トロット王国北端の町ポルカは、短い夏を迎えている。
 青々とした草原には羊の群れが訪れ、羊飼いたちは霊泉で一息つきがてらに、変わり始めたこの町の姿に驚嘆の声を上げている。

「いらっしゃいませー……あ、ジャンヌさん。今日は何かご入用ですか?」
「縫い物の練習で子供用のスカート作ってみるだ。手ごろな値段で見目のいい奴ねえだか」
「縫い物の練習……ジャンヌさんって器用だから服も縫えると思ってました」
「接ぎ当てだったら何度かやったことあるだ。でもイチから服を作るのはまだ経験ねえだよ。ベラばあちゃんが教えてくれるっていうんで、やってみることにしただ」
「ああ、産婆の……でもスカート? ピーター君用でなく?」
「エレニア用だで。それに、仕立て方さえわかれば、アンディ周りの服の需要は女の方が多いだよ」
「大人のみんなの分も作るんですか……? 鍛冶屋じゃなくて仕立て屋さんになっちゃうつもりですか?」
「そこまで考えてるわけではねえだ。でも、できるに越したことはねえ。セレンやアップルも子守りを交代してくれるおかげで、時間はたっぷりあるでな。技能を磨くだよ」
「はー……私も負けてられませんねえ」
 ジャンヌとオレガノが仲良く在庫を検めながらお喋りしているのを、通りすがりの羊飼いがギョッとした顔で凝視する。
「……こりゃあ……ドワーフとエルフが人間の街で仲良くお喋りとは、珍しいもん見たな」
「あ、いらっしゃいませー。急な雨にそなえて防水布のマントいかがです? 少し値は張りますが、北の森で織られた高級布で、軽くて柔らかくて撥水性抜群。土砂降りでも染みてこないんです。それでいて蒸れない。同じ素材の帽子なんかもありますよ」
「あ、いやあ……なんだ、えーと、最近はエルフの工芸品も手に入るとは聞いてたんだけど……俺なんかに売っちゃっていいのかい?」
「シルフィードを始めとする大商会には別口で卸してます。……ここはエルフの直売所とかじゃなくて、普通に地元の人間族のお店で、私はただの雇われ店員ですから。お代が頂けるならお客様の選り好みはしませんよ♪」
「なるほど……それにしても、ドワーフまでフレンドリーに入れちゃうとは」
「ジャンヌさんは家族みたいなものですから」
「家族……?」
 羊飼いは「何を言っているのかわからない」という顔をした。
 一般的にはそんなものである。エルフとドワーフと言ったら、互いに蔑みあうものだ。
「ドワーフに対して愛想のいいエルフ」というだけでも珍しい。さらに「家族」なんて平気で言われると、それはもう林檎を指差して魚と呼んでいるような事態である。
「世間ではそんなもんだなや。特にトロットは人間以外の種族を偏見で見がちだで」
「んー、残念ですよね……。みんな仲良く暮らすに越したことはないですし、個人同士で深く理解すれば、種族の仲の悪さなんて持ち込まなくて済むのに」
「まあ、アタシも人のことは言えねえけど。ライラ姉様やアンディに連れ出して貰わなかったら、エルフに変に割り引いた考え持ってなかったとは言えねえだよ」
「それを言ったら、ご主人様が森で活躍してくれなかったら私たちなんて……」
「つくづくアンディはえらい男だなや」
 雌奴隷同士では、よくこうしてアンディの偉大さを確認するような会話をする。
 本人がどこまで理解しているのかは知らないが、彼に環境を、そして人生を丸ごと変えられた者は多いのだ。
 特にエルフ領が外に向き始めたことは、まさにアンディの介入なくしては決してありえなかった。永遠に続く曇り空に裂け目を入れたようなその出来事は、本人がどう思おうと、森のエルフたちにとっては世界を変えたと呼ぶに相応しい功績だ。
 そんな相手と近しくなれたことは、エルフたちにとっては神話に足を踏み入れたようなもので、どれだけその素晴らしさを語っても誇らしさが褪せることはなく、また他の雌奴隷たちも、それを聞いて彼を慕う気持ちを新たにする。
 まるで自慰じみた行為ではあるものの、それを共有することで結束は強まっている。
 そして、それによって彼女らの間だけの意識が、ポルカ住民や来訪客、そしてアンディ自身の認識とだいぶ乖離し始めているのだが、元々余人に理解されようのない雌奴隷という肩書きは、その乖離がどれだけ広く深くなっても特に問題にならずに済まされてしまう。
 おかげで、ポルカではアンディがいない時間があればあるほど、アンディに心酔し、常識外の行為に抵抗を失っていく娘が増えていく……一部に言わせれば「雌奴隷の調教が進む」という、よくわからない傾向が生まれつつあった。


