「さてと。今日はこの辺で休もうか」
 迷宮内の天窓がオレンジ色の光をさえ失い始めたのを見て、ディアーネさんが振り返る。
「もう少しいけるんじゃないですか?」
 セレンが首を傾げる。
 アンゼロスが溜め息をついた。
「……スマイソンさえいければな」
「ごめん」
 エルフ三人娘に対して謝る。
 一行のデッドウエイトは俺だった。
「アンディさん? 疲れたんですか?」
「うん……」
 そもそも体力の限界があるのか疑わしいディアーネさんはともかく、ごっつい黒の鎧を着て剣を提げたアンゼロスや、そもそも軍属でないセレンにさえ負けるのは甚だ男として恥ずかしいが、正直なところキツかった。足がパンパンだ。
「とりあえず、さっき40kmは過ぎた。今日の行程としては充分だ」
 ディアーネさんの特技のひとつに「歩いた距離をほぼ正確に計算できる」というのがある。昔、軍に入る前に地図作りをやっていた事があり、そこで身に付けたらしい。
 200年のうち軍属はまだ30年。昔取った杵柄として色々な技能を持っているディアーネさんは、その特技のいくつかを部隊運営にも役立てていた。
「このペースで本当に3週間で抜けられるんですか?」
「別に5週間までなら許容範囲だ、カリカリするなアンゼロス」
 ディアーネさんは巻物をひらひら振る。
 牛オーガの村にあった地図を書き写したものだ。


 もののついでに迷宮出口まで案内するというアイザックの申し出を、ディアーネさんは笑って断った。
 せっかくの里帰りの期間を、俺たちに付き合ったら往復でひと月半も無駄にしてしまう。
 方向感覚には自信があるから、マップがあるなら見せて欲しい、とだけ要請して、村秘蔵の迷宮地図を写し取って出発したのだった。
「アイザックが教えてくれた『正解ルートの見分け方』もなかなか重宝している」
「目印でもあるんですか?」
「いや、目印というより空気の見分け方だな。『正解ルート』は、つまるところ人が生活できる場所で、今も人が使ってるんだ。注意してよく見れば、魔物の痕跡より人の気配の方が多い」
「……どうやって見分けるんですか」
「その辺はこう、フィーリングのような……まあ、私にしかわからんかもな」
 ディアーネさんは苦笑する。
「オーガとダークエルフの共通点。闇を見通せるんだ。つまりこういう所の様子が普通の人間やエルフより細かく読める」
「なるほど……」
「この辺は魔物の気配はない。夜営にはピッタリだな」
 迷宮の中を流れる小川に手を晒し、その近くの小部屋に目星をつける。いざとなったら立てこもって戦えるようにだが、今まで魔物がルート上に現れたことはなかった。


