天然温泉平和島。旧名・平和島温泉クアハウス。
 ボートレース場の隣に聳え立つ巨大……というほどではないけど中規模複合娯楽施設ビッグファン平和島の目玉であり、中高年を中心に絶大な人気を集める場所だ。
 温泉とは言っても一般的な「温泉」イメージである壮大な岩風呂という感じでは当然なく、どちらかというと味のしょっぱいスーパー銭湯というのが正しい。
 大風呂ではあるが一番でかい浴槽も7〜8人も入れば狭いし、普通の温泉ではサービス不足と睨んでいるのかジェットバスやバブルバス、寝湯といった温泉を生かした装置以外にも、一見してなんか普通の風呂じゃね? と思ってしまうトゴール風呂(無味無臭の鉱石風呂らしい)やサウナに蒸気浴、そして本当にただの真水の水風呂といった小癪な仕掛けが浴室区画の半分を占領する。
 でも都内の温泉施設としてはわりと良心的な5時間1200円(平日)の料金設定、そしてつい最近リニューアルしたばかりの小奇麗で落ち着いた館内の雰囲気が魅力だ。


「それにしても若いのが妙におるな。せっかくのイヴにわざわざこんなところに来るか普通」
「いや、いろんな意味でその発言はどうかと思うぞ」
 本日、ガリラヤの大工さんちの子が謎のお星様と謎の博士三名に見守られつつ処女から爆誕して2009回目の記念日。
 俺とみかんは一度それぞれにひとっ風呂浴びてから、館内ロビーの畳ベンチの上で並んで座っていた。
 本当、こういう日には若い子いないだろうなーと思っていたので、たまの贅沢としてみかんと入館したんだが……いるもんだね実際。
 若い子っつっても中学生と思われる男子の集団だけどさ。
「しかし、先月リニューアルしてから初めてじゃが……良くなったのう」
「そうか? 俺、自販機なくなったのが不便でたまらないんだけど」
「ちゃんと更衣室内に牛乳瓶自販機はあるじゃろが。それを差し引いても……前は休憩室の備え付けテレビは半分故障しておるわ、ボディソープは泡立たないわで安っぽいことこの上なかったではないか」
「あーボディソープが泡立つようになったのは確かに」
 数ヶ月に一度の割合でしか来ないが、備え付けのボディソープがなんか妙に使いづらかったのはよく覚えている。
 ……まあホントどうでもいいんだけどね、その辺。
「もー、なに勝手に出てきてるの、一声かけてよって言ったのに」
「む」
 みかんに声をかけたのは、さくら。
 ……本日、民間企業はそのほとんどが通常営業日のはずだが、我らが隣人不動さくらはどんな荒業を使ったか、休みを取ることに成功したらしい。
 マジで入社二年の新人がそういう真似して大丈夫なのか、とか思う。
 でもって今日は俺んちに入り浸るつもりでいたらしく、俺とみかんが平和島温泉だ! と突如思い立ったのに合わせてついてきたのだ。
 ……まあ、ウチのアパート風呂ないからどっちにしても銭湯行かなきゃいけないしな。
 それはそれとしてクールビューティのさくら、若干野暮ったい作務衣スタイルの館内着であることを差し引いても温泉でブラッシュアップされて実に見目麗しく色っぽい。
「ワシはお主と組んで行動する義理はない」
「あら、つれないんだ」
 未だに若干苦手なのか、さくらに険のある態度を取るみかん。対してさくらは最近姉貴分のような態度を見せるようになっている。
「せっかくだからジュースの一本もおごってあげようかと思ってたのに」
「なぬ? ……い、いや、ジュースなど自販機撤去されてどこにも……まさか館内レストランか!」
 ※こういうところの施設内レストランはリゾート価格です。
「べつにそれでも構わないけど……普通にペットボトルのジュース、受付で売ってるわよ?」
「なっ!?」
 振り返るみかん。受付は一部、みやげ物などの売店も兼ねているのは昔からなので見逃していたらしい。俺もだけど。
 そしててぺてぺ走って受付に近づき、確認。
「コーラに三ツ矢、バャリースにミネラルウォーター……揃っておる」
「なんだと」
「だからそう言ってるじゃないの」
「……み、三ツ矢サイダーで」
「はいはい」
 即座に欲求に負け、さくらにおごられる屈辱を甘受するみかん。
「さくら、俺には?」
「ケン君……ちょっとは見栄張りなさい。自販機ならともかく、売店で女の子におごらせるとか恥ずかしいと思わない?」
 俺にはおごってくれないらしい。ちぇっ。

