オーロラの動きは、見違えるように良くなった。
アンゼロスほどの速さではないにしろ、足も使い、斬撃波でルーカスの動きも絞る。
今までの動きの悪さはなんだったんだ、と言いたくなるような切り替えだ。
「これほど……強くなったのか、オーロラは」
ディオール氏も目を見開く。
「なるほどな。ルーカス将軍に調子こかせるために、わざわざ一年前のレベルで闘ってた……ってわけか」
ベッカー特務百人長もニヤリとする。
ディアーネさんは腕組みをし、目を細めた。
「だが、番狂わせにはまだ足りない」
「……そうじゃな、攻めが互角になったとしても、あの小僧の方が勘は上回っておる。体力勝負にするのでないなら、切り札がもう一枚、必要じゃな」
ライラが評した通り。
オーロラの連続攻撃を、ルーカスは寸でのところでかわしきっている。
オーロラもルーカスの攻撃は二刀ての厚い守りと衝撃波で通さないのだが、あと一歩が届かないのは双方同じのようだった。
「く……私をここまで梃子摺らせたのは、オーバーナイト以来だ……!」
「……そうやって、格下相手に図に乗ってばかりいるのが、いけないのです……!」
「言うものだな。二年前にナイトクラスを取ったばかりの小娘が」
「雛鳥が空を知るのに一年も要りませんわ」
二人は肩で息をしつつも一歩も譲らない。
二人とも、意地があるのだ。
もはや権威を取り上げられ、剣腕をも凌駕されては立つ瀬のないルーカス。
その兄を乗り越えなくては殻を破れたことにならないオーロラ。
どちらも、負けては終われない。
それを静かに見守るディアーネさんの腕に、ディオール氏がゆっくりとすがる。
「どうか……」
「…………」
「どうか、ディアーネ。あの子達を……止めてくれ」
「ディオール殿」
「ルーカスも、オーロラも、私の子なんだ。……二人の誇りもわかる、だが、だからこそ。どちらかが勝って、どちらかが折られて、それでいいはずがない」
「その想いは正しい。……ならば、貴方が止めるべきだろう」
「しかし」
「わかっている。貴方にその力は、無い。……つまりは、貴方と貴方の森は、同じだ」
ディアーネさんは少し哀れむような瞳で、ディオール氏を見下ろす。
「新しい鼓動も、古い誇りも、自らの手元になく、御することができない。貴方が主で、貴方の目の前のことだというのに。あの二人は、自ら未来を掴もうとしているだけだ。それが潰しあうのがおかしいことだと思うなら、貴方はもっともっと前からできることがあったはずなんだ」
「……それでも、それでも、ディアーネ。今一度、私を助けてはくれまいか」
……哀れなまでに救いを求めるディオール氏。
情けないといえば情けないけれど、その姿もまた、父親だった。
今までウチの親父やアシュトン大臣、ボナパルト卿にユリシス王。いろいろな父を見てはきたけれど。
子の無事を願う気持ちだけは、やはり彼も同じ。
「私はあの男には恨みがある。アンディを殺そうとしたことは許せない」
「ほほ。あの小僧に地獄を見せることなら、すぐにでもやってやるぞえ」
ディアーネさんとライラは冷たい。
……まあ、確かに彼女らにとってはあいつをやっつける義理はあっても助ける義理はない。
「それでも、恥を忍んでお頼みする! ディアーネ!」
ディオール氏の懇願が、親父に重なる。
……俺が死んでしまったと思い込み、酒に酔って最低の死に方をした親父に。
「ちぇっ。……俺も義理はないんだけどさ」
俺はおもむろに、ベッカー特務百人長の肩をくぐり、二人の戦うフィールドに踏み出す。
「おい、スマイソンっ!」
ベッカー特務百人長が困惑した声を上げる。
……まあ、普通は困るよなあ、と思いつつ、無視して二人の真ん中に近づき。
「終わりだ、終わり! 兄妹の挨拶にしちゃ派手すぎるだろ!」
あえて空気を壊すように声を張り上げる。
「アンディさん」
「……飛んで火に入る!」
オーロラの困った声と、ルーカスの憎悪に満ちた声が重なる。
そして、殺気。
目にも止まらぬ剣閃が見えた。
……それが届く前に。
「アンディ!」
「スマイソンじゅーにんちょーっ!?」
「おのれっ!!」
ディアーネさんが横ざまに蹴りで衝撃波を叩き付け、後から俺にタックルしてきたナリスともども、斬撃波を掻き消しながら、もろとも吹き飛ばす。
そして一瞬遅れて、俺を守るように巨大な竜の腕が出現。
……いや、ブラックドラゴンが室内厭わず大出現。
屋敷が大崩壊。
「ぎゃわー!? 死ぬ死ぬ死ぬー!?」
「アンディさん、ナリスさんっ!」
「ベッカー、ジャンヌたちも頼むっ!」
