「やれやれ、精霊を慰める祭りもこうなっちゃ飲みたいだけの口実作りにしか見えねえな」
「こうなっちゃ、って?」
「本物の精霊様が実は祭りを見たことない、って事実がわかっちまったからな」
「わ、私が見たことないだけで火や風の精霊は見たことあるかもしれないじゃない?」
「……いんの?」
「いるよっ! ……見たことはないけどね」
「……それもどうなんだよ」
 南に湖沼、北に砂漠を望む町、ヘリコン。
 最近リザードマンが多く立ち寄っていると聞き、尻尾のないリザードマンの斧戦士ガッシュ・ザッパーと、ハーフエルフの姿の水の精霊ヒーリィ・ウォーター(仮名)が訪れたのは年末も迫るころのことだった。
 町のあちこちに立つ偽物の針葉樹(砂漠の南にはほとんどないので各々が手作りで作る)と赤い飾り付け。緑と赤、それは冬の精霊祭のイメージカラーでもある。
 まあ冬といっても砂漠の南ではまず雪など降らないので、はっきり言ってトロット人などが想像する冬の祭りというイメージではない。北でいう所のせいぜい秋程度の涼しさの町で、夜通しのどんちゃん騒ぎが展開されるのだ。
 日ごろ爪に火を灯すようにして稼いだ金も、祭りなどでは惜しみなく使うのもセレスタ商人の美徳のひとつである。経済の停滞は身近な悪事、見せ場では景気よく使ってこその商売人だ。
 その信条に漏れず、この町の商人たちは町始まって以来の大宴会を企画していた。
「こんな半端なとこにある街がよくまあそんなに金があるなあ」
「リザードマンがたくさん来てるのならそれなりに儲かるわけでしょ?」
「いやぁ……っていうかその原因の、ドラゴンが来たっていう噂自体なんか眉唾っぽくてなあ」
 ガッシュも竜を奉じるリザードマンの端くれだが、ドラゴンには生まれてこの方会った事がない。同族が喜んでいるのに水は差したくないが、ドラゴンは人間そっくりに化けるというし、騙されてるんじゃないかという気がするのだった。
 元軍人であるガッシュは、最近の幻影魔法の凄さも軍の魔法兵の実演でよく知っている。その気になれば優秀な狐獣人やエルフ系ならできなくもないんじゃないか、と思っていた。
「ま、どっちでもいいさ。この街ぐらいなら精霊祭も盛大なことだろうしな」
「うん。楽しみだね」
 ヒーリィがガッシュに寄り添って肩に頭を乗せてくる。
 ガッシュはリザードマンとして小柄ではないが、リザードマン特有の前傾姿勢のおかげで頭頂高はそれほど高くない。若干小柄な女性といえる背の高さのヒーリィに寄りかかられても不自然にならないのは、ほんの少しだけ二人にとって嬉しいことであった。


 そんな、精霊祭の日。
 夕方になり、いよいよ町のお祭りムードが高まってくる。
「ガッシュ、あれ何!? あれ!!」
「花火っつーらしいぞ。首都大学の学生キャラバンがたまにやってるけど……こんな街でもやるのか」
「すごい、あんなの火や光の精霊じゃなくてもできるんだ!」
「……火や光の精霊ってあんなんやれるのか?」
「……知らないけど、私なら水であれぐらいの見世物はできる、と思う」
「いいことを聞いた。今度どっかで見世物にして稼ごう」
「や、ちょっと、やだよバレるよ絶対!!」
「冗談だっつの」
 空には数分ごとに魔法で光の絵が描かれ、町の通りはそこかしこで露天酒場が展開されている。
 ひっきりなしに誰かが「俺の奢りだみんな飲め!」と酒樽を買い取ってはその場の人々に振る舞い、それが仲間同士で競争になる。
 興の乗ったオーガ衆が相撲大会を始め、ダークエルフや人間、リザードマンの商人たちもそれに参加してぽいぽい投げられて笑いを誘い、でも中には妙に頑張る奴もいたりして「おぅありゃどこのエースナイトだ」と盛り上がったりする。
 実にセレスタらしい雑多でエネルギッシュな祭りだった。

