俺たちが秘密の夜散歩から帰り着いた直後、ネイアが屋敷に駆け込んできた。
「あのっ!! ひ、ヒルダさんは!?」
「ここよー?」
 まだ服を改めて着ている最中で、上半身裸のヒルダさんを見てネイアはくらっとしたが。踏みとどまる。
「そ、その、お仕事でっ……ついてきてもらえますか!?」
「お仕事? 誰か怪我したの?」
「はいっ……あ、いえ、ライラさんが『おそらく急を要するから連れて来い』って……」
「……ライラちゃんが、ね。わかったわ」
 ヒルダさんはエッチのあとのゆるい雰囲気から一転、てきばきと服を身に付けて立ち上がる。
「アンディ君、シャロンちゃんと残っててくれる? テテスちゃんは案内に借りるわ」
「あ、はい」
 口のはさみようがなく、シャロンと一緒に取り残される。
「どうしたんでしょうね……」
「……ライラがヒルダさんを名指しで呼ばせたってことは……まあ、誰か怪我したんだろうけど」
 憶測もイマイチ発展のさせようがなく、シャロンと顔を見合わせながら落ち着かない気分で続報を待つ。
 俺たちもついていってよかったんじゃないかと思うが、同じレンネストの土地勘の持ち主であるシャロンとテテスを並べ、シャロンを置き去りにしたという事は……多分、護衛としての実力を考慮したんだろう。
 つまり、俺が狙われる可能性を考えたのだ。
 そして、到着スピードを考えると役に立たない人員は置いて行くに越したことはない。
 それだけ急を要すると判断したのだろう。
「とりあえず、何かあるかもしれない。シャロン、武装しとこう」
「そうですね」
 俺は一応クロスボウとブレスカリバーを荷物から持ち出し、シャロンも剣を帯びておく。
 不安から過剰反応している気はするが、あの剣幕では何が起きててもおかしくない。
 言うまでもなく、準備不足で泣くよりは過剰反応で肩透かしの方が百倍マシなのだ。

 三十分ほどして、屋敷にライラたちが戻ってきた。
 ライラ、マイアとネイアがそれぞれ連れてきたのはベッカー特務百人長とキングフィッシャー将軍。
 その姿はショッキングだった。
「ど、どうしたんですかそれ!?」
 ベッカー特務百人長は肘の上あたりから片腕を失い、キングフィッシャー将軍は翼が片方折れていた。
「はっ……やられた。怪しい奴を追い詰めたんだが、横から妙な女にガツンと」
「たまたま近くを歩いてたんでな。ベッカーの目くらまし玉を見かけたんで何やってんのか見に行ったら……くそ、昼間なら羽根やられたってやり返してやったのに」
「腕と羽根、探しに行ってみる。血の匂いで多分探せる」
「待って下さいマイアさん。もしもライナーに待ち伏せされたらドラゴンといえども危険です。私も行きます」
「うん」
 駆け出していくマイアとネイア。
 そして肝心のヒルダさんがいない。
「ライラ、ヒルダさんも行ったはずだけど……」
「ほ。簡単な処置を済ませた後に、薬を調達に行きおったわ」
「……なるほど。確かにこれは旅装の医者でどうにかなる状態じゃないよな……」
 しかし。
 ベッカー特務百人長やキングフィッシャー将軍を完全に出し抜くなんて、どういう手練れだ。
「ちくしょう……油断だったぜ……おいスマイソン、ちゃんと聞け。あのな、俺をやった奴は銀色の髪の女で……ああくそ、血を落としすぎたのか変な寒気がしてきやがる。年のころは多分二十歳過ぎ、背丈はやや高め。舞踏槍ぐらいの体格で、武器は持ってなかった……」
「お、おいベッカー、アホタレ、遺言みたいになってんぞ」
「うるせえ黙ってろトリのくせに、情報残せずに死ぬとか諜報旅団じゃ最低の恥なんだぞ。それで、それでだな、ええとドコまで話したっけ」
 ベッカー特務百人長が青い顔でどんどん早口になっていく。
 俺も怖くなった。確かに腕を失ってしまえば失血で死んでもおかしくない。
 だけど、この人だけは絶対に死なないと思っていた。
 それが……。
「大げさねぇ。ちゃんと魔法と針で処置したから死なないわよ☆ アンディ君なんて足ブッタ斬られても反撃して生き残ったんだから少しは見習いなさいな」
 そこに、ようやくヒルダさんが帰ってきた。
「ヒルダさん!」
「はーい、ヒルダ先生再登場です☆ 処置の続きするからテテスちゃんとライラちゃんも手伝ってね」
「はーい」
「ほ。我か」
「他の子よりは生肉いじりに慣れてるでしょ。……そういえばケイロン君はどうしたの」
「ほ。そうじゃ飼い主殿。狐を迎えに行ってやってくれぬか。桜の木の休息亭とかいう酒場じゃ」
「あ、そこなら知っています」
「そうか。それじゃシャロン、案内頼む」
 これから始まるであろう手術に関して俺ができることはない。
 シャロンに案内させてケイロンを迎えに行く。

