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広い屋敷をしばらく歩き、別の応接間に入る。
そこは俺たちが最初に通された部屋よりさらに広くて、豪奢な感じの部屋だった。
その中のソファに、一人の老爺が座っている。
……どこかで見たような爺さんだった。
「待たせたね」
「……いや、それほどでもない。今日は日差しが心地良い」
ガラス工業が盛んなトロットならではのガラス張りの窓辺で、爺さんはすっかり幸せに緩んだ顔をしていた。
その顔を見て、アンゼロスは俺同様に何か引っかかった感じの顔をして、エクターは……
「……!!」
素早く跪き、頭を垂れる。
そのエクターに爺さんは微笑んで立つように言いつけつつ、アンゼロスに視線を向ける。
「この子がアンジュか。リンダもこんな器量の良い子を隠しておくとは性格の悪い。それもセレスタに送ってしまうとは」
「はんっ、ハーフエルフが耳を隠さずにいられるようになったのはセレスタの連中のおかげさ。剣聖試験だって受けたのに、ハーフエルフで女のアンジュを採ったのは結局セレスタの連中だ」
「フフ。もしその時剣聖になっていれば、セレスタ戦争で生きては戻れなんだかもしれんぞ」
「どうせ評議員の連中もハーフエルフや女に剣聖号くれてやるなんて思いもしなかっただろう。たらればの話に意味なんかあるかい?」
「耳が痛い。結局セレスタに押し付けられなければ、そんなことさえ変えられなかったということじゃの。まったく、痛くなければ医者にメスを許すのは難しい」
爺さんはクックックッと笑い、アンゼロスの手を取った。
「はじめまして、アンジェリナ・ノイマン。我が名はユリシス・アーネスト・アレイクロード。今この国で最も役立たずな爺じゃ」
「……!!」
アンゼロスが目を見開く。
俺だって飛び上がりそうになった。
……ユリシス三世。現トロット国王だ。
「セレスタ戦争からこっち、ワシは専ら式典での顔見せしかすることがなくてな。お呼びがかかることは月に何日もない。なにもかもセレスタの連中がこなしてくれる。楽なものじゃ」
「だからって下々の商人の家にチェスを指しに来るのもどうかと思うけどね」
「チェスはついでじゃ。……わかっておるじゃろう」
「はん」
リンダさんは肩をすくめる。
……いくら大商人とはいえ、王侯貴族との身分差は歴然だ。これが公には階級制度のないセレスタ人ならともかく、トロット人のリンダさんがこの態度でいられるというのは正直凄い。やっていいといわれてもなかなかできない。
「娘もいることだ。ここで言ってみな。若い衆の反応次第では気が向くかもね」
「ほう」
ユリシス王は真っ白いヒゲを指で撫でながら、俺たちを横目で確認する。
そして鼻で大きく溜め息をつき、リンダさんに向き直った。
「伯爵位を受け取ってくれんか。……いや、是非受けてもらいたい」
「……だってさ」
「は?」
アンゼロスと顔を見合わせる。
領地経営能力に落第を判定されたかつての貴族は、平民への転落を余儀なくされた。
その空席に豪農や豪商が当てられ、新たな貴族として政治を動かし始めている。
……その中の伯爵領、つまり自治州をひとつノイマン家に譲ろうという話になっているらしい。
「シルフィードは国内随一の商会と言っても過言ではない。侯爵領が空いているならそれを封じても文句は出まい」
「恩賞なら一代貴族の位でいいじゃないかって言ってるんだけどね」
一代貴族は名誉称号だ。宮廷で五爵と並ぶことができるが、領地は封ぜられない。
「宮廷序列にリンダを加えるのが目的ではない。……トロット王国の国力を回復させ、より強くする方向へ導く優秀な力をリンダに期待してのことじゃ」
なるほど、それを在野に期待するなら、シルフィード商会の会長以上の適任はいないかもしれない。
「私が一代貴族でいいって言ってるのはね」
アンゼロスが指差される。
