「ガッシュかっこいー♪ ね、こいつらどうするの?」
「おい店主、どうする? ツレに乱暴されたから殴ってよかったよな」
「……財布から注文代は抜いておいてくれよ。特上肉料理ができる頃には憲兵も来るだろ。もったいないからお前らが食え」
「へっ、こりゃ儲けたな」
「店長さんダンディだね♪」


 狼藉者達が憲兵に引っ立てられていく。やはり盗賊で、手配が回っていたらしい。
 ガッシュとヒーリィ、そしてブライトは彼らが残した上物の酒と料理を堪能し、その晩は何事もなく役目を終えた。
 ……かに見えた。

「……へぇ。お前らも砂漠南から来たのか」
「ドジっちまったな。くそ、ノールに目が眩まなければ……」
「とっととズラかっちまえばよかったんだ。トロットかレンファンガスに行っちまえば手配なんて……」
 留置所で、盗賊二人組がガッシュの拳のダメージに唸りながら恨み言を言うのに対し、隣の房にいた男が相槌を打っていた。
「ノール、ねえ。あのノールか」
「そうだ。『砂漠の宝石蝶』のノール。間違いねえ」
「何故かトカゲ野郎をイイ男だとか言ってたけどな」
「……近くに半分赤い髪のダークエルフの男とかいなかったのか?」
「何……?」
「ほかにダークエルフなんて……」
「へえ。それじゃ、狙い目かな」
「狙うって……」
「あ、悪い。情報提供感謝な」
 ガチャッと男は音を立てると、あっさり房から抜け出していた。
「お、おいっ」
「脱獄なら俺たちも」
「すまねえが値打ちのない荷物は持って歩かない主義でね」
 男は二人に全く誠意なく謝ると、見回りに来た憲兵の腹に音もなく当て身を当てて昏倒させ、悠々と脱出する。
 行かせてなるものかと二人が騒いで憲兵が集まってきたが、その頃には男は屋根伝いに月夜の街に飛び出していた。
「さてさて。背中を刺されない生活も悪くはなかったが、そろそろ手が寂しいところだ。いいじゃないか、値打ち物」
 男は懐から取り出した紅葉のような刃物を手近で拾った棒に取り付ける。
 翼刃槍。
「トカゲか……今となっちゃ、いい思い出だな」
 男はそう呟くと、慣れた手つきでそれを軽く振り回し、風を切ってニヤリと笑った。

(続く)


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