2008年。
万物の霊長を名乗る人類は、未だ本能のひとつすら克服できてはいない。
怠惰の罪、暴食の罪、姦淫の罪。聖書にはっきりと本能を罪と規定しながら、睡眠欲も食欲も性欲も過剰に満たす方向にばかり進み、克服のメドさえ立っていない。
そんな人類を、おそらく外からの来客たちは嘲笑っているのだ。
「あはははは」
「……人のいないうちに上がりこんでマガジン読むとかどういう神経だ柑橘類!」
「カタいことを言うでない」
東京都大田区、第一京浜沿いにある築30年の安アパート「コーポ島村」。
その103号室は善良な大学生(留年1)、小野崎健一(21)のプライベート空間だった。そのはずだ。
だが昨秋越してきた102号室の住人、愛媛みかん(年齢不詳、中学生ぐらいのダークエルフ)はその神聖不可侵なる領域を土足……いや一応怪獣もこもこスリッパは履いてるか。いやそうじゃなくて。
とにかく全くものともせずに勝手に上がりこんでくつろいで困っているのだ。
「だってワシんちこたつないんだもーん」
「こたつぐらい買えよ!畳一畳分の大作スペースワープ組んでる金があるなら!」
「そのスペースワープがもったいなくて崩せぬから置けぬのじゃ……」
「どこまで最低なんだテメエ!」
「押入れの1/4がエロゲ箱で埋まってるお主に言われとーないわ」
「くっ!」
何故か反論できない!
「崩せない」の部分にかかっているのか「最低」の部分にかかっているのか迷ってしまうのが敗因か。
「まあ別に物盗りに入っているわけでもなし、座敷童と思うて気にするな」
「くそ、なんて時代だ……」
いや実際別にたまに入ってくる分にはいい。
女の子が部屋でくつろいでいるというのはそれだけでちょっと華やかだし。俺の人生でほとんど発生した事のない類の華やかさだ。
みかんはババア口調がアレだけど黙ってると可愛い。ズボラに見えても身だしなみは悪くないし。服は安物だけど。
だがしかし。
男には自分の世界がある。例えるなら空を翔ける一筋の流れ星。
つまり、そう。
押入れに溜めたエロゲーが活用できない。
ぶっちゃけオナニーができないじゃないか。
「ええい。そろそろ限界だ」
それまでは精通以来自動車教習合宿の期間を除いて毎日オナニーを欠かさなかった俺が、奴が現れてから週1〜2、奴の気配がない時間を見計らって数分で済ませるのが習慣になってしまった。
味気ないったらない。ソフマでエロゲーを選んでいる時にせっかくの異種姦孕ませ系ゲームを見つけてもどうせコレで抜けないと思うとわびしくてたまらん。
というわけで俺は溜まりに溜まっている。
「……もう……我慢できない……」
奴の無防備なうなじを見ていると。二の腕を見ていると。
このままでは遠からず────
奴をねじ伏せて────
縛り上げて────
外の木にでも縛り付けて、安心してエロゲオナニーできる環境をなりふり構わず作ってしまいそうだ。
「いかん。それは犯罪だ」
その前に……なんとかせねば。
俺はブツブツと呟きながら京急線の駅に向かった。
傍から見たら間違いなく危ない人だ。
というわけでやってきました西川口。
かつてサークルの先輩(現在学費を使い込んで休学中)が言っていた。
『弟子オノケンよ。いずれ貴様も三次元で戦わねばならぬ時が来よう。その時は……西川口か五反田で僕と握手! 池袋でもいいぞ!』
五反田はなんか近すぎるし池袋はブクロサイコー過ぎて怖いので、さいたまにまで来てしまった。
「……よ、よし」
かつて布施明も言っていた。少年よ旅立つのなら晴れた日に胸を張って。
……今日、俺は三次元デビューしようと思う。
最近の俺は性欲とともに金も溜まっている。それまで趣味に使ってきたバイト代が、みかんが越してきてから目詰まりを起こしているのだ。
