長い昼間が終わり、セミたちの声に熱気の名残を残しながら、夕焼けを経て青い世界が訪れる。
昼と夜の間の、どちらでもない群青の薄闇の時間。
この時間が、少年は好きだった。
古い、赤錆の浮いたトタン屋根の家の濡れ縁。
工作をしたり、昼寝をしたり、おやつを食べたり、星を見たり。
たった一メートルの幅しかない、だけどそこは子供たちの幸せを乗せる空間だ。
「今日はよく手伝ってくれたねえ」
祖母が瑞々しいスイカを大皿に乗せて持ってきてくれる。
農業用の用水路に網で浮かべて冷やしたスイカは、冷蔵庫で冷やしたのとはなんというかイキが違う。
「ばーちゃん、塩、塩っ!」
「ああ、ちょっと待ってねぇ」
電気をつけるかつけまいか、少し迷って、結局スイッチ紐を引いて、祖母は台所にパタパタと走る。
その背中を眺めながら、肌の黒い美女は穏やかに笑った。
「いいお家ね」
「ボロっちいけどね」
「新しいばかりが価値じゃないわよ。東京なんか、あの部屋だけで家族四人ぐらい生活してたりするんだから」
「うへぇ」
八畳の仏間を指差されて、少年は口をヘの字にした。
テレビでだけは聞いたことのある住宅事情だった。
「それに……たくさんの人がここで笑ったり泣いたりしたのが、なんとなくわかって、暖かいわよね」
ビックリマンや学習雑誌付録など、色んなシールが貼られたタンス。
肥後守でつけたキズの残る柱。
磨り減った畳、ちょっとへこんで破れた襖。
欄間にかかった額縁入りの表彰状。色の褪せた暖簾。
少年の家は、たくさんの生活跡が活き活きと息づいている。
少年には汚くも見えるそれは、一人きりで生きているダークエルフにとっては、何か違う印象を与えるもののようだった。
「じゃあさ……」
どうせだから泊まっていかない? と少年は言おうと思った。
彼女が可愛らしい家にたった一人で住んでいるのは知っている。たまに気まぐれで客を入れることはあっても、離れた途端に忘れられてしまう、彼女と同じで変な家。
少年は遊びに行った後、一人で寂しそうに見送る彼女が可哀相で、常に彼女を家に呼べないかな、と思っていたところだ。
折しも今日は、両親は熱海旅行でいない。
そして、
「ほんとに今日は助かりました。アタシらだけだと畑の手入れも楽じゃなくて、一人でも手伝ってくれると嬉しいんですわ」
祖母が言う通り、彼女は畑の草取りを手伝って家人の心証が上がっている。
「土いじりは嫌いじゃないんです」
ダークエルフは祖母から塩を受け取り、振ろうとして、内蓋が取れてスイカに山とかかってしまう。
「あっ」
赤い三角に、真っ白い斑点。
一瞬気まずい空気が流れる。
そこで少年はパッとスイカを奪い取り、ぺぺぺと塩を一箇所に払い落としてかじりついた。
かなり塩辛いが、笑顔を作る。
「塩はそっからつまんでかけること!」
「……はーい」
「…………坊やは気遣いができる子ねえ」
祖母とダークエルフは複雑な笑顔をかわして、少年の号令に従った。
青い風景の中で、軽トラックが砂利を踏む音がする。
ワンワンと声が上がる。遠くでの鳴き声は五月蝿いくせに、人が近づくと誰彼構わず擦り寄って撫でろとねだる駄目な番犬コロだ。
彼の声を聞きながら外を見ると、夕方「ちょいと出てくる」と言っていた祖父が帰ってきたところだった。
「よーう坊主。へへ、見ろ」
祖父は嬉しそうに助手席の足元から木桶を持ち出す。
「今日は土用の丑の日だかんな。こいつを食えば一年中ビンビンじゃい」
「ビンビン?」
少年は割と早熟だったが隠語には疎い。
そして「へへ、坊主もオトナになりゃな」などと言っている祖父を、つっかけで外に出てきた祖母が勢いよくハエたたきでブッ叩いた。
「痛ぇ!?」
「何無駄遣いしてるんだいこのロクデナシジジイ!」
「だ、だっておめぇ、土用の丑の日だぞ! 無駄遣いなもんかい!」
「無駄遣いは無駄遣いだよ! まったくお客さんがくるとすーぐ調子に乗って!」
そんな祖父と祖母の漫才のような喧嘩を、ダークエルフは少しオロオロとしながら見る。
「大丈夫だよ、あれはいつもだから」
少年は胸を張って、別にだからどうというわけでもないフォローを口にした。