 温泉というか、こういうスーパー銭湯的施設の楽しみ方は、ちょっと風呂浴びて休憩室で一時間まったり、さらに浴びにいってまたまったり、と繰り返すことにある。
 せっかく五時間の猶予があるのだ。
 そりゃまあ時間いっぱい、鼻血出るまで浸かって浸かって浸かりまくるのもひとつの楽しみ方ではあるが、それはちょっと品がない。
 せっかく癒されにきたのだ。スローライフしようじゃないか。
 ……とか思いつつも携帯電話は手放さないのが現代っ子という奴で。
「わざわざこんなところで携帯なぞ開かんでも……せっかくどの椅子もテレビ完備なんじゃ、そっちを楽しめばよかろうに」
「まあ、気になったら見る」
 みかんをいなしつつボタン操作。
 脱衣所では当然ながら携帯開くと係員にマークされるのだ。盗撮禁止という奴で、まあ男子脱衣所なんて盗撮したって誰も得しないと思うがとにかくそういうことらしい。
 軽くメールチェック。スパムはプロバイダの方で対策が進んだのかめっきり見なくなったが、それでもメルマガや一部の友人からは結構な頻度で飛んでくる。
 ……とりあえず喪男パーティ開こうとしてる気配が開封前から漂ってくる武田のメールは無視するとして。
「ウメさんから来てるな……」
 内容はというと「ねー今どこー? おねーさんと遊ぼうよーっていうか混ぜてー」とまあいつもの調子。混ぜて、と言っているという事はみかんも出てきてるのがわかったか。
 ……そりゃ天井開けて出入り自由な人なら筒抜けか。
 まあこっちもデートというには色気がない三人連れなので「クアハウス」と五文字書いて送信。改名してもこっちの方が通りがいい。
 ……三分後。
「やは、見っけ♪」
「早いなアンタ!?」
 ……トーンキャストか。
 せめて入館料くらいはちゃんと払ってることを祈ろう。俺たちだけ金払ってたら腹立つし。
「なんじゃウメ、来たのか。まずは風呂を浴びてきたらどうじゃ」
「や、まあとりあえず挨拶しときたかったからさ。それじゃザッキー、行こうよ♪」
「どこへ」
「お風呂」
「ここは明確に男女別浴だよ!?」
「まーまー、そう堅いこと言うなって♪」
「こりゃウメ、あまり無理を押すでない!」
 それよりみなさんお休み中だからお静かに。
 ここは休憩室、つまりお昼寝ルームです。

 ウメさんに引っ張られて連れ出された先は……露天風呂。
 普通の大浴場とはまた別の場所にある。洗い場のない、純粋にお湯を楽しむためだけの風呂だ。
「さーて、ザッキー洗いっこしよーぜー」
「だからここ洗い場ないんだって! 見りゃわかるじゃん! っていうか十歳以上の混浴禁止!」
「どうせカラフルボディと小学生未満は入館禁止してるんだから低学年だけ混浴可ルールもどうかと思うよね」
「それは確かに。いやちょっと待てどっちにしろウメさんは」
「エルフは混浴可なのです。これは条例を越えた宇宙の法則。いーじゃん嬉しいくせにー」
「嬉しいことは否定しないけどさ!」
 とにかくここの露天風呂は洗い場がなくて洗えないんだよ!?
「ザッキー、洗うとこなら背後に」
「?」
 ウメさんに指差されて振り向く。
 ……リニューアルの結果。
 本来洗い場のなかったここの露天風呂に対する救済施設として、シャワールーム(個室)が設置されているようだった。
「よし洗いっこしよう。いいよねザッキー」
「反論を封じられてしまってはやむをえまい」
 建前を聞く役のみかんとさくらがいない今、無駄な抵抗は良くないと思う。
 俺は潔く投降し、ウメさんと一緒に服を脱ぎだし、
「やめんか!」
「駄目よ!」
 突如現れたみかんとさくらにスココーンとダブルペットボトルピッチングを決められた。
「二人ともこっちは男湯だぞ!? 一応更衣室だぞ!?」
「三秒までならセーフじゃ!」
「右に同じく」
 君ら変な息の合わせ方やめてください。