だってエロゲー買えないし。というか買っても文句言わせる気はないけど、抜けないのがわかってるのに買うのもありえない。
その金で……先輩。
俺、今日、大人への階段を昇ろうと思います。
昔先輩から仕入れた知識によると、ちゃんとしたHPを持っているところのほうが安全らしい。
そして電話で予約を入れ、入浴料と指名料込みの総額をはっきり聞き出してから行くべきだとか何とか。
だがそんな余裕など今の俺にはない。
まるで獣王記のザコ敵のような足取りでフラフラと駅を降り、ケバケバしいネオンの下を歩く。
「お兄さん、安くしとくよ、どうだい」
原色のハッピを着たおっさんにポン引きされ、思わず「いや、急いでるんで」と正常な足取りになってしまう俺。
……いや、ポン引きにひっかかると痛い目を見やすいというのも聞いたけど。だからといって店選びの知識も感性もない童貞の俺に、ポン引きかわして何が出来るかというと何もなく。
ウロウロとその辺を往復してはかわしたポン引きのおっさんに胡散臭い目で見られたり再捕捉されたりを繰り返す俺。
「……だ、駄目だ……いかんぞ俺」
ここに来て腰が引けてきた。
うん大事な大事な童貞だ。もっと慎重に散らさなきゃネ☆
……いやごめんなさい心にもないこと言いました。全然大事じゃないけど怖いだけです。
と、裏通りで孤独な一人相撲をしていると。
雑多で煙たくてドブ臭い町の真ん中で、一瞬だけ爽やかな緑の匂いの風が吹く。
ハッとして振り返ると、あからさまに浮いてる女がいた。
金色の髪。
化粧で塗り固めてるけど、ちょっと童顔。
そして、とんがった耳。
「え」
その女が歩いていく先を、思わず追った。
そして細い裏路地をくねくね抜けて……。
その喫茶店は明らかに浮いていた。
コンクリートの風俗街にあって、とってつけたような木造の洋風建築。
中は異様に明るく、窓からの光で街を照らせそう。
そんな中で、何人ものエルフやダークエルフがアンミラ風の服を着て談笑していた。
声は……全然聞こえない。
随分防音がいいみたいだ。
「…………」
俺は知的探究心に駆られていた。
何故こんなところに、エルフがこんなに。
何をしているのか。
いや、どう見ても喫茶店かファミレスだけど。何なんだ。
「……ごくっ」
自分の喉の音がえらく大きく聞こえた。
誰に聞かれたわけでもないのにそれがやたらと耳について、俺は誰かに追われて身を潜めているような気分になって、思い切ってその喫茶店の中に踏み込んだ。
『いらっしゃいませー!』
途端、可愛らしい声が店中から俺を歓迎する。
「っ……」
「あら?」
俺を案内しにきたエルフのお姉さんは、俺を見て不思議そうな顔をする。
「初めて?」
「……え、ええ」
一見さんお断りとかかな、とちょっとビクつく。まあいろんな意味で特殊すぎる店、決してありえない話じゃない。
「誰かの紹介?」
「い、いや、なんとなくエルフのお姉さんを見かけて、追いかけちゃって……」
「……へえ」
少し怪訝そうな雰囲気を残したまま、中途半端な営業スマイルを浮かべてエルフのお姉さんは俺に半身を向け、奥へ、と手を差し出す。
追い出されるわけ……では、ないみたいだ。
奥の席につく。
ふかふかの上等そうなソファに座ると、ウェイトレスのエルフがメニューを差し出してきた。
「本日のメニューとなっております」
「あ、ども」
必要以上に恐縮しつつそれを受け取る。
……ダークエルフのアイスカフェオレ 4000円。
ハーフエルフのケフィア添え 4500円。
「あ、アイスカフェオレに4000円!?」
「はい☆」
「……マジで?」
「マジですよー」
「帰る」
流石にエルフとはいえ、浮世の渡世に金は入用ってことか。うちのみかんも無駄遣いするし、何も手に入れずに生きるわけにも行かないのだろう。
