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王は、前回ここに来た時と同様に、窓辺でチェス盤を前に座っていた。
「おお、リンダよ、そなたの番……」
「王よ。久しく」
「……アンジュ。それに、あの青年か」
ユリシス王は皺だらけの顔を少し呆けさせて俺たちを見て、溜め息をついた。
「……剣呑な顔をしおって。まるでセレスタの官僚どものようじゃ」
「おそらくは同じ用件にございます」
アンゼロスはセレスタ式の礼をした。
「……剣聖旅団。かのアーサー・ボナパルト伯爵を旗頭として、かの北西平原最強部隊を僭称する集団が、南下してきております。同僚からの話によるとドラゴンスレイヤーも持ち出してきているとか。トロット軍団は彼らとの同調を恐れて主力級の部隊を出すことはしないでしょう。狙いは王、あなたです。……私たちと王都を脱出していただけませんか」
「王が座せずに王都の体裁が立つものか」
「しかし、このままでは」
「アーサーめが、城に来るのう。守りは近衛兵、それもせいぜいが百というところか」
王様はつまらない話に渋々頷いているという感じで、動く気がないことを窺わせている。
「死にたいのですか!!」
「さてな。だが、王とは、国の部品の一つじゃ。……国のためになら、命を惜しむことすら邪道という時も、ある」
……疲れ果てたような王様の言葉に、俺は納得が行かない。
いや、納得はできても、したくない。
「あなたが死んでどうなると言うんですか!」
「革命が成るじゃろうな」
「もう実権なんかないってこの前言ってたじゃないか! そのあなたの首を取って、ボナパルトのおっさんが王や宰相になっても、いずれセレスタの全軍に押し潰されるだけだろ!」
勝ったセレスタ、負けたトロット。
今、その戦力差は埋めがたい。
何より、昔の王国軍は今やトロット軍団としてセレスタが運用しているのだ。その全てが仮に一斉に反乱を起こしてトロットに寝返ったとしても、再編成して充分な作戦行動が可能になるまでには北方と西方軍団が到着する。混乱した部隊を叩くのは、いくら弱兵といわれた北方軍団とはいえ正規軍には容易いことだ。
「そうじゃな。……そうなるじゃろう」
「そこまでわかってるなら、何故逃げようとしないんだよ! 本当に取り返しのつかないことになる前に、あのおっさんに止まる余地をやれよ! 何故そうして無駄死にすることが国のためとか、逃げるのが邪道とか、ワケわからないこと……」
「アンディ・スマイソンだったか」
「……な、なんだよ」
「ポルカの者だったか。……アーサーに、会ったのか?」
「……あ」
あのおっさんを「おっさん」と、庶民の俺が言うのは確かに不自然。
……ボナパルト卿に会ったというのは、一目瞭然か。
「良い男じゃろう。覇気に溢れ、力に満ち、一本の剣のように磨き上げられた肉体と意志を持つ男じゃ。……じゃがな、もうワシもあの男も、トロットを立て直すには時がない。悲しい話じゃがな」
「…………」
「それでも、ワシらは背筋を伸ばしていると、トロットの魂はこの老いぼれた王と貴族どもの背に未だ燃えていると、そう示すことが、必要なのじゃ。民は口先だけでは何も納得はしてくれぬ。この国は未だ病んでいる……病んだことのない者が、病から立つには意志が要る」
「……なんだよ、それは……まさか」
「そこから先は、我らの問題じゃ。好きに思うが良い」
王様は疲れきった笑みを見せる。
……そして、ディアーネさんは、そこで舌打ちをした。
「全て繋がった。そうか、……そんな風にしか」
「ほっほっほ。短命で浅慮の人間族には、それなりの営み方がある。……我らの人生の使い方はダークエルフの方々には理解され難いのじゃろうな」
「…………」
ディアーネさんは踵を返す。
俺たちは、慌ててそれを追う。
「ど、どういうことですか!」
「王による各地貴族の世代交代の促進」
「……?」
ディアーネさんは背を向けたまま、硬い声で言葉を短く並べ始めた。
