「男爵は……この計画、全部知ってたんですか?」
「全部だなどと。私にはおおまかな方針を示した王の親書が届いたくらいだよ。内容を考えれば、ただ事でないとは思っていたところだがね」
 男爵の書斎にはポルカ周辺……というか、子蛇山脈と青蛇山脈、そしてエルフの森に囲まれた男爵領の大地図がある。
 広大だが辺鄙であるこの領地には、ポルカ周辺以外にほとんど人はない。
 街道沿いにいくつか山小屋程度の家があるのを除けば、この広い地域は無人と言って差し支えない。暖かい季節に峠を越えて羊飼いが出入りする程度か。
 子蛇山脈の存在と、冬場の降雪量は人の足を遠のかせるのに充分な要因だ。
 レンファンガスほどには随分遠いが、トロットの平均より高い確率で魔物も出る。
 無二の価値を持つ癒しの霊泉近くに住むのでないなら、こんな地域にわざわざ根を下ろそうという物好きはいるものじゃなかった。
 が、「万の人口の町を作る」という大事業にも耐えられる広さは確かにあった。
「水源はあるんですか?」
「ここら以外では霊泉は出ないが、地下水は豊富なはずだ。ただ、本当に数万も住み着くのであれば、野放図ではいけない。王都大学にも依頼して、治水計画をしっかり立ててもらわんとな」
「カールウィン人はまともな教育をほとんど受けた事のない者ばかりですよ。建築技術もセレスタの最低の貧民街レベルでした。放っておいては自分の家を建てるのだって覚束ないです」
「そのあたりの事情はアイリーナ殿にも聞いている。しかし大規模移民となると家をおろそかにはできないのも事実か。こればかりはドラゴンの手を借りても追いつくものかどうか……解決策は急務だな」
「ここらはすぐ雪に埋もれますから、とりあえずテントで我慢っていうのも限度がありますし」
「聞けばディアーネ殿は建築に関してもいっぱしのものというじゃないか。カールウィン現地の指揮は他の者に頼んで、ディアーネ殿にそこらを頼むというわけにはいかんものかな」
「知識じゃなくて労働力の問題じゃないですかね。それにディアーネさんは南方様式で、そのうえ一般建築でなく砦やなんかが得意分野らしいですよ」
「ふむ……難しいところだな。人足を集めるにしても、このあたりまで呼び寄せるのでは、そう数が見込めない……いっそ、ドラゴンに人足を運んでもらうか……」
「ドラゴン運用もあんまり派手にやると、俺の都合はともかくルース王の治世に悪い影響を与えかねないでしょう」
「確かにな……しかし、アンディもそういったことに気が回るようになったのだなあ」
 男爵がヒゲを撫でながら感心する。うん、まあ俺も具体的に何がどう悪いのかはよくわからないから、まずは遠慮しなきゃって感覚でしかないけれど。
 俺たちが二人して唸っているところに、アイリーナとクリスティが入ってきた。
「立ち聞きするつもりはなかったのじゃが、この耳じゃと扉の一枚くらい隔てても聞こえてしまうからの。話は聞かせてもらった」
「よい案があります。堂々とセレスタの力を借りてしまえばどうでしょう」
「クリスティ殿。いや、しかし……」
「我がエルフ領の家師たちにお任せを……と言えれば良かったのですが、まだ大規模に派遣できる態勢は整えられません。しかし……」
「元々ディアーネの力を借りるということは、セレスタの介入を受け入れているということでもある。ディアーネのツテでオーガの者たちを多く呼び寄せれば、人やエルフの家師の何倍の力になるかわからん。男爵殿も見たじゃろう、宿舎や新酒場を作った手際を」
「ふむ……確かにあの技が役立ててもらえるなら、実に心強いが」
 石の切り出しや木材の運搬、あるいは整地など、大雑把な力仕事にはドラゴンたちを使えばいい。休みも取らずに働いてくれることだろう。
 そして、いざ家を建てるとなればオーガの建築能力の出番。
 元来狩猟種族の彼らだが、セレスタで他種族に対する不動のアドバンテージを築いた分野は土建業界だ。巨体と剛力で立派な家をどんどん建てる能力は、ドワーフにも獣人にも、無論エルフや人間にも真似はできない。
 これに関しては、いくら腕力があっても数が少ないドラゴンでは限界がある。また、知能が高くても本来的にモノ作りを重視しないドラゴンたちより、建築関係のノウハウを多く積み重ねているという面もある。
「しかしこの地は仮にもトロット。どう言われますことやら」
「体面なぞ後で繕える範囲じゃ。何より、新たな民を凍えさせぬことこそが、統治者に求められる最優先条項じゃろうて」
「ふむ。確かに……意地を張るものではないかも知れませぬな」
「それに、かの古狸もその程度のことは織り込んでおろう。何もかも先例なき壮大な計画じゃ。まさか無理難題を、急に無関係の男爵殿に押し付けきり……ということもあるまい」
「かないませんな」
 男爵は苦笑する。
「そうとなれば、さっそくディアーネ殿にその旨を伝えねばなりませんな。手順抜きではオーガの大工も呼べぬでしょう」
「そうじゃな。スマイソン殿、そろそろ良いじゃろう」
「うん」
 俺は頷く。
 今日で腕を癒してもらってから一週間。
「大きな事件の終わり」から「次の日常」へと移り変わるべき時期だろう。


