「だから、あなたたちと共には行けない!」
銀色の竜はそう言い置いて、大きな翼で大気を打ち据え、岩山の頂上をその強靭な脚で蹴り下ろす。
彼女の名はレイラ。
そして、黒竜ライラはそれを受けて、抱えていた主と親友、そして従僕となった友を後続のマイアに任せて空で迎え撃つ。
「ディアーネ。……二人を任せるぞえ」
ドラゴン同士。
そして、主の世界最後の守りと自ら定めた者同士。
共感を胸に秘めながら、そして、我こそは最強という誇りを燃やしながら、黒竜ライラは咆哮を上げ、斜め下から躊躇のない速度で上昇してくる銀の巨体に、己の黒の巨体を叩きつけた。
「……夢、か」
ライラは小さく呟く。
ドラゴンは眠らない。眠る必要はない。
他種族の多くはそう思っている。そしてそれは事実に近い。
寝なくても生活に支障はないし、立ったままでも座ったままでも、空を飛びながらでも眠れる。
眠る時間もそう長くは必要ない。眠っても短ければ数分、長くても一時間としないうちに覚醒してしまう。
睡眠欲という欲求ですることではない。それは人で言えば「ぼーっとしている」のに近い感覚かもしれない。
だが、それはドラゴンにとっては己への探求として大切な事でもあった。
現世のどんなものよりも強く、思いのままにならないことはない。そう言えてしまうほどの力を持つドラゴンにとって、闇に意識を委ね、その先にあるものを感じることは重要なことなのだった。
夢を見るもまたひとつ、見ずに我が身から自我の消失した瞬間を感じるのもまたひとつ。それは己というものの価値を客観するために、密かに重要な過程とみなされている。
「己の輝かしき活躍を懐かしんでおるのか……我ながら、まだまだ浅ましいのう」
激しい衝突に双方の鱗が砕け、舞い散る。
人間の力では傷をつけることすら難しい竜の鎧は、ドラゴン同士の衝突では大した防護にはならない。
しかしその下には想像を絶する力を秘めた筋肉、そしてそれを支える骨、何よりもそれらを見る間に再生する驚異の治癒力。
ドラゴンという生物の強さの中では、鱗など一端でしかない。
衝撃で跳ね飛ばし合う二頭。
ライラは球が地に跳ね返されるような形で再び上空へ、レイラは重力の分、真下方向へ。
空中戦では上から襲う方がやはり有利。しかし、レイラは承知の上だ。
「小癪な」
かろうじて地への衝突は免れた銀竜に対し、ライラは容赦なく急降下で襲う。
肉体の頑丈さでは火竜である自分に分がある。それに対して、覚悟を示すためとはいえ下で迎え撃つとは愚かな。
ライラはその苛立ちを叩きつける。
レイラはその重撃を、あえて墜落の速度をギリギリまで保ち、地面スレスレを滑るように飛びながら地を蹴ることで回避。
黒竜の爪は岩山の山肌を深々と抉る。しかし。
「それで引っ掛けたつもりか」
ライラは地に突き刺した爪を支点に、体全体を半円で振り回して着地、即座に獣の敏捷さで駆け出して、飛びながら地を使ったことでフラつくレイラを逃さず、飛びついて今度こそ地に叩きつける。
急加速なら当然、柔らかな大気を押して飛ぶより大地を蹴る方が速いのだ。
もっともライラ以外のドラゴンでは、急に空行く鳥の感覚から地を行く獣の駆け出しへは移行できなかったかもしれない。
「捉えたぞ」
「まだです」
レイラは四足を突っ張り、跳ねて再び空へと舞い上がろうとする。
しかしライラはその尾を掴んで、翼を畳んだまま自らに巻き付けるように横回転、銀竜を再び地に打ち付け、押し潰して乗り越える。
60メートルもの巨体が二つ格闘する荒野は、その衝撃で震え続けている。
ライラの二度にわたる叩きつけも、しかしレイラにはまだ有効な打撃にはなっていない。
回復力に優れるドラゴン同士の戦いは、二度や三度深手を負わせたくらいでは終わらない。深手にすら至っていないこれは小手調べに過ぎない。
「威勢よく飛び立っておいて、いざと臨めば逃げるばかりか」
「まさか。……黒竜よ、我が主のために墜ちてもらいます」
「ほ」
レイラは尾を自切した。血を振りまきながら銀竜は逃れ、今度こそ体勢を立て直した彼女は尾を再生しながら力強く空に飛び立ち、ブリザードブレスを吐く。
「ぬぅっ」
ドラゴンには同属のブレスは効かない。しかし火竜のライラにとって反属性である氷は、普通の種族よりは耐えるものの、効かないというわけではない。