だけどこんなボッタクリに金を投げる余裕までは俺にもない。ちょっとばかりリッチとはいえ、本来は安アパートの貧乏学生だ。
「結構お安くしてると思うんですけどねぇ。だって生ダークエルフですよ?」
「アイスカフェオレじゃん」
「でも生ダークエルフですよ?」
「でもアイスカフェオレじゃん」
というか何この頭の痛くなる会話。
「んもー。お客さんってば、こういうのはお刺身じゃないと駄目な生粋のジャパンマネーバンザイ派ですか?」
「何故刺身が出てくる」
「日本の伝統ではお刺身と聞きましたけど。ていうかどうしてものご注文ならやりますけど。五万円で」
「何故喫茶店で刺身食うために五万も」
「ですよねー。新鮮なの用意するの難しいったって高いですよねー。私なら生ジャニーズJrでもちょっと御免です。いやちょっと待とう少し惜しいかも」
「だからさっきから生とか何とか」
「…………あれ?」
そこでようやくこのウェイトレスは何か食い違っていることに気づいたっぽい。
「お客さん……ああ! 本当に全然わかってないの!?」
「何がわかってないのかわからないほどにわかりません。なんですかここ」
「……んんー。口で説明するのもちょっと難しいというか恥ずかしいなー」
そのエルフは口元を指で隠しつつ、少し悩む。
「ウメさんウメさん」
そこで、何故か壁の向こうからトーテムポールのように見ていた数人のエルフウェイトレスが彼女を呼ぶ。
……ってーかめっさ金髪碧眼なのにウメって。
「なになにー? ……ふんふん。え、いいの、って、まあ暇だけどさ。え、マジ? やっちゃうの? うわー」
何をやっちゃう気だオイ。
「お客様ー」
「なんでしょう」
呼ばれる。
立ち上がって近づいていくと、壁の向こうにいたエルフのうち一人が、にこやかに聞いてきた。
「童貞?」
「悪いかコンチクショウ!」
「きゃー」
思わず反射的に叫んでしまったが何故か彼女ら大喜び。
「それじゃあ、当店現在暇……いえ、特別デーにつき、特別に500円でフリードリンクサービスいたします♪」
「暇と言ったかそこのウメさん」
「空耳ですよ」
何をする気だ。
……とはいえ、500円なら出してもいいか。
「そんじゃコーヒー。ブレンド」
「ブレンド! ブレンド入りまーす」
改めて店の真ん中の席に座らされる俺。
そして。
……いきなり、ダークエルフとハーフエルフの二人のウェイトレスが、すぽん、と胸のあたりの服をずらした。
まろび出る乳。
「い、いいっ!?」
「きゃー、いい反応♪」
「へへー。それじゃあブレンドしますよー」
ウェイトレスたちは乳を両手で押さえ、その上に別のウェイトレスがピッチャーからコーヒーを注ぐ。
胸の下にあるテーブルにポタポタとコーヒー落ち放題だが、それを指で受け止めてみるとかなりぬるかった。元々人肌くらいだろう。
二人のウェイトレスがテーブルの上でそっと乳をくっつける。
「はいお客さん、好きなようにブレンドしてねー♪」
「ぶ、ブレンドって……」
「ほらほら」
さらに別の暇なウェイトレスに、二人の乳に手を導かれる。
そして、手首を握られたまま、ダークエルフの乳を下からたぶたぶさせられた。
「あん♪」
「ひぃっ!? ごめんなさいごめんなさい」
「違う違う、こういうサービスなの♪ ほらほらこっちも」
白エルフの方のウェイトレスが指でちょいちょい誘う。
恐る恐るそちらに手をやり、軽くたぷたぷさせる。揺れた乳の間からコーヒーがぱちゃぱちゃこぼれた。
「はい、カップいっぱいになったー?」
「なったら終了ねー」
二人とも楽しそう。俺も調子に乗ってたぷたぷたぷたぷ。
そして、いっぱいになったカップのコーヒーを飲む。
……ブラックなのに、なんだか甘い気がした。
「つ、次は……ええと、ピーチ……ティー?」
「はいハーフエルフのピーチティー入りまーす」
