「ここ数日で一気に根雪も解けましたねえ」
 酒場の窓から吹き込む風は冷たいが、その窓辺に上体を預けるようにしたセボリーは心地よさげに目を細めた。
 それを聞いた酒場の夫人、通称「おかみさん」のハンナは仕込みをしながら言葉を返す。
「まだ北側の日陰には凍ったところも頑固に残るから気をつけなよ。来たばかりの人はよく陽気に誘われてピクニックしてその罠にかかるんだ」
「あー。凍った地面に気づかないで腰下ろしちゃうんだ」
「ちょっと確かめれば気がつくんだけどね。一休みするなら木陰、って決め込んでるのと、周りがすっかり草っぱらになってるせいでやっちゃうのさ。で、しばらくしてヒャイーって」
「あっははは。さすがにエルフはそんなおマヌケやらかしませんよー」
「そうかね。ま、考えてみれば会わなかっただけで隣り合って暮らしてきたんだものね。おこがましい説法だったかもね」
「ま、そんな感じです。それに私やオレガノって人間基準で16、7の小娘に見えてると思いますけど実は30近いんですよ?」
「おや」
「……まあウチのご主人様には内緒で。こういう中途半端に人間に有り得るトシだとすごく表現しづらい感情が湧くものらしいんで」
「そうかもねぇ」
「言っておきますけどエルフって100歳以下は基本的に子供みたいな扱いなんですよ? 私らが特別子供っぽいわけじゃないですからね?」
 必死に弁解にかかるセボリーについハンナは吹き出した。
「ふふふふっ、わかってるわかってる。それにセボリーもオレガノちゃんも子供なんて思ってないよ。ハタチ過ぎたってガキなのもいるじゃないの。ほらリンドンさんちのキール坊とか」
「カレと比較して大人って言われるのも複雑ですねぇ……」
 酒場の常連の中でも群を抜いた子供っぽさ、というより小物っぽさを誇るキール。彼よりしっかりしていると言われるのは褒め言葉と受け取っていいものか。
 そんな話をしていると、正面ドアをガチャンと元気よく開けてキュートが入ってくる。
「にゃー!」
「こらキュート。にゃーで挨拶代わりにしない」
「にゅ……お、おはようございまーす」
「よしよし」
「セボリー、こういうトコだと『お疲れ様です』とかでいいんじゃないかい? もう朝って時間でもないんだし」
「や、でもヒルダさん曰くギョーカイでは夜も昼もないから、仕事を始めるその時がその人にとっての朝だという意識で『おはようございます』を常に使うとか」
「なんの業界だか知らないけど、ウチは朝も夜もあるし朝の挨拶は朝して欲しいんだけどねぇ」
「にゃー」
「キュートっ。にゃーを呼びかけ代わりに使わない。ちゃんと言葉で話しかけなさい」
「にゃー……」
「『はい』の代わりにも使わない!」
「セボリー。……同じ『にゃー』をそれだけ聞き分けられるなら、いっそそのままでもいいんじゃないかい?」
「駄目です。若い子には礼儀をきちんと教えないと。あと猫耳ってだけで卑怯なのににゃーにゃー言うのはあざといにも程があります。飛び道具ばかり使って恥を知れ!」
 拳を握って熱弁するセボリー。
「よくわからないけどキュート、セボリーの言うことはほどほどに聞いておきなさい」
「にゃー」
「こら、だからにゃー言わない! 私の言ったこと聞いてた!?」
「なんかよくわかんなかったー」
 酒場は今日も平和である。


「実は私たち、ポルカの春は初めてなんです」
「ふむ。そういえばそうなるんじゃな」
 同じ頃、午前中の書類仕事を終えたアイリーナに、フェンネルがお茶を入れながら世間話に興じていた。
「そなたらがポルカに出てきたのは昨年の晩秋あたりか」
「そうです。もう雪が降り始めている頃で……」
「森から出た事はなかったのか?」
「私は幾度か……ミスティ・パレスとの連絡の役もありましたし。しかし弓も引けない細腕では人里の方には出られませんでしたから」
「銀はいきり立っておったからのう」
「ええ。ですからこうして……雪の中から草花が、まるで蘇るように萌えるのを見る機会はほとんど初めてなんです。いいですよね、季節に応じた大地の営みは」