「ボナパルト殿の完全復活。新剣聖旅団の年齢層。ドラゴンスレイヤーの使用。私に対する挑発。王の昼行灯的な生活の仕方。……そして、ルースとレイナ姫の婚約と、ガードナー公爵家への留学」
「……な、何ですか」
「全部繋がる。……全部、あの老人の描いたシナリオだ」
「え……?」
「いいか。……王は、無能を演じている。ボナパルト殿の語る通りのだ。そしてボナパルト殿は国際社会で禁じられたドラゴンスレイヤーを堂々と使っている。……これはつまり、どちらが勝っても、その後『非がある』と批判されることを狙っている」
「え……?」
「王にも誰にも、今のトロット人には軍事統帥権がない。つまり、逆に言えばセレスタの都合次第で、王への援軍に誰が現れてもおかしくない。そこまで折込済みで、新剣聖旅団が負けることもシナリオに入っているんだ」
「な、なんですか、シナリオって!」
「王と、至剣聖。かつてトロットを担った二人の、トロットの旗を賭けた決戦。これで民の気持ちは、確かに盛り上がるだろう。そして、どちらが勝ったとしても……その戦いの後に、『学識に優れた』ガードナー公爵家に支援されたルースとレイナ姫の再革命が待っている」
「再革命……!?」
「セレスタに救われる無能な王、手段を選ぶことを忘れた汚れた至剣聖。それをトロット最大の名門ガードナーが後ろ盾になり、それまで育ててきたルースとレイナ姫に乱心した親の世代を断罪させるんだ。これで、新たな英雄王の誕生になる。下には若返りを進めて、妙なプライドを削ぎ落とし、希望と意欲に溢れる若い貴族層。トロットの活気は、そうして蘇るんだ」
「……え、えっ……つまり」
「そうだ。あの老いた大剣聖も、ボナパルト殿も、全てこのシナリオに乗って、最後の戦いをするために集められた。……『王命』剣聖旅団だ。そして私たちは、その最後の相手として招待状で呼ばれたのさ。あわよくば最も良い死闘を演じ、敗北を濯ぐ機会として」
……え、ちょっと……待て。
全部……そういう筋書きで、進んできた?
おっさんのポルカへの旅も。
アンゼロスの結婚話も。
何もかも?
「……そんな……」
「ああ、完璧だ。私たちは王を見捨てても、守りきっても、例え腕ずくで逃がしても……最後には王の思い通りになる」
「……相も変わらず、厄介極まるお方ですわね、あの王は……!!」
「どっちにしてもおっさんと王は死ぬのかよ……」
薄暗いノイマン家の廊下。
俺たちは、黙りこくる。
「このことを、セレスタ軍総司令部に通報すれば……」
アンゼロスの提案にも、ディアーネさんは首を振った。
「今のところ、無理に阻止する理由さえない。……王に求心力があるかないかはセレスタにとってはどうでもいいことだ。セレスタ軍は、トロットが敵に回らなければむしろ活性化することは歓迎するだろう。新王の首根っこを早めに押さえようとはするだろうが」
……くそ。
そんな……。
「……結局、壮大な心中かよ」
「そうだな。……そういうことをして人生を終えたがる傾向は確かに私たちには理解しがたい」
「……止めることさえ、できないなんて」
「ほ。……双方焼き尽くしてしまうかの。それが一番早かろう」
「…………」
俺は。
唇を噛みながら、親父が死んだと分かった時のことを思い出していた。
……親父だって死にたくて死んだわけじゃない。
なのに、一方では勝手に慕われてた親が死んで。
子供だけ、取り残して。
もし、それと引き換えに幸せをやるなんて押し付けられても、幸せなもんか。
そんな幸せに、浴せるもんか。
「……認めたく、ねえ」
「アンディ」
ディアーネさんが気の毒そうに俺を見る。
「そんなシナリオ認められるか! 親のくせに、わざわざくたばって子供に幸せを残そうなんて、無責任な話認められるもんか!」
俺の言葉は、ノイマン家の長い長い廊下に、長く響いて消えていった。
(続く)
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