月日の流れと言うのは残酷なものだ。

 そう、長い月日というのは重い。非常に重い。
「……だいぶ捨てたな」
「後生大事によく持っとったのう。塗料がなんかべたべたしたフィギュアに、売値のつかないエロゲの箱に、数百冊の微妙な同人誌にガンプラに音の鳴らないガタックゼクターに……」
「音さえ鳴ればまだ猶予したんだけどな……」
「やめんか。終わった番組のグッズなぞ増やし続けてもロクなことにならんぞ」
「お前だってココロパフュームはこっそり残したくせに!」
「ハトキャはまだプリキュアオールスターズでは現役じゃし!」
 ゴミの日のたびに大規模に物を捨て、着なくなった服も捨てて、本やゲームは可能な限りJR大森駅前のブックオフに持って行き、よくぞこんなに排出するもんだと毎回住人である俺たち自身が驚きながらそろそろ一ヶ月。
 まだ部屋が完全に綺麗になったかと言うと全然だが、それでもコーポ島村103号室はだんだんと積年の埃を減らしつつある。
 何故そんなことをしているかといえば……まあ、それは。


「取り壊し……?」
「すみませんねえ」
 月に一度しか会わない管理人の島村さん(80代男性)にそれを告げられたのは年明けの頃の事だった。
「業者さんが言うには『次に大きい地震が来たらもうわかりませんよ』って……このアパートも私の若い頃に建てたモンですから、元々アレでしたしね。まあ名残惜しくないといっちゃ嘘になりますが、こんなご時勢ですからね」
「……その、俺、引っ越そうにも貯金とかあんまり……」
「私の方でも不動産屋さんには話を通しておきますが、何しろ学生時代からの値段でしょ、小野崎君。もうこんなアパートだからあえて据え置きのままでしたけど、同じような値段の物件があるかはちょっとね……」
「……は、はあ」
 どうも去年の地震で、元々随分ガタが来ていたコーポ島村は限界に近づいているらしい。
 ウチはともかく階上のウメさんの部屋は窓が開きにくくなったとかで洗濯物をわざわざトーンキャストで遠くの友達の家の庭に運んで干してたりするし、さくらは何度か工事の業者を入れていた。
 が、そんなこんなでもたせていた毎日もどうやら終わりが近づいていたらしい。
「他の住人は……」
「ここ何年か、学生さんでもウチには入ってこなくなってましたからねえ。今どき風呂もないんじゃしょうがないけれどね。……あなたと、あと二軒だけなんですよ、今」
「…………」
 いつの間にやらコーポ島村は、ウメさんとさくら、そしてウチの三世帯になっていて。
 そして。


「さて……と。どうしたもんかな」
「なんじゃ。今さらになって」
「ああ……だってさ、まさか追い出されるなんて思ってなかったし……」
 正確には、引っ越す資金ぐらいは何とかなる。
 相変わらずアルバイトばかりだったが、労働時間自体は大学よりもずっと長くなっていたし割も悪くないトコが多い。大学時代のあまり多くない交友と、あとウメさんやみかん経由でエルフ系の店でも時々働かせてもらっているおかげだ。
 そして部屋に物が増え過ぎて、ここしばらく新しいものを買う事すら控えていたので、結果的に引越しや増える家賃に関しては、それほどの心配はない。
 しかし、ここを離れるとなると改めて実感させられるのだ。

 俺の本来のモラトリアム期間は、もう終わっている。
 本当ならこんな生活をヘラヘラ続けているなんて甘ったれでしかない。
 最初から……新卒で就職しなかった時からソレはわかっていた。一応この就職難という言い訳もあるにはあったが、焦りも漠然としか感じず、なんとなく生活してきてしまった。

 俺は社会的にも放置されている。
 大学に出てから親とは疎遠で、たまに取る連絡もぎこちない。
 元々折り合いはあまりよくないのだが、大学を出たところで家業らしいものがあるわけでもなし、帰って無理に継ぐものもなく、そのまま放置されていた。仕送りは大学を出た時点でこなくなっていたが、かかる金も減ったのでそれ自体は問題ない。
 つまるところ、稼いで東京に残るも地元に帰るも好きにしろ、という状態。
 ……みかんに出会ってから特にこういう扱いが多くなってきた気もするが、これはもしかしてみかんたちと同じく空気状態の存在感になる術に組み込まれているんじゃないかと思うこともある。
 まあ、武田や後輩たちも時々連絡取ってくるし、そうではないんだろうけど。