 結局ウメさんはみかんに連行されて女湯へ。
 俺はさくらによって休憩室へと連れ戻される。
「全く……いくら紀州さんがノリがいいからって、誰が来るかもわからない公共の場所で」
「いや、まあ公共の場所なんだけどね……」
 彼女ら宇宙の訪問者たちは認識隠蔽により、例え目の前ですっぽんぽんで突っ立っていたとしても普通の人間には「当たり前の何か」として見逃される運命にある。
 だからあのままちょっとエロなハプニングを楽しんでいたとしても……。
 ん?
「……さくら」
「え? どうしたの、怖い顔して」
「い、いや……」
 ちょっと待てよ。
 そうだ。
 あのタイミングで。

 ……なんで、さくらがみかんと一緒に来た?

「…………」
 ゾワッと背筋が震える。
 ……それと同時に、抜け道を探す。
 例えば、認識隠蔽は、解くことができる。
 かつて何度か、俺に対してみかんが解いて見せたように。
 今ではその気になればそこらで遊ぶ異星人を眺め放題の俺だが、かつてはみかんに見せてもらわなければ絶対に見えなかった。
 みかんが、さくらに解いて見せた?
 いや。
 それは、迂闊すぎる。
 せっかく記憶を改竄したのに、こちら側の世界を「見せ」てしまって、その改竄を綻びさせてしまってどうする。
 そもそもみかんもウメさんも、さくらにとっては「何故か俺と仲がいいけど、それが当たり前の隣人」という曖昧な認識で、それ以上ではないはずなんだ。
 例え目の前で俺とウメさんがエッチしてても、さくらはそれにショックを受けることさえない。俺のことを好きだという感情だけを持っている彼女の中で、それがどう処理されるにしろ、認識隠蔽とはそうやってエルフたちに関する全ての事象を「気にしなく」させるものだ。
 ……心中で冷や汗が垂れ落ちる。
 何故。
 さくらは。
 そこに、出てこれた?
「……さ、さくら」
「?」
「…………」
 喉が渇く。
 目の前のさくらはいつもと同じ。
 全く同じ。
 美しくて、優しくて、でも少し厳しくて、放っておけない弟に寄り添う姉のようで、でもどこか俺に強引な何かを期待しているような、いつものさくら。
 俺のことを何故だか好きでいてくれる、さくら。
 ……頭の奥底から騙されている、さくら。
 そのはずだ。
 でも。
「……いつから、どこまで、わかってた?」
「…………」
 さくらは、表情を動かさない。
 ……それで、ほぼ決定的。
 普通なら「何言ってるの? 何の話?」と聞き返してくるだろう。
 さくらはその質問を、まるで……いつか来るはずだ、と心得ていたように、受け止めたのだ。
「……ケン君」
「……小野崎君、じゃなくて?」
「二年以上もこれで続いてるのに、今更?」
「……二年と、半年くらいになるのか」
「ふふ。そうね。そうなるわね」
 休憩室の、リラックスチェア。
 全然リラックスした姿勢ができずに、あぐらをかいた俺と、横座りのさくらが、静かに見詰め合う。
 ……俺の心中は大混乱していた。
 間違いない。さくらは……少なくとも、いつ始まったか知っている。
 それすら気にならない、いや、気にすることができないはずだったのに。
 そして、おそらく彼女は……記憶と霊感も蘇っている。
 それなのに。
 それなのに、ここにいる。
 どういうことだ。何を考えている。
 俺はこの、異星人でもなんでもない女が。
 二年前にただの女になったはずの、少しだけ真実に近かった地球人が。
 ……それから二年経って……いや。
 二年間、俺たちの隣でそれを悟らせずにいた女が。
 今、誰よりも怖い。

