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王都は俺にとっては第二の故郷といえる。
10歳から17歳までずっといたわけだし。そこそこは知っているつもりでいる。
が、年齢上飲み屋街には縁がなかった。そのことに歩き出してから気づく。
通り一遍の「この辺に酒場が集まっている」程度の知識ならあるが、どんな性質の、どんな酒を出す、どんな雰囲気の酒場か、なんてのは一つとして知らなかった。
「……まあ、いいや」
勝手知ったる街に少し裏切られた気分にもなりながら、それでもどことなく捨て鉢な気分だったので、手近に見えた酒場に入った。
別にどうでもいい。酒さえ出してくれれば。女もついでに買えと言われても今なら買ってしまう気がしていた。
「おう、見ない顔だな」
「ビール一杯。あとなんか合う付け合わせ」
マスターの軽口に付き合わず、とりあえずさっさとカウンターに座って先に注文を言う。
マスターは少し変な顔をしたが、さすがに色んな客を相手にする商売、鼻白むでもなくビールを注ぎにかかる。
「旅人さんかい」
「似たような……もんかな」
「じゃあ気をつけな。ここは、『トロット人界隈』だ」
「トロット人……界隈?」
マスターは辛く揚げたポテトを出しながら、鼻で溜め息をついた。
「前の戦争以降、酒場の場所で勝手に住み分けができ始めてね。トロット人ばかりが寄り集まる界隈、外国人が集まる界隈ってんで、チンピラどもが線を引き始めたのさ。店をやってるこっちとしちゃ、金払いが良くて酒癖が悪くないなら誰でも構いやしないんだが……まぁ、住み分けも上手い酒の飲み方の一つの形って言い張られてなぁ」
「……俺、トロット人だぜ」
マスターは肩をすくめた。
何だ感じ悪い、と思ったら、背後に件のチンピラ様が数人現れていた。
「トロット人にしちゃ服のセンスが悪いじゃねーか」
「セレスタ人だろ、出て行けよ」
……うわぁ。
マジ最悪。
「トロット人だっての。ポルカ生まれの王都育ち。……戦争の後でセレスタに引っ張られはしたけどな」
「ハッ」
「セレスタもんみてーなもんじゃねーかよ。向こうで畜生モドキ相手に腰振って、詐欺でもしながら小金貯めてんだろ、どうせよ」
畜生モドキってのは獣人族のことだ。
広義にはエルフやオーガも入ったりする亜人の蔑称。
……本当に最悪だ。
「ウゼェなぁ……ガキのイビリでもねーだろに」
「テメェは存在自体がウゼェんだよ、スカしやがって」
「三秒以内に出ていかねーと鼻叩き潰すぞ」
チンピラは思いっきり凄んできた。
……何もかも投げやりな気分だった俺は、そいつらを無視してビールをあおる。
そして、予告通りにきっかり三秒でブン殴られた。
「ぐがっ」
そのまま椅子ごと倒れる俺。
……辛口ポテトと血の味が混ざる。
「セレスタ弁に耳が慣れすぎてトロット言葉も聞こえないようだなぁ」
「もしかして文無しで飲んでんじゃねーか、俺が代わりに確かめてやんよ」
好き勝手なことを言いながら、俺のポケットに手を伸ばしてくるチンピラ。
と、その手を、ステッキが打ち据えた。
「痛ぇっ!!」
「な、何しやが……」
チンピラたちが見上げるのにあわせて、俺も視線を上げる。
そこには上等なマントに身を包んだ髭の中年男と、……綺麗なブレストプレートの、剣士。
剣士はひと目で分かった。あの糸目は……。
エクター・ランドール。
そして、マントの髭親父は。
「やれやれ。だから用心棒を置けと言っているだろう、マスター」
悠然と杖を振り回し、肩に乗せながら、マスターに話し掛けている。
「ジジイ、邪魔すんじゃ……」
「年上への礼儀がなっとらんな。……貴様らこそ出ていけ!!」
いきなり一喝。
チンピラたちはもとより、店中の客が一瞬ビクッと肩を震わせる。俺含め。
「て、てめぇ!」
ビビったことがよほど恥ずかしかったのか、チンピラたちが一斉に髭親父に襲い掛かる。
……そして、エクターと髭親父が申し合わせたように肩を合わせ、構える。
「レクチャーの時間だな」
「ですね」
そして、チンピラたちは二人にまとめて叩き伏せられた。
髭マントの男は、グランツ百人長。
というか。
「グランツ助教授、ご迷惑を」
「そう思うなら、あんな若い衆くらい追い返せる用心棒を早く雇いたまえ」
助教授と言われるとおり、まさに知識人然とした風体だったのでわからなかった。
「グランツ……百人長?」
「スマイソン訓練……いや、今は十人長だったか。奇遇だな、ここは私の馴染みの店なんだ」
グランツ百人長は颯爽とカウンター席に座る。エクターもその向こうに座った。
「君と一杯やる約束が、こうも早く果たせるとはな」
「どうしたんですか、スマイソンさん。アンジェリナ様はお元気ですか」
「…………」
俺はカウンターの上のビールを一杯含み、そして口の中の切り傷に染みて顔をしかめてから、思わぬ登場をした二人をしげしげと眺める。
「……いや、その……」
「どうしたのかね。まさかもうアンジェリナ君と終わったわけでもあるまい」
「…………」
……あー。
何を話せばいいんだ。
「……アンゼロスなら王都に来てますよ。オーロラも、あとディアーネさんも明日には泊まるでしょうし」
とりあえずは二人の興味に答えることにした。
すると。
「ほ、本当ですか。それならお会いできないものでしょうか」
あからさまに喜ぶエクター。
そして、グランツ百人長はブランデーを口にする動きを止めた。
「……なんだと?」
「え……」
「何が……いや、そうか。聞くまでもなかったな」
微妙な反応。
俺とエクターは「?」という顔を揃える。
「……マスター、少し部屋を借りていいかね」
「グランツ助教授……え、ええ、いいですが。1号と5〜7号の部屋が空いてます」
「一号の部屋を借りよう。……ランドール十人長、スマイソン十人長。付き合いたまえ」
いきなりブランデー瓶と陶カップを持って立ち上がり、階段から宿の部屋へ向かうグランツ百人長。
俺とエクターは顔を見合わせて、とりあえずそれぞれの酒と皿をもって追う。
「この時期にかのクロスボウ隊がここにいるんだ、油を売っているわけでもあるまい」
「……グランツ先生?」
「さては、王と……ボナパルト閣下の茶番に巻き込まれたということか」
「ちょっ……グランツ先生、不敬ですよ」
「茶番は茶番だ」
……ま、待て。
「グランツ百人長、どこまで知って……」
「茶番と言って思い当たるとは、君もなかなか知っているようだな?」
「え、でも……あれ?」
王様の計画って……そんなに知れ渡って大丈夫なものだったのか?
