彼女の胸で、わけもなく別れたくないと泣いた数日後。
 少年はなんとなく彼女と顔を合わせづらくて、ずっと家の中でゴロゴロしていた。
 セミの鳴き声は相変わらずうるさく、照りつける日差しは相変わらず外の地面を眩しく輝かせている。
 夏が始まる前は、そこに駆け出して、やりたいことがたくさんあった。
 42日間という永遠にも思える時間で、全力で取り組みたいものが山ほどあった。
 釣り、虫取り、秘密基地作り、自転車での一日旅行。ラジコンを一日中いじっていてもいいし、プラモの改造なんかも悪くない。
 だが、あの日から、それらがなんだかくすんだように思えてきて、よくない。
 彼女の胸で、泣いた日。大好きだと告白して、それをまるで大人の余裕で、大人になったらね、なんて受け流されてしまった日。
 大人になるのなんて、この永遠とも思える夏休みを何個過ごした先のことだと思っているのだ。
 少年には十年の長さなんて想像できはしない。たった三年先のことだって、三年先の自分だって想像できない。
 出そうと思えば高い声だって楽に出る、済んだ声を出す自分の声帯が、父や祖父のようにザラついた声を出すところなんて想像できないし。
 彼女よりも大きくなった自分のことも全然想像できない。
 何もかも自分の想像力を超えている。雲に掴まってよじ登り、そのてっぺんで大声を出す自分の姿は想像できても、そんな「違う何か」になる自分は少しも心に浮かばなかった。
 そして、その先で約束されたって、それは断りの文句と同じだ。
 自分は、優しく突き放されたのだ。
 そう感じて、また胸の奥がジクッと疼く。それが切なくて、少年は何も考えないようにした。

 だが、そんな少年の小さな失恋など、家族は斟酌してくれない。
「寝てるばっかりならおつかいでもいってきな」
 そう母に言われて、少年は渋々と数日振りに家を出た。
 そして、そこで彼女に出会った。
「あ……」
 瞬間、ジクッという痛みが倍の脈動で苛む。
 それでも、彼女の顔を見られたことに喜びを感じて、少年は自分の矛盾を扱いきれずに声を出し損ねる。
 彼女は、心底からホッとしたような笑顔で駆け寄ってきた。
「よかった」
「……え?」
「あの時、風邪引かせちゃったんじゃないかと心配で……」
「…………」
 冷たい用水路の中での裸の抱擁。
 寒いはずなんかない。暖かくて柔らかくて、気持ちよかった。
 風邪なんか引くはずはない。
 それでも、きっとずっと心配しつづけてくれたであろう彼女の心が嬉しくて、痛かった。
「か、風邪なんか引かねーよっ。俺、バカだし」
 わざとぶっきらぼうに言って顔を背ける。
 だが彼女は、メッ、と頭を突付いた。
「私と結婚、してくれるんでしょう? その前に死んじゃったら、私、ヤだよ?」
「……嘘なくせに」
「?」
「お、オレが必死すぎるから、子供だから、適当にそんなこと言ったんだろ!?」
 少年は自分の中の疼きを吐き出す。その薄っぺらな約束をことさら振り回されるのは嫌だった。
 が、彼女はショックを受けるかと思いきや、さっきよりもずっと優しくいとおしげな顔になって、少年を抱き締めた。
「っ……!」
「大丈夫。私は、覚えてる」
「な、何がだよ」
「君の思ってる通り、私は、普通じゃないけど。普通じゃないから、君のこと、ずっと待っていられる。……だから、信じて。私……君のこと、好き。愛してるよ」
「……ほ、本当?」
「うん」
 彼女は、濃厚なキスをした。
 それは少年の心に焼き印を押すような、熱烈な唇と舌の蹂躙。
 少年は自分の口内を貪られながら、彼女への思いを新たにする。
「……どう?」
「……わかった。信じる」
「お嫁さんに、してくれる?」
「する」
「ありがとう」
 彼女の肩に入っていた力がフッと緩む。
 少年はその時、初めて彼女も緊張していたのだと気がついた。
 当たり前だ。
 結婚して、と言った相手に疑われて平気なわけはない。
 彼女は本気だ。
 本気で、好きといってくれるのだ。
 それが嬉しくて、少年はぎゅっと彼女の胸に顔を埋めた。