見る間に凍結した手足に力が入らなくなっていく。普通の種族ならそれどころではない。あっという間に体組織がボロボロにされてしまうほどの冷気だ。
が、それは互いに同じこと。
「なめるな」
ライラは呟き、己の炎を開放する。
その口から吐き出した炎は、急激に凍結した世界を膨張、爆発させる。
大気中から一瞬で凝結した水分が灼熱地獄で再び蒸気に変わり、二頭のドラゴンの間の空間は真っ白な煙幕に包まれる。
凍結されたことのダメージはただ温めるだけでは消しきれないので、ライラはその回復には自らの体力を注ぎ込んで補いつつ空のレイラを追う。
レイラは今度は上を取る。
氷竜は飛行力に優れる傾向がある。空で充分な体勢を取れればライラに負けないと踏んだか。
だが、ライラは追いながらそれを嘲笑う。
「このライラをただの火竜、ただの黒竜と思うたか」
氷竜が空に強いとされるのは身体能力の問題ではなく、風の流れや大気の変化を感じ取る知覚力が比較的優れているからだ。
それは長距離を飛ぶには大切な能力であり、僅かな差が積もり積もって大きな差になっていく。
しかし、ただ速く飛び、身を捌くだけならそれは別の話だ。
ライラは己に強いて速く飛び、レイラの動きを上回る。
「くっ」
「少しでも小賢しく立ち回り、勝とうという意志は称えよう。じゃが」
ライラの爪の一撃がレイラの腹に突き刺さる。
「竜の竜たるは暴力ぞ。己の本分でもってまかり通り、不可能をねじ伏せるだけの狂熱なくして、どうして無理が通せようか」
「知ったようなことを」
「我は奇跡を見てきた。見続けてきた」
レイラの反撃をもライラはその身で受けながら、さらなる一撃を叩きこんでダメージを与える。
地に落ちる前に互いに分かれ、血と鱗を振りまきながら、傍から聞けば咆哮にしか聞こえない竜同士の会話を続ける。
「ただの偶然ではなく、奇跡と呼ぶだけのものを引き寄せるには、それでは叶わぬ。覚悟してなお、己を超えられぬ程度では」
「奇跡などでなくていい。私は……私ができることは」
「我は奇跡を起こす。我らは奇跡を起こす。そなたがどうあろうと、アンディ・スマイソンに従って」
再び、両者はぶつかり合う。
まっすぐ、同高度、真正面から。
そして、その時にはっきりと力の差が表れる。
黒竜のパワーに銀竜ははっきりと押し負け、弾き飛ばされていた。
「己の運命に殉じるというならば、それもよい。その程度の者は決して我には敵わぬ。楽な戦よ」
「言わせておけばっ」
レイラは体勢を立て直し、傲然と滞空する黒竜に抗う。
石造りの家屋などたやすく吹き飛ばす爪を振るい、馬も一飲みにする牙で食らいつき、ライラを地に墜とそうと奮戦する。
だが、ライラの爪の方が早く突き刺さり、牙での噛みつきは固めた拳で打ち上げられ、至近距離からファイヤーブレスで顔を焼かれて怯んだところに、ライラの縦回転の尻尾の一撃がレイラを再び地まで打ち落とす。
銀竜が地を揺るがせて跳ねたところに、ライラは空中から加速して降下、両の後ろ脚でレイラの首と脇腹をえぐり取るようにストンピングを決める。
しかし、それでもレイラはその傷を治癒しながら起き上がる。
「まだ……まだ、引けはしない」
「よいじゃろう」
瞬時、離れ。
レイラはがむしゃらな疾駆から前足を軸に体を投げ出す跳躍、ライラに向けて斜めに尾を振り下ろす攻撃を放つ。
それをライラは体当たりで迎撃。銀竜の体が浮いて地を転がる。
「次はこちらじゃ」
ライラは転がった銀竜を追い、そして彼女に倣って尻尾攻撃。真横に振るった一撃はクリーンヒットし、レイラはいっそ小気味いいほどに跳ね飛ばされていく。
それでも。
それでもなお、レイラは起き上がり、黒竜に挑む。
攻撃が通じないわけではない。届かないわけではない。
それを頼りに。
まるで祈るように。
「……あるいは、あれはあれで……竜として興味深い生き様と思うてしもうたものか。いや」
ライラは頭を掻き、そして周囲を見渡して微笑んだ。
「所詮は戦いなどつまらぬ本能じゃな。今の方が良い」
己の飼い主に抱かれて幸せそうな女たちの姿。
ふと、あの竜はこの悦びを知っているのだろうか、と思いを馳せた。
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