 ところ変わって男爵邸。
「…………」
「……ね、ねえ……セレン? えっと……なんか最近、変……じゃない?」
「…………んー」
 ピーターをあやすアップルは、同じようにエレニアをあやすセレンのおかしな視線に耐えかねていた。
 最近、セレンがアップルのことを真顔でじっと見つめる……観察する、と言うべきか。そんな視線を送ることが多くなっていた。
 セレンとの付き合いは相当に長いアップル。セレンが実は非常に素直な人物だということは彼女も心得ている。
 人を煙に巻くような技能も話術も持っているが、セレンは基本として、それを日常で使うことはない。
 元々嫌な相手からはすぐに離れるし、伝えたいことはストレートに言うのだ。ごく一部の仲間以外を徹底して軽視している……というか、「この相手にはもう労力を割く必要はない」という決断が早い。ハーフエルフゆえに虐げられ、軽んじられてきたため、付き合う価値のある相手や事柄、というのを見分けることに長けているのだ。
 社交辞令のような率直さに欠ける部分は徹底して省略する。
 礼儀を知らないわけではない、というか、やらせてみればあらゆる作法を身につけているのだが、必要なければ全く無視する。
 だから、彼女がアップルをじっと見つめていることには、ただ意味もなく何かを言いあぐねている、なんてことはまずない。何か特別の意味があるはずなのだ。
 しかし、心当たりがない。
 いつものようにピーターはアップルの乳首を咥えてご満悦だが、ピーターが原因ではないだろう。セレンがアップルを今のような表情で見るようになったのは数日前からだ。
 しかし、セレンは何も言わない。
 こうまでセレンがはっきりしない態度を取るのは珍しい。もしかして何か……よくわからないが深刻なことを疑っているのではないか、とアップルは不安になる。
 セレンは自分もエレニアに乳を飲ませながら無表情で「んー……」と唸っていたが、ややあって視線を外し、そして呟くように言う。
「アップル。……昔、アンディさんとエッチなことしてた時って……結構いろいろなところでやってたよね?」
「え? う、うん……そう……だった、かも?」
 急に振られた話の意味がよくわからず、アップルは曖昧に答える。
「猟師小屋以外にも、温泉の裏手とか、森の茂みとか……よく考えたら、なんであんなところでやって、気づかれなかったんだろうね。下手したらアンディさんのおちんちんしゃぶってるところ、通りがかりの人に見られてたかも」
「え、でもその頃にはセレンが治ってたから、こっそり魔法で隠してくれて……」
「…………」
「セレン?」
 またセレンがアップルに視線を向ける。
 そして、しばらくして。

