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隊舎に戻ると演習場に飛龍が鎮座していた。
「うおっ」
たじろぐ俺。
なんとなく俺を背中にかばうアンゼロス。頼もしい。
「あー、あー、ビビるなビビるな。飛龍便だ」
百人長が疲れた顔をして隊舎から出てきた。
飛龍便。要人の護送や急ぎの伝令、特別偵察に使われる特科兵。まさかウチの陣地に来てるとは思わなかった。
警戒を緩めつつ百人長に目で説明を求めると、ぐりぐりと頭を掻きながら百人長が口を開く。
「北方軍団の参謀本部から緊急指令。ヴィオール峠に出たマッドウルフを一掃せよってさ」
百人長の後ろから現れた伝令兵が頷く。
百人長の説明はラフだったが、一応儀礼上伝令の目を無視するわけにもいかないので、アンゼロスと一緒に右拳を左胸の前にビッと構えて敬礼のポーズを取る。
「マッドウルフの数は」
「少なくとも百近いらしい。国境警備の歩兵隊が奇襲されて大敗走とか言っていた」
「気の毒に……」
マッドウルフ。この地方の代表的な魔物のひとつで、普通の狼が悪い気の流れで変異する変異体らしい。
狼のくせに馬のような巨体になり、周囲の動植物を見境なく食い始める。
食うものが視界に見当たらなくなると勝手に共食いを始めるので、ほっとくと凄惨な破壊を残しつつ最後の一匹になって餓死するが、これを普通に待つと一ヶ月はかかる。
ヴィオール峠は交通の要所なのでそれを待つことは出来ない。クロスボウ隊の出番なわけだ。
「出撃準備! 明朝までに決着をつける!」
「了解!」
俺とアンゼロスは競うようにして隊舎に飛び込んだ。
夜半。
昼の快晴をそのまま継いで、何もない空に綺麗な月が浮かんでいる。
ヴィオール峠の切り通しの手前、約1km弱。遠すぎて普通なら的が見えないところだが、そこにクロスボウ隊は戦術展開を開始した。
「全員配置についたな。最終確認」
「アイザック小隊問題なし」
「ウィリアムズ小隊問題なし」
次々と報告がよどみなく重なっていく。
大声での報告などなされない。各十人長がクロスボウのストックに囁くだけで百人長に伝わっていく。
ストックそれ自体が百人長と共鳴しやすいよう加工された一種の魔術符であり、これがセレスタのクロスボウ隊の強さの秘密でもあった。
「スマイソン小隊問題なし」
「アンゼロス小隊準備よし」
「よし。それじゃ……状況開始」
全ての報告を聞き終わって、百人長が陣頭に立ち、五指を突き出すように構えて小声で呪言を唱えだす。
指先から糸のように流れ出した光の帯が、空中で織物のように美しく交差していく。
魔法。
エルフ族などの一部の種族が得意とする奇跡の技だ。
しかし何でもできそうなイメージの反面、戦争での使用例は非常に少ない。
百人長はそれを「火打石や雪球で剣に挑むようなもの」と表現する。
確かに超常の業は起こせるのだが、それで火や氷を作り出して戦うのは起こせる現象の規模や速度から全くもって現実的ではないのだ。
熟達の魔法戦士と呼ばれる人種も、戦いながらやれることと言ったらせいぜいが幻影を見せて隙を作ることぐらいだという。頼るには頼りなさ過ぎる業である。
しかしクロスボウ隊は魔法を併用することによって劇的な戦力向上が見込めた。
「撃ち方用意!!」
例えば、それは「視力向上」。
1km先の目標を手にとるように視認できる。
「目標、『見えて』ない奴はいないな!?」
そして「目標指定」。
幻影の応用で、次に撃つべき目標が視界を邪魔せず、視界に重なるようにポイントされる。
オーガ兵が立ち上がって両の手に一本ずつのクロスボウを構える。ドワーフ兵が岩の上をあつらえた銃座のように使い、しっかりと狙いを定める。
「撃てっ!!」
ガガガガガガッ!!
夜空を鋼矢が切り裂いていく。殺気さえ感じ取れないほどの距離から飛んだ矢が、効率的に暴力的に、狂った魔物たちを一瞬で絶命させていく。
クロスボウの命中率はそれまでの弓矢と比べるべくもない。その上ドワーフ謹製の遠眼鏡に匹敵する視力と、確実な目標指定、攻撃指示に基づく統制射撃。
本来起動が遅く、効果が低い「魔法」だったが、それは射撃の補助としては恐るべき効果を発揮し得る。
北の森のエルフが何故あれほどまでに強かったか、今の俺にならよくわかる。これだけのガイドがあれば、人間の心臓なんて馬よりデカい的になる。
しかし恐るべきは、その力を百人単位で実現する百人長の実力であり、発想力であり、この命中率を実現するクロスボウだ。俺が直接戦う相手じゃなくて本当に良かった、と、次々に狼の化け物を虐殺しながら感謝する。
「……チッ」
「百人長?」
虐殺が終わる頃、百人長が舌打ち。
背後にいたアンゼロスに手信号で命令を出す。これは言葉よりも早く確実に伝わることもある。それだけ急を要する事態だった。
横目で信号を盗み見ると、内容はこう。
──撃ち漏らした、左の薮から来る──!
「げっ」
慌てて俺は弦を巻き上げるのをやめて隊中央に向かって転げる。最左翼は俺だったのだ。
直後、薮から燃えるような色のマッドウルフの目が見え、牙が飛び出してくる。
それをこともなげにアンゼロスが迎撃した。
「ちぇやぁっ!!」
抜きざまにマッドウルフの口元に一閃。牙が一撃で全部叩き折られる。
彼の使う剣は大仰な鎧に比べて圧倒的に小さく手ごろな、どこにでもあるショートソード。それでも剣である事に変わりなく、エースナイトは剣さえあれば、完全武装のオーガ正兵5人に匹敵する力を持つとされる。
「もらった!!」
ザンッ!!
……返す刀は牙粉砕のショックに悶えるマッドウルフの首を切断。
一瞬を置いて、ドウ、と地に伏す首なしの大狼。
アンゼロスは迸る血を浴びながら剣を振り、ゆっくりと掲げて小さく祈る。
エースナイトの一騎打ちの勝利の儀礼だ。
戦闘は、たったの7分で終結した。
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