 そんな中で、大学生活の匂いを残すこのアパートを出るということは……他人が考える以上に大きな意味があると言わざるをえない。
 ここを出れば、もう俺は不真面目な大学生活の余勢で生きてるという自覚を捨てなければならない。
 拒むことはできない。
 もう真っ当で順当なレールなんてものは目の前にないけれど、それでもそれなりに人生設計をして、結婚して家庭を持ち、一人の大人としてしっかり生きていくということを意識せざるを得ないのだ。
 それがまだ実感が湧かなくて、湧かない事それ自体に今さら焦りを感じて。
「……どうした、もんかなあ」
 がーーー、と低い音を立てながら本日のゴミを収集していく青い車を眺めつつ、俺は空を見上げて溜息をつく。
 ビルの隙間から見上げる空は春爛漫の陽気で、桜がまだ開いていないのか不思議なくらいだった。


 しばらくするとケータイが鳴った。
『ねえケン君、引越し先もう決めた? まあ決まってないと思うけど』
「何でそんなことわかるんだよ、さくら……」
『だって就職の時もそんな調子だったし。でもさすがにケン君、住居の問題は就職の時みたいに仮の立場でボヘミアンってわけにはいかないでしょ?』
「……まあ、な」
 泊めてくれる友人……といっても、今となっては大学で馬鹿やってた友人たちとも交友が減り、家がないからしばらく居候させてくれと訴えられる奴もいない。かろうじて武田ぐらいか。
 生田も既に就職しているし(なんか出版関係らしい)、そもそも家族で住んでる女の子の家に居候しに行くとかどんだけだよって話で。
『……提案なんだけど、今度こそ一緒に住まない?』
「さくら……」
『まだ全然諦めてないわよ、私?』
 そして、さくらは職場でもモテモテなくせに俺にご執心のまま。
 俺とみかんが記憶を消し、騙していたことも既に理解しているのに、自分を受け入れられるオトコは他になし、と完全に決め込んでいるらしい。
 ……そりゃ、霊能力とかピストルとかの前歴を他の男につきつけるわけにもいかないし、それでもさくらを受け入れるかどうかという話も必然的にできないわけで、こうなるともう俺以外を探すという行動自体なくなってしまっている。それが正しいのかどうなのかという問題はさておいたまま、隣人としての付き合いはずっと続いているのだった。
『みかんちゃんや紀州さんはほっといても大丈夫でしょ。またどこかにスルッと潜り込んで気楽に暮らすに決まってるわよ。でも私もケン君も何千年も生きて魔法を使って好き放題ってわけにはいかないんだから……フツーの日本人として、まずそれなりの身支度すべきだと思わない?』
「……理屈では、そうなんだけどな」

