3月3日。
 桃の節句は生憎の曇り空だった。
「なんか雪降るとか言うとるのう」
 最近「アナログ」の透かしが鬱陶しくなってきた民放をこたつで眺めながら、みかんが困った顔をする。
「たまにゃーいいんじゃねえの?」
 俺が洗い物でかじかんだ手をこたつに突っ込みつつ日和った反応をすると、いかにも寒さに弱そうなダークエルフははふにゃーとどっちらけた表情でこたつに突っ伏す。
「冬真っ盛りにチラリとも気配を見せなんだ雪、今頃降られても……なんというかお年玉の後のクリスマスカードみたいで反応に困るじゃろ」
「いや雪だってお前にいいリアクション期待して降るんじゃないと思うぞ」
「大田区はこと雪に関しては肩透かし食らわせっぱなしのいけずな土地じゃ」
「まあ雪国の人にとっちゃ面倒もなくていい土地なんじゃねえ? 雪が見たけりゃ京浜東北線で埼玉まで直行すれば済むし」
「そこまでして寒い気候を満喫したくはないのう。ただ窓の外をチラチラ降っているのを見ながら『道理で今日は寒いねー』とか言って外に出るのを自粛したいんじゃ」
「夕食の買い物とかでどっちにしろ俺外に出るんだけど。出ないと二人して飢えるんだけど」
「その場合でもワシ外に出ないしー」
「てめえ」
 こたつの中でまだ暖まってない手をみかんの足にガッと押し付ける。
「ひにゃー!?」
「この引き篭もりダークエルフめ! その暴論の罰として今日のおつかいは貴様だ!」
「く、ククク、そのようなことワシに委ねてよいのか!? いかにセブンプレミアムが神の御業の如きお値段バランスとはいえ、ワシの手にかかれば一食分で一葉が木っ端微塵に」
「なんの脅しにもなっていないぞ駄ークエルフめ。今や減る一方の資産しか持たないお前は俺からの食糧供与を受けなければ早晩干上がること必至。つまり食費の無駄遣いは俺へのダメージばかりではなくお前へのダメージでもあるのだ!」
「ぐぬぬ。そうまでしてワシを寒空の下で凍えさせたいか!」
「そのキレ方おかしくねえ!?」
 地球温暖化の影響か、変な時期に寒くて変な時期に暖か2009年、東京。
 今年もまたひな祭りの日がやってきた。

「去年の雛人形は大事にされてるかなあ」
「せっかく引き取ったというに今年ぐらいは大事にされんでどうする」
「だよな」
 二人してこたつに手足突っ込み、時々手を出して蜜柑を食う。いや人名じゃなくて果物の方の。
 昨年の今日は、尾形さん(コーポ島村の三軒隣の家)の雛人形を引き取ってその記憶場を覗き、その後必死になって引き取り手を探したっけ。
 今年はこの妙な寒さとみかん自身の居住環境のため、外に手を出している余裕はない。
 というわけでみかんと二人、こたつむり。。
 壁が薄くて断熱力の低い安アパートの晩冬をウダウダと我が家唯一の暖房器具にしがみ付いて乗り切るのだ。
「世間様ではひな祭りかあ」
「別にひな祭りだからとて雛人形や甘酒に縛られることもあるまい。3月3日はまだまだポテンシャルに溢れておる」
「調べてみるか」
 パソコンを立ち上げ、若干無理な姿勢でキーボードに手を伸ばして検索をかける。
 意地でもこたつから出たくなくて、少々脇腹つりそうなポーズでキーボード操作することになってしまった。

「ぬぐぐ……よし、今日は何の日……と」
「ほほー。金魚の日なんてものもあるのう」
「平和の日、か……平和系の記念日って多すぎて逆に胡散臭えー」
「そう言うな。人間、殺し合いに対する自戒なんぞいくらしたって足りんのじゃ」
「そりゃそうだろうけどさあ……お、ジーコの誕生日でもあるのか」
「ぬう、ジーコサッカー」
「ジーコサッカー……」
 何故ここで会話が止まるのだ俺達。

