王国教会ポルカ寺院。
 小さいながらも百年を超える伝統を持ち、この小さな町の知恵と娯楽のほとんどを受け持つ重要な施設である。
 と説明されると大抵の人は「ポルカの娯楽って酒と温泉じゃねーの?」と言い出すのだが、酒をそんなに楽しみにしているのは一部の親父どもだけである。温泉も庶民の生活に溶け込んではいるが、第一の娯楽ではあり得ない。たまに温泉さえ入っていればそれだけで人生は最高だ、などと言い出す物好きもいることはいるが、普通は疲れた体を労わり汚れを洗い落とすのが風呂の役割であり、特別の霊験を持つポルカの霊泉でもそれは変わらない。これを最大の娯楽と言ってしまうのは「睡眠こそが最高の娯楽」みたいな話であり、普通に考えたらなんとも物寂しい話だ。
 そうではなく。
 ポルカの各種の祭りを主催し、音楽や歌、踊り、あるいは国中で蓄積された説話などを絶えず町の人々に伝えるのは教会寺院の役割である。
 都会においては、既に寺院というのは「冠婚葬祭のための施設」という認識に移り変わり始めていたが、この素朴な時代、素朴な町において、寺院とはそういう「楽しい」ものだった。
 が。
「…………」
 その寺院において先日から臨時の教師を勤めることになった金の氏族のエルフ・ローリエは困惑していた。
 子供たちに算数を教えるのがローリエに任された役目である。なかなか真面目に学ぼうとしない子供たちに手を焼かされてはいたが、その低身長による親近感の賜物か、あるいは彼女の一見想像できない「鞭」による効果か、教えたことの覚えがいいというので司祭や保護者に好評なのである。
 が、その席に子供でないものが最近混じり始めている。
 我が子の授業風景を眺める大人だったら別に困惑などしない。実際仕事のついでに十分ほど眺めていく親は結構いる。その親に怒られないよう、褒められるよう子供たちが居住まいを正すのは教える側にとっては歓迎すべきことだ。
 そうではなく、アゼルとリゼルの猫姉妹が授業中の最前列に何故かいるのである。
「……ねえ、あんたたち」
「?」
「にゃ?」
「なんでここにいるの? 確かシュナイダーさんの宿屋で仕事あるでしょ?」
「おねーちゃんがだいたいやってくれるからだいじょぶにゃー」
「ねー」
「……えーと。すごく言いづらいんだけど、正直ちょっと邪魔」
「えー」
「いいじゃんー。ローリエのお話面白いしー」
「別に面白い話をしてるつもりはないんだけど……これは子供向けの勉強で、あんたたちにとっては何の意味もないし」
「?」
「知らないことばっかりだよ?」
 派手な茶虎猫の色の髪を揃って揺らし、不思議そうにするアゼルとリゼル。
 それを聞いて後ろにいた子供たちが騒ぎ出す。
「マジかよー」
「猫獣人って結構おばか?」
「ばかってゆーな! こーゆーの教えてくれる人いないんだもん」
「知らなくても砂漠のコロニーだと狩りができれば生きてけるし!」
「えー、いーなー。オレも砂漠に住もうかなー」
「アンタ狩りだってできないでしょ」
「うっせ。こんなばか猫たちができるんだからオレだって」
「ウチのコロニーでは迷宮で狩りするけどねー」
「油断してると時々死ぬよー。魔物相手だし」
「…………」
 あっけらかんと砂漠の現実を教えるメイプル姉妹に、ナメたことを言った少年は蒼白になる。
 魔物というとこの辺ではマッドウルフである。馬のような体躯の狼が町の中に侵入してくることも以前は何度かあり、その恐怖を知っている者にとっては正気の沙汰ではないのだった。
「そこまでそこまで。もう、聞いててもいいけどもっと後ろで聞いて。子供たちの方が頭低いんだから」
「にゃー」
「にゃー」
 少し不満そうにしつつも席を移る猫姉妹。
「なーなー、そういや猫獣人ってみんなあのドスケベアンディにエロいことされてるって本当?」
 近くの席に移ってきた猫姉妹に、さっき蒼白になった少年はすぐ立ち直って小声で不埒な質問をする。
「みんなじゃないよー」
「バーバラはしてもらってないってー」
「……そいつ以外は?」
「んー、どうだろ?」
「あたしたちはしてるけど」
「こら、そこ! 授業中に変な話しない!」
「……なー、ドスケベアンディとやってるんならいいだろ? 後でオレにもちょっとおっぱい触らせてよ(←小声)」
「だめ」
「ご主人様はご主人様だからいいの。あんたばかばか言うから嫌い。ママのおっぱいでも触ってれば」
 少年の邪なお願いににべもない猫娘たち。少年は面子丸つぶれで真っ赤になり、周りの子供たちはプッと吹き出す。
「いーかげんに……しなさい!」
 ローリエの投げたチョークが猫娘と少年の額でスカーンと炸裂する。
『いったー!?』
「ぐおおお!?」
「エロ話ならあとでやって! 今は算数!」
 腕の一振りで三連射。妙なスキルが発達してきているローリエだった。