 砂漠大迷宮は一種の生態系を形成していた。
 空気を清浄に保ち、地下水を全体に行き渡らせ、捕食される魔物、捕食する魔物を生成し、いくつもの隠れ里を何重もの欺瞞で守り抜く。
 生き物を守り育み、エネルギーや資源を活用して調和させるという意味では森に近い機能を持つ、壮大な仕掛けだった。
「本当にこんな迷宮、誰が作り上げたんだろうな」
「エルフにできなきゃドラゴンくらいしかないでしょう」
「やはりドラゴンなんだろうか……ここにもよく探せばドラゴンパレスのひとつくらいあるのかもしれないな」
「怖いこと言わないで下さい」
 夕食の準備をしつつ、そんな話をする。
 夕食は数日前にルート外からディアーネさんが獲ってきた、豚のような魔物の肉。牛オーガの村でご馳走として出てきたものだ。
 オーガたちでもてこずるというその魔物だったが、ディアーネさんの前では流石に強敵足り得なかったらしい。こういう形で行き当たりばったりに食料が手に入るのは実に旅にはありがたいが、やはり俺個人としては魔物というだけで抵抗感を感じてしまう。
「うう」
「駄々こねてないで食べろアンディ。疲れているのなら余計タンパクを取らないと。少しならともかく、続くと筋肉ごと細るからな」
 串焼きを前に躊躇している俺に、苦笑いしながら勧めるディアーネさん。
「なんなら口移しで食べさせてあげますよー?」
 そして隙を見ては俺に迫るセレン。
「や、やめろセレン、破廉恥な!」
「そうだぞ、抜け駆けするな」
 残り二人がセレンの裾を掴んで止める。ディアーネさんはアイザックがいなくなってこっちオープンになってきていて、アンゼロスが苦りきった顔をするのを気にもしていなかった。
「ぶぅ」
「勝負は正々堂々、夜につけようと言っているだろう」
「別に勝負とかどーでもいーんですっ。アンディさんが例えディアーネさんになびいても、私がアンディさんのモノなことは変わらないもの。そういうの抜きにして、もっとらぶらぶしたいだけです」
「ず、ずるいぞそれ! 私だけ敗北条件ありで勝利条件なしじゃないか!」
「ふふん。雌奴隷の特権ですよーっと」
 俺の両腕を引っ張りながら、きゃいきゃいといがみ合うディアーネさんとセレン。俺はその二人をとりあえず放っておいて、魔物の肉を前に脂汗を流して葛藤を続ける。
「ぬぅぅ」
 他の三人や牛オーガが平気で食っているのだ。大丈夫に違いないと思うのだが、逆に考えれば俺だけはただの人間でもある。
 牛オーガは闇を見通すオーガ族だけあって魔物の「気」に耐性はあるのだろうし、エルフ族は魔法を操れるのだからやはり悪い「気」に対して何らかの免疫があるのかもしれない。その彼らが大丈夫だからと言って、俺も安心するのは気が早いんじゃなかろうか。
 と、自分の中の生理的嫌悪に理由をつけつつも、俺が特に足を引っ張っている事実に責任感も感じる。
 肉を食えばすぐにスタミナがつくなんて都合よくはいかないだろうが、この肉を食わなければ堅パンと水とドライフルーツしかないのも確かだ。
 それでこのガタガタの足の疲労回復に充分かといわれると厳しい。少々無理してでも滋養のありそうなコレを食い、回復に努めるのも兵として、いや、男としての義務と言えるんじゃないだろうか。
「……く、食うしかねぇ……でも」
「全く……難儀なものだな」
 アンゼロスが俺の内心の葛藤を察してくれたのか、溜め息。
 おもむろに鎧の中に手を引っ込め、ごそごそもぞもぞして、スポンと手を出す。華奢な手の中に握られていたのは、トロット王国教会印の「祝福の塩」だった。
「お、おお、これはっ!」
 王国ではどこでも手に入る儀礼調味料だ。直接倒した狩りの獲物や長年飼った家畜など、ちょっと罪悪感がある動物の肉などを食べる際には、これを一振りすれば染み付いた念も浄化されるから大丈夫、という、王国人の食事の心強い味方だった。
「こんなのお前持ち歩いてるのか」
「別にいつも持ってるわけじゃない。……オフィクレードの市場で、雑貨に混じって売っているのを見つけて、ついつい懐かしくて買ってしまったんだ」
 ディアーネさんがスケスケの布を買っていた裏で、こんな地味なものを購入しているアンゼロスが実に頼もしい。
「これがあれば食えそうな気がしてきた」
「つ、使い切るなよ? 僕だって苦手なものにはそれかけると食べられることが多いんだ、大事なんだぞ」
「うんうん。そうだよなあ」
 しゃかっと振って、もぎっと食べる。おお、なんだか抵抗なく食える。
「……な、なんだか同郷人同士の絆に負けた気がする」
「うぅ、ポルカじゃ自給自足だったから食文化とか知らないです……」
 左右の二人はなんだか打ちひしがれていた。


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