「やれやれ。いつもながら面倒な話を振ってくれるものよ」
「何がですか?」
シタールの町、ドクター・オウルの診療所。
突然呟いたライラに、隣にいたシャロンが不思議そうな顔で聞き返す。
ライラは窓から海を眺めたまま、肩をすくめた。
「飼い主殿に後事を託された。あの口ぶりじゃと、我に場合によっては護衛以上の働きをせよ、というつもりのようじゃ」
「……?」
「エルフの耳でも聞こえなんだか。まあ、そんなものよな」
「え……あ、もしかして外でご主人様がそう仰って?」
「察しの悪い女じゃのう……む」
ライラは呆れ顔からスッと表情を引き締めると、窓から外にひらりと飛び出す。
二階から地面に直接飛び降りたのも束の間、そのまま診療所の屋根の上にひとっとびに飛び乗る。
「……早速か」
昼下がりの白い家並みの狭間を、不自然に急ぐ影が二つ、いや三つ。
そのうちの一つが、あたりを歩いていた老婆に突然短剣を突き刺すのが見えてライラは目を眇めた。
「どうかしたんですか」
「怪しい者どもが駆けておる。今、町の者が一人刺されたのが見えた」
「なっ……」
「早速この街区に仕返しのつもりのようじゃな。シャロンよ、この場は任せるぞえ」
返事を待たずにライラは老婆を刺した男のもとに向かう。屋根の上を水鳥が跳ねるように飛び移り、到着するまでに15秒。
犯人はその間に、もう次の子供を手にかけようとしていた。
「何をしておるか」
わざと乱暴に、ダンッと音を立てて着地するライラ。
「親鳥」の手の者と思われる荒んだ雰囲気のチンピラは血のついた短剣をライラに向ける。いきなりの登場に驚いたのは明白だった。
「な、何だテメェは! オウルのジジイの手駒か!?」
「なんだ、とはこちらのセリフじゃが……まあ、言わずとも良いわ。そなたは少々気に障る」
ライラはゆっくりと立ち上がり、犠牲になった老婆を見る。明らかに心の臓を裂かれ、手遅れだった。
「焦げてしまえ」
パシン、と指を鳴らして火球を放ち、チンピラに直撃させる。言葉通り、チンピラは一瞬で火達磨になった。
「ひゃあああ」
襲われそうになっていた子供も怯えている。それをライラは無視し、老婆の体をそっと道の脇に寄せる。
「後で葬ってやろう。今はしばし、な」
刺されたてなのでまだ血を噴き出し震えているが、今まさに命果てようとしている老婆。しかしライラは治療技術には長けていないので、これほどの深手には手を施すことはできない。あるいはヒルダがいれば命を繋いでやれたのか、と哀れみつつ、ライラは再び空中に跳び上がる。
ジャンプひとつで数十メートルも跳べるライラは、ドラゴン特有の鋭い五感で残りの刺客の状況を把握する。
一人は未だ獲物を探して周りを見回している。もう一人は今まさに果物売りの男に襲いかかり……しかし周りにいた果物売りの男の仕事仲間に取り押さえられていた。全員が腕利きというわけでもないのか。
いや、他にも見当たる。片手で足りる数ではない。場違いな殺気を放つ者たちの姿にライラは上昇の頂点で舌打ちし、そのまま屋台通りに飛び降りて大声を張り上げる。
「皆の者、我を見るがよい!」
人通りが多い中、突然空から現れた美女にもちろん周り中の視線が集まる。
ライラはその場で勢いよく服を脱ぎ捨てる。
下着などもちろん身に着けない、豊満でしなやかな裸体が衆目に晒され……それがその場でブラックドラゴンへと変ずる。
「おわっ……!?」
「な、なななっ……!?」
「ひえっ、な、何が起きてっ……なんかでかい獣の足みたいなのが!!」
「ドラゴンだ!! 黒いドラゴンが……逃げろー!!」
そして、視線の群れは悲鳴の群れへと変わる。
その阿鼻叫喚が今は必要だった。刺客の数が多すぎて、一人ひとり仕留めていたのではとても手が回らない。ならば、刺客に「くだらない抗争などしている場合ではない」と思わせることが一番手っ取り早い。
町中へのドラゴンの出現はインパクト充分だった。
「不埒者どもよ。戦がしたいなら与えてやろう。この我が相手じゃ。万一にも勝てれば大英雄ぞ」
翼を大きく広げ、後ろ足で立ち上がり、周囲を睥睨して空に軽く火を吹いてみせる。
刺客たちは阿鼻叫喚を聞きつけることでその威容を遠目にも認め、動きを止めるに至っている。
あとは一人ずつ潰して回るか、とライラがのっそり一歩を踏み出すと、刺客たちに向かって駆ける影一つ。ノールの護衛、赤砂のホセだった。
既に軍の一線を退き、楽士片手間の護衛をやっているだけとは思えないほどのスピードと効率で、刺客を一人、また一人と始末していく。