「ガッシュ頑張れー!」
「まあ見てな」
 ガッシュも相撲大会に出てみる。相手はオーガの中年男。
 酒も入っていい気分で挑戦してみたものの、さすがに力馬鹿の種族を目の前にするとちょっと酔いも醒める。しくじったかな、と心の中で呟いたりして。
「おう尾なしトカゲ、受け身はできるのかい。コケ方は考えとかないと痛いぜ」
「ヘッ、オーガとはいえオヤジじゃねえか。その立ち方、そろそろ腰にキてんじゃねえかい」
「な、何でそれを……いやいや、それでもお前さん程度にはひっくり返されやしねえよ」
「どーかね。トカゲの腕力舐めんなよ」
 ちなみにオーガはその巨躯ゆえ、歳を取れば大抵膝か腰を病む。別にガッシュの眼力が凄いわけではなくて単なるカマかけだった。
 しかしリザードマンは人間やオーガとは表情が全く違うので、こういう駆け引きが妙に効くのである。
「よーし、Cステージ第27戦……始めっ」
「うおおおおおっ!!」
「ッシャーー!!」
 オーガの中年と組み合うガッシュ。ヒーリィに少しはいいところを見せてやろうと気合を入れて突っ込む。
 だがオーガの中年は指摘された腰を気にしたのか、ガッシュの突進に対して構えるでもなく中途半端に腕を前に揺らしただけ。隙だらけだ。
 これならイケる、とガッシュがさらに勢いをつけて猛進するも、オーガ中年、ひょいっとガッシュをいなす。
「!?」
 元々倍にも及ぶ体格差は、しっかりと組み合うこと自体にも苦労を要する。
 オーガの長く巨大な腕をもってすれば、そもそも他種族に体も掴ませない事も可能なのだ。
 そこで他種族は阻まれないように慌てて突進する。
 その勢いをいなされてしまえば、もう体勢が崩れないわけはない。
「勢いだけは買うがな! 尻尾持って出直しな!」
 パーンと背中を突き押され、ガッシュはあえなく枠線の外に転げだす。
 周囲の観客大笑い。
「ち、畜生っ!」
「まーまー、お祭りなんだからマジになるなや、尾っ切れ」
「なかなかいいダッシュだったぞ尾っ切れー!」
 悔しがるガッシュを周りの観客が宥める。ヒーリィも笑いながらガッシュに駆けより、頭をよしよしと撫でてくれる。
「オーガって強いねー、ガッシュも敢闘賞」
「くそっ、俺だってこれでも戦士だってェのに!」
「うんうん、本当はガッシュ強いのは知ってるからー」
「よ、美人の彼女なんて羨ましいねトカゲのあんちゃん」
「相撲なんかより嫁の器量の勝ち負けの方が大事だぜ尾っ切れ、あのオーガのおっさんのカミさんなんてスゲェんだぞ」
「うちの女房の悪口は言うな! 地獄耳なんだぞ!」
 笑いが絶えない。ガッシュは舌をちろちろさせながら恥辱に耐えたが、これが恥じ入っている顔だなんてわかるのは同じリザードマンくらいだろう。


 そんな騒ぎが続き、夜半を過ぎる。
 そのことを告げる鐘が響くと、人々は急に騒ぎをやめ、店をしまって家路につき始める。
「あれ? ガッシュ、みんなどうしたの?」
「あー。……夜中からは精霊祭の後半戦なんだ」
「後半……?」
「ああ」
 ポンポン、と若干酒臭い息を吐きながらガッシュはヒーリィの頭を軽く叩くように撫でる。
「精霊様は夜半までの騒ぎを楽しまれました。ここから先は精霊様のご加護の時間です……ってな」
「?」
「今から明日の朝まではご満足なされた精霊様による慈しみの加護の時間。家族や恋人が愛を育むのを見守ってくださるんだとよ」
「えぇ?」
「ま、お前にしてみりゃ勝手にドンチャン騒がれた挙句、勝手に代金請求されてるみたいで面白くはないだろーけどよ。いいんだよ、。そういうことにしてみんなイチャイチャしたいのさ」
「……なーるほーどねー。みんなちゃっかりしてるってゆーか、うまくできてるってゆーか」
「……どうだヒーリィ。俺たちも愛を育むか」
 酒臭い口でガッシュが呟く。
 普段は愛だなんて言わず、互いに互いのスケベさにかこつけてなし崩しで交わるのだが、建前とはいえ、雰囲気任せとはいえ、愛などと呟いたガッシュにヒーリィは顔を赤くした。
「な、何言ってんのよ……」
「なんだ育まないのか」
 ちょっと残念そうに木製コップの酒をちびりとすするガッシュ。これを飲み干してしまったら露天酒場も立ち退きだ。
「誰もそんな事言ってないでしょ」
「また複雑な奴だなお前も」
「……あのねぇ、アンタ忘れてるみたいだけど私は精霊よ?」
「あー。そうだな」
「……私がしなきゃいけないのは、慈しむ方でしょ?」
「……ん?」
「だから」
 ガッシュのわかりにくい耳に唇を寄せて、ヒーリィは囁く。
「……そーゆー日ならしょうがないから、慈しんであげるわよ」
「変に建前飾りやがって」
 大きく裂けたガッシュの唇と、ヒーリィの小さな唇が重なるか否か。

