2007年。
 人類は地球上を制覇したつもりでいながら、未だ自らの仕組みさえ解明できてはいない。
 臓器、神経のような末端装置でさえ満足な代用品を作るには至っておらず、血を分けた我が子に期待通りの精神性を搭載することさえ難しい。
 なのに人は自ら知的と僭称し、自分が何もわかっていない事さえ認められないでいるのだ。


「この時間帯はロクなのやっとらんのー」
「っつーかわざわざ俺んちでテレビ見んな未来世紀ブラジル」
「なんという渾名じゃ。いや名乗らなんだワシも悪いが」
「じゃなくてテレビだったら自分ちで見ろボケ。俺は買い物いきたいんだ」
 ここは東京都大田区第一京浜沿い、築30年の安アパート「コーポ島村」。
 その103号室、小野崎健一宅。つまり俺んち。

 隣に引っ越してきた小麦色のエルフ娘は、次の日から何の遠慮もなく、我が家のように俺の家に入ってきてメシ食ってテレビ見て勝手に麦茶を冷蔵庫に仕込んでいた。
 奴が帰った後に冷蔵庫を見たら、100円ショップで見る1リットルのウォータージャグがいきなり3個も並んでいたのはさすがにビビったが。
「ちなみに黄色の蓋がエネルゲンで水色のがポカリじゃて、切れそうになったら補充よろしくな」
「やかましい。つかペットボトルの方が安かないか」
「濃い目に作れるのが醍醐味じゃろうが。底の方でちょっと粉っぽさが残ってるのもまた乙なもの」
 偉そうに物事を大上段から言う割には、いやに生活感溢れる未来世紀ブラジル(仮称)だった。つか俺の冷蔵庫の牛乳スペース占領するな。
「で、どこに行くのじゃ? ワシも連れてけ」
「お前みたいな非現実存在のいない世界へ行きたいんだ!」
 さすがに時空を超えてちゃぶ台と一緒に緑の草原へ旅させられた後となっては、俺としてもコイツがエルフ……とまでは言わなくとも何かアレな存在であることは疑うこともない。
 しかし俺は別に未知との遭遇がしたかったわけでは決してなく、ちょっとばかりオタクな気質を隠しながら普通の大学生活を送りたかっただけなのだ。
 しかし未来世紀ブラジル(仮称)はニヤリと俺を嘲笑った。
「そんな世界がどこにある」
「ここ以外の東京都には飽きるほどに溢れかえっている」
「ハッ」
 鼻で笑いやがった。
「よかろう、お主の言葉を確かめるも一興じゃ」
 テレビを消して、ビーチサンダルを突っかけて俺を振り返る。
「ちょいと待っておれ」
 ……別に待つ義理もないので、財布を尻ポケットに入れて外に出る。
 隣の102号室では未来世紀ブラジル(仮称)がドアを半開きにしたままごそごそやっているのが見えた。財布でも探しているらしい。
 もののついでに表札を確かめる。
 [愛媛みかん]。
「ナメとんのか」
「そ、それは世を忍ぶ仮の名じゃ! 本名は」
「もういい。テメーなんかみかんで充分だ柑橘類」
「うわぁん!?」
 意外と弱い。
 そして奴の部屋の中をついでに拝見した。
 ……段ボールがまだ山積みだった。
「お前引っ越してから一週間も何してやがった!」
「だ、だって家具組み立てるの面倒じゃし」
 このバカ、引越し荷物開けるのが面倒臭くて俺んちを避難所に使ってやがったってわけか。
「お前この段ボールの中身全部出すまで俺んち出禁な」
「う、うわぁん!? それは後生じゃよ!? せめてプリキュア5だけでも!!」
「やかましい!!」


 押し問答の末、日曜日の午前中だけは出入り自由とした。
 というか今日まだ水曜日なのに日曜まで荷物開けないつもりだろうか。
「お主にワシのぷらいべーとな荷解きを手伝う栄誉をやろう」
「いらねえよ」
「ふふん、ワシの魅惑の勝負下着とかぶるまーとか吟味し放題じゃぞ?」
「い、いらねーっつの!」
 プルマーという単語に若干反応してしまった俺を誰か殴れ。