「……何、考えてる?」
「私は、ケン君が何考えてるか、知りたいな」
「お前なら……不動なら、きっと……俺の浅はかな頭の中なんてわかってるだろ」
「そうかしら。自分ではどれだけ浅はかに思えても、意外とわかってもらえてないもの……かもしれないわよ」
「…………」
「ケン君が、この二年。……私を、何で捨てなかったのか……まあ、捕まえてすらいなかったのかもしれないけどね。私、それが知りたいかな」
「…………」
「一度は、こーんなの持ち出した女なのよ?」
 微笑んで、顔の横でちょいちょい、と引き金を引く仕草をする。
「普通、どう考えたって、どういう理由があったって、そんなの頭おかしいじゃない。記憶を飛ばして……それで、安心できる? 私だったら全力で遠くに引っ越すわね」
「……そうかも、な」
「人間、本当に心の底から出た行動……最後の最後の一線で決めた行動は、本質だと思う。私のしたことは、多分それ。……そして、それを知って私を許容するケン君って、なんだろって思うじゃない?」
「……ただのルサンチマンだよ。俺は単なる落ちこぼれの留年オタク大学生……だったわけで。そんな俺を、ただのまやかしだとしても、あの不動さくらが好きだなんて、痛快じゃないか。ただそれだけだよ、多分」
「恐ろしい度胸だと思うわ。それはそれでね」
「……そうかな」
「私はどんな理由があっても、そんな人とは一緒にいたくないわ。好かれるなんてもってのほか。流行りのヤンデレ? あれじゃないけど、感極まったらそれだけの行動の可能性がある相手なんて、いくら見た目が良かろうと勉強ができようと、無理よ」
「……見解の相違だな」
「つまり……」
 さくらは。
 周囲に軽く目を走らせた後、俺に唐突にキスをした。
「っ……!?」
「……ふふ。ただの落ちこぼれだとしても、少なくともあなたは、私を受け止めきれるのよ。私自身には絶対無理な価値観だけど」
「……あ、え?」
「そう。まさに、見解の相違よね。……わかった?」
「あ……な、何が?」
「『あの不動さくらが』どうしてケン君から離れないのか」
「……ええと」
 なんだか、多分に誤解されてるような、でも合ってるような。
 やばい。俺、頭悪いからイマイチ理解できてないかもしれない。
「さて。バレちゃったことだし……ここからが本番かしら。随分長い準備期間だったけれど」
「え、ええ!?」
 さっきから俺「あ」とか「え」とか無様な声しか出せてない。
 それに気付いて咳払い。
 と、とにかく落ち着いて、理知的に。
「あ、あのな」
 ……と、言葉を口にしようとしたところで。
「それで、いつからじゃ? その口ぶりでは早めに目が覚めていたようじゃが」
 背後から若干冷たい目をして腕組みをしたみかんにタイミングを奪われた。
 俺、無様にキョロキョロと後ろを見たりさくらを見たり。
「さあね。みかんちゃんには関係ないんじゃない?」
「もう一度頭をいじってやっても良いのじゃが」
「ふふ。やりたければやってもいいのよ? 私自身、自分のアレなとこ忘れてた方が幸せかもしれないしね」
「……食えん女じゃ」
 みかんは苦々しげに言い、俺の肩を引いて胸を張らせると、滑り込むように膝に座って、さくらへのジト目を再開。
「……健一。油断するでないぞ。こやつは……」
「まあ、そう尖るな。サイダーおごってもらっただろ」
「茶化すな」
「ふふふ。チャカだけにね」
「笑えんわ!」
 とにかく、俺にわかることは……どうやらさくらはわりと本気で俺のこと、狙ってるっぽい? みたいなことだけで。
「サイダーどっかで売ってるの!?」
「お主は服を着てから出て来い!」
「まあ待てみかん。服を着るのはもう少し後でも」
「ケン君? ……でもね、やっぱり私ちょっとケン君は無節操かなあってところは気になるんだ♪」
「あーうんザッキーって無節操だよねー。しかもパッシブに。もうちょいアクティブに無節操だとそれはそれで楽しいんだけど」
「そういう問題ではないわ! う、尻の下でなんか……健一!」
「だ、だってしょうがないじゃん?」


 一方。
 ──title:イヴですし
 ──from:ナマデンワ
 ──卒論の息抜きに行っていいですか?

「ってメール打ったじゃないですか! せめて返信くらいして下さいよ先輩!」
「返信されるまで待てよ!」
 たっぷり夕方まで温泉を楽しんで帰ったら、ナマデンワは部屋の前で凍えかけていた。


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