「……やるのう」
「ヘヘッ。しかしいいんですかいドラゴン様、これでドクター・オウルは引くに引けない」
「放っておくわけにはいかん」
まるで音量の違う会話をしながら、ライラが首を巡らせて威圧し、ホセが仕留めていく。
すぐにドクター・オウルの号令がかかり、街区の住人は全員、街区最深部の広場に集合させられた。
「皆のものよ。ついに『親鳥』と全面的に対決することになった。……さっき見たじゃろうが、こちらにはドラゴンがおる。少しじゃが、軍とのコネもある。全く勝ち目のない戦争というわけではない……それに勝つまでは、すまんが皆を危険に晒す事になる」
「ドクター……」
「いつかこうなる気はしてたけどね……」
ドクター・オウルを囲んだ町民たちは、突然の血なまぐさい開戦にもかかわらず、思いのほか冷静だった。
「もっと糾弾されるものかと思ったわ」
ノールがその様子を見て呟く。
ホセはそれに首を振って応じる。
「ドクター・オウルは元々『親鳥』に背信スレスレの行動を取ることで町民の間じゃ有名らしいですぜ。そのおかげで他の街区より融通が利くって部分もあったみたいだ」
「でも人が殺されてるのに」
「それすら日常ってことでしょうよ。……まあ、ドラゴンの出現でウヤムヤってとこもあるでしょうがね」
「でもどうするの、ホセ。ここまで乗ったら私たちもイチ抜けってわけにはいかないわよ」
「いや、お嬢はイチ抜けしてて下さいよ。俺はともかく」
町の中の血で血を洗う紛争。
その始まりにしては気負いのない二人に比べ、シャロンは落ち着かない。
「…………」
「ほ。そなたの腕なら在野のチンピラ風情、何十人来たところで相手にはならんじゃろう」
「でも、私は……こういうことに兄もベルガも抜きでは立ち会ったことがないので……」
「北の森に現れた頃から何かと口達者じゃった割には甘ったれじゃのう。いや、守られておったからこそ口が達者になったものか」
「……人を相手に戦うのですし」
「ほ。まあ、我にとっては有象無象は人でも獣でも魔物でも有象無象に過ぎんが」
シャロンの戸惑いをつつきながらも、ライラはどこか他人事のようだった。
「あなたこそ、ご主人様に後事を託されたのですから少しは緊張しても……」
「託されはしたがのう。さて、どうしたものか」
「……? この街区を悪者から守るのでは?」
「無論、細かく刺客など送ってくるのを潰すくらいならやってみせるがな。ディアーネや飼い主殿への義理立てはそこまでじゃ。さて、こやつらがこのまま親玉と殺し合うとなれば、どこまで力添えしてやったものかのう、とな」
「え……?」
ライラが言う事が理解できず、シャロンは首を傾げる。
そこに、広場に新たな集団が現れた。
「どういうことだい。ドラゴンを武器に『親鳥』とヤるって聞いたんだがね」
レディ・スワロー以下、彼女の街区の主要人物が到着したのだった。
「オウル。この背高女がドラゴンだね?」
「ああ、そうじゃが」
「どうも戦争には乗り気じゃないみたいじゃないのさ。どうするんだい。ここまで態度を示したらもう詫び入れるなんて無理だよ?」
「うむ。……何が気に食わぬのかのう」
ライラの顔色を窺うスワローとオウル。ライラはつまらなそうな顔で一瞥し、口を開く。
「……そなたらはドラゴンを味方にした、万軍と同じ力ぞ、と喜んでおるようじゃが、我は取り立ててそなたらに味方する理由などない。確かに相手には下衆も多かろうが、それと取引して生き延びてきたそなたらとて清廉と言うには程遠かろう。大事な我が主に頼まれたのじゃ、護衛はしてやらんでもない。しかしその範疇を超えて勝手に死地へ踏み出す気なら、そこまで付き合うほど思い入れもない。それだけじゃ」
「……しかし、彼らの起こしたことが引き金にもなっておる」
「その分の義理は果たす。先ほどからそう言うておろう」
面倒そうな声音で言うライラに、住民たちからも不安げな視線が集まる。
「た、助けて……もらえないんですか?」
「救えるだけの命は救うた。我が主が戻ってくるまでは、同じようには守ってやる」
「でも、それだけじゃ……あいつらをやっつけないことには、もう我々は」
「知らぬ。今のうちにどこへなりと逃げ出せばよかろうて」
すがるような町民の願いにも、ひらひらと手を振るライラ。
恐慌しかける町民たちだったが、それを制して前に進み出たのは、サフルの共犯者であるオスカーだった。