と思ったが、どうやら剣聖として、王都の住民として数十年のキャリアを持つグランツ百人長にとっては一目瞭然のことのようだった。
「ルース公子とレイナ姫の婚約、そして二人揃ってガードナー公爵家に預けた時点で、透けて見えるものはあった。が、あのボナパルト閣下が王に反旗を翻すなど、彼をよく知る者にとってはまさに茶番だ。……トロット王国六百年の歴史を紐解けば、似たような真似をした王や貴族はいるものだしな」
「……そ、そう……なのか」
「待ってください、どういうことですか? ボナパルト閣下は王を倒し革命を起こす以外に、何か……」
「はは、ランドール十人長にはわからんか」
「で、ではどういう目的で……」
「全ては、王国の未来と、我が子のための政治ショーということさ……くだらんな」
吐き捨てるように言って、グランツ百人長はブランデーをぐいっと呷る。
……そう、だよな。
くだらない茶番だ。
たくさんの同窓の傑物が笑顔で殺し合い、そこに残るのは魂、心。
そんなもの、血を振り撒いてわざわざ残さなきゃいけないものじゃ、ない。
「やっぱり、くだらない……茶番、ですよね」
「君もそう思うか。……思うだろう、それが普通の神経というものだ」
「……でも、だけど、俺は止められない。どうやってもその茶番を止められない」
勝ちも負けも全て一つの結果に収束する。
この計画自体を民にバラす手もあるが、それは彼らの死をただ無駄にするだけで、止めることができるわけではない。
が、グランツ百人長はまたトポトポと酒を注いで含みつつ、肩をすくめた。
「君はトロット王国軍の魂の担い手だと思っていたがな。随分腑抜けたことを言うじゃないか」
「……そんなことを言っても、勝っても負けても結局……どうにもならない」
「ああそうだ。ボナパルト閣下を殺しても、王を見捨てても、勝者は断罪され、次の時代の礎となる。双方それを承知で、望んでの戦いだな」
「……ええ。だから、この戦いは介入してもどうにもならない」
「それで諦めるのか。敵は強く、勝てる武器もなく、石も砂もないから、もう自分はよくやったと満足するのか。それで自分が許せるのか。戦場に立つこともなく」
「じゃあどうしろって言うんですか!」
「君は何を望んで、止めたがる。どういう結果を望んでいる。何が間違っていると考えて、どんな正義を掲げんとする」
カン、と陶コップを机に叩きつけるグランツ百人長。
「君は何もかも人任せか。ただ一手の冴えた手助けで、何もかも上手くいく、望んだ結末になる問題ばかりだと思うのか。本当に人生を賭けた相手を、矢の一本だけで救えると思うのか。甘えるな。そんなものは偶然と何も変わらない」
「……なら、どうすればいいんですか」
弱気で呟く俺を、グランツ百人長はさらに一杯呷りながら睨みつける。
「どうすればいい? それは君の正義次第だ。君の正義は何を欲する。どんな未来を良しとする。そのための手段を考えたことがあるのか」
「それは……」
俺は、王様やおっさんに、剣聖たちに、勝手に死んで欲しくない。
親は死ぬまで親孝行される義務がある。
子供たちの未来を見届ける義務がある。
孫の誕生を喜んでやる義務がある。
幸せな人生だったと我が子に伝えながら、安らかに死ぬ義務がある。
……あるはずだ。
あったはずだ。
俺の親父はそれができなかった馬鹿野郎で、ボナパルトのおっさんはそれを自ら放棄しようとするクソ野郎だ。
「私はどうやっても間に合わないとは思わんよ。……いいかスマイソン十人長。人間の手は武器を振るうためについているわけじゃない。何かを作ることもできる。誰かの手を握ることもできる。その声はどんな夢や愛を語ることもできるし、その足はどこへだって行ける。君はそれを理解できないほど不器用な人間じゃないはずだ」
「…………」
俺は、ハイペースで酒を呷り続けるグランツ百人長を見て。
目を覚まされた思いがした。
「そういや、そうですね」
「……はははは。なんだ、忘れていたのか」
「忘れてました。……ああ、そうだ。俺は」
……殺して解決を得意とする人間でもなければ、国家を担う貴人でもない。
そんな手段と理屈に囚われる必要はどこにもなかった。
「ありがとうございます、グランツ百人長」
「……うむ」
そのまま目を閉じそうになっているグランツ百人長をエクターに任せ、俺は急いで宿に帰る。
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