 彼女と連れ立って田舎道を歩く。
 たった数日だけやめていたその事が、本当に嬉しく感じて、少年は彼女と繋いだ手をぶんぶんと振る。
 彼女も嬉しそうに笑い、そしてほんの少しだけ頬を染めて、顔を寄せた。
「あのね、……なかなか来てくれないから迎えにきちゃったんだけど」
「うん」
 それはとてもうれしいこと。少年は元気よく頷いた。
 が、彼女はちょっと気まずげに笑って。
「君に、来てほしいところがあるの」
「ん?」
 そして、彼女は立ち止まり、ゆっくりと空を撫でるように、手をかざし。
「──────!!」
 何かを、歌った。

 次の瞬間、少年と彼女は見慣れない河原に来ていた。
「……あ、あれ?」
 少年は目を瞬かせる。
 道を歩いていたはずが、知らない場所に出たのだ。それは驚く。
 が、彼女はクスッと笑い、少年から手を放した。
「!!」
 まるで取り残されるような気がして少年は彼女に手を伸ばそうとして……その目の前に、意外にも何人もの人影があることに気づく。
 ざっと二十人はいるだろうか。みんな彼女と同じダークエルフの女性で……そして。
「え、ええっ!?」
 珍妙なことに、全員がふんどし着用であった。
 無論ふんどしの上からは何も穿いていない。綺麗な褐色の足が40本、よりどりみどりだ。
「なっ……なんだよこれ!!」
「あ、あのね……」
 彼女は気まずげに笑った。

 先日の抱擁と、その後の別れのあと、彼女は日本の伝統的衣装として例のふんどしと法被の恰好を(どうやってか)ここにいるような友達に見せたらしい。
 友達は、へーっ、と感心したのも束の間。
「これ日本人がスモー取るときのアレなんでしょ?」
 と彼女に訊いた。
 無論彼女はわからない。
 が、話はトントン拍子に転がり、いいなー私も着るー→着たからにはスモー取らないとね→あれ、スモーってどういうの?
 という流れの末、じゃあ着せてくれた子を連れてきてよ、という話になったらしい。

「ねーちゃん」
「う、うん」
「正しくはね。相撲用のアレは『まわし』っていうんだ。ふんどしとは違うんだよ」
「そ、そうなの?」
 彼女は目をパチクリとさせた。
 だが、近くにいたダークエルフの女性は全く怯まない。
「どう違うのさ」
「え……えーと」
 少年もそれはよくわかっていなかった。
「じゃあべつにこれでもできるってことだよね?」
「で、できない……わけじゃ、ないと……思うけど」
「うん。じゃあお願い」
「?」
「審判して」
「は!?」
 少年にしてみれば恐るべき急展開である。
「頼むよー。こんだけみんな集まっちゃったのにやっぱ無理ーとかナシでしょー?」
「…………」
 見回す。ざっと20人。上は二十代前半、下は下手すると中学生くらいか。たくさんの美しいダークエルフが、少年をじっと、ワクワクした目で見つめている。
 確かにこれだけの美女がふんどしで集まっているのに間違いましたすみません、はないと思う。その足の魅力にやられたわけでは断じてない。多分。
「……むー」
 彼女はギュッと少年のお尻をつねる。
「い、いてっ!?」
「こ、この子は私の婚約者なのっ! だから取っちゃ駄目っ!」
 飛び上がった少年を彼女は抱いて他の女たちからかばう恰好を作る。なんだかよくわからないが、少年の挙動に思うところがあったようだった。
「あははははは」
「大丈夫大丈夫、とらないよー」
「従姉殿は心配性じゃのう」
 笑うダークエルフたち。
 少年は女性の集団というのに対する若干の恐怖感はあったが、それでも自分が頼りにされていることに責任感を感じ……あと、ちょっとだけこんなエロいお尻の集団をもっと眺めてたいなーという正直な青い欲求との兼ね合いもあり。
「や、やるよ」
 そう答えていた。

