リンダさんが来てから数日。
 俺たちはリンダ・ノイマンという女がどれだけ凄いのか、理解し始めていた。

「何ぃ? 商売してるくせに帳簿がない?」
「は、はい。大体のところは私もアイリーナも覚えているので……」
「覚えてりゃいいってもんじゃないよ! そういう資料っていうのは第三者のためのもんだ、真面目に稼ぐつもりなら今すぐ作りな! それにこの一角馬の角! ふざけんじゃないよ牧畜してるくせに何グラム売りなんかしちゃってんだい、一本売りでブランド性高めなきゃ! 買い付けの商人なんて本人は貧乏そうに見えてもバックが唸るほど金持ってんだ、遠慮なんかしちゃ駄目だよ! それに値が安すぎ、三倍半取れるよこれ」
「そ、そう……なのですか?」
「現役のトロット商人の私が言うんだ、覚えときな。商人は足元見る仕事だ、そいつら相手にはそっぽ向かれて一月経つまでは強気を崩しちゃ駄目さ。品質に自信があるならね。反対に……小売りならちょっとの損は信用費だ、渋い顔ばっかしちゃ駄目だがね」
「は、はあ」
 男爵邸では桜の名代、つまりエルフ世界では実質王様格たるクリスティがリンダさんに叱られていた。
「男爵、なにあれ」
「うむ。どうやらエルフ領の方々がちぐはぐな商売をしているというのを、町の商人たちから探り出したようでな。朝からあの調子だ」
「男爵はちぐはぐだって知ってたの?」
「私は商人ではないからなぁ。多少手際が悪くても指導などできんよ」
 どうやら周知の事実だったっぽい。
「むしろ私に三倍半で売ってくれなさいよ。全部王都やセレスタで捌いちまうからさ」
「え、でも、そんなお手間……」
「差し引きでもこっちは大もうけ確実さ。今までアンタらから買い付けた商人はみんな長者になってるはずだよ。全く、馬さんも浮かばれないよ」
 腰に手を当てるリンダさんは、もう「痛いから」手を当てているという風情ではない。
 というか。
「……私もこの町で様々なご婦人が療養していくのを見てきたが。霊泉で療養してこれほど若返ったご婦人は見たことがないな」
「実は呪いとか食らってたんじゃないですかね、歳を余計に食うような」
 俺と男爵が真顔でそういう会話をしてしまうほど、見違えるように若返りつつあった。
 歳では随分上のはずだが、男爵夫人と同じくらい若く見えてきている。
「生命力が桁違いじゃからな。さすがに昔は冒険家をしていたというだけのことはある」
 アイリーナが疲れた顔で、セレンとアップルの作ったアップルパイをもしゅもしゅ食べる。
「そういうのも魔法でわかるの?」
「魔法なぞ使う必要があるか。覇気じゃ覇気。かのボナパルト殿やディアーネと正面切っても見劣らぬ」
「……確かに」
 まあ……かつてはトロットの大黒柱と謳われたユリシス王と丁々発止だったわけで。
 彼らの世代から見りゃ、今の俺たち働き盛りの世代は元気なく見えて当然かも。
 ……と、くるりと振り向いたリンダさんがつかつかとアイリーナに迫る。
「あーあーあーあー、アイリーナちゃんよ、こんなにパイ生地散らして! ちゃんとナプキン付けなきゃ駄目じゃないか! ほら男爵様、用意してやりなよ!」
「お、おお、申し訳ない」
 すっかりアイリーナは「アイリーナちゃん」と子供扱い。最初こそ不満顔をしていたが、最近ではアイリーナも反論を諦めている。
「おっと、そろそろピーター坊やの泣き出す頃合いじゃないか。ちょいと失礼するよ」
「ピーターのことはジャンヌとかアップルが見てますけど……」
「あの子ら、こう言っちゃなんだけど、クニで子守とかあんまりしてたクチじゃないだろう? 手際が危なっかしいよ、どうしても。今からでもちゃんと教えてやんなきゃ」
 ツカツカと書斎を出て行くリンダさん。
 おばあちゃんとして、商人として、また温泉で美しさを取り戻す女性として。
 そのポテンシャルを全開にし続ける彼女に、男爵邸で張り合える人物は……。
「ですから、庶民の子に紙おむつなんて高いものは使えませんって! ウチの子たちも布おむつだったんですから!」
「それっくらい王都じゃそんな高くないんだってばさ! なんならウチで今度から送ってやるよ!」
「アンディ君の経済的にそういうのを癖にしたら駄目なんです! くれぐれも、って当の母親から言われてるんです!」
「だから紙の生産技術が今ドーンと底上げされて安くなってるんだよ、心配しなくてもすぐ手が届くってば!」
 ……男爵夫人くらいか。
 っていうか。
「ピーターが男爵をパパだと誤認するのも心配だけど、母親を男爵夫人と勘違いされるのも時間の問題だな……」
「まあウチの子供たちよりも随分素直で扱いやすいとアイツも楽しんでおるからなあ……」
「……貴族の奥さんを息子の乳母にしてるって、実は俺すげえ贅沢ですね」
「それは気にするな。最近歳のことを言っても滅多に怒らない程度にはウチのも楽しんでいる」
「……すみませんホント」
 雌奴隷関係もそうだけど、俺ってホントにラッキーの塊みたいな状況だなあ……。
 とはいえ、甘えてばかりもいられない。
 なんとか、なんとか頑張って自立もしないと。
 ……探索任務終わったら真剣に身を落ち着ける算段立てよう。


