お互い子供じゃない。
だから、気負うことでもないし、互いに恋人と認め合った今、カラダの関係にならないほうがおかしいのだ。
「ケンくん……」
「……ああ」
「い、いきなりこんなこと聞くのもナンだけど……経験、多かったりする?」
「多いように見えるか?」
「こればっかりは見てわかるものじゃないわよ……すっごい美形でもピュアな人とか、逆とかもいるしね」
「ま、まあなぁ」
増して、不動さくらはミスキャン候補常連で、顔もスタイルも頭も性格もよくて非の打ち所はない。
やりたいと思えないほうが男としてどうかしてる。
けど。
「…………」
「……なんか……ケンくん、乗り気じゃなさそうね」
「う……」
俺は。
何かが引っかかって、目の前のさくらに集中できずにいた。
薄着の鎖骨、見ただけで柔らかさまで感じられるほど近い胸元。二の腕、首筋、何よりも美しいその顔。
全てが今、俺と触れ合おうとしているというのに、なんとなくそれどころじゃない気がしていた。
「……な、なんでだろうな……なんかさ、不自然な気がして」
「ケンくん……」
「白状すると俺、童貞で……だから何か変なこだわりになっちゃってるのかもしれないんだけど、その……な? ちょっと、何がってわけじゃないんだけど、不自然な気がしちゃってるんだ」
そう。
不自然。
数週間前、さくらに告白をした。OKをもらった。
何度もデートをしたり、互いのことを語り合ったり。
思い出してみると、ひとつひとつの記憶のパーツは間違っていない。
自然な流れだと思う。
なのに、何故だか。
俺の目の前にこの女がいることが。こんなに親身な顔をしていることが。
何故だか「違う」と思えてしまうのだ。
「うん……そっか」
さくらは困ったように笑った。
「ふふっ……実はね。私もなの」
一瞬で、ゾワッと来る痛みに似た不快感。
「……ふ、不自然な……感じが?」
さくらからしたらやっぱり俺と付き合うなんて、何かの気の迷いなのかもしれない。
他にも引く手数多だったはずの高嶺の花だ。
自分の決断を、OKの返事を、何かの気の迷いかもしれない、と疑ってもしょうがない。
なんせこっちは留年生で、こんな安アパート住まいのド貧乏で、センスの欠片もないオタクサークルの目立たない一会員に過ぎないんだ。
が、さくらは困った笑顔のまま首を振る。
「違うよ。……そうじゃなくて、私も、その……初めてで」
「……!!」
「こ、この歳までソレって、ちょっと恥ずかしかったから言えなかったけど……うん」
衝撃の告白。
「だから……その、どういうのが自然かわからないし……まだ、もう少し心の準備が必要かもしれないわね、お互い」
「……う、うん」
「無理はナシにしましょ。心配しなくても……お互い大人だもの。時間ならあるじゃない」
「そう……だな」
俺はさくらの笑顔に、申し訳なく思いながらも曖昧に頷いた。
* * *
「オノケン先輩の記憶までいじっちゃうことなかったんじゃないの、みかんちゃん」
「仕方あるまい。それが一番、安全なのじゃ」
「ハーフのナマデンワちゃんには、ちょっとわからないかもしれないけど……本当は私たちは、交わらない種族。触れあっても最後には忘れ去るのが、運命なんだよ」
「でも……別に今、必要じゃないんじゃないですか」
「結婚まで、幸せに到る事ができるカップルもおる一方で、その数倍は、こうして人知れず静かに別れていく友誼もある」
「その理由はね。……私たちは彼らを助けない。助けるわけにはいかない。私たちが全面的に地球人に力を供与して、あらゆる苦難を乗り越えさせてしまうこともできるけど、それは地球人を『私たち』のレベルに無理矢理同化させる行為に他ならない。それは『何か』に至れる種族的成長のチャンスを摘むことにしかならないでしょ?」
「だけど……でも、私はこうして生まれたじゃないですか。ちゃんと、人とエルフは手を取り合えるはずじゃないですか」
「ナマデンワちゃんのお父さんはある意味、『地球人類』でないからこそ、お母さんと一緒にいられたんだよ」
「人と異なる、ワシらを見つける心の清さ……感性の鋭さ。それは一種の突然変異で、魔法を跳ね返す原因になり得るもの。じゃが悲しいかな、ワシらはそんな美しい心以外にも、惹かれてしまう」
「結局、地球人の……まだ満たされていない貪欲な種族の、過去と違う明日を生もうとするメチャクチャな活力こそ、私たちがわざわざ潜んでまで隣にいたいと思う魅力だもんねぇ。……うん、あいにく、ザッキーは特別な人じゃない。最初から私たちを見つけられていたわけじゃないし、ただエルフってものがたまたま好きだっただけの普通の人だからね」