 ちなみに、猫獣人コロニーとの交流が増えるにつれて初等教育の必要性は増して行き、結局ローリエが彼女ら向けの私塾の教師をすることになるのは、もっと先の話である。


「声をかけるも何も、ジャンヌさんやセレンさんは満足に行動できないのでは……」
 フェンネルが困ったように言う。
 ジャンヌはまだともかく、重そうな腹を抱えるセレンに大工仕事などさせられるはずもない。もし身軽だったのならいかにもやってしまいそうではあるが。
「アタシは時々ピーターにおっぱいあげないといけないだけで、別に力仕事自体できねえわけじゃねえだぞ」
「大工仕事はできませんけど、簡単な設計ならできますよー。必要な材木の計算とかも。それに一日でやらないといけないわけじゃないし、本格的には産んだ後にお手伝いすればいいんですから」
「それもそうじゃな……」
「いつの間にやらもういつ産んでもおかしくないものね」
 アイリーナとクリスティは顔を見合わせる。
「手が足りないのなら猫のマローネさんとかミリルさん呼べばいいですし。それになんとなくイメージで除外してますけどオレガノさんやセボリーさんも大工仕事できなくはないんじゃないですか?」
「そうかしら……」
 フェンネルは難しい顔をする。
「金はもともとそういう職人の多い氏族って聞きますよ」
「確かに多いですけど、あの子達は特に跡取りというわけでもないですし……」
「何、やらせてみたら良いではないか。できないとなってもジャンヌの担当分が増えるだけじゃ」
「それはそうかも知れませんけど」
 不安がるフェンネル。クリスティから椅子を譲られたセレンは大儀そうに腰を下ろしながら、そんなんじゃ駄目ですよ、と少し訳知り顔。
「こういうのに限らず、専門の人がいないっていうなら何でもやってみるもんですよ。苦手とか専門外とかって一見まともな言い訳に思えますけど、人にやらせるアテがあるってこと自体すごく恵まれてて、甘えてる話です。必要なら下手でも未熟でもやってるうちに身につくものですからね。適材適所なんて人が有り余ってる時だけの格言ですよ」
「さすがにセレンが言うと説得力があるのう」
「ほら、アップルだってやらなきゃいけなくなったら色々できるようになってるじゃないですか。だからちょっと頑張ってみたらいいんです。大工が男の領分だなんて理屈はありませんし、力が必要なところはジャンヌさんやブルードラゴンの人たちに頼んだっていいんです。出来上がりに不満があったら、また建て直したっていいわけですし。長命種なんだからいくらだって練習の余裕はあるじゃないですか」
「……そうなのかもしれませんね。エルフの数が減っていると言いながら、私はまだ集団の理屈でものを考えすぎていたみたいです」
 フェンネルが認める。
 クリスティは感心したようにセレンをしげしげと見た。
「やっぱり人を扱う考え方が違うわね、セレンさん。人を率いるようになってから、適性と人数に目を奪われがちになってしまうのだけど」
「それはエルフが安定と長命の中にあるせいで、どうしても視界狭窄しがちなだけですよ。誰でもやってみれば結構なんだってできるし、何もかもベストである必要はないんですから」
 セレンの言葉にジャンヌは腕組みをして(ピーターはセレンに預けた)頷く。
「んだ。アンディの雌奴隷になって、エロいことやったことない娘でもアンディに求められて褒められて、自分が今まで思ってた自分だけじゃないって思うはずだで。そういうの、まるで生まれ変わったみたいな気分って言い出す娘も多いもんだが、結局自分の得意にすがりっぱなしになっちまうのはうまくねえと思うだよ。いい機会なんだから、アンディのためにできることを少しでも多く挑戦してみるのがええと思うだ」
「温泉小屋作りもそうですし、エッチの内容もそうですよねー」
「なんもかんも、アンディのためだと思えば新しい手習いを始めるのも苦にならねえと思うだよ。大工仕事も鍛冶仕事も、エロい技も、いつか自分の憧れのプレイに繋がるもんだと思えばええだ。……アタシはそういう専用温泉ができたら温泉当番プレイがしてえだな」
「む、温泉当番とな?」
「一日温泉で待機してて、アンディが温泉でちょっと浸かったらおもむろにチンポ入れて、満足したらまた温泉で休んで……って、備品みたいに使われてみてえだ♪」
「ご主人様がいつも温泉でやってることではないでしょうか……」
「意外と温泉でははっちゃけられねえから結界牢以外ではやれねえシチュエーションだで」
「私は一晩中気兼ねなしのスローセックス入浴ってしたいですねー。腰とか激しく振らないで、ずーっとおちんちん入れっぱなしの♪」
「ふーむ。そういうことならわらわも……や、やってみたいのう」