「無茶苦茶してくれますねライラの姐さんは!!」
石造りの屋敷が崩れる阿鼻叫喚の中、それぞれが手近の人を守るのに必死になり。
「ブラック……ドラゴン……!?」
「もうやめろ、ルーカス。……やめるんだ」
位置関係上、ベッカー特務百人長に守られる形となったディオール氏。
と、なんだかんだで一緒になって彼を守るように建材を切り払っていたルーカスが、ブラックドラゴンの姿に呆然とする。
「そこまでじゃ、愚か者。……どうしてもと言うなら我が相手をしてやる。故郷を焼き払ってでも竜に挑戦したいというなら、もはや我に容赦の由はない」
「やめといた方がいいぜ、ルーカス将軍。姐さんが本気になったら森と氏族ごと一日で消える」
ライラが挑発をすれば、ベッカー特務百人長が静かに忠告する。
そして。
「オーロラ」
俺は救助に来ておきながら俺にしがみついて目をつぶってるナリスを撫でてやりつつ、オーロラの脳天に拳骨。
「いたっ……えっ」
「なんだありゃ。どう見たってお前が悪いだろ。いくら剣を習っておきたかったからって」
「アンディ……さん?」
「確かにあいつは俺も大嫌いだけど、あれじゃ向こうだって引くに引けない。謝っとけ」
「…………」
「親を悲しますな。たった18のお前がこんだけできるのに、猿真似の二番目だなんてもう誰も言わない。だいたい、超えるってのは、やっつけるだけじゃないだろう」
「……アンディ、さん」
しゅんとするオーロラ。
……そこに、おずおずとディオールさんが近づいてきて。
「前から、言いたかったのだが……オーロラ。お前が剣に優れているのはわかった。英雄に憧れているのも理解している。だが、まだその歳で自ら決めてかかることはないと思うのだ」
「父上……?」
「他の道も、たくさんある。剣を諦めるのではなく、私はお前に色々なことを理解できる者になって欲しい。……前にそう言った時は、お前はまだ子供過ぎたが……今なら、理解できるだろうか」
「…………」
「良いエルフになり、良い女になり……良い親になり、良い指導者になるには、凝り固まって欲しくない。良い剣士になったのはわかった。お前にも天賦の才があるのは、わかったから。だから、争うばかりの娘にならないでくれ。もっと他のことにも熱中してみせてくれ。私は、ずっとそう伝えたかった」
「…………」
確かに。
これは優柔不断で、ややもすれば単なる敗者への慰めにも聞こえる。
でも、千年以上生きるエルフが、そのほんの短い幼年期に自らを戦士と見定めてしまうのは、心配過ぎる話なのも確かなんだ。
俺もピーターがあと5年くらいしてそんなこと言い出したら絶対この人と似たようなことを言う。
そして、ルーカスは。
「……迷惑なだけの話だ。どうしてくれる」
渋々と、剣を崩れ残った壁にかけ直した。
「ライラ姉様、こっちで瓦礫にエルフ埋まっちまってるだよ!」
「ほ、これは失敬した」
「死んでない、大丈夫。……中でオーロラたちが暴れてるのを見て、他の人も遠ざかってたみたい」
「ライラ、もう少しやりようがあったんじゃないのか」
「そうは言うが、ディアーネ。我とても平静でいられる限度というものがある」
「そろそろ離れろナリス。そんなビキニで抱きつかれてたら欲情しちゃうぞ」
「う、うー……って、ドサクサで何言ってんですかアンタが作ったんでしょコレ!」
この騒動に対する他のエルフたちの反応は、意外なほど薄く。
……っていうか、ライラがすぐに人間体に戻ってしまったので「ドラゴン降臨」なんて大事が起きたこと自体、あんまり知れ渡らずに済んだようで。
「まあ、我としてもあれで引くのは少し禍根が残るんじゃが。オーロラとの勝負はともかく、ドサクサで飼い主殿の首を取ろうとしたのは許しがたいものじゃ」
「ああ。放置していいのか、アンディ?」
「まあ金玉駄目にされたら俺だって恨むと思うし……だからってそりゃ殺されてもいいわけじゃないけど」
それに関してはまあ、未遂だったし。家半壊というライラの狼藉でチャラという方向で。
それよりも。
「オーロラ、結局なんであんなことしたんだ」
ホテルのロビーで、すまし顔でワインを嗜んでいるオーロラに根本的なところを聞いてみる。
「……しがらみを、断ちたかったのです」
「しがらみ?」
「ヘリコンでたまたま森のエルフと出会った折、兄の代わりとして森を引っ張っていくよう、期待されていることを聞きました。……わたくしは兄ではない、そう口で言うだけでは足らぬと思ったのです。兄に勝ち、兄の上を行き、その上で自らの道を行くのであれば、それは仕方がない……と皆、諦めるのではと」