 そう。
 エルフは、きっとこの2012年という時代だけでなく、この日本という国、資本主義民主主義の社会の衰亡、そしていずれ知的種族の頂として、いつか地球人類が自ら銀河意識体と対話するその時代まででも、ずっと生き続けているに違いない。
 でも俺やさくらはそれを知っていても、彼女らと同じ生き方はできない。
 地球人なのだ。地球人として生きる事しかできないのだ。
 例えば銀河意識体の力を持ってすればエルフたちの仲間にしてもらう事だってきっとできる。何千年先を見る事だって、不可能じゃない。
 しかし、この前ウメさんやライムちゃんと飲みながらその話をしたとき、彼女らはどこかさびしげな顔になってこう言っていた。
『できるけど、君は地球人として生まれてきて、地球人として生きてきて、地球の社会の中にいるためのザッキーなんだよ』
『いつか死ぬその時に、もう人間としての余生がないからエルフに生まれ変わる……きっとザッキーさんなら、そういう特例も認められると思います。なんといっても記憶操作や認識隠蔽が効かなくなるっていう珍しい変異起こしてますからね、自力で』
『でも、文字通りそれは生まれ変わる事。君は小野崎家に生まれた地球人の男性じゃなくて、さくらちゃんや武田君たちと同じ生活をした小野崎健一じゃなくて……異星人に、なるんだよ。それも、どこの星のものでもない異星人。もう地球人じゃないから地球の世界を母とは呼べない。だけどエルフたちの世界から来たわけじゃないから最終的にはそれとも違う。何者にもなれない孤独の存在。それがどういうことか、きっと想像はできないと思うけど』
『どれだけ長い寿命を得ても、帰る場所もなくて、行く場所もない。もう自分の属する世界がない。それはきっとザッキーが想像する以上に過酷なんです。……今までに何人かそういう人知ってますけどね』
『それに、私たちの精神構造、地球人と変わんないじゃーん、なんて気がしてると思うけどさ。これバラしたくないんだけど、ある意味結構努力して馴染ませてるの』
『なんでもできるってことは傲慢の種にしかならない。未来が長過ぎるってことは、日々の行動が徒労感にしか繋がらない。何もしなくても得られるってことは渇望を潰し、空虚しか生まない。完全にわかりあえるってことは……興味を、消すんです』
『あはは。……だからね。きっとザッキーが私たちみたいな存在になるのは、死ぬその時でいい。……そして十中八九、ザッキーみたいな普通の人が、エルフという充足した種族になったら、耐えられないから』
『……ごめんなさいね。なんだか景気の悪い……でも、そういうことなんです。私たちは満たされたが故に滅び行く種族の、変わり者。理論上生まれるはずのない、見た事のない宝物を信じて、永遠の暇つぶしをすることを選んだ……そんな変人一派なんですよ』

 あいつらは、俺たちとは違う。
 生田なんかはエルフとしての肉体と地球人としての感性を持ち合わせているが、それでも結局は最後にエルフ側に立つのだろう。
 しかし、俺はこれから……例えばみかんやウメさんに頼んでいつかエルフに生まれ変わるとしても、それまでの数十年、どうすればいい?

 自由が、重い。
 エルフへの変化なんてものを抜きにしても。地球人として死ぬことを選んだとしても。
 俺は、これらを知ったまま、どこへ向かえばいいのだろう?
 さくらの言うようにまともな人間として、とりあえずの人生を歩んでみるのか?
 それとも無理をして、みかんやウメさんたちと一緒に刹那を重ね続けるのか?
 ……どちらにしろ、俺は。
 何かに嘘をついて、目を背けて生きる事になる。
 選ぶとしても。選ばなくていいとしても。
 それはきっと……どれひとつとして、正しくないのだ。


「……腑抜けおって」
「みかん」
 俺が空を見上げたままぼんやりしていると、みかんがつまらなそうに俺を見た。
「何をそれほど考え込むのじゃ。とにかく次の住居を探すしかないじゃろう」
「まあ、そうなんだけど……少し人生とか考えちゃってな」
「……何故今クラナドの話を?」
「違ぇ!」
 相変わらずグダグダにしてくれるみかん。
 ……俺は。
 みかんと別れてさくらと人間の生き様に戻れるのか。
 みかんと一緒にいるために、まともな日本人であろうとするのを忘れて、今だけの連続を続けられるのか。
 ……みかんを。
 このダークエルフの少女を。
 俺は、

『アイガアイヲー重過ぎるってりかーいをー拒みー……』

「まだソレか。クオリアか水樹にしたらどうじゃ」
「AGEは全部撮り終わってからゆっくり見る事に決めてるんだよ!」
 最初の方を何度か見逃してしまったのでその辺がビデオソフト化されるのを待つ所存。そういうアニメを途中から見るのって負けた気分になるよね。
 ……それはともかく俺はケータイを再び開く。
 またさくらかと思ったら、実家からだった。
 珍しい事もあるもんだ。

「はい。健一だけど……」
『ああ、番号変わってなかったか。父さんだが……』
「何だよ」
『……落ち着いて聞け』
「あん?」
 勿体付けられて、つっけんどんになってしまう俺。
 しかし、次の言葉で俺は文字通り、平静を失う事になる。

『お袋が……婆さんが今朝、死んだ』

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