ナリスがどの時点までいたのか、誰も注意を払っていなかった。
ローリエやアイリーナ、マローネなどは男に襲い掛かられたら危ないのでみんなさりげなく目を配っていたんだけど、世慣れている上に戦闘力もれっきとしたレッドアームであるナリスが、まさかこんなところで不覚を晒すとは思えなかったのだ。
それに、暗視できない俺や白エルフ組は、そもそも明かりの落ちた状態で他人の行動を気にしきれるものでもない。
「人の流れに乗ってどこかに迷ったか……それともドサクサで連れ去られた?」
「ナリスを強引に連れ去るのは相当な技量が必要ですよ」
シャロンはそう言うが、可能性としてはないわけじゃない。ここは観光地なのだ。出入りに身分を確認されるわけでもない。
見た目は周りと揃いのローブを着た普通のおっさんでも、実はエースナイト級、もしかしたらマスターナイト級なんてのも有り得ないわけじゃない。
ボナパルトのおっさんなんて初めて会った時はほんと唐突だったもんな。ああいう感じにポッと出てくる可能性も……。
「だいたい、ライラがすぐに所在を掴めないというのはおかしいだろう」
ディアーネさんが指摘する。
「……それがのう。黙っておったがこの迷宮、幻影隠蔽の幕がそこかしこにあって、耳が使いにくいことこの上ないぞえ」
全裸のままのライラが、壁の上に飛び乗って腕組みで周囲を見渡す。
「温泉運営に……魔法使いが思ったより多く絡んでる?」
「さて、な。どうだライラ」
「……駄目じゃ。近場にそれらしい気配が感じられぬ」
ライラは瞑目し、人差し指を立てる。
「飼い主殿。……ドラゴン体を晒してよいか」
「え?」
「少々手荒く、そこらの幻影を乱してやろう。なに、すぐに戻れば我らの仕業とはバレぬし、実害はない」
「乱すって……」
「幻影というのは特定の対象に認識の異常を作り出す。当たり前でないものを当たり前のように。動いているものを動かぬもののように。そこにないものをあるかのように。聞こえるはずのものを聞こえぬように。しかし、所詮は認識の問題じゃ。圧倒的な認識の暴威で殴りつければ、些細な嘘など保てまい。あらかたは消える」
ライラはそう言うと、星明りの下に漆黒の巨体を現出させる。
そして。
「ガアアアアアアアアアアアアアア!!!」
突然、吠える。
いつも女声で喋っているとは思えない、荒々しく、重く、低く、そして獰猛さに満ちた咆哮。
それが突然、穏やかな迷宮の湯を震わせて響く。
……明日はバスメイズの街、大騒ぎだろうな。
ライラは宣言通り、吠え終わるとすぐに人間体に戻った。
周囲の雌奴隷たちを見ると耳を押さえてしゃがみ込んでるのが大半。……まあ、獣人もエルフも耳いいもんね。
俺も正直鼓膜破れるかと思ったけどまあなんとか大丈夫だった。
「……それで、どうだライラ」
訊いてみると、ライラは相変わらず見事な裸体を堂々と晒しながら見回して。
「うむ。幻影はほとんど吹き飛んでおる。……ナリスも失禁しておるのう」
「いや、見つけたなら迎えに行こう?」
っていうかナリスはそりゃビビるだろ。不意打ちドラゴンボイスなんて。
「こっちじゃ。……飼い主殿もディアーネも、ついてくるがよい」
ライラが壁の上から先導して、俺たちはゾロゾロと移動開始する。
「……ここってさっき壁でしたよね?」
「マローネ、覚えてるのか?」
「ええ。……迷宮の地形って普通忘れませんよね?」
「……普通かどうかはわからないけど、俺は地図と順路板ないと歩ける気がしない」
マローネの指摘をディアーネさんに確かめる視線を送ると、ディアーネさんは頷く。
「確かにここに道はなかったな。私としたことが、幻影の気配にすら気付いていなかった。まあ……アンディの乳揉みに夢中だったせいもあるが」
「……すみません」
なんか謝らなきゃいけない気になって謝ってしまった。それはそれとしてミラさんのお尻は撫でてるんだけど。
「つまりナリスはトイレか何かに行こうとして、幻影壁に踏み込んでしまったっていうことかな。暗いから帰り道もわからなくなったとか」
「好奇心かもしれんぞ。ま、どちらでもよいが」
アンゼロスとアイリーナは後ろ。万一にもアイリーナは傷つけちゃいけないしな。
いや、俺も怪我したらみんな怒るから大変なんだけど、俺に関してはシャロンが担当してくれている。というかミラさんとシャロンで左右からくっついて、お尻撫でさせてくれている。
もちろん護衛しているとは言っても服を着直してなんかいないので、相変わらずただの露出イチャイチャ散歩状態。
今の俺の姿を他人が見たらどう考えても最低な変態金持ちにしか見えないだろう。いや、昼間からそうだけど。
そのまましばらく進んでいくと、いくつかの角を曲がったところでナリスの姿が目に飛び込んできた。
ローブを地面に広げて干し、自分は裸でしゃがんでいる。
「おーい、ナリス!」
「……ぐすっ」
シャロンの尻から離した手を振ると、ナリスは半ベソの顔をこっちに向けて石を投げてきた。
「うわっ、何する」
「いきなり何すんですかアンタたちは! 心臓止まるかと思いましたよ!」
「お前がいきなり行方不明になるからいけないんだよ!」
「こっちだってなりたくてなったわけじゃないですよ! あと人を助けに来たつもりならチンポブッ立てて女のケツ揉みながら現れんな馬鹿ー!」
石は何度も投げられたが、前にいたディアーネさんが苦笑しながら全部キャッチして横に捨てた。
「遭難したくてしたわけじゃないなら助けぐらい呼べよ」
「呼びましたよ! っていうかまあその」
ナリスは口ごもりつつ立ち上がり、壁上のライラを指差して背後を振り返る。
「……あれがさっきのドラゴンのライラさんです。概ね安全ですよ。このおっさんに危害さえ加えなければ、ですけどね」
「おまっ……」
おっさんってお前。いや、最近おじさん扱いされても否定していいものか迷う歳ではあるけど。
100歳オーバーのお前には言われたくない。
……そして、ナリスの見た先には曲がり角の陰からこっちを見る二人の知らない人間の姿。
「……ほ、本当? 適当言ってないよね?」
暗いのでよく見えないが、声は若い、というかちょっと幼い?
