酒場で食事を済ませたネイアと俺は、そのまま家に直帰する。
いそいそと扉を閉め、はぁーっと扉に寄りかかったまま溜息をついたネイアは、マントを脱ぎながらまた再び俺の部屋へ向かおうとする。
「せっかちだなネイア」
「……へ? あ、あの、食事も終わった事ですし、すぐ続きに入るんじゃ」
「まあ続きはするんだけどさ」
こと、エッチに対して意識が前のめりになっている……というわけでもないのに、ネイアは続きをすぐ始めることに関して特に疑いもなく、何とかして避けようという忌避意識もないらしい。
特別淫乱な体質ならわからなくもないんだけど、そういうわけではない。むしろネイアは自分を良く保っている。
そこが妙にアンバランスだ。
……思えば心当たりは少なくない。
「もしかしてさ……」
「?」
「ネイア、お前って自分が一度『言う事を聞かなきゃいけない』と思った相手にはなかなか逆らえないクチ?」
「へっ……え、えっと……?」
ネイアは虚を突かれたというような顔をした。
「例えば上司とか、教官とか……貴人とか。この人の言う事は守らないといけない、って一度思うと、疑うこと自体できなくなるって感じの」
「…………」
ネイアは視線を彷徨わせる。
……うん。意地悪だったかもしれない。
そういう気質の人間はいる。
どこにいるかというとズバリ軍隊、それも一番下の兵卒。
そういう考え方をするように教育されるのだ。
何かをするにあたり、理由や正当性はあえて考えない。一度従うと決めたら死ぬまで信じる。
そうでないと、軍隊という奴は何もできない。
どんなしょぼい兵士たちだって、それぞれ大切なものは違うのだ。国を守るとか町を守るとか、そういう「大きな目的」は変わらないはずだから同じように頑張れるはず……なんて言ったって、そんなのは幻想だ。直接殺し殺されるという現実の醜悪さは、それで誤魔化しきれるわけがない。
だから入軍に際し、価値観の変更を強いられる。
自分の命や正義、故郷への思いよりも、上官の命令のほうが正しいのだ、と。
自分が正しく働くこと、あるいは働かなかったことは、他の何十人分の「命や正義」に影響する。だから、ひょっとしたらそこで自分だけ死ぬのでさえ、正しい判断足り得るのだと。
そうやって、考える事の一部を放棄する事でしか、有機的な戦闘集団というのは機能し得ない。たとえそれが欺瞞だと心の奥では理解していても、それが自分たちを強くするのなら、そして強くなる事で集団そのものが生き残り、その大多数の中に自分が混ざれるのなら、兵士たちは自分を騙して戦うことを選ぶ。
だが。
……ネイアは、それとは立場が違う。
そんなものじゃないはずなのだ。ネイア・グランスという勇者の立場は。
「お前は、さ。……そういう考え方、誰かに教わったのか?」
「…………」
「もしかして、ファリア……お師匠さんを失った時から、そういうことが考えられなくなった……なんて話だったりするのか?」
「……そ、そう……かも、知れません」
ネイアは胸に当てた拳を握り、少し青い顔をした。
……ああ、そういうことなのか。
彼女のいびつさの一端が、少し理解できた。
ファリアとのエピソードの中では、増長し、人の言いつけを破って思うように戦う……なんて時期があったのだ。
だがそれゆえにファリアは死んだ。
その痛みが、彼女にこの考え方をさせるに至ったのだろう。
自分の頭で考えるのではなく、誰か他人の考えを信じる。それにこそ命を賭ける。
……そして、王家はそれを利用した。
さぞや扱いやすかった事だろう。
いくら傷ついても王家の正当性を信じ、断罪の必要性を信じ、外敵に立ち向かい、痛みを重ね続ける健気な勇者。
兵士たちの場合は退役すれば目は覚める。上官個人に対する服従癖は残るとしても、社会生活を送る上で自分なりに決断しなきゃならない時は必ず来るのだ。
だがネイアは、無自覚。
完全に無意識のうちに、最も都合のいい飼い犬になっている。
これを自覚させなければネイアに未来はないだろう。
「ネイア。……やっぱりそれじゃ駄目だ。嫌なら嫌、気が進まないなら気が進まないなりに行動しないと……お前、大事な時に結局ロクなことできないぞ」
「……で、でも……スマイソンさんは、えっちなことをしたいのでは」
「俺がやりたいって言ったらこのまま何日でも受け入れるつもりなんだろう?」