「と思うんだ」
 夜の酒場。
 俺が陶ジョッキをドンと置くと、ジョニーとキールが三秒置いてからげらげら笑った。
「真剣にってお前」
「異種族の彼女何人引き連れて言うかなあコンチクショー。コンチクショー!」
 肩を叩く手がとても痛いよキール。
「単純計算でいきなり十人ぐらい養おうってんだろ。修行終わってもない鍛冶屋の卵のくせに」
「うん無理」
「無理って言うな!」
「無理なもんは無理だよ馬鹿野郎!」
 何故切れるんだキール。
 ……とはいえ、まあ普通の鍛冶屋でも子供三人育ててカツカツくらいだから……。
「い、一応、今回の特務で目覚しい活躍ができれば百人長にしてもらえると思うから、その年金もプラスで……」
「目覚しい活躍って。お前今まで何の活躍してんだよ」
「…………南方でマスターナイトやっつけたこともあるぞ」
「うん聞いた。アンゼロスさんが、だったよな」
「北の森の聖獣助けて英雄扱いもされてる」
「うん聞いた。ボナパルト伯爵とあのダークエルフ隊長と、あとライラさんたちがやったんだっけ?」
「男爵とアンゼロスさんとオーロラさんも活躍したとは聞いてるけど」
「お、俺だってな!?」
 どんどん気持ちが落ち込んできた。
 そうだよね。その辺が評価されてたら再編成で俺にも昇進の話来るよね。
「……どうしよう。どうやって養おう」
「今更過ぎる」
「もう死ねよこの遊び人」
 ちょっと本気入ってないかキール。
 ……そこにオナニーブラザーズがジョッキとおつまみ持って割り込んできた。
「やっぱ食い物美味いと酒も進むっすねえ。ジョニーさんも食いますか」
「おー、気が利くなあお前の部下」
「キールも食う?」
「待てランツ、一応俺も年上だぞ!? なんでジョニーだけ敬語なんだよ!?」
「いやホラ、なんかキールの方が雑魚っぽいし」
「ゴートまで喧嘩売ってんのか!? ごめん喧嘩はやめようオーガに勝てる気はしない」
 雑魚丸出し過ぎるキールにみんな笑う。

