2007年。
 数十年前の空想では宇宙植民が始まるとされたこの時代でも、未だ人類は月を限界として惑星間旅行すら実現できていない。
 それでいなから、人類のほとんどは世界を知り尽くしたかのように断じてかかる。
 曰く、神などいない。
 曰く、精霊や悪魔など世迷言。
 曰く、宇宙人など漫画の世界の住人。
 いくつか便利な道具を持ち、少しばかり身の丈に余る情報を享受できるようになったくらいで、何もかも見渡す叡智を手に入れたつもりになっている。
 本当は隣家の住人のことだってよく知りはしないのに。


「だから?」
「我らエルフがどこからやって来ようと貴様ら下賎の人類ではひとつの反証も用意出来ぬということじゃ」
「で、どこから来たって?」
「だから銀河のちょうど反対側」
 そう言って、やたらと耳が長いブラジル系の小娘は優雅な所作でソバを啜った。
 多分日本語を間違って覚えているんだろう。チキュウとギンガ。エルフとブラジリアン。
 そんなことを考えている俺の目の前で、耳長ブラジル女は幸せそうにどんぶりを置いた。
「さすが会津仕込み。素晴らしい旨さじゃ」
「そうか。じゃあとりあえず日本の風習を教えてやるが、引越しソバはひとんちに勝手に上がってそこから出前で取って自分で食うものじゃない」
「カタい事を言うな。お主の分も頼んでやったじゃろう」
「ワリカンの引越しソバがどこにあるってんだ!」
「カルシウム足りてないのう」
「カルシウムは最近の学説では怒りっぽさとあまり関係ないってさ!」
「だからカタい事を申すな」
 いくらこっちがカリカリしても柳に風だ。さっぱり効いてやしねえ。
「大体なんで俺んちでそんなくつろいでるんだよ。不法侵入は許してやるからとっととブラジルへ帰れ」
「ブラジルではなくて銀河の中心挟んで向かい側じゃと言うておろうに」
 そんな高等な宇宙移動ができる宇宙人が仮にいたとしても日本語が堪能なわけがない。大方長いこと父親が日本で不法就労してたのが入管に見つかって強制送還でも食らって一人だけ逃げ延びたんだろう。
 耳だって多分単なる奇形か何かだ。エルフじゃない。絶対エルフじゃない。
「エルフってのはもっとこう、大地と森に根ざしてて魔法的でなくちゃいけないんだ」
「エルフに夢を持っておるのう。