「……え、ええとっ……そこまで考えてたわけでは……でも、どうしてもというなら」
「…………」
ネイアの中では、俺は「従うべき相手の一人」に、既に設定されてしまっている。
一見してそれは黄金の権利だが、実際は彼女にとって「勇者の義務」、そして「カールウィン王家」よりも下の順位であるだろうことは簡単に想像できる。
駄目なのだ。それでは。
その順位はきっと、このままでは覆らない。いざという時になれば、ネイアは順番を間違えられない。
……そう。
俺がこのままいくらネイアに快楽を教え込んだところで、それは勇者であることやカールウィンの僕であることを凌駕できない。
「……ネイア。お前は、どうしたい?」
「どう……って、言われても……」
「お前がしたいようにしなきゃ、駄目だ。今わかった。予定変更だ。セックスはまた今度だ」
「え……ええ、ちょっ……!?」
「温泉行ってさっぱりして、それから男爵の屋敷でピーターでもいじろう」
「そんな、えっ、わ、私別にあなたと抱き合うのが嫌なわけではっ……」
「俺もまだまだヤりたいけどな。でも、こういうのはなし崩しに続けるだけでも意味がないんだ」
「意味……?」
「俺の中で、な」
「たくさんヤると言ったからそれを履行する」。それじゃ、ネイア自身が嫌がってないとしても、結局義務に身を任せているだけなのだ。
求められて、応える。その選択が必要だ。
ネイアがそのたびに改めて考えられるように仕向け、自分で答えが出せるように考えを少しずつ改めさせて……そして、その上で勇者として殉じる事よりも価値のある未来があると自分で価値を付けさせる。
「よし。まずはネイア、お前の髪を洗ってやる。男湯に入れ」
「え、ちょっ……そんな、私女ですけどっ!?」
「俺が女湯で堂々とお前の髪を洗えって言うのか」
「そ、そういうわけでは……うぅ」
「男湯なら結構ドラゴンとかディアーネさんとか入るからみんな慣れてるぞ」
「…………はい」
ここで突っぱねられたらそれはそれで第一歩だったんだが結局流されるネイア。
先はまだまだ長そうだ。
「あの……っ」
「なんだ?」
「その、誰も、いません……よ?」
「そうだな」
男湯は誰もいない。
俺は洗い椅子に腰掛けたネイアにお湯を掛け、丁寧にその髪のガビガビを冷ました霊泉水で落とす。
「……誰もいないんですけど」
「ああ」
ネイアは大人しく俺に髪を任せながら、居心地悪そうに何度もそれを確認してきた。
「……その。髪は、もう……いいですから」
「?」
「……その。えっと……ご、ご不満じゃないんです……か?」
「エロいことし足りないんじゃないかって?」
「ええ」
「まあ、そんなに急ぐ事じゃないし……」
「……わ、私としては、できればしっかり覚悟してる間に……って、思うんですけど……」
「惰性でエッチするのはよくないぞ。嬉しさが足りない」
「……うぅ……はぁ」
なんだか微妙に納得したような残念そうな変な息を吐いているネイア。
……えーと、考え方の歪みに関する見立ては間違ってないはず……だと思うんだけど……。
エッチに関する興味はまた別だったりしたんだろうか。
でも、ネイアを変える方針はこれでいいはずだとも思うし……。
む、難しいな。
「てい」
「……あっ」
ネイアがあまりに複雑そうなのでおっぱいを揉みにかかってみる。
「……い、言ってる事が違うじゃないですか」
「やっぱり駄目?」
「…………そういうことじゃなく……笑わないでくださいね」
「え、何を」
「何か、私の間違いを正そうというのはわかりますけど……そんな急にそっぽ向かれたら、やっぱり私のカラダは思ったほどじゃなかったって、ガッカリされたんじゃないか……って気持ちに、なるじゃないですか」
「……ぷっ」
「笑わないでくださいねって言いました!」
耳をへっちょり垂らしつつも怒るネイア。
「こ、これでもっ……多少は気になりますっ!!」
ヤバい、ちょっと可愛い。
……そのままネイアとじゃれてたらベッカー特務百人長とトリ将軍がじっと覗いていることに気づいてしまい、どうするか悩んだ挙句にマイアを呼んで追っ払わせる事にした。
(続く)
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