「まあ実際のところ、スマイソン十人長が自分の稼ぎだけであの雌奴隷ズ食わせるのは不可能ですよね」
「うん。ライラさんとかジャンヌちゃんとか超飲むし。シャロンさんとかオーロラさんとかにボロ着せたら本人たちは良くても誰か殺しに来そうですし」
「ライラさんとマイアちゃんはなんか全裸でも平気そうだけどな」
「でも貧乏に耐えながら女囲うって最低だよな」
 四人の意見は一致。『お前無茶言い過ぎ』。
「……共稼ぎ……しかないか。カッコ悪いけど」
「未だにそこにこだわってたスマイソン十人長に色々な意味で驚きます」
「大体、あの人たち実家がすっごい金持ちとか権力者とかいるじゃないですか。アンゼロス十人長もそうですし。遺産貰って悠々ってのが規定路線じゃないんですか」
 ゴートとランツの意見はまあ、普通考えるだろうけど。
「そこを飲むにはまず実家に歓迎されることが重要だ」
「……あー」
「……なるほど」
 遺産くれるほど歓迎してくれる人は……まあ、いないよね。
 首輪付けてお宅の娘は俺の雌奴隷だって言い張る男に。
「でも実際は普通に浮気してるだけで、一般的イメージほど奴隷奴隷させてるわけでもないんでしょうに」
「そうなんだけどさあ。でもセレンとアップルが言い出してからなんとなくみんな雌奴隷上等って言うか、むしろ私も雌奴隷じゃなきゃ不公平だとかそんな空気」
 ヒルダさんとか人妻奴隷なんていうエロ絵巻も真っ青の状態なので非常に言い訳に困る。
「なあアンディ。ずっと言いたかったことがある。世の中間違ってるよ。ジョニーも結婚してお前もそんなウハウハなのになんで俺には女の子との出会いがないのさ」
「そこはジョニーに聞いてくれ。俺の中のお前は去年以前はただのデブだ」
「デブがいけないのか! デブなめんな!」
 ゴートに襟首掴まれて止められつつ暴れるキール。もう痩せてるんだからいいじゃん。
「まあ、ほっといてもヒルダさんや百人長が働くのやめちゃうとは思えませんし、他の人たちも結構貯金してそうですし」
「ていうかライラさんやマイアちゃんとか突っ立ってるだけで貢ぎ物いっぱい集まりそうだよな。なんとかなるんじゃないですか」
「俺は男としてそれなりに責任持ちたいの!」
「諦めろ。責任持ちたいなら持てる数に減らせ」
「減らせっていうかいい加減にしろお前の半分くらいは俺も女の子にモテていいはずだー!」

 話題の華やかさに比して男五人テーブルのむさくるしいこと。
 でも、こういうのも心地いいんだよなあ。


 で、ほろ酔いで宿に帰り着き、千鳥足でなんとか部屋に入る。
 いや、ほろ酔いだってば。信じようよ。
「お、俺だって……いろいろ考えてるんだぞう……将来とか……生活とかぁ……」
 誰に言うともなく。
 ベッドに倒れこんで、ぶちぶちと言い訳する。
「考えてはいるんだ……でもさあ……」
「でも、なんですか」
「……けいさんがあわないだけだ……」
「……最初から合いそうにないのですが」
「……だってしょうがねえじゃねえか……みんな可愛いし……俺がこんなメチャクチャなのに許しちゃうし……好きって、言って……俺を甘やかすし……」
「…………」
「なら……幸せにしてやらなきゃ、帳尻が合わねえよ……」
「……責任感が、強いのですね」
「違うよ……ただ、俺は……」
「…………」
「俺は、欲張りなだけだ……好きなものをずっと手元に置いとける、資格が……欲しいだけ……」
 分不相応だなんて、わかっているんだ。
 でも、みんなを笑顔でいさせてやりたいって。
 俺が好きな人に、みんなそうあって欲しいっていう願い。
 ……誰かに寄りかかりきりじゃいけない。
 それはきっと、不公平。誰かが笑顔じゃなくなってしまう。
 だから、俺が何とかしたいなあと思う。
 絶対無理かなあ。なんとかなる気もするんだけどなあ。
「……資格……ですか」
「うん……」
 そういえば。
 俺、誰と喋ってるんだろう。