「うむ。北の森の永遠の春も美しくはあるが、まるで鍛冶の槌が鉄を鍛えるように、冷たい秋冬と暖かい春夏が外界の命を鍛えておるのやもしれんな」
 彼女には大きすぎる椅子に深く腰掛けて足をぶらぶらさせつつ、喉元の首輪を無意識に撫でるアイリーナ。その所作にフェンネルはくすりと笑う。
「なんじゃ」
「鍛冶という話題で首輪を撫でられるので、つい」
「……し、仕方なかろう。そなたとて連想する相手は同じであろうが」
「ええ。……ご主人様、何をしているんでしょうね」
「さてな。セレスタは我らの知らぬ場所が多すぎる。ま、どこでも寝床は大盛況じゃろうが」
「少し妬ましいですね」
「うむ。まったく、クリスティめ、冬場の仕事なぞ緊急性がほとんどないじゃろうに、自分が立場上飛び回れぬからといってわらわまで足止めしおって」
 ぶちぶちと文句を言い始めたアイリーナだが、エルフの耳は人間よりとてもいいのである。
「あなたが正式なポルカの親善大使よ、白の氏族長様? その責務を自分で負ったからには他氏族の、しかも名代に過ぎない私に全権任せるなんて、そう頻繁にされては困るのだけど」
 執務室の外からクリスティが自然な感じで入ってくる。
 フェンネルは目を見開いて少し怯え、アイリーナもバツが悪そうに口を尖らせた。
「ポルカではそうそう全権を使う問題など起きんじゃろう。この辺境でしかもミスティのドラゴンたちが出入りしておるのじゃ」
「油断をしたときにこそ問題が起こるんですからね。そもそも腕力で解決することばかりなら親善大使なんて何の意味があるの」
「む、むぅ」
「それにいつもついていくばかりが女の能ではないわよ。時には離れてこそ男女の仲は強固にもなるわ。それこそ冷と熱で鉄を鍛えるようにね」
「む……ま、まあ、理屈はわからんでもないがのう。しかし……」
「ついていけば、ただでさえ他の女が沢山いる中で、しかも他に使命のあるご主人様の気を引かなくてはいけないのよ? 旅の疲れも体力のある戦士たちより不利に働くわ。それよりも万全の準備をしつつ帰りを待ち受けて、ここぞという時にとっておきの快楽でもてなす方が強く訴えかけられると思わない?」
「……なんとも老獪……いや、小賢しいのう」
「言い直してもあまりマシになっていないわよ、アイリーナ?」
「み、認めておるのじゃ。そうカリカリするでない」
 笑顔のまま声色だけが少し恐くなったクリスティに、慌てて弁解するアイリーナ。
「でも実際、私たち居残り組はご奉仕の量では随伴組にはかなわないことですし……質ですよね、確かに」
 空気が少し和らいだのと、アイリーナが腰を落ち着けてくれる方向に話を転がすほうが何かとマシと踏んで、フェンネルが合いの手を入れる。
 クリスティは頷いた。
「このポルカを真っ先に帰りたい場所と思ってもらうためには、それこそ狙いを絞って奉仕を考える必要があると思うの。例えば……ご主人様は気の利いた集団セックスが好きだから、そこに趣向を凝らすとか」
「私たち四人の家は元々他の家と離れていますから、そういうことには向いているんですよね……ご主人様の劣情を煽るような恰好で待ってみようかしら」
「劣情? 娼婦の服でもオレガノに作ってもらうのかの」
「それもいいですね。あっ、看板かけるのもいいかも。『エルフ領公営娼館』なんて」
「内密にやらんと、よその氏族が聞いたら真っ赤になって怒るぞ」
「もちろん、看板かけた暁にはアイリーナ様もウチの娼婦になって下さいますよね?」
 ちょっと悪ノリして嬉々と語るフェンネル。アイリーナはまんざらでもない顔で躊躇いがちに頷く。
「ま、まあ、スマイソン殿だけが客となるなら……たまには首輪を外して春を鬻いでみるのも悪くはないかも知れん」
「みんなコイン一枚で買われて、自由に肉欲を満たすために使われるんです。あえてプレイを制限して『ここから先は別料金です』なんて言ったりするのも楽しいかもしれませんよ♪」
