『忘れたくないのか』
「誰だ!?」
俺はうろたえ、電気をつけて部屋中をウロウロと歩き回って声の主を探した。
声はクリアですごく近かった。窓越しや壁の向こうからではありえない。
幻聴にしてははっきり聞こえすぎてもいた。
いや幻聴なんてそんなもんかもしれないけど。
つまり誰かがこの部屋に潜んでいるのだ。さくらを帰してからずっとぼんやりしていたとはいえ、俺自身に気づかせないままに。
ゾッとする話だった。
「どこだ!? どこにいる!?」
呼ばわって回る。
恐怖の高まるままに、だんだん声を大きくしていき。
「どこだっつってんだろう!?」
普段の自分からは想像もできないようなヒステリックな声を上げてしまい、フッと恥ずかしくなって冷静さが戻る。
「っ……」
よく考えろ俺。
こんなの幻覚に決まってるだろう。
疲れてたんだきっと。
「……はぁ」
そうだ。
初体験のチャンスをみすみすスルーしたことで、ナーバスになっていたのかもしれない。
考えてみれば神経症ってヤツに近いと思われる部分は多々ある。
意味不明なことに対して、自分でも驚くほどこだわってしまったり。身に覚えのないことなんか気にしたり。
緊張のしすぎだったんだ。
さくらは不安になるほどいい彼女で、つりあってないのに付きあってしまっている自分自身があまりにも不甲斐なくて、劣等感が変な妄執に転じてしまったんじゃないだろうか。
何をやってるんだよ俺。幸せが怖いのかよ。
勝手に高望みして勝手に劣等感覚えて勝手におかしくなって、ってんじゃあ、さくらが可哀相じゃないか。
もっと自信を持って、もっとしっかりして、せめて気持ちだけでも釣りあってなきゃ駄目だ。うん。
『忘れてもいいのか』
「!?」
また、声が聞こえた。
何もない空間、いや、俺の頭の中に、直接と言った方がいいのか。
「だ、誰だよ!? あ、悪霊退さ……」
霊なんていない。
誰かが言った言葉が蘇る。
何かの漫画でうろ覚えに覚えた九字を切ろうとして、俺は手を止めた。
そしてゆっくり深呼吸して。
「……アンタは誰だ。いいも悪いも、何を忘れてるのかわかんねー俺に決められるわけあるか」
虚空に向かって、問い掛けた。
* * *
「さて、引越しの準備が残っておる。ではな。……お互い、いつかどこかで会うこともあるじゃろう」
「うん。またね、『愛媛みかん』ちゃん」
「…………」
「やっぱりおかしいですよ。……おかしい。倫理だかしきたりだかわかんないけど、それでオノケン先輩を『消しちゃう』のが当然だなんて思えない」
「ザッキーは消えるわけじゃないよ。ただ、ちょっとだけ違う未来に繋いだだけ」
「それが消してるっていうんですよ。忘れたくて忘れるならともかく、好きだったものを忘れさせて、興味もなかったことにして、自分たちもいなかったことにするなんて無責任すぎるじゃないですか」
「あはは。まぁ私たち、元々無責任でズルくて自分勝手なインベーダーだし」
「開き直らないで!」
「……それが神様との約束なんだよ、なごみちゃん」
「いきなりまともに呼ばないで下さい。……神様って、なんなんですか。神様が何でオノケン先輩のことなんて関知してるんですか」
「神様はどこの誰でも見てるよ」
「そんなのっ!!」
「なごみちゃん。あなたにだってわかってるよね? 神様が許すから魔法は発動する。ルールじゃなく、原理じゃなく、神様という意思が魔法の是非を判定しているからこそ、どんな野心や破滅からも世界は守られるんだって。……そう、だからこそ、例え私たちの誰かがこの星を憎んでも、人類が守られ得るんだって」
「でも……そんな大き過ぎる意思に、オノケン先輩の心の是非なんてっ!」
「ふふ……よっぽど、普段のザッキーが好きなんだね」
「ち、ちがっ……そうじゃなくてっ! 本人に魔法が使えないからってそんな風にポンポン奪っていいものじゃないでしょうっ!?」