「……ならば、私は、なんの資格もないのでしょうね。どこにいる資格も、何を望む資格も」

 悲しい言葉が聞こえる。
 俺は、手を差し伸ばし、なんとなく目の前のものを抱き締める。
「ある」
「……え」
「あるよ。……変なこと言うな。ないわけないだろ」
 全く理屈も何もあったもんじゃない。ただの反射的な返答。
 それを、腕の中の小さな誰かに囁く。
「だから……」
 俺は何を言おうとしたのか、浮かんでは霧散する思考の水面から拾い上げるのを諦める。
「それでいいんだって……」
 適当に言葉を締めくくり。
 そのまま、眠りの淵に落ちていく。


 目が覚めてみると。
「……すぅ」
「!?」
 何故かネイアをしっかり抱き締めて眠っていた。
 一瞬混乱する。
 なんだ。何でこんなことになってる。昨日俺は何をした。
 ……と、一通り考えてから、ネイアが普通に服を着て寝ていることに安心。
 落ち着いて考えてみる。
 ベッドの柱の一つにはネイアの古い鍔広帽子。
 部屋の隅には閃光剣。コート掛けには短めのマント。
 俺の部屋にあるべきクロスボウや各種の荷物包み、衣類はひとつもない。
「……ネイアの部屋に間違えて入っちゃったのか」
 ネイアも酔っ払いなんて追い出せばよかったのに。
 身を起こそうとすると、ネイアがぎゅっと服を掴む。まだ眠りの中のようだ。
 ふわふわとした猫っ毛と整った顔立ち。少し押し付けられた、体の小ささの割りに量感のあるおっぱいが意識を引っ張る。
 ……いやいやいや。何欲情しかけてるんだってば。
 ネイアだぞ。
 恋人でも雌奴隷でもなんでもない。強いて言えば……。
「そういや一緒にお風呂入っておっぱい揉ませてもらう約束したはずだよな」
 おっぱい揉ませてもらう約束までしたかどうかは自信ないけど。意識的にあやふやにしておく。
 ま、まあとにかく、あんまりエッチなことさせてもらう理由はない上、俺が見た中でも最強級の戦士のネイアだ。
 あんまり邪な気分になっちゃ駄目だ。温厚な子だけど調子こいてキレられたら大変だ。
 そっと、そっと。身を離す。
 酔っていたとはいえ、勝手にベッドに潜り込んだことはあとで誠心誠意謝ろう。
 ……ネイアは、ぎゅっと服を引き。
「……おかあ、さん……」
 小さな声で呟いた。
「…………」
 あまりにも幼くて、あどけない言葉。
 彼女が顔を押し付けていた服に残る涙の跡を見つけ、俺は少し動けなくなる。
 ……ファリアのことだろうか。そうなのだろう。

 母とか、家庭とか。いろいろと考えさせられるこの頃。
 こんな娘もいる。俺は少し浮つきすぎていたかもしれない。
 まずは、この娘をなんとかしてやらなきゃいけないんだよな。

 そんなことを考えたところで、バーンと扉が開く。
「ネーイーアちゃん☆ 今日も元気に治療……」
「…………」
「んぅ……?」
 部屋に入ってきたヒルダさんが見たのはベッドから逆さに落ちた俺と、その服を引っ張ったまま自分も落ちかけて寝ぼけているネイア。
「あ、あらー、アンディ君ってばもうネイアちゃんに……」
「何もしてない!」
「……お、おはようございま……?」
 気まずげな笑いを浮かべるヒルダさん、胸と鼻で着地して尻から下をベッドの上に残した俺、そしてその服の裾からようやく手を離しつつ、ちょっと寝ぼけたネイア。
 視界の隅で閃光剣が呆れた様に光をゆっくり脈打たせた。

(続く)

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