「君は、誰だ?」

 アンゼロスの硬い声が森と水面に吸い込まれる。
 セレンの瞳は敵対者を見るそれに変わっている。
 数秒前までは肉感的でいやらしくも見えたその裸体が、今はすぐにでも襲い掛かろうと力を溜める、猫科の禽獣の筋肉に見える。
「聞いて、どうするつもり?」
「僕はスマイソンの友人だ。その必要があるなら剣を抜く。それだけだ」
 緊迫感が増す。この緊張がひとつの点を超えたとき、どちらかが傷を負うことになる。その予感が鋭さをもってこみ上げてきた。
「く……」
 アンゼロスは、強い。人間の正兵25人分以上の戦闘力を持つのがエースナイトだ。
 最も如実なのはその卓越した攻撃力であり、本気でやればセレンは一瞬であの柔らかい肢体を引き裂かれてしまう。
 もしもそれに対抗する力がセレンにあったとしても、やはり惨死するアンゼロスなど見たくない。二人の惨死の想像に吐き気がこみ上げてきて、俺はふらりと横の木に手をつき、
「!!」
「っ!?」
 その僅かな木の揺れが、セレンに感づかれ、アンゼロスに焦りを生じさせて一瞬の隙を作った。
「てぇいっ!!」
 セレンが身を素早くかがめ、両の手で水面を撫でる。いや、斬る。
 その掌が通った下から、まるで吹き出すように水しぶきが舞い上がる。
「っく!?」
 一瞬反応が遅れたアンゼロス。一歩下がる間に水しぶきは視界を真っ白に満たし、一種の煙幕を作り出した。
「魔法か……ちぇえいっ!!」
 シュ……パァァァァァァァッ!!
 アンゼロスはステップを踏み、コンパクトに身体を一回転させながらショートソードで虚空を両断。
 その剣の軌跡が一瞬の間を置き、拡散。霧に満たされた空間を一気に引きちぎる。
 この間、アンゼロスが錯乱しながら放った水柱の剣と同じ技だ。エースナイトの剣圧は文字通り虚空を叩き斬り、離れた敵を弾き飛ばす芸当を可能にする。
 そして、その剣に薙ぎ払われた視界には……もうセレンはいない。
 当然か。当然だ。
 普通に考えてアンゼロスを倒すのは難しい。倒しても立場が悪くなるだけで決して意味はない。ならば逃げるしかない。
 しかし、逃げてどうするのか。
 どこへ行く? 次に何をする?
「……スマイソンッ」
「アンゼロス。すまない」
「いや、僕こそ少し早まった。もう少し落ち着いて訊くべきだった」
 本当にすまなそうな顔をするアンゼロス。
 最初から揺るぎない考えの元、落ち着いて詰問していたように見えたが、もう少し穏やかにやる気もあったのだろうか。
「……とにかく探そう。これじゃあ何も意味がない」
「ああ。俺は隊舎の方にいってみる」
「気をつけろ。いや、一緒に探そうか?」
「それじゃあこじれる。……それに俺は、セレンを結構信じてるんだ」
「そうか……わかった」
 アンゼロスと別れて、林の中を駆け出す。少し寂しそうなアンゼロスに気を使ってもよかったかも知れないが、とりあえずはセレンのことで頭が一杯だ。

 どういうことだ。
 何がどうなってる。
 俺は……俺には、やっぱり何もないんだろうか。
 実は彼女との思い出も偽物で、彼女の存在も偽物で、本当は俺は拠り所のない孤独な半端者だということなんだろうか。
 そう思うと、胸の奥が痛痒くて仕方なかった。


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