 ……それはそれとして、俺たちはまだ残暑の残る街へと繰り出していた。
「しかし暑いのう」
 みかん(決定)がTシャツの裾をぱたぱたしながらだるそうな顔をする。
 暦は九月。今年は例年以上に暑く、エアコンなしで東京で過ごそうものなら人死にが出る勢いだ。つーか実際こないだ足立区あたりでお年寄りが死んでた。
「しかしあんまり若い娘が無防備になるのは感心しない」
 ぱさぱさとTシャツの裾を煽る手を止め、みかん(決定)が振り返る。
「お? お主結構カタブツなんじゃな」
「そんなことはないんだが、あんまりポルノい恰好した娘とヘタに一緒にいて検挙されたら俺の押入れのエロゲータワーが危険で危ない」
「迂遠な心配をするもんじゃのう」
 パタパタを再開するみかん。ヘソがチラチラしてちょっと目に毒だ。

 とりあえず適度に手軽に大都会的な人込みを満喫できる場所としてJR大森駅へ。
「よし。どうだ柑橘類。ここなら非現実な存在なんぞ割り込む余地なんか微塵もない」
「柑橘類言うな人類。……まったく、いい気なもんじゃのう」
 駅前の噴水にしゃがんでハンバーガーをはむはむしながら、みかんは大げさに溜め息をつく。
 どうでもいいがぱんつ見えてる。この娘は露出に無頓着で困る。それにしてもなんか布面積小さくて大胆な
「お主は何もわかっとらんだけじゃ」
「な、何がだ。勿論木綿の無地だからこその良さもあるのは理解しているつもりだ」
「何の話をしておる」
 違ったらしい。
「ちょいちょい」
 みかんに指で招かれたので、顔を近づけると、みかんも立ち上がって耳元に唇を近づけてくる。
 そして。

「────────────────!!」
 いきなり、耳元で、不可思議な音を……歌を、響かされた。

「っ!?」
 それは間違いなく大音量なのに、うるさいと感じなくて。
 これだけの音なのに、俺以外の誰も反応していなくて。
 他の音なんか聞こえなくて、みかんの声だけが耳を、目を、感覚を塗りつぶして。

「……ほれ。周りをよく見てみろ」
「え……?」
 みかんが歌の副作用か、軽く宙に浮きながら俺に囁いてくる。
 俺は言われた通りに周りを見回してみた。
「……嘘だろ」
 いつもの大森駅前は、一変していた。
 否、今なら、今だけならわかる。

 俺は、気づいて、いなかった。

 道を歩いている人の2割くらいはエルフだった。
 噴水で妖精が踊っていた。
 空ではでっかい精霊が雲をこねて遊んでいた。
 さっき寄ったロッテリアのレジ係さえ、これ見よがしに耳をぴこぴこさせていた。
「どういうことだ」
 宙に浮いているみかんに振り返る。みかんは空中でくるりと横回転して噴水の上の妖精と数秒戯れ、俺に得意げに微笑んで見せた。
「人間の認識力なんてものは、ワシらにしてみれば実に利用しやすい安物の装置じゃ。目の前にエルフ耳があっても『ない』と認識すれば見えん。妖精も精霊も、写真に写っていてさえ決して見えんのじゃ」
「じゃ、じゃあ……世の中の不思議系の人たちはみんなこういう世界が見えてるってことなのか!?」
「見えておらんよ。今、大人の人間でこの世界が見えておるのはお主だけじゃろう」
 みかんは噴水の水の上に立った。湧き上がり不規則に揺れる水の上で、事も無げに爪先立ちする小麦色の娘が、今は世界と調和している。
「この世界の全てに驚ける、赤子のような感性がなくては我々は見えん。我々を我々と認識することはできん。不思議など何もないと思っていては何も見えんし、必ず不思議があるはずだ、と不思議を探しても見つけることはできん。草の葉の色を、風の触感を、神や精霊の実在と同列に驚く心を保つことは難しい。ありのままの世界を謙虚に認識するのは、人間にはとても難しいのじゃ」
「…………」
「わかったか。お主が思っている以上に、この世界は……宇宙人の侵略を受けている」
「だ、だから俺にどうしろっていうんだよ」
「諦めろ。降伏せよ地球人。そして……」
 フッ、とみかんは現実に戻ってきた。
「大人しくワシと遊ぶがいい♪」

 それはいいけど、Tバックはちょっとローティーンの姿の娘さんがはいていいものじゃないと思うんだ。


 2007年。
 人類は自分たちの社会の中すら、見えているはずの世界すら正しく理解できてはいない。
 そして宇宙人は、そんな人類で遊んでいる。
 そしてその中で、とんでもないことを知ってしまった俺は……。
「手伝ってくれるのは嬉しいのじゃが、なんか妙な意気込みを感じるのぅ」
「人類の探究心だ」
「どうせ人類が持ってるようなもんしか入っとらんぞ」
 Tバックを超える勝負下着などあるのかという学術的探究心に勝てずにいた。

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