「それよりなんと言っても耳の日じゃな」
「ああ」
 耳。
 それはエルフをエルフたらしめる最大の外見的特徴。
 耳が尖っていればエルフかアヴリ○アルと相場が決まっているぐらいだ。
「エルフもこの日は耳を労わるんだろうか」
「だいたいの在日エルフは普通にひな祭りやっとるんじゃないかのう」
「在日エルフとか妙に生臭い言い方はやめていただきたい」
「うむ。ワシも少し妙な語感じゃと思うた」
 つくづくジャパニーズランゲージに挑戦してくれるものだ。妙な角度で。
「しかし……耳か」
「……な、なんじゃ」
「お前が居候生活始めてそろそろ半年」
 ちょっと遠い目をしてみる俺。
「……一度ぐらいは心行くまでこの尖った耳を綿棒とティッシュその他で弄くり倒してみたいと時々思いはしたもののそのまま忘れる生活をしていた」
「にゃっ!? な、何を考えとるか健一!?」
「折しも今日は耳の日。よし、本日のおつかいは免除してやる」
 ニタリ。と俺は自分でも擬音をつけられる気色の悪い笑い方をしてみる。
「ヒッ!?」
「みかん……実は俺、お前のソコを触りたくて触りたくて────しょうがなかったんだ」
「ちょっとドキッとするような言い方しても駄目じゃー!!」
 するのか。ドキッと。
 とはいえちょっと赤面したぐらいでは今の悪ノリした俺には通用せぬ。
「さあみかん……俺の棒を受け入れて……!!」
「や、な、何をす、ひにゃー!!」
 俺はみかんを押し倒した。

 その長い耳の中は独特の皺状構造を持っている。
 皺状といっても軟骨が入っている。その形は人間の耳をそのまま引っ張って伸ばしたんでない以上、確かに異質なもので然るべきだった。
「にゃ、……や、やめんかっ……エルフの耳は人間より痛みに弱いんじゃぞ……!?」
「やさしくする」
 俺はベビーオイルで軽く湿したティッシュと綿棒を使い、その耳を軽く押し開け、中のヒダを丹念に丹念に愛撫する。その構造をスケッチしようと思えばできるぐらいに、丁寧に。
「にゃ、あ、そんなに、そこまで優しくせんでも」
「敏感だって言ったじゃねーか。メロメロになるまで蹂躙してやる。覚悟しろ」
 俺はニタニタと笑いながら耳を優しく労わられて変な声を出すみかんに対して攻撃を続ける。
 丹念に、舐めるように。
 時には激しく、ねぶるように。
 耳というのが実は敏感な器官だというのは人間だって似たようなものだ。自分の耳をメチャクチャにされることを想像すれば、手荒な真似はできやしない。
 だが俺は、みかんが途中まで冗談がかったような反応だったのでよくわかっていなかった。
 よくわかっていなかったのだ。
 だから、子供とくすぐり合いをするような感覚で、やってしまった。