 この場合の審判というのは、まずルール説明から入らなくてはならない。
 ほとんどはスモーって何? 格闘技? 球技? 体操? というぐらいの知識でなんとなく参加していることを知ったときはさすがに少年もクラッとしたが、自分だって相撲についてあまりよく知っているわけではないことに気づいてちょっと反省する。
「えーとね。とりあえずパンチキック禁止」
「そうなの?」
「そうなの。あとチョップも駄目」
「えー」
「それから……ええと、勝敗は土俵……っていうかこの丸から出たら負け。あとコケても倒れても負け」
「どうやってやるの? ちょっとやってみてよ」
「それは……こう……」
 手近にいたダークエルフに向かって組み付く。まわしと違って紐しかなく、紐を掴んだら脱がしてしまいそうなのでつかみ所がなく、仕方なくお尻を掴む。
「あんっ」
「ご、ごめんね」
 実はちょっとだけ故意だった。
「いいよ、続けて」
「それで……こう」
 許してもらったので続ける。とりあえず寄りきりとか投げとか。知らないダークエルフのおっぱいに顔が埋まってかなりドキドキ。
 上手投げとか下手投げとかの違いはよくわからなかったのでとりあえず全部上手投げということにしたり適当だったが、ダークエルフたちはしきりに「へー」とか「ふーん」とか感心したような声を出していた。
 そして少年は感心されていい気になり、ちょっとだけ大胆なことを言う。
「それで……とりあえず相撲はまわしだけでやるんだ」
「そうなの?」
「うん。上着てちゃ駄目」
 女相撲などはサラシなどつけてやると聞いたことはあるが不確かな知識なのでとりあえずなかったことにする。
 ……正直なところ「えーっ」とか「そんなのありえないよ」とか言われて却下されたら引き下がろうとは思っていたが、それをみんな素直に聞いて上に着ていた法被やらTシャツやらヤッケやらを素直に脱ぎだしたのには恐れ入る。
「う、わわっ」
 少年はそうして次々晒されるたわわな、時々控えめなおっぱいに圧倒された。
「おーい、大丈夫かー審判ー♪」
「おっぱいに見とれてミスジャッジとか許さないぞー♪」
 ダークエルフらは少し恥ずかしそうにしてはいたが、それに対する少年の反応が気に入ったのか、かえってお色気ポーズをしてみたりと悪戯花盛り。
 それに対して必死で介入してくる彼女。
「だ、駄目ーっ! みんなちゃんとしてよっ! 君もおっぱいとかお尻ばっかりに見とれてないできちんとやるっ!」
「は、はいっ! それでは本日一番目の取り組み、ひがーしー……」
 少年は河原に靴先で引いた土俵で、立派に行事の真似をし始めた。
 そこから先は……まあ、褐色の天国であった、とだけ。


「恐ろしいことにな」
「ゴクリ」
「このふんどし相撲……未だに毎年行われてるんじゃ」
「なんだとメガトロン!」
「なんかやめ時が思いつかなくてな……」
 2008年、夏。
 第一京浜以下略俺んち。
「クソっ! なんてこった! この世に俺の知らないところでそんな祭りがあるなんて!!」
「例年もうすぐじゃから連れて行ってやろうか?」
「是非に!」
「ククク、よしサーティワンをおごれ!」
「ご随意に!」
 下手にでまくる俺を罵倒できる奴はちんこついてない奴だと断言できよう。
「ふっふっふっ……いいこと聞いちゃった」
「誰じゃ!」
「もちろんこの私!」
 しゅたっと落下してくる金髪エルフ。
「今年は私とライムちゃんも参戦するよー! 主にザッキー誘惑のために」
 ビシーッとVサインをだすウメさん。
「え、ええええっ!? 私もですかー!?」
 ……上から聞こえてくるライムちゃんの泣き声。
「そうは行きませんよ!」
 突入してくる眼鏡ハーフエルフ。

 本日も地球は侵略され放題です。


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