「……なごみちゃん。みかんちゃんのこと、少しだけでいいから思いやってあげなよ。……ザッキーと一年近く、あんなにぺったり一緒にいたんだよ? やりたくてやったわけじゃないことくらいわかるでしょ?」
「それならっ!」
「……何十年も、何百年も生きれば、どうしたっていくつも別れは来るんだよ。例え神様との約束がなくても……私も、潮時を見誤って友達を不幸にしちゃったことは、一度や二度じゃない。きっとみかんちゃんも。……わかってあげて。何度もいうけどザッキーは決して特別じゃないから」
「…………」
「楽しかったよね。だから、いいの。この広い広い世界で、この時代あの時間、あのザッキーと私たちが過ごせたことは本当に奇跡みたいな偶然。……その思い出を、大事にしよう?」
* * *
俺は、肉体のない意識だけの存在となり、虚空に浮いていた。
この感覚は初めてじゃない。
……初めてじゃないけど、思い出せなかった。
『落ち着いているな』
「……なんとなくね」
虚空から、あの声が聞こえてきていた。
男にも女にも、子供にも老人にも聞こえる声だった。あるいはその全てが声を合わせているのかもしれない。
ただ、口調には感情というものが感じられなかった。
「それで、何を言ってるんだ、アンタは」
『本当に忘れたくないのかと問う』
「だから……」
『君の答えは二つに一つ。はいか、いいえだ』
「……あくまで説明はナシってわけか」
俺はこの「誰か」から、全てを聞き出そうという期待を捨てることにする。
だが、確信があった。
この「誰か」には、悪意はない。
きっと、裏切るとか弄ぶとかそういうことは心配しなくていい。
そもそも俺に対してそんな行為をする必要がある存在に心当たりはないし。メフィラス星人でもない限り。
『メフィラス星人などというものは存在しない』
「律儀だなオイ」
何故かよくわからんが全力で否定してくれた。
……そして、俺は考える。
忘れていることがある。それはどうやら確実らしい。
そしてこの「誰か」は、それを思い出したいかどうかという二択を突きつけている。
ならば答えは簡単だ。
「思い出したいに決まってるだろう。俺は思い出して困るような人生送った覚えはないぞ」
『そうか』
声に初めて苦笑が混じった。
次の瞬間、俺に「二年分」の膨大な記憶が流れ込んできた。
静岡の海に近い茶畑で、俺は一人の少女と出会った。
彼女と俺は見た感じほぼ同じくらい。
成長途上にあり、ニキビまみれだったりやたら背伸びしたり、やたらと群れて男を排除したがる小憎たらしい同級生の女たちと違って、彼女には思春期特有のそういった特徴はなく、そんなはずはないのに何年もその歳を続けているかのような雰囲気だった。
「大変だったわねえ。エリュリシェシュ……?」
「エリュリセシュアニレリア……ん、まあ適当に呼んでもらいたい」
「じゃあえりちゃんでいいかしら?」
「……う、うむ」
どこの国のものともとれないヘンテコな名前を名乗った彼女は、ウチのばあちゃんの家に居候することになった。
なにをどう間違ったのか、茶畑の真ん中で熟睡していたのを俺に発見された「えりちゃん」は、行き場所がないという話だった。
お人よしのばあちゃんが放って置けるわけがなかった。
そして親とよく喧嘩するようになった中学当時の俺は、よく家出をしては徒歩10分のばあちゃんの家に寝泊りしており、そこに居候をしていた「えりちゃん」とは……まあすぐに仲良くなれたわけではなかったけれど、段々と仲良くなったものだった。
何せ、とにかく可愛い。
女の子の価値というととりあえず顔、次に胸、次あたりに人当たりのよさというのが中学時代の俺スタンダード。