 みかんが本気で悶えているということに気づいたのは、実に十数分もこねくり回した後だった。
「はぅんっ……あ、あふっ……あふぅっ……んんんっ……!!」
「いい声で鳴くじゃないかククク」
「ひあああっ……っ、く、ゃあっ……んゅうっ……!!」
「まるで本当に大事な穴をいたぶられているような声だ」
 暗い地下牢で囚われの姫君をオモチャにしている変態貴族のようなロールプレイでみかんを責めていたが、途中から全く反論せずに色っぽい鼻声を上げるようになってしまい戸惑っていた。
 もうちょっとそろそろ逆切れというか、調子に乗ってんじゃねえボケというか、そういう反応が来るかと思っていたのにそもそも意味のある単語さえもここ数分間聞いていない。
 ひたすらに性的で、どこか恥ずかしげで悲しげで、どこか嬉しげな複雑な「鳴き声」ばかりを上げているみかんに、俺は戸惑っていた。
 表情も今までに見たこともないほど色っぽく、ぼんやりと熱い瞳で、俺の施す耳への刺激に、きゅうん、きゅうん、と鼻声のような搾り出されるような妙な声で答えている。
 こんなみかんは初めてで、それでいて異様に魅力的で。
 俺は何かおかしいと感じながらも、調子に乗って手を動かしてしまう。
 そして、ついに。
「ふぅっ、ふうっ……ん、ん、ンぅーーーーっ…………!!」
 みかんは、俺の膝の上で突然背を仰け反らせた。
 両足を捻ったように組み絞り、手は喉をかきむしるように。
 そして、もう片方の手は……下腹部の上で、何かを我慢するように握り締められて。
 そのまま、なんともいえない匂いがみかんから漂ってきて。
「ん、ふ、うっ……♪」
「お、おい?」
 俺はその時になって、ようやくみかんが本当に感じていたことを知った。
 てゆーか。
「……ま、まさか……お前、耳で、本当に……イッた……?」
「こ、この、ワシは何度も止めたというに……っ」
 耳が性感帯、なんてネットではよくある与太話だ。
 エルフは耳が長いから、エルフの耳もそうに違いない、なんてどこにでも転がっている妄想に過ぎない。
 そう思っていたのに。
「はあっ……はあっ……な、なんてことっ……ワシの……耳を、こんな強引に……」
「み、みかん……?」
「このっ……」
 みかんはキッと俺を見た。涙目で。
 不覚にも可愛い、と思った瞬間。

「最低男ーーーーっ!!」

 かなり久々に。
 いや、もしかしたらみかんからは初めてかも知れない。
 一切の手加減なしの全力パンチで俺はブン殴られ、俺は意識を吹っ飛ばされた。


 目が醒めたら夜。
 真っ暗な部屋。
 誰も、いない。

 小さな声で、みかん、と呼んでみても、闇からは何も返ってこなかった。

 俺はゆっくりと起き上がって、取り返しのつかないことをしたと、理解した。
 悪ふざけ半分でみかんを犯すような真似をしてしまった。
 知らなかったとはいえ、それは言い訳にならない。
 みかんは、出て行ってしまったのだ……と。

 恐ろしいほどの後悔と喪失感を味わいながら、理解した。

 絶望的な気分で顔を覆う。
 やりすぎた、では済まされない。
 俺は。
 俺は。
 俺は、調子に乗って、なんてことを。

 と、、目を見開いたまま涙が出そうになったところで、カチャリと玄関が開く音がした。
「……健一?」
「……え、み、みか……ん?」
「す、すまんかった……あ、アゴ割ってしもうて、一応トーンキャストでくっつけはしたんじゃが、頭の中はもう下手に弄れんので手がだせんで……脳震盪なのはわかっててもパッとは起こせんで。すまん、ホントにすまん。い、痛いか? まだ痛むかのう?」
 手にはスーパーのレジ袋。
 ダッフルコートと大きめのニット帽で全身防寒して、俺の代わりにおつかいに行ってくれていたっぽい。
 そして、俺が調子に乗ったことを怒って出て行ったのではなく、むしろ俺を本気で心配してくれていた。
「み……かん……」
「健一」
 ぱち、と電気をつけ。
 玄関口で、みかんを抱き締めた。
「にゃっ!?」
「……ごめん、調子に乗りすぎた。ごめん」
「わ、ワシこそ恥じ入っていたとはいえ、やりすぎた。……ゆ、許して、くれるかのう?」
「……それとこれとは別」
「なんじゃと」
「嘘」
 俺はみかんの耳にキスをした。
「……悪かった」
「ん。……許す」
「何買ってきた?」
「ちらし寿司」
「食べるか」
「うむ」

 傍から見たらなんでもない、笑っちゃうようなどうでもいい顛末。
 だけど。
 ……俺とみかんにとっては、多分なんでもなくはない、「耳の日」の話。


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