「ふむ。良いな、悪くない……無論クリスティも乗るのじゃろうな?」
「私ではなんだか場違いにならないかしら……」
「ならばクリスティはライラ殿や栄光の姫、ヒルダ殿などと組んで別の娼館を立ててみるのはどうじゃ。我らとはまた別の趣向になろう」
「なんだか年増扱いされてる気がするわ……」
「き、気のせいじゃ。栄光の姫やライラ殿はわらわとそれほど変わらぬじゃろう」
 アンディ専用裏娼館計画。
 のちに猫獣人たちの「猫屋敷」をも巻き込み、ジャンヌに専用コインまで鋳造させて実現することになるが、それはまた別の話である。
 そしてその中に技術指導としてタルクの某娼婦が絡むことにもなるが、やはりそれはまた以下略。

「それはそれとして、このポルカに帰ってきて特に恋しいものと言えばやはり温泉だと思うのよね」
「うむ。やはり旅の疲れが音を立てて解け流れていくようなあの感覚は、曰く言いがたいものがあるのう」
「温泉でご主人様を癒すのも、そろそろコソコソせずにご奉仕できないものかと思うの」
「なんじゃ。しかし男湯にしろ女湯にしろ、他の客を完全に締め出すわけにはいくまい。水源からの分岐工事に関しても、男爵殿に許可を貰うにはあまりに気まずい」
「現状、一番の解答は結界牢ではないかと思うのですが」
 常識的な答えを返すアイリーナとフェンネル。
「そうなんだけど、実は町の外にも温泉が作れる可能性があるの」
「なぬ」
「森の中に少し入ったところで、古代結界にかかるより手前の位置。町からは2キロほど離れた場所に湧出点があるみたいなのよね。男爵様は昔から存在自体は知っていたらしいのだけど、場所が森の中だからエルフへの刺激を考えて手付かずで放置していたらしいの。でも、私たちがそのエルフなのだし、問題はなくなったのよね……」
「そこを掠め取ろうというのか」
「人聞きの悪い。男爵様にそこを利用しないのかと相談したら『町の者は近くに温泉浴場があるのだから、わざわざ森の奥まで踏み入ることはないでしょう』って。つまり私たちで独自にそこに浴場を設えてしまえば、ご主人様への奉仕専用浴場にできるかもしれないのよ。ただ……」
「ただ?」
「工事は他人の手を使えないわよね、そういう目的だと」
「あー……」
「確かに……エルフの家師に頼むにも、やはり秘密で、とは言いづらいですものね」
 人間たちは迷いやすい森の奥にわざわざ温泉目指して踏み込んだりはしないだろうが、エルフからすれば所在を公にすれば必然的に見に来るものもいる。トロット領側の泉は全て男爵の財産ということに(手続き上は)なっているので、入らせてくれと言われたら頷くしかない。
 できれば気兼ねなくアンディとの裸の逢瀬に使いたい、という思惑を共有し、頭を捻るエルフ三人。
「ディアーネは建築にも強いと聞くが、どうじゃろうな。そんなものを作っている暇が出来るのはいつになるやら」
「それより人手が足りないんじゃないかしら。森の中ではドラゴンの巨体を使って楽をするというわけにもいかないし……」
「時間をかければ私たちでも出来ないものでしょうか。要は掃除のしやすい浴槽と、衣服を置ける脱衣小屋があればいいのではないですか?」
「温泉を適温に冷ますための蛇行水路もね。できればどこかから冷水を引いて調整しやすいように……」
「欲張るには専門知識が足らんのう。クリスティ、そなたそのテの学問はやっておらぬのか」
「少なくとも金槌を振る方の修練はしていないのよね……」
 あれこれコソコソと案を出し合う三人。
 そしてそれを聞きつけるハーフエルフの耳は人間よりとてもいいのである。
「お困りのようですね!」
「アンディ絡みならアタシらに声かけるだよ」
 ガチャッとドアを開けて自信に満ちた顔で登場したのは、臨月の腹を抱えるセレンと、ピーターを抱くジャンヌである。

(続く)

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