今度はウェイトレスさんがおもむろに後ろを向き、スカートをまくっていきなるパンツを下ろした。
現れる桃尻。というか多分母以外では始めて見る女の子の生尻。
「ま、まさか」
「えへへー。……キス・マイ・アス♪ まあ穴にキスしなくてもいいけどねー」
別のウェイトレスがお尻の上ににゆっくりとぬるい紅茶を注ぐ。
お尻の曲線の上を流れる紅茶。
「さ、飲んで? 直で♪」
「お、おお……」
暖かいお尻に口をつけて、飲む。
ちゅうちゅう吸い上げて、飲む。
口をつけなくていいと言われたけれど、もはや誘われるようにお尻の穴まで吸ってしまった。
「や、ああっ……♪ さっすが、童貞ぃ……無鉄砲で初々しくて、いいっ……♪」
ウェイトレスの尻にたっぷりキスマークをつけて、堪能した。
それからいろんなドリンクを飲んだけれどよく覚えていない。
頭が浮ついて、何がなんだかわからなかった。
「今日はその子以外来なかったねー」
ウメさんが呟いた頃には店のウェイトレスで服を着てる子の方が少なくなっていた。
あちこちこぼしたドリンクだらけで大変だ。
「うわー……よかったね君。今日ライムちゃんがフリードリンクとか言い出さなかったら19万円だったよ」
「……うぷ」
飲み過ぎた。
腹の中が飲み物でパンパンだ。
「ふふっ。満喫したみたいね」
「……け、結局、ここって……?」
「ま、見ての通りよ。エルフやダークエルフのアルバイト場、好き者な人間にイイモノ飲ませてあげるだけ。さすがに本番はヤだけどちょっとエッチなら好きって子が結構いてねー。……えへへ。まあ長生きすると清純派ではいられないのさ」
「……はあ」
「ま、君は運がいいよ。みんな退屈でしょうがなかったからね。忙しいときに来たって他のお客さんの手前もあるし、こんなオモシロ宴会してあげられないからね。……今回だけ本当に特別。次はお金取るよ?」
「結局俺で遊んだだけじゃんよ」
「違う違う。君『と』遊んだだけ♪ しかし君、本当によく私たち見えるね」
「……全くな」
結局あの座敷童のおかげか。
……なんだかなあ。
閉店と同時に追い出され、俺は電車に乗って品川へ。品川から京急線。
……なのに、何故か同じ車両に同乗しているエルフのウメさん。
「何、ストーキング? 名刺欲しい?」
「いやいいです」
「そこはクレって言っとくもんでしょ」
しかし他の人間には認識改竄がかかっているのか、このあからさまなエルフを誰も見向きもしない。
……そして、同じ駅で降りて、同じ方向へ。
「もう。素直じゃないなあ。お茶なんて出せないよ?」
「いやマジで俺んちコッチなんですってば」
で。
「ありゃー。もしかしてここ?」
「……ウメさんもですか」
「あっはっはあ、偉い偶然だねえ。……203」
「……103の小野崎です」
「よ、よろしくね?」
「……はい」
築30年のボロアパート「コーポ島村」。
集合ポストに燦然と輝く「203号室 紀州うめ」の文字。
……真上かよ。
2008年。
万物の霊長を名乗る人類は、未だ本能のひとつすら克服できてはいない。
怠惰の罪、暴食の罪、姦淫の罪。聖書にはっきりと本能を罪と規定しながら、睡眠欲も食欲も性欲も過剰に満たす方向にばかり進み、克服のメドさえ立っていない。
そんな人類を、おそらく外からの来客たちは嘲笑っているのだ。
……と思っていた時期が俺にもありました。
「くんくん。……なんかおいしそうなアレなようなフルーティで香ばしい怪しげスメル人間になっておるぞ?」
「え、ええ?」
「銭湯じゃな。ちょっとまっとれー」
「お前も行くのかよ」
「一人じゃと寒ぅて億劫でなー……」
少なくともコイツは怠惰な人類を嘲笑えない。
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