「……どういうことですか。スマイソンさんに信を受けた言葉とは思えないのですが」
「我が主は、我なりの答えを出せと申し付けた。我は竜。あの仔竜とは違う、生粋の竜の価値観の持ち主ぞ。……竜は人の社会のことに関知せぬ。そなたらの言う敵味方、我らと彼ら、望む結末、それが明日には変わっていることをよく知るゆえに」
「そんな……でも」
「そなたらは、今は大敵しか見えておらぬ。じゃからそれさえ討てればよい、といかにも大義のように考えておるじゃろう。そしてそれが成されたとしてその翌日、そなたらの言う事を聞いて破壊をなした我になんと言うのかえ?」
ライラは皮肉げに笑う。
「もう要らぬのでよそへ行ってくれ? あるいは、ついでにあいつも焼き尽くしてくれとでも言うかのう? 善良ぶった顔で『竜の力で何十人もの敵を殺戮せよ』と言い放ったそなたらを、またその背後にいる味方は恐れているやも知れんぞ。そなたらが自らを『我々』と呼び、心を一つにしたつもりで希望にすがる姿は、やがてその時になってみれば、他人の気持ちを勝手に笠に着た、禍々しい野望の一歩目の吐露と映るじゃろうな。そうして『我々』は明日には『我々』と『彼ら』に分かれ、恐れ憎み失望しあうじゃろう」
「それでは……それでは、みんな『親鳥』に殺されろと言うのですか!?」
「そなたらの言う事を聞けば、敵はみな、わけもわからずに竜に殺される。差はどこじゃ」
「それは……」
「道義は我らにあり、ゆえに当然手を貸せ、などと竜に求めるのはやめるが良い。そんなぼんやりした正義で竜は動かぬ」
醒めたライラの物言いにオスカーは小さく俯く。
シャロンは少しトゲのある口調でライラを横から責めた。
「……あなたは、ご主人様のいないところではこうも薄情なのですか? 惚れた男性の声以外には働く理由などないと、それだけを小難しく言っているよう」
「そなたにはそう聞こえるか。……生粋の竜なら皆似たようなことを言うがのう」
「私は他の形には聞こえません」
「……ならば、そなたは竜を動かせぬ。それだけじゃ」
ライラは軽い溜め息をつく。
スワローとオウルは難しい顔で視線を交わし、ホセとノールは「これじゃ戦争もお流れ?」と困惑した顔。
オスカーはしばらく下を向き、そしてふと気がついたように顔を上げた。
「……つまりドラゴンは、動くんですね。……主の命令だけでなく、その価値があると認めるなら」
ライラはオスカーの目を見る。答えを言ってみろ、と試す。
「……つまり、ドラゴンは……」
「待ちなオスカー」
そのオスカーを、レディ・スワローが遮った。
「アンタが答えを出すもんじゃない。アンタだけは……ね」
「レディ」
「つまりこう言いたいんだろう、背高女」
レディ・スワローはずずいと進み出た。
「力を貸してやるのは借りる覚悟を持った奴にだけだ、ってね」
「ほ」
「ドラゴンの力は破壊の力。それを借りれば嘆きと悲しみ、誰もが恐れることが必ず起こる。……だから道義や、善良ぶった皆の願いなんかじゃ駄目なんだろ。そうだね?」
「……さて、な。そうだとして、そなたは何を言うつもりじゃ」
ライラは一転、薄笑いを浮かべる。
レディ・スワローはたるんだ顔をニヤリと歪めた。
「このレディ・スワロー、一世一代の大勝負だ。……今日、このシタールを手に入れる。そう、これは今からアタシの戦い。アタシの殺戮だ。ドラゴンさん、このクズみたいな町の『親鳥』の連中を焼いちまってくんな。……絶対にこの町はアタシがよくしてみせるから」
「…………」
ライラは黙って頷き、雑に纏っていた服に手をかけ、脱ぎ去った。
裸体を晒した次の瞬間、ブラックドラゴンが広場を覆うように現出する。
「そう。竜は『我々』などという言葉で主体を誤魔化して願い事をする輩を決して相手にはせぬ。願いがただ身勝手なだけの輩も、決して相手にはせぬ。力を正しく振るおうとするなら、覚悟も思慮も欠いてはならぬ。その責任の帰結を恒久的に背負うのが竜の乗り手。竜の愛と忠誠を受け続けるということは、未来に渡って常にその資質を持ち続けるだろう、と認められるということじゃ」
ブラックドラゴンは名答を叩き出した太ったダークエルフを見下ろし、翼を広げる。
「そなたの願いを聞き届けよう。さあ、我に打ち砕かれる哀れな犬小屋を教えるがよい」
「ハッ……任せなよ。何十年も奴らにヘコヘコしてたんだ。隅々まで教えてやるさ」
ブラックドラゴンが港町の空に吼える。
シタールが生まれ変わる、それは断末魔であり、産声であった。
前へ 次へ
目次へ