 そこで、轟音と悲鳴が巻き起こった。

「!?」
 二人同時に天を見上げ、あたりを見回す。
「ガッシュ!」
 ヒーリィが指差す。北の方で、空が濁っていた。
「なんだありゃ」
「砂嵐……かな」
「いや、それにしては……それに変な音に悲鳴……」
 地を何か重いものが打ち鳴らす音。爆発するような音。
「よくねえな」
 ガッシュの戦士の勘が告げる。災いだ、と。
 戦士が立つべき災いだ、と、勘が四肢の付け根を刺激し、急激に血を回し始める。
「ヒーリィ、行くぞ!」
「ガッシュ!?」
 ガッシュは駆け出す。家伝のツイントマホークは未だ持ち歩いている。
 揃えた上から鎖と皮で封じた戒めを解き、ガッシュは両手で斧を弄ぶ。大丈夫、まだ己の腕は武器と一体化する感触を覚えている。
「あれは……よくねえ!!」
 ガッシュの速度は見る見るうちにケダモノの速度になる。元来、戦士たるリザードマンは強いのだ。


 町外れでは人が怪物に襲われていた。
 巨大な蛇……いや。
「サンドワーム!? しかもデケェ!!」
 砂漠特有の巨大な環形動物、サンドワームだった。
 平均的な個体でも5mの長さと数十センチの太さを持つ厄介な奴で、しかも雑食。サソリや蛇、サボテンのみならず、時には魔物さえも食ってしまう。
 そのサンドワームでも大物の個体、太さが1m以上のものが住民を襲っていた。
「助けて、助けてぇぇっ!!」
「くそぉっ!! ライラ様さえいればこんな奴っ!!」
「オーガ宿に行って連中を叩き起こしてくれ!! 憲兵隊詰所に行って誰でもいいから呼んでこい!!」
「憲兵の連中がこんなのどうにかできるか!?」
「いないよりはマシだ!! 最悪避難誘導だけでも……あ、ひぃぃっ!!」
 しかも一匹ではないらしい。ヤシの林の向こうから、無気味な巨体がのたくるのが見える。
「チッ……暗視のできる種族が羨ましいぜ」
 ガッシュは呟きながら全速力で駆け、両のトマホークで町人に食らいついたサンドワームに振り下ろす。
「た、助かった!!」
「とっとと逃げろ!!」
「く……済まねえ、そうも行かねえ!」
 町人は足を折られていた。サンドワームに歯はないが、その吸引力は動物の肉体をグシャグシャに折り砕き得る。
 その町人に追いついてきたヒーリィが駆けより、折れた足に手をかざす。
 そのあしからゴキゴキッと嫌な音がして、町人は顔を強張らせたが、次の瞬間足は元の形に戻っていた。
「なっ……!?」
「行って!! 走れるはずよ!!」
「お、おうっ!」
 町人は駆けて逃げる。
「ヒーリィ、お前も逃げろっ!」
 ガッシュはのたくるサンドワームに対して打撃を何度も加えるが、刃の通りにくい外皮のせいかあまり効いている様子がなく、困惑し始めていた。
「いつも言ってるでしょ、私の本体はアンタの持ってるその水なんだから、この身体だけ逃げても意味ないの!」
「チッ」
 ガッシュは自分の腰に括り付けた真銀の水筒を見る。奮発した品だが、ヒーリィの「本体」である核元素(ガッシュには未だよくわかっていないが魂的なものと理解している)の混ざった水が入っている。
これがヒーリィの存在の軸であり、少女の姿で実体化しているヒーリィ自身が例えバラバラにされたとしても核元素さえ確保されていれば問題なく復活できる……ということだった。
 怖くてまだそんな危ないことはしていないけれど。
「いてもいいが、ちったあ役に立つんだろうな!?」
 ガッシュが叫ぶと、ヒーリィは「あったりまえでしょ!」と叫び返す。
「今夜は人々を慈しむのが精霊なんだから!!」
「コイツらをぶちのめすのに役に立つかって言ってんだよ! 慈しむならあっちでやれ!」
 のたくってヒーリィに向いたサンドワームを斧で殴り飛ばす。これが普通の生き物の首ならとうに飛んでいるはずの一撃。
 だがサンドワームは効いた様子もない。
「くそ、尻尾さえあれば!」
 ガッシュは歯噛みする。