「……アップル。……あなた、記憶……戻ってるよね? なんでそのこと、知らない振りしてるの?」

「!!」
 アップルは硬直する。腕に抱いたピーターがおっぱいに押し付けられ、んぶぅ、と変な声を出す。
 慌てて気づいて手を緩めるも、ピーターは幸いなことに特に泣き出す気配はなく……いや、「巨乳を顔全体で堪能! そんな楽しみ方もあるんだ!」と天恵が降りたような顔をして、おもむろにまた顔を全力で押し付け、んぶぅ、と変な声を出した。
「な、何やってるのピーター君っ」
「アップル。……誤魔化さないで。いつ、記憶……戻ったの?」
「…………」
 アップルは小さく嘆息した。
「……そんなに、前じゃないの。アンディさんとカールウィン王国で冒険してる最中……んーん、それよりしばらく前から、なんかぼんやり……あ、なんか変な気持ち、って思うことがあって。思い出せそうで取っ掛かりが見つからなくて消える、あの感じ」
「……それが、カールウィンで?」
「……うん」
 こくり、とアップルが頷く。
「みんなが諦めそうな時に、アンディさんの真似しなきゃいけなかった時があって。……アンディさんの真似して、みんなを励まそうとして……その時に、アンディさんがなんて言ったか思い出そうとして、一生懸命考えてたら……パッと、アンディさんの子供の頃の姿も思い浮かんで」
「……それ、どうして言わなかったの?」
「わかんなかったの。それが本当の記憶なのか、妄想の類なのか……大筋のところはセレンからも聞かされてたし、その知識で記憶を捏造しちゃったのかも……って、思って」
 でも、とアップルは続ける。乳房にぐりぐり顔を押し付けて、新しいおっぱいの堪能の仕方を存分に試すピーターに苦笑しながら、その頭を撫でる。
「だんだんと、前後がはっきりしてきて……聞いたことのなかった記憶とか、前後のつながりとか……そういうのも蘇って。なんでなんだろ、って思ってたの。私はアンディさんを知らなくて、記憶がなくなってることを承知の上で、それでもアンディさんは私のことを欲しいと言ってくれて……私は新しい私として、アンディさんをまた好きになる。それで解決したのに、なんで今さらそんなの出てくるんだろう、って」
「……きっと、それは……」
 セレンは、解釈を与えようとした。
 それはきっと、アップルが心の底ではアンディを好きになりきれていなかったからだ、と。
 セレンがそういう生き方をしたいといっている以上、セレンに追従し、一緒に雌奴隷となり……そうして生きていくしかない。アップルには、実は選択肢はなかった。
 雌奴隷となったのは、アンディに感じていた想いの残滓が反応したのもあるだろうが、その覚悟を決めただけだったのだ。
 一度アップルはそれを決めている。それをもう一度決意しただけだった。
 アンディの子供時代は正直、大していいところのない子供だった。それでも依存して未来図を描けば、それはそれで幸せな光景が思い浮かぶ。根無し草のハーフエルフには充分な幸せが。
 それをもう一度認識して承服したのが、雌奴隷契約であり……アップルを懸命な奉仕に駆り立てたものだった。
 しかし、アップルが彼と極限状態の旅に同行し、その役に立とうと奮闘し、心底から彼の強さと美点を認めた時……きっと、それまでアップルにとって夢同然の断絶を感じ、実感を持つことが出来なかった記憶が、ついに繋がったのだろうと思う。
 だが、セレンはそれを説明しようとして、やめる。
 野暮だろう。「何故お前が相手を愛しているのか」なんて、したり顔で解説されるのは。
「……それ、アンディさんに話してあげたら、今よりも大事にしてくれるんじゃないかな」
「……なんだか自分が二重になったみたいで、ちょっと納得いかないの。新しくアンディさんのことを好きになった気持ちと、昔アンディさんに執着してた気持ちと……どっちも強いけど、どこか噛み合ってないみたいな。……同じ人に恋をしているのに、理由が違う『好き』が、独立して同居してる……そういうのって、わかる?」
「……ごめん、難しいかも」
 想像はできるが、共感は難しいだろう。一人の人間に対して、乖離した二つの、よく似た気持ち。
 アップルは人知れず、それを抱えていたのだった。
「……セレンには、わかっちゃうのね、そういうの」
「んー……なんか戻ってきてから、少し雰囲気が違うかな、って思っただけだったの。それはすごい旅だったせいなのか、それ以外なのか……どっちなのかわからなくて、ずっと迷ってたんだ」
「もし、思ってたのと違うんだったらどうするつもりだったの?」
「……ただ、正体を知りたかった。かな」
 セレンは苦笑する。
 これもまた、寂しがり屋のハーフエルフの性分か。
 親友をどうしようと思っていたわけではない。ただ、なぜ変わってしまったのかを納得したかった。
 そのために彼女を不安がらせてしまっていたことに今になって気づき、私もまだまだかな、と自分の頭を小突く。
「……アンディさんに、いつか話せるといいね、そのこと」
「……ん。いいことなのかどうなのか、わからないけれど」
「きっといいことだよ」
 二人は赤ん坊を抱えたまま、穏やかに、互いの疑念と嘘を許し合うように笑いあった。

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