「でも……」
「聞き分けろ、ナマデンワ。……ワシはどこでも、またこの星の行く末を眺められるのじゃ。そこの俗物女もな。ただ、健一はここまでというだけ。……気になるならお主が支えてやれ。ハーフにまで、ワシらの倫理は強制されんしの」
「多分、何いってんのコイツ的な反応されるだけだと思うけどねー」
「……それでいいんですか、みかんちゃんもウメさんも。オノケン先輩のこと、気に入ってたんじゃないんですか」
「えへへ。そだね。割と大好きだったよ」
「……じゃがな。健一だけならばともかく、あのさくらという女までワシらに向かって動いてしまっては、もう駄目じゃ。あいつの日常がたやすく修復できるのは、ここまでが限度なんじゃ」
「これ以上は、誰かが不幸になる。……私たちにそんな権利ないじゃない」
「…………」
* * *
さくらを帰してから、俺はぼんやりと真っ暗な部屋で座っていた。
なんだろう。この違和感は。
俺は、さくらが好きだ。
これは間違いない。
なのに、何かが間違っている気がしてしまう。
さくらのこと、こんなに好きなのに。
俺という人間には、他に何もないんじゃないかってぐらい好きなのに。
ふと、なにげなくパソコンを立ち上げる。
古臭くて動きももったりした、Win2kの愛機。
手癖でなんだかスイッチを入れてしまったが、これを何に使っていたのかはよく思い出せない。
さくらと出会う前のどうでもいい時代と一緒に、記憶が薄れていた。
「!?」
何故だかエロゲーだらけだった。
さくらの言う通り、なんだかファンタジーだのエルフだのばっかり。
俺ってさくらに夢中になる前はこんなにエルフ好きだったんだっけ?
っていうかエロゲーこんなに買ってたっけ。
……買ってたな。
うん。
なんだか死んだ目で頻繁に秋葉原に行ってたのは覚えてる。
これが忘れ去りたい黒歴史って奴だろうか。
しかしそれにしてもこんだけエロゲーばっか……うーん。
生身の女に目覚める前までの俺、ちょっとキモくないですか?
「こんなん、さくらにバレたらひどいことになるな……」
片っ端からアンインストールしようとして、とりあえずプログラムメニューからアンインストールできるか見てみて……うーん。これはディスクが要りそうだ。
とりあえずディスクどうしたっけ。
確か押入れに……。
「……?」
押入れには部屋に散らかっていた雑物が適当に投げ込まれている。
その向こうにあるかというと、ない。
……どうしたんだっけ?
「あれ?」
エロゲーを買った記憶もかろうじてある。
アンインストールされてない。するにはディスクが必要。
貧乏性の俺が、HDD容量を圧迫したままディスクを処分するだろうか。
「おかしいな」
記憶を探る。
この部屋なんてさくらが来るようになるまでは俺のプライベート空間、たまに武田が遊びに来る程度だったはずで、静岡の実家みたいにいつのまにか親に整理されているはずもない。記憶を探れば、絶対に覚えがあるはずだ。こんなに大量のエロゲー、俺はどうしたというんだ。
「……っ」
ズキン、と。
痛みのようなものが走った。
いや、痛いわけじゃない。痛くはない。
どちらかというと、何か嫌なもの……例えば返却期限を何週間も過ぎたレンタルDVDとか、絶対出さないといけないのに忘れてた必修のレポートとか、そんな心臓に悪いものがあったかのような感覚が走る。
なんだ。
俺は何を忘れてる。
思い出せ。思い出したくないけど思い出せ。早く思い出さないともっとキツいぞ経験上。
「うぅ……ええっと……」
そして。
ドクン。
と。
生まれてから高校まで過ごした実家の周りの茶畑で、俺の手を引いて太陽のように笑う小麦色の少女が。
ドクン。
と。
大森駅の噴水の上で、水面に爪先立ちで両手を広げる小麦色の少女が。
ドクン。
と。
「じゃから……これは、仕方のないことなのじゃよ。……健一。また、こうなってしまったのう」
という、ひどく優しくて泣きたいほどに心地いい、あの声が。
俺の色褪せた記憶の中で、それでも、曇ったガラスを手で拭いて無理に見たかのように瞬間的に色を得る。
それはどれも覚えがなくて。
それでも、あの心臓に悪いものを思いだした時のような、クる感覚があって。
俺は必死でそれを手繰ろうとする。
胸を押さえて、叫びそうになりながら、必死に自分の脳に訴える。
それを見せろ、と。
そんな努力をしているその時。
『忘れたくないのか』
「!?」
誰かの声が、響いた。
(続く)
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