 ガッシュの尻尾が無事でさえあれば、その全力の横薙ぎはサンドワームに致命打となりえたかもしれない。純粋に全身のパワーを衝撃力に変えた一撃は斬撃と違って逸らしようがない。
 だが今のガッシュの尻尾は、尻から50センチ程度の長さで切れ落ちている。使い物にならなかった。
「水の精霊様、なめんなーッ!!」
 ヒーリィはそんなガッシュの後ろで手を突き出し、水の槍を打ち出す。
 先端の尖った水の一撃は、サンドワームの口に直撃、怯ませる。
「効いてるっ!!」
「そんな効いてねーよ!」
「ガッシュよりは効いてる!」
「でも殺せそうにないぞ!!」
 口喧嘩をしながらもサンドワームをお互いから遠ざけようと奮闘し、結果的に良いコンビネーションを見せる二人。
「くそ、コレには純粋なパワーで叩き潰すような……オーガの連中はまだかよっ!!」
 ガッシュは毒づく。が、どうもサンドワームが現れたのはここだけではなかったようで、あちこちから悲鳴と轟音が響き渡っている今、ガッシュたちに対する援軍は未だ現れる気配はなかった。
「くそ……こんな時ビンセント将軍がいりゃあ……!!」
「誰よそれっ!!」
「なんで怒るんだよ!!」
「精霊が味方してるのに何よ!」
「そういう嫉妬はこいつら倒してから言え馬鹿!!」
 改めて、軍人だった頃の最後の援軍に思いを馳せるガッシュ。
 ピンチにオーバーナイトを望むのは高望みとはいえ、あのデタラメな攻撃能力が恋しかった。
「くそ……イチかバチか、口の中にトマホーク叩き込むか」
「飲まれちゃうんじゃないの」
「だよなあ」
 1メートル以上の直径を持つサンドワームの口はトマホークぐらい楽勝で嚥下しそうである。絹の鎖で繋がっているとはいえ、一度飲まれたら取り出すのは容易ではないことは想像がつく。
「なんか必殺技的なのないのかよ水の精霊様!」
「ないわよ! アンタ水に何期待してるのよ!!」
「……なんか腹壊す毒みたいな?」
「あったまきた、こんどエッチする時に絶対毒盛る。トイレから一日出られないようなの盛る」
「わかったもうお前とはヤらねえ」
「ごめん嘘だからそーゆー意地悪言わないでお願い」
「弱いなお前!!」
 サンドワームの頭をガッツンガッツン弾き飛ばし続けながらここまでイチャイチャしているバカップル。見ている者があったらさすがは精霊祭の夜だ、と大笑いしそうである。
 否。
「ははははははははははっ! 仲がいいね、君たちは!!」
 実際に大笑いされていた。
『誰!?』
 ギョッとして振り向くガッシュとヒーリィ。
 そこには色黒の肌と白銀の髪を持つ、どこか中性的な雰囲気の女がいた。
「そうだねえ」
 女はクスクスと笑い続けながら、サンドワームを指差す。
 襲いくる怪物に、半ば反射的にガッシュとヒーリィが攻撃しようとして。
「ヒントだ。……本日この街に花火使いは訪れていない」
「は?」
「ヒントその2」
 女はサンドワームを指した指を、横に振り抜く。
 次の瞬間、サンドワームがいきなりチュンッと輪切りになった。
「!?」
 唖然とするガッシュとヒーリィ。
 女は悠然と二人を追い抜き、残った数匹のサンドワームたちに両手を広げる。
「ヒントその3。今夜の私は、君たちのような恋人たちを慈しむ義務がある」
 そして、優雅にくるっと半回転。サンドワームたちに背を向け、ガッシュたちに向き直る。
 膨らむようにその背を彩るまばゆい光。
 それがまるで巨大な蛍のようにバッと舞い散り、サンドワームたちの背に、頭に、口に殺到する。
 夕方に見た花火のように光が踊り、サンドワームたちを粉々に蹂躙した。

「初めまして、愛し合うリザードの戦士と水の精霊」

 爆音と、砂煙と、吹き上がるサンドワームの緑色の体液。

「私の名はブライト・ライト。光の精霊の端くれです」

 それらの一切に汚れることなく、見た目はダークエルフにしか見えない彼女はにっこりと微笑んだ。

(続く)

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