「ただでさえ今じゃマイナス評価の兄貴なんてほっとけばいいし、お前ちゃんと特務に従事して実績積んでるんだから。それにどうせオーロラに何か期待して直接手を出しに来るほど気合入ってないだろ、こっちのエルフは」
「……それはそうなのですけれど。どうせなら、はっきりとした形で……それに、兄に勝つという目標を今ほど具体的に考えられた事はなかったのです」
「……争うばかりの娘になるな、っていうディオールさんの心配がよくわかるなぁ」
オーロラは何かに勝ちたいという欲求に前向きすぎる。
「ただ、斬撃波のコツを体得できたのは大きな収穫ですわ」
オーロラが言い訳のように言ったこの言葉には、ディアーネさんも頷く。
「本当にリスクなく打てるようになったのなら、今の防御技術に加えて中距離での決定打を手に入れたことになるな。オーロラもマスターナイトが近いかもしれない」
「マスターナイト……わたくしが、将軍、ですか……」
実感できるところまできている、その大きな目標にうっとりしているかと思えば、オーロラは耳を垂らして妙に思案顔。
「どうした、嬉しくないのか?」
「……いざ、そう考えてみると確かに難しいものですわね」
「?」
「将軍となればよほどの特殊な部署に行かない限りは責任に追い回されることになります。アンディさんの雌奴隷を全うできなくなってしまう。ディアーネさんがナイトクラスを取らないのも頷けますわ」
……いや、それは時々でもいいというか……。
いや、いつでもデキるに越したことはないんだけど、幹部学校出でもエースナイトでもない俺には有り得ない「将軍職」ってのはすごく惜しいと思うんだけどなあ。
「ほほ。……となると、じゃ。剣で頂点を目指すでもなく、かといって剣以外に何が出来るわけでもない、乳も足りぬそなたは、いかにも押しの弱いことになるのう」
「!」
ライラの指摘に耳を立てて目を見開くオーロラ。
「……い、言われてみれば確かにそうですわね……父はもしや、このことを」
「当たらずとも遠からずじゃろう」
なんだかとてもどうでもいい問題に思えてきたよオーロラ。
「そーれーよーりー。観光しましょうよスマイソン十人長ー」
「お前一人で行ってこれないのかよ! なんで毎度俺を誘うんだよ!」
「えー、だってなんかここビキニアーマーだと視線がものすごいですし。かといって誰か連れて行こうにも、オーロラ十人長やライラさんだと余計な騒ぎになりそうですしディアーネ百人長やルナちゃんも目立ちますし」
「着・替・え・ろ・よ!」
「あ、その手が」
アホの子がいる。
そんなナリスはとりあえずほっといて、夕暮れの街をこっそり歩く俺。
人目を忍ぶようにして入ったのはもちろん風俗宿……ではなく。
うんクラベスにはそんなのない。っていうか少なくとも俺は知らない。
「いらっしゃいませ。本日はもう閉館……」
「ども。ご無沙汰してます」
入ったのは刻紋研究所だった。
「あら。貴方は確か、去年のあの事件で……」
受付のレニーさんだったか、エルフの女性が不穏な言葉を発する。
事件て。
ルーカス失脚の事件はやっぱり知れ渡ってるのか。俺が深く関与してることも。
「その、欲しいものがあるんですけど……刻紋の教本」
これだけは、自分で買いたかったのだ。
断られたら諦めようと思っていたが、別に悪い印象があったというわけではないらしい。
「教本、ですか……コモンで書かれたものは今、ないんですよね……」
「コモン?」
「外の標準語、今話してるこっちの言葉です。エルフ語のものならあるんですけれど」
「…………」
読めない……と諦めることはないのか。
アイリーナやオーロラに解読してもらうとかエルフ語読めるように気長に教えてもらうとか、あてはある。
「お値段は……どんなもんで?」
「2000枚からで」
高ぇ。
……けど、実は去年からちょっとずつ貯金してたのだ。刻紋ペン欲しかったし。
特務で手取りが上がったとはいえ、それでも給料一ヶ月分の七割近くだけど、これを逃す手はない。
「……う、く、下さい」
「お買い上げありがとうございます。どうですか、刻紋続けてらっしゃるんですか」
「おかげさまで……色々役に立ってます」
ガサガサと本を包んでもらいながら俺はドキドキしていた。
鍛冶に刻紋。
オーロラほど派手じゃないけれど、俺のできることもどんどん広がっていく。
(続く)
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