「そろそろ、またカールウィンに行こうと思う」
「もう少しゆっくりしてええんでねえだか」
「そうですよう。アンディさんはもうちょっとケイロンさんとかナリスさん見習うべきです」
 ジャンヌとセレンが口々に否定的なことを言う。
 ……いや、そういう言い方すると、本当にケイロンとナリスがだらけて遊ぶことしか考えてない駄目軍人みたいに見えるけど、あいつらもそれなりにちゃんと活躍したからね。
 今は……うん。本っ当に湯治客そのものの生活してるけど。
「ディアーネさんをいつまでもほっとくわけにはいかないし、俺、ドラゴンライダーだからさ。向こうのシルバードラゴンたちも協力してくれるっていうなら、とりあえずじっくり話をして、基本的にどういう風に手助けしてもらうかってところはきちんと決めておかないと。ポルカでまったりするのはその後でもできるし」
「そったらこと言って、また大ピンチになったりするでねえだよ」
「今度こそ、私、ついていきますからね?」
「セレン。自分の乳で子供は育てるだよ。アタシのこんな乳で二人育てるのは無茶だで」
「うう……ジャンヌちゃんのいじわる」
「セレンも子供生まれたら落ち着くと思ってただが。オカンになった自覚持つだよ? お産の時期にアンディが心配で仕方なかったってのは同情するだ。でも、子供をないがしろにする親にだけはなっちゃなんねえだよ。アンディは絶対にそれをさせないために、こうしてみんな幸せにしようと頑張ってるだよ」
「……う、うん」
 ……ジャンヌの方がめっちゃくちゃ年上に見える。
 やっぱり母は強いってことか。
 ジャンヌの言うように、セレンが精神的に休まらない状態で出産してしまって、親の自覚が生まれるのが遅れてるって部分もあるんだろうけど。
「ジャンヌの言う通りだ。俺は雌奴隷みんなに幸せになって欲しいし、子供たちにも混血だからって負い目を持つような育ち方をさせたくない。親の話をするときに笑顔になれないような子供って、それだけで不幸だろ?」
「……そう、ですね」
「俺の子供たちには、血が混ざった事を恥じるんじゃなく、血を引いていることを誇って欲しい。俺が親父やお袋の子としてそう思うように。……だからこそ、俺は頑張るんだ。セレンもそういう気持ちでいこうぜ」
「うう……心配ですよぅ」
「ライラ姉様やアンゼロスに任せて駄目なら、セレンが行っても駄目だと思うだよ」
 言いにくい事をズバリと言うジャンヌ。ウッと止まるセレン。
 本当に強くなったな……。