 ケイロンは皿洗いをさせられていた。
 ケイロンはあまり持ち歩くほうではないので、さすがに四人分の支払いを押し付けられては無理だったらしい。
「スマイソ〜ン……助かったよぉ」
「泣きそうな顔してんじゃねえよ皿洗いぐらいで」
「ライラ姐さんが酒の味にケチつけたからって、厨房の大将が俺にいちいちものすごい怒鳴るんだもん。怖かったんだよー」
 支払いはさすがの気前のよさでシャロンが済ませてくれた。ケイロンを引き取りに来たと聞いて息巻いていた店員たちも、ブラックアームが出てきたとあっては平身低頭だ。
「悪いシャロン。あとでライラから回収しておいて」
「いいんですよ。雌奴隷同士ですもの」
「……そういう雑な融通はドラゴン相手にはやめるように。あいつら浪費する時はとんでもないぞ」
 ものすごいグルメでしかも胃袋は底なしに近いし。
「は、はい」
 シャロンがしゅんとしてしまったが、これでいい。
 雌奴隷同士で金銭トラブルとか生臭いことは嫌だもんな。


 どうやら二人の失った手と翼は無事回収できたらしく、ヒルダさんがフル回転して明け方には接合完了した。
 が。
「繋いだことは繋いだけど……普通に治したら現場復帰まで半年がかりなのよねえ」
 やっぱりヒルダさんの技術をもってしても、そう簡単に元通りとはいかないらしい。
「クァー……半年でまともに飛べるようになるなら御の字ですよ……」
 キングフィッシャー将軍は羽毛をむしられて(縫合の邪魔だったらしい)地肌の見えた片羽を眺めつつ切なそうに言う。
 言ってることと口調があってないのはやはり無残なその有様のせいだろう。
「……せっかくルシア先生といい感じだったのにこんなんじゃオシマイだ……」
「あら、どうして? 名誉の負傷じゃない」
 ヒルダさんにそう言われるも、キングフィッシャー将軍は首を振る。
「バードマンの羽根が貧相でどうするってんですかい。終わりですよ……」
「それはバードマンの価値観でしょ?」
「じゃあ他にドコでアピールできるってんですか! バードマンの魅力は羽根ですよ! ちくしょう終わった」
「困ったわねえ……怪我からの復帰だけなら一週間ぐらいで完全復帰の方法もあるんだけど」
「この先を生きていく自信がなくなっちまいました」
 しょぼくれるキングフィッシャー将軍。
 ……そんなところに、玄関をノックする音。
 処置は玄関ホールでやっていたのでその場の全員がドアに注目した。
「失礼。何やらひと悶着あったと聞いてきたんだが……ジーク・ベッカーがやられたのか。これは深刻だな」
 バスター卿だった。
 入ってくるなり長椅子で眠るベッカー特務百人長を見て渋い顔をする。
 ベッカー特務百人長は血の抜かれすぎで若干錯乱していたので魔法で眠らされていた。その腕を覆う包帯は魔法で固められ、ギプス状になっている。
「暗殺技能と回避能力に関してはセレスタでもトップクラスと聞いていたが」
「そいつは間違いないですがね。ありゃたまらないですよ」
 キングフィッシャー将軍が目つきを鋭くした。
「ベッカーの野郎が追っかけてた奴だけでも相当な手練れでしたが、後から出てきたらしい女もかなりのもんだった。あれもディアーネ隊長クラスですぜ」
「……ドラゴン、か」
 ぼそりとバスター卿が呟く。
 この場の全員が、おそらくはと憶測しつつ口に出していなかったこと。
 少なくとも、ネイアがいた当時はカールウィンにネイア以外に女の勇者はいなかったという。それならライナー・エクセリーザに加勢する謎の手練れはどこからきたのか?
 それは、ドラゴンであるとすれば説明は簡単だ。移動手段でもあり護衛にもなる。