木桶の中のウナギが蛍光灯の下に晒されると、彼女はヒッと叫んで少年の後ろに隠れた。
それどころか少年の背中にピッタリ張り付いて、おっぱいもくっついてちょっと嬉しい。
「なんだ姉ちゃん、ウナギ初めてか?」
捻り鉢巻きの祖父が、捌いてやろうと張り切って刺身包丁を片手に捕まえようと四苦八苦している。そして捕まえたウナギをニヤニヤしながら彼女に向けると、彼女はブルブルと首を振った。
「や、やめてーっ。うねうねした長いのってなんか気持ち悪いんですっ!」
「ありゃりゃ、もったいねえ。こんなにセクスィーなのに」
何がセクシーだというのか、祖父は包丁を置いて両手でウナギをうねうねとさせながら言う。
祖母はまたハエ叩きでブッ叩いた。
「いいかげんにおしよスケベジジイ! 食わないならコロにでもくれてやんな!」
「いいっ!? そんなもったいねえ!」
慌てて捌きにかかる祖父。
こわごわとその手つきを見るダークエルフに、少年は疑問をぶつけた。
「蛇とかも駄目? 山にマムシとか結構いるじゃん」
「だ、駄目。近寄れない」
「ミミズは? 畑に結構いたじゃん」
「ちっちゃいのなら……」
微妙な判定基準だ。
そこで少年は少年らしい悪戯心を抱いた。
彼女は食事の前に風呂を勧められて、入った。
祖父の家は古めかしい五右衛門で、炊き手と中の人物がコミュニケーションする必要性から必然的にいい位置に窓もあり、覗きには絶好の風呂だったりする。
が、祖父と二人で風呂を炊く振りをしながら木に登ろうとすると、それを予想していた祖母にハエ叩きで二人して尻を叩かれて作戦失敗。
だが。
「浴衣っていいですね」
ダークエルフの彼女によく映える、薄い水色の浴衣。
汗でぐっしょりの彼女のシャツは、祖母がタライで手洗いして干している最中。下着もつけていないに違いない。彼女はそもそも下着にあまり固執しないのは少年はよく知っていた。
そこで。
「ふ」
少年の手に輝くのは、ゴム製の爬虫類シリーズ・ヘビ。
少年はわりとこれが好きで、オモチャのワニ、トカゲ、ヘビ、イグアナと豊富な種類を学習机に隠し持っていた。
以前は悪戯にもよく使ったが、家族を驚かすにもわりと効かなくなって来たのでホコリを被りかけていたものである。
そして、無防備に扇風機に当たる彼女に近づいて。
「ねーちゃん」
「?」
ぽいっとその開いた胸元に放り込んだ。
そして、その胸元に覗いた尻尾に、彼女はサーッと青くなる。
「……きゃああああああっ!!」
そして、大混乱。
慌てて服から出そうとして、尻尾に触るのも怖かったのか身体を振って落とそうとして当然懐深くに入り込む。
混乱した彼女は帯を急いでほどく。その行動をしている間に妙なところにヘビが転がったか、慌てて身をよじり、浴衣を開きながら、踊るように身体を揺らす。
無論ノーブラノーパンの中でのその行為は、近くにいた祖父と少年に豊満な乳房と無毛の陰部をさらけ出すことになるわけで。
「ふええ」
半泣きでヘビのオモチャから逃げ出す彼女。
そして、彼女の裸体を目に焼き付けた老人と少年は、期せずして同時に鼻血を垂らして。
「こらーっ!!」
祖母にハエ叩きで撃沈された。
柄だった。
ちなみに彼女はちょっと涙目で「めっ」とオデコをつっついて許してくれた。
チャンネル回すのにガチャガチャとツマミをまわす、古臭いテレビの中で水戸黄門が印籠を出したので、多分八時四十五分。
少年と彼女は花火をしていた。
「ロケット花火があればいいんだけどなー」
「線香花火のほうが私は好きかな」
二人して、線香花火で飽きることなく勝負している。
空には天の川。
都会では多いという暴走族も、ここまでは爆音を届けない。
「あのね」
「うん」
「私ね。あの辺からきたんだよ」
彼女が唐突に空を指差した。
少年は笑った。
「UFOで? ねーちゃんってウーパールーパーの親戚?」
「ふふっ」
彼女も小さく笑った。
「UFOなんて必要ないんだよ、本当は」
夏休みは、まだまだ始まったばかりだった。
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