「嘘なんて言いませんよ。疑り深いですねえ。……なんだったらライラさんまたドラゴン化してみてもらえます?」
「ほ。なんじゃ、どういう話じゃ」
「……私、このあたりに踏み込んじゃってこの人たちに拘束されたんです。んで自分たちがここにいるのは秘密だから帰すわけにいかないって言われまして。押し問答してたらさっきのギャオーで」
「お前が勢いよく放尿してお開きか」
「仕方ないじゃないですか我慢してたんだし!」
ナリスはまた石を投げてきた。ディアーネさんがまたキャッチして捨てる。
「んで知り合いだって言ったらこういうことになったんですよ! 交渉役っていうか生贄ポジション!」
「ほ。生贄なら食わんと収まらんかのう」
「いやマジでやめて下さい想像だけで死ねますから!」
さて。ナリスの事情はわかったとして。
こうなったら挨拶もなしってわけにはいくまい。
「……俺たちはセレ……いや、トロットのポルカから来た観光客だ。俺はアンディ・スマイソン。アンタたちが何なのかは知らないがナリスを返してくれないかな」
「ち、近寄るな下郎!」
さっきの幼い声とは違う、少し厳しめの女性の声に止められる。
下郎て。
「ほ。先の話を聞いておらなんだか、女よ。……この男に敬意を払わぬとあらば、我も遠慮の理由を失うのじゃがな?」
ライラが驚くほどの勢いで飛び降りてきて、相手に指を突き付ける。
……普段なら鷹揚なものだけど、比較的お気に入りのナリスに手を出されたから少し怒ってるのかな。
「く……寄るな!」
人影は飛び出して剣を振るい、ライラを追い払おうとする。
ライラはその剣をこともなげにつまんで止め、剣をなおも振ろうとする彼女に対して、フリーのほうの手で火球を作ってみせる。
「少し焦げてみるかえ」
「待てライラ。いいから」
俺は仲裁に近づこうとして、ビクリと彼女がこちらを恐怖の目で見たことに気づく。
……ああ。
そういや俺、フルチンだよね。
しかも雌奴隷たちの全裸パラダイスで臨戦状態。
よほど慣れてる女じゃないと近づかれていい気はしないか。
「ライラ。一度離れて服を出せ。話はそれからだ」
バスメイズでアンゼロスが回収した全員の衣服は、ライラが幻影隠しで持ってきていた。
それを全員が纏う。俺も勃起ちんこをズボンに無理矢理押し込む。
「……抜いたほうがいいんじゃない」
「あいつらの前では無理」
勃起ちんこが盛り上がっているのを見たアンゼロスに提案されるも、うん。やっぱりさすがに人前で射精はマナー違反どころじゃないと思う。
そして一息つき、壁の陰にいた二人組、改め、謎の女騎士と少女に向き直る。
「さて、俺は名乗ったぞ。今度はそっちから聞こう」
「貴殿はこの集団の代表ということでいいのか」
「……まあ一応」
女騎士に言われて、アイリーナやディアーネさんに目を向けるが、どちらも「お前が話せ」というジェスチャーをしたのでそうする。
女騎士は小さく溜め息をつき、その隣の少女が口を開きそうになったのに被せるように声を張り上げる。
「あの、わた……」
「控えよ! こうべを垂れよ! このお方をどなたと心得る、セントガルド王国第三王女、ラン・ブルーライト様であらせられるぞ!」
「……えっ、ああ、そうなの?」
気合の入った口上に対し淡白に反応してしまう。
「貴様! なんだその不敬な態度は!」
剣を抜く女騎士。
「はいはいやめてやめて。死にたいんですか」
「は、放せ! いつの間に背後に!」
ナリスに羽交い絞めにされて、女騎士はすごく驚いた顔をした。
……拘束されたのにナリスは全然実力は悟られていなかったらしい。なんかそんな気がしてたけど。
(続く)
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