「えりちゃん」は胸はともかくとして(妙に薄着が好きだったのでそれはそれでドキドキしたが)顔は抜群、全体的なスタイルもとても良く、人見知りはしたが漫画でもテレビでもなんでも興味を示し、すぐに俺と話が合うようになった。
家出娘なのか、どこか外国の難民なのか、学校にはいっていなかった「えりちゃん」だが、ばあちゃんとよく畑で茶摘みをしていた。
俺が家から持ってきたゲーム機や漫画なんかを入れたナップザックを掲げると、嬉しそうに駆け寄ってきたものだった。
やがて冬が過ぎ、春が来て。
ばあちゃんが突然倒れた。
初期の癌に蝕まれていた。
たちまち親戚同士で気の早い遺産争いが勃発。
遺産といっても畑とあばら家ひとつだったが売ってしまえば千数百万になる。すぐに親父の兄弟一同、ばあちゃんに不自然に優しくなった。
ばあちゃんはお人よしだったが、子供たちの腹積もりもよくわかっていたので、日に日に人間不信になった。
俺と「えりちゃん」だけがばあちゃんの心の支えになっていった。
だが、無論周囲はそんな目では見ない。
親父の差し金で媚び売ってるんだろう健一、と大声で罵倒されたこともあったし、「えりちゃん」に至ってはばあちゃんの何なんだ、と悪意の入り混じった視線が集中することになった。
笑えたもんじゃない。俺は彼女を守ろうとしたし、欲の皮の突っ張った大人たちに対して正面切って戦争の構えを張る。
俺の周囲はグチャグチャになっていた。
そして、夏になる直前。
茶畑で一緒になって、ばあちゃんの代わりに茶の葉をつみながら、彼女は諦めた笑いを見せた。
「潮時じゃのう」
「えり……ちゃん?」
「長居しすぎた。ババ様にも健一にも、迷惑がかかりすぎたのう」
直感的にわかった。
もう、出て行くつもりなんだ、と。
「待てよ! お前がいなくなったらばあちゃん死ぬぞ!?」
「いや、それは大丈夫じゃ。隠していたがな、ワシはダークエルフと言って、魔法が使える種族なんじゃ」
「何を言ってるんだお前」
「そんなアホの子見るような視線は堪えるのう……」
「えりちゃん」は苦笑すると、手ぬぐいと籠を置いて、寂れた家の前でくるりと爪先立ちで一回転した。
「ワシはこれから魔法を使う。信じる信じないは自由じゃ。……望みを言え、健一。叶えてやろう」
「…………」
「えりちゃん」も、多くの大人たちの悪意の視線で参ったんだろうと思った。
何かの演技なのかもしれないし、ひとつの現実逃避なのかもしれない。もしかしたらすごい金持ちの娘で、俺たちに何かプレゼントでもしてくれる口実なのかもしれない。
だけど、俺は「えりちゃん」に、よくわからない世界に行って欲しくなかった。ずっとばあちゃんとこの家にいて欲しかった。
だから無理を言った。
「俺の願いなんてひとつだ。ばあちゃんの癌が治ればいい。魔法ならできるだろう」
「……うむ」
彼女は笑った。
あっさりと頷きながら。
「楽しかったぞ、健一。小野崎健一」
「お、おい、待て」
無理を言っても、出て行くことは変わらない。
その事実に気づいて愕然とした。
が、彼女はぼんやりと光を纏い、空に手をさし伸ばしながら、目を閉じる。
「忘れぬよ」
「──────!!」
その翌日、ばあちゃんの癌がそっくり消えていた。
その後、「えりちゃん」のことを忘れたまま家に戻ったばあちゃんは、今も静岡で元気にしている。
そして、この一年の「愛媛みかん」というふざけたダークエルフとの日々。
今にして思えば、「そういう存在」として俺と付き合うことは、彼女にしてみれば「続き」だったのかもしれない。
そして俺は、その「続き」を享受し、いつか思い出すことを万に一つ期待されていたのかもしれない。
『小野崎健一。君の願いは叶ったか』
「……サンキュー、誰だか知らないけど」
親指立てようとしたら体がない。
だが「誰か」には、その意図は伝わったようだった。