 そしてそれは、俺たちの戦力的優位を完全に失効させる可能性をも意味している。
 マスターナイトクラスの実力者。その数だけなら、ウチの隊には何人もいるが……ドラゴンと本気で渡り合えるのはドラゴンだけだ。
 ドラゴン同士の空の戦いとなったら手は出せない。
 そして、それ以上に。
「その男がドラゴンライダーならば、そもそも我とマイアは手が出せぬことになるのう……」
「何だそれは」
 バスター卿が眉をひそめる。
「ドラゴンは基本としてドラゴンライダーには手が出せぬ。盟約でそうなっておる。ドラゴンライダーの争いとなれば、ライダー本人同士が決着をつけるまで両者陣営のドラゴンは決して手を出してはならぬ」
「……そんな決まりがなんになるのか。理解に苦しむな」
「手を出してしまったが最後、そのドラゴンとその乗り手は盟約による保護を外れる。全族が当然に討伐すべき悪竜とその先導者でしかなくなるのじゃ。そうなれば、よしんばその場を切り抜けても未来はない」
「なるほど……そしてそのライダー自身が、ドラゴンに匹敵する最強。難しくなるな」
「うむ」
 二人は深刻な顔で黙り込む。
 カールウィンは歪みを抱え、そして手が届くとしても難攻不落。
 魔物領開拓の中間目標しかないとはいえ、無視することも当然出来ない。
「……しかし、何とかなるだろう。力押しでの勝ちは難しくなるが……まあ、国家交渉っていうのはそれだけじゃない」
 バスター卿は溜め息とともにそう言って話を終わらせる。
 面倒そうにしているが、何か備えた案はあるのだろう。
 そしてキングフィッシャー将軍に向き直り、その羽根をしげしげと見る。
「……無残だな」
「言わないでもらえますかね。これも落ち込んでるんで」
「いや、無残は無残だ。とてもカッコ悪い」
「クァー!!」
「だがよ、俺は思うわけだ。……男は自分の欠点を認めたときにこそ強くなれるんだと」
「クァ?」
「どうだクレイ・キングフィッシャー。俺にひとつ任せてみる気はあるか」
「何を、ですかい」
「実は俺はこういう不毛の大地を生い茂らせる魔法の研究を十五年来続けている。だがうまくいかないもんでな。生えるはずのないものが生えてきたり皮膚が荒れるだけだったり……」
「……いいです」
「まあ待て。しかし研究は最終段階だ。毛を剃った子犬を三日で毛玉にするところまでは漕ぎ付けた。しかし人に使うとなると、もしかしたら全身に髪の毛根が発生してなにか新しい獣人になってしまう危険も指摘されている。だが」
「……俺らバードマンなら元々そうじゃねえか、とでも言いたそうな顔ですな」
「いやいや、もし全身がそうなったとしてもお宅は生えるだけだからいいだろう。俺が協力して欲しいのは選択的な発毛の経過観察だ」
「……クァ?」
「つまり、いい機会だから、この禿部分の七割に急速発毛を促してみたい。もし失敗してもバードマンなら羽毛が増えるだけだからそれほど害はないだろう?」
「……ク、クァ」
「いいだろう? みっともない禿がすぐ治るかもしれない。いや、治るんだ。余計に生える部分があるかもしれないだけだ」
「クァ……」
 バスター卿とキングフィッシャー将軍はじっと睨み合っている。
 そして、それを聞いていたテテスは呆れ顔。
「あの……そういう交渉は隠れてやったほうがいいと思うんです、兄上」
「!」
「!」
 どうも衆目の前でこの下らなくも切実な交渉をしているのを忘れていたらしい。

(続く)


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