離宮に集まっていた騎士たちも谷の王宮に戻り、また伝令を飛ばして上流キャンプにいたアップルとヒルダさんも呼ぶ。
 全ては終わった。
 この谷の支配者を排除し、死と無知、貧困と閉塞の三百年は、今日、終わった。
 ……と言えば、聞こえはいいが。

「見方を変えれば、ただの侵略と征服よな」
「……そうだよな」
 もう少し、ましな終わりにできたのではないか、なんてモヤモヤと考える俺に、アイリーナは明快な答えを与える。
 そう、これは決して円満で優しい終わりなんかじゃない。
 いつかは敵意を持って論じられることも有り得る、力にものをいわせた強引な歴史の幕引きだ。
「しかし、ここは邪悪なる意図をもって作られた残酷なる箱庭。その既得権益を無闇に気遣い、命を脅かされてなお毅然とできぬのでは、力持つには値せぬ……とも言える」
「…………」
「ま、気にするな……というのも無茶な注文かも知れぬがのう。ひとつの事件、ひとつの時代の意義というのは、変わり続けるものじゃ。未来永劫の評価など得られるものではない」
「……そうかも知れないけど」
「背を丸めるな。振り返るな。勝利を恥じるな」
 アイリーナは俺の目を見つめる。
「今というものは、そなたがいるここにしかなく、未来はその先にしかない。そなたが求め、手にしたものが無価値でないと思うなら、胸を張れ。そなたが守った者たちが誇りを持って生きるために。……もし、そなたの間違いで生かされているとなれば、誰も自らの生に誇りは持てん。じゃが、そなたが、古きものを打ち壊してでもその生を守ることを選んだ、と胸を張るのなら……人々はそれに報いるために、より良き明日を目指すじゃろう」
「……そっか。それが……」
「それが、英雄というものじゃ」
 未だに俺は、自分がそれだけの存在になっているなんて思えはしないけど。
「顔を上げるには、それでも不足かの?」
「……いや。充分だ」
 俺はネイアと、ネイアの大切な人たちを守った。
 それは例え後世に暴虐と言われようとも、恥じる気はない。
 そして、その俺を見て、彼女たちが誇りを持って生きていくのなら……アイリーナの言う通り、自分の戦いを今は迷いなく背負おう。


 とりあえず、集まったシルバードラゴンたちにシャリオたちの現状を知らせる。
 その上で、これ以上の手出しをしないように、と頼む。
「しかし、悪竜となるを承知の上であなたに手を出した者たちです」
「いずれは復讐を企てるかもしれません。乗り手との結びつきが盟約を凌駕するとは、そういうことです」
 口々に彼らは「シャリオとレイラを放置するのは危険だ」と言ってくるが、俺はそれをなんとか説き伏せようとする。
 しかし。
「それにコルティも沙汰なしというわけにはいかないでしょう」
「そうです。竜は強く自由な存在と自認しておるものですが、それゆえに数少なき『やってはならぬこと』には厳しくあらねばなりません」
 同族間の意識が強いだけに、そのルールから外れるものには容赦ない。
 エルフによる「破門」と同様、「悪竜」と呼ばれるのはそういう致命的な罪状だ。
 本来的に力を持て余し、野蛮さを噴出させればどこまでもいってしまうのが、ドラゴンの特性でもある。
 やられかけた本人である俺の弁護ですらも容易には通らない。それほどのインパクトを持つ「悪竜」という言葉の威力は、他種族の理解を拒むほどのものだ。
 しかし、もうこれ以上の諍いはいらない。
「頼むからあいつらはもう放っておいてあげてくれ。もうドラゴンは充分に死んだだろう」
「殺さなかったからといって、もう我らの仲間と認められるわけではありません。行き場はない。誰からいつ命を奪われるともしれず、あとは介錯を待つだけの身」
「悪竜とはそういう者です。シャリオらもわかっているはずだ」
「お前らな……」
 つまりは、既に悪竜というのは生きたドラゴンには勘定されない。
 ついこの間までお前らも半分共感してたんだろうが、と大声を出したくなったが、飲み込む。
 それだけ彼女らの超えてしまった一線は、ドラゴンたちの価値観では「違った」ということなのだろう。
「もういいわ、アンディ・スマイソン」
 コルティが諦めたように俺の肩を引く。
「そういうことなのよ。もう、ライナー様が死んだ時点で私たちは終わり。姉さんも、あの分じゃ生き残ったところでその先の展望なんてないだろうし」
「だから死んでいいっていうのか」
「私たちはライナー様に賭けた。その賭けに負けた。アンタたちの言葉で言うなら、それだけのことよ。それに」
 じっとコルティは俺を見つめ。
「例え助かっても、姉さんはアンタを許さない。アンタに感謝なんかしない」
「…………」
「わかる? アンタは好かれたいから、綺麗な女がみすみす死ぬのを見過ごしたくない……っていうんだろうけど、姉さんはもうライナー様に魂を捧げると誓ってる。そのライナー様の死の原因になったアンタを許すことなんて絶対ない」
 そして、ヤケになったように目を逸らし、吐き捨てる。
「片付くだけよ。私も、シャリオも、姉さんも。この世から、ライナー様と一緒に。それが敗れたドラゴンに果たせる、最後の忠誠」
 それをシルバードラゴンの一人が重々しく肯定する。
「つまり、これも情けです。見送っていただきたい」
「駄目だ」
「スマイソン殿……」
「……じゃあ、こういうことにしといてくれ。三人は俺のドラゴンだ。力の契約をするつもりで説得中だから、それが終わるまで待ってくれ」
「無意味よ」
「ドラゴンは一度交わした力の契約は、主が死んでも手放さぬものです」
「それでもだ。今までやらなかったのなら、俺が最初の一例になる」
「スマイソン殿。無茶を仰いますな」
「アンタ頭おかしいの? アンタを許さないって言ってるのよ。姉さんだけじゃなく、私も、シャリオも」
「それでもだ。何度でも説得に来させてもらうよ。だから、頼む」
 ……俺も、今さらシャリオたちが俺の配下になるなんて思ってるわけじゃない。
 ただ、せめて考える時間ぐらいはあっていいと思った。
 みんな早く始末を付けたがっている。わかりきった答えとして、もうここまでで彼女らの幕も引いて終わりにするべきだと。
 だけど、そんなに急がなくてもいいだろう。
 それに……死ぬとしても、ライナーに寄り添って死ぬのぐらい、そっと許してやりたい。
 飢え死にを待つなんて、そっちの方が残酷なのかもしれないけど。
「頼む」
 ……俺の懇願に、シルバードラゴンたちは顔を見合わせ。
「わかりました」
「リェーダ!」
「皆も、乗り手にここまで言わせたのなら、待つくらいはいいでしょう。殺すのはいつでもいいことです」
「……むぅ」
「しかし……」
 リェーダが他のドラゴンたちをなだめ、次第に俺の意見が浸透する。
 こうして、シャリオやレイラたち、そしてコルティの死は今のところ免れることになった。