『覚えておくといい。君は愛されている』
「……?」
『君だけではない。全ては愛されている』
「……え、どういうことだ?」
『悲しいことに、エルフたちは忘れている。歌も言葉も手段のひとつに過ぎない。対話する技を確立することは素晴らしいことだが、私は想い通じずとも、全てを愛しているのだということを』
「……アンタは……」
『だから、気にすることはないのだ。私はいつまででも待ち続けるのだから』
目が覚めた。
窓から朝日が見えていた。
俺は飛び起きて、裸足のまま外に飛び出す。
……窓から覗き込む隣の家は、空っぽだった。
「チッ……!」
ちょっと足裏痛かったので靴をつっかけ、カンカンカンカン、と鉄の階段を駆け上がって203号室へ。
乱暴にノック。
「……はい、どなたですか」
戸の中から聞こえる、なんかトーンの低い声に、俺は怒鳴りつけるように。
「みかんの馬鹿はどこに行った!?」
「!! ……ざ、ザッキー!?」
「どこに行くって聞いてないのか!?」
「……で、電車で……どこに行くかはわからないよ」
「連れて行ってくれよ!!」
がちゃり、とドアを開くと、中にはたくさんのビール缶と、潰れたっぽい生田と、スケスケネグリジェのウメさん。
「……そん、な、トーンキャストでの記憶消去を……ザッキーが跳ね返した?」
「んなこたどうでもいいから!」
「う、うん……ちょっと待ってね」
ウメさんが喉の調子を整え、光をうっすらと纏う。
そして、彼女のトーンキャストが炸裂した。
京急線のホームに、手荷物を抱えたパーカー姿のみかんが立っている。
その背中はいつも以上に小さく見えた。
その背中に、思いっきり走って。
「 ふ ざ け ん な ー !!」
「にゃー!?」
怪鳥蹴り。
「な、なんじゃ!!」
コケたみかんに手を差し伸べる。
「人の頭なんだと思ってやがる二回も記憶消しやがって!」
「なっ……」
「ほら帰るぞ。……ったく、悪いけどな」
「健……いち……?」
「初恋からエルフだった俺のエルフ好き度ナメんじゃねーぞ?」
真っ赤になるみかんと、苦笑いするウメさん(ネグリジェ)。
「…………」
「あ、あははー……」
みかんは多分、何かちょっと勘違い。
ウメさんは「この子趣味の強さだけで魔法に勝ったってことかなあ」とかそんなこと考えてる。多分。
まあどっちの解釈でも多分間違ってない。
黙ってみかんの手を引いて、ホームを降りようとすると真っ赤になったまま慌てるみかん。
「ま、待たんか! ワシの部屋はもう引き払って契約も切って……」
「知るか馬鹿」
「馬鹿とはなんじゃ!!」
「とにかく帰るの! 世話かけんな、ったく!」
「だから帰る場所が……」
「んなもんどうにだってなる!」
結局。
「のう健一。押入れは夏はドギツイと思わんか?」
「じゃあ早く大家さんと契約しなおせ。まだ空きなんてガラガラなんだからどうせすぐには入ってこないだろ」
「うぅ……虐待じゃ」
駄目なダークエルフは、言葉ほどは不満そうな顔もせず、俺の部屋の押入れに住み着くことになり。
「じゃあせめてサーティワンに連れて行け」
「毎日は駄目だぞ」
「わかっておる。貧乏人め」
「うるせぇ」
そして俺も言葉ほどは邪険にもせず。つーか暑いくせに背中同士くっつけてPSPやりつつ。
今日もいつも通りのだっるい午後を一緒に過ごしている。
「そういや俺のエロゲ箱どこやった」
「ウメが秋葉原に持っていったぞ?」
「なんだと!?」
「おーいザッキー。肉食べに行こうよビッグファン平和島に」
「その金がどこから出たか言ってみろオミズエルフ!」
「うぅ……うーるーさーいーでーすーよー。あたし二日酔いなのに」
本日も異星人たちは好き勝手絶好調です。
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