「私の子はアンジュしかいないってね。ハーフエルフのこの子しか、私は産んでない。そしてハーフエルフがピンでトロットの自治州を統治できるわけがないじゃないか。能力以前の問題だよ」
例えいくら優秀でも、トロットで特に被差別傾向の強いエルフ系のアンゼロスを首長に戴いて、きちんと回るものかといわれると疑問符がつく。
「確かに、ハーフエルフ一人では心許ない。……じゃから、隣接するランドールの出番となる」
「つまり、ね。この爺さんは、そこのランドールの坊やとアンジュを婚約させればいいじゃないかと言ってるわけさ」
「なっ……」
「いずれ伝統の壊れかけている今、ランドールほどの名家が後ろ盾ともなれば表向きの反抗もあるまい。国家に冠たるシルフィードが爵位をもって動くならば頼もしきことこの上ない」
「……ということだ。さあどうだい、アンジュ、それと首輪の坊や」
「…………」
何も、嫌がらせや金銭欲でこんな話が動いてるわけじゃない。それぐらいは俺にだってわかる。
ユリシス王は、純粋にトロットの未来を良い方向に動かそうとしているのだ。
……個人の色恋なんてその中で無視されるにしても。
「まあ、そんなところさ。……ランドール卿も合わせて、そんな方法もあるかもね、とかわしていたら、アンジュ、お前が変な男に引っかかって、その上、帰ってきてしまった。つまりそういうことさ」
「……そんな、勝手だ」
「ああ」
アンゼロスが頑なな表情で一歩下がる。
エクター、ちょっと傷ついた顔。例え俺となんとなく仲良さそうな雰囲気が感じ取れたにしろ、恋人だって言っているにしろ、だからといってエクターと結婚なんてまっぴら、とするアンゼロスの態度はエクターにとって心地いいものではないだろう。
しかし、拒絶しようとするアンゼロスにユリシス王はゆっくり追い討ちをかける。
「これは王国そのものの先行きを左右する問題じゃ。……どうしても拒絶するというならば、シルフィードに国家に与するところなしと判断し、商業手形を停止することも考えなくてはならぬ」
「!!」
商業手形を止められたら、もう国内での商売は出来ない。
シルフィードは国内だけの商会ではないから、どこかよそに拠点を移すことで商売を続けることも可能だろう。しかしその場合、この街にいる多くの人々を解雇し、リンダさんは王都を永久に捨てることになる。
今、自分の恋愛と、多くの他人の生活が、アンゼロスの天秤にかかった。
「……脅すのですか、王よ」
「うむ。この国の王じゃからの」
「…………」
アンゼロスの耳が、少しずつ下を向く。
深く悩みに沈んでいる証。
「……考えさせてください」
アンゼロスは搾り出すようにそう言って、俺とエクターを省みることなく、俯いて部屋を出た。
「エクター・ランドール。……この爺の勝手な絵図に付き合わせてしまって、悪いな」
「いえ、その……あ、アンジェリナ様は、魅力的ですから」
エクターは直立不動で答えた。しばらくしてやはり気まずいのか、勝手に跪く。
ユリシス王の矛先は俺に向く。
「青年。……アンジュの、恋人か」
「そんなものです」
跪ければ間も持つだろうに、今の俺は松葉杖。カッコ悪く立ちつくしたまま、ユリシス王の言葉に憮然と答える。
「この爺が憎いか」
「それほどは」
「信じておるのか、愛を」
「…………」
どうだろう。
アンゼロスは、確かに俺にベタ惚れだ。
が、俺以外に、あの森林領のルーカスみたいな馬鹿でなく、ちゃんとアンゼロスを見てくれる、強くて優しくてかっこよくて頼りになる男が現れてしまった今。
本当に俺はアンゼロスを繋ぎ止められる根拠があるのか、ちょっと疑わしい。
それでも。
「恨むのはアンゼロスが取られてからにします」
もう何度も自分を疑い、もう何度も怒られた。
だから、俺は自信満々を装う。
「少なくとも今はアイツは俺のものですから」
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