 そして、夜。
「祝宴……というほどではないが、せっかくだからな」
「持ってきた食料は長期戦に備えておったからの。職人たちも元の村に戻したし、多少は贅沢をしてもよかろう」
 ボナパルト卿やユリシス先王らが、広い王宮の中庭に卓を並べて野外パーティーを企画してくれた。
 と言っても保存食を少し調理したものと酒ばかりで、パーティーというにはだいぶみみっちいけど。
「いただきまーす」
「かたじけない」
「やー今日は疲れましたからねえ」
「今日ばかりはナリスもお手柄だったわね」
 ガントレットの四人娘が最初に料理に手をつけ、それを皮切りにワイワイとみんなが手を出し始める。
「早くアンディ君ブレイクコアちゃんのところに連れて行かないとね。はい、あーん☆」
「他の勇者隊とかの負傷者もみんな運ばないといけないところですけどね。あ、ども」
 片手なので杯を持ったら他に何も持てない。
 料理はヒルダさんが次々に選んでは俺に差し出してくれて、同じような事をしようとして手を出しあぐねてるアップルにちょっと申し訳ない。
 そんなパーティーの席に、途中でデューク神官長が参入してきた。
「失礼。……やれやれ、本当に王も姫もいなくなったのだな」
「デューク神官長!」
「ブライアン、無事だったかね」
 駆け寄ったブライアンの肩を両手で叩き、無事を確認したデューク神官長は、やがてユリシス先王に向き直る。
「お招きにあずかり、馳せ参じました。女神アルトレスの教えを伝える神官の長、デュークと申します」
「我々はトロット王国より参った、アンディ・スマイソン救出隊のもの。申し訳ないが貴国の指導者を名乗る賊は排除させていただいた」
「……賊」
「王とまみえられれば良かったのじゃが、な。おったのは女王を名乗る乱心者と、いくらかの雑兵ばかり。貴国の勇者にも是非をうかがい、政権能力なしと判断させていただいた。……単刀直入で申し訳ないが、王宮外においては貴殿が最も見識のある方と聞き及ぶ。この地の旗を持つ気はござらぬか」
「……私に王の代わりをやれ、と」
「左様。ブライアン・ルオ殿、ネイア・グランス殿よりの推挙じゃ」
「ブライアン。そういうことなら、私より君が……」
「僕はまだ勉強が必要です。補佐に回らせてください。あなたの他に、今はカールウィン三万の民を導ける人がいないんです」
「私もまつりごとは専門外だ。たかだか聖句を読むだけが能の男に無茶を言う」
「お願いします、神官長!」
 ブライアンの熱心な頼みに、デューク神官長は何度か辞退を繰り返し、しばらくしてようやく折れる。
 そして襟を正し、ユリシス先王に向き直り。
「……私にできることならば。とはいえ、不勉強の私を相手にこれから何かの交渉というわけでもないでしょう」
「左様。……勉強はこれからしてもらう。この国はあまりに勉強というものから遠ざかり過ぎておる。何を始めるにせよ、誰にも勉強してもらわねばな」
 ユリシス王はエクターの用意した椅子に腰掛け、ふぅ、と息をつき。
「……それと、移住者の募集じゃ」
「移住……?」
「この国はあまりにも貧しい。農地の改良をすれば多少は豊かになろうが、それと並行して外への移住も進めるべきじゃろう。人は、もう少し人らしく暮らすべきじゃ」
「……何も知らぬ、何もできぬカールウィンの民に、行くあてがあると仰りますか」
「無論。あるから言うておる」
 ……え?
 あるの……?
 聞いている俺もびっくりしている中で、ユリシス先王は皺だらけの手で空中をなぞるようにしつつ言う。
「三万、全てを連れていけというなら連れて行くこともできよう」

(続く)

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