 そして、ネイアとベアトリスにも話す。
「えっ、もう?」
「お前はまだここにいていいんだけど、こっちはディアーネさんとの連絡もあるし、シルバードラゴンとの詰めもあるからな」
「べ、別にそんなにここに未練があるわけじゃないわよ!?」
「いいんですよベアトリス。しばらくは各国間の調整で向こうの体制も整わないでしょうし、ゆっくりしていってください。外の国の事を知るのも、これからはあなたの仕事の一つですよ」
 ベアトリスをなだめつつ、ネイアは自分の荷造りを始める。
 ネイアはそのまま帰る気らしい。
「ベアトリスの付き添いで来たのに放っておくのか?」
「腕はもう生えましたし、ベアトリスはどうも後ろ盾がいると無意識に甘えてしまうタイプのようです。自分で勉強させないといけないでしょう」
「お前だってここにいていいのに。……俺の雌奴隷になる約束だろ」
「いずれは。でも、私はあなたと共に、革命の首謀者です。国が落ち着くまでは、責任があります」
「……孕んだら無理にもポルカで産ませるからな?」
「その暁には素直に従いますよ」
 ネイアは屈託なく微笑む。
 そしてそのネイアをジト目で見上げるベアトリス。
「しれっとした顔して……あ、あんな調子でメチャクチャ恥ずかしいセックス……今までもしてたわけ?」
「あんなになってしまったのは初めてですけどね」
「よく、わ、私の前であんなのして、そんな……普通にしてられるわよね?」
「私なんて序の口ですよ。スマイソンさんの雌奴隷はみんな私より熱烈ですから。……今に、わかります」
「わ、わかるってどういうことよ!?」
 意味真に笑ってから帽子をかぶるネイア。
 いやその、俺もベアトリスにわからせる気はそんなにないんだけど。


 ライラに頼んで馬車を持ってきてもらい、俺たちは草原でそれを待つ。
 今日もいい天気。ポルカの短い夏はこれからが本番。
 俺は冬までにカールウィンやレンファンガスと何往復もして、この広い広い草原が徐々に賑やかになるのを見届けることになるのだろう。
 そんな草原をザアッと揺らし、風が吹き抜け、ネイアのかぶっていた帽子をフワリと浮かせる。
 ネイアは慌てて飛ばないように押さえて一息。
 俺はふと思い立って、その帽子をひょいと奪う。
「あっ」
「思うんだけどさ。……これ、もう被るのやめたら?」
「き、急に何を言うんですか」
「お前はもう、勇者じゃない」
 ネイアの目を見て俺は言う。
「勇者という名で英雄を強引に作り上げ、罪と義務を無限に積み上げさせる国はもうない。お前はファリアから受け継いだそれを、もう終わらせたんだ。……これはお前がそれを受け継いだ証だ。お前が被ってる限り、これはただのファリアの思い出の品じゃない。その業の印だ。だから、もうやめよう」
「……でも」
「お前がいつかポルカに住む時のために、俺が飾って取っておくよ。お前は今から、新しいネイアになるべきだ」
 そう言って、いつか作った髪飾りを荷物袋から取り出す。
 ネイアのふわふわの髪をそっとそれでまとめてやり、帽子は代わりに荷物袋にしまう。
「似合うぞ」
「……スマイソン、さん」
 金髪が風になびく。
 帽子を取って髪飾りに変えただけ。それだけなのに、ネイアの纏っていたどこか悲壮な雰囲気は消え去り、少女らしいかわいらしさが倍増したように思える。
 見つめ合う俺たちの上に陰が差す。ライラが上空に到着したからだ。
 それを二人で見上げて、そしてネイアの頭を軽く撫でて。
「さて、行くか。……また帰ってくるために」
「……はいっ!」

(続く)

目次へ