「私は……お酒のお酌をしながらオチンポ汁をご馳走になるお月見風呂とか……やだ、ちょっとはしたないかしら」
「今さらかクリスティ」
「クリスティ様に骨抜きにされるアンディさんが目に見えるようですね♪」
 わいわいと盛り上がりながら、男爵邸の午後は過ぎていく。


「マローネちゃん。気を悪くしないで聞いて欲しいんだけどね」
「はい?」
 そのころ、母マリーの家ではマローネとオレガノが「おふくろの味」の習得に向けてマリーの料理の手伝いをしているところだった。
「あなたみたいないい子なら、アンディみたいなロクデナシよりずっといい男がつかまると思うのよ。だからその……雌奴隷とか変な遊びはやめた方がいいんじゃない?」
「えっ……」
「獣人が月の満ち欠けで、人間族よりすごく性欲強くなるっていうのは聞いてるのよ。種族特性とはいえ、そんなにはしたなくなっちゃう期間があるっていうのなら。少し引け目になるのもわかるわ。でもね、だからってドレイ、そう奴隷なんて自称することはないと思うのよ。アンディは馬鹿だからヘラヘラ乗っちゃって、それを十人も二十人も広げてるらしいけど……周りがそうだからってマローネちゃんまで同じにすることないのよ? こんな控えめで可愛らしくて一生懸命な女の子、それこそ人生かけて愛してくれるオトコなんて、ちょっと大きい町に行けばいくらでもいると思う。アンディに悪いって言うなら私が黙らせてあげるから」
「……い、嫌です」
「……嫌かい? トロットの男尊女卑なんてメじゃないくらいの酷い扱いだと思うんだけど」
「私は……私、ここでご主人様の子供、産みたいんです……大事にしてくれる知らない誰かじゃなくて、ご主人様に沢山かわいがって欲しくて……そういうつもりでずっといるのに、そんなの……」
 芋の皮を剥きながら、俯くマローネ。
 耳を寝かせて今にも泣きそうなマローネの様子に、マリーは降参とばかりに手をあげた。
「……はぁ。いつも思うけど、何をやったんだろうねあの子は」
 疲れた顔で鍋に向き直り、肩を落とす。
「だから言ったでしょう、お義母様。みんな本当にご主人様大好きで、納得ずくなんですよ」
 オレガノが刻んだ香草を差し出しながら微笑んだ。
「もう猫の子はみんな確認しちゃったわねえ。あとは……うーん、一人くらいは流されてるんじゃないかって疑ってたのに。手を出されたの、ほとんど初めての子ばかりなんでしょう? 熱が冷めたら『自分はなんてことをしてるんだろう』って思う気がするのよね」
「どうでしょうねー。ご主人様って冒険に行くたびになんというか一回り一回り魅力的になってる感じがしますし……少なくとも私たちエルフは、異性に関してはしつこいっていうか心変わりしづらい種族ですから、そんな簡単には冷めないと思いますよ?」
「騙されてるように思うんだけどね……」
「それはあなたがお母様だからですよ。子供だと思って見るから、ご主人様の魅力が伝わらないって言うか」
「とんでもない。私ほどアンディを大事に思ってる女はいないと思うけれど? 親っていうのはそういうものよ」
「あ、あー……でもそれはやっぱり私たちがご主人様に愛されたいな、生活の一部になりたいなっていう感覚とは違うと言いますか」
「んー……親としてはね、やっぱりありえないことしてる息子も、息子を勘違いしてるように見える娘さんたちも、目の前で変に傷つく前に止めてやりたいって思うんだけどね……これじゃどこの王様の後宮かって状態じゃない。あの子はウチの馬鹿旦那の種で作った、私の息子なのよ?」
 オレガノは困ったように笑ってから、少し真面目な顔をした。
「……王様は、王様という制度の一員だから沢山のお嫁さんが必要なだけです。でも、ご主人様は……アンディ・スマイソンが、好きな女を笑顔にするために誰よりも大きな力を肩に乗せる。そんな彼に挫折して欲しくなくて、いろんな人が力を集めて、その人たちの笑顔のために彼は愛を表現して……制度としての後宮じゃなくて、必然としてそこにできた集まり。私たちが雌であるということをあの人が喜んでくれるなら、私たちは当然それを捧げたいと思う、ただそれだけのことなんですよ。こんな言い方は自意識過剰かも知れないけれど、きっと、古い時代が私たちじゃない誰かのために作った法では、私たちは収まらないんです」
「……それほどの子には思えないんだけどね。私のアンディは」
「たとえそうだとしても、私はきっと、あの人の死ぬその時まで雌奴隷でいますよ」
 オレガノは一点の曇りもない笑顔で言った。

 ポルカの町を夕焼けが包む。
 南ではまた、アンディが彼らの知らない冒険に身を躍らせている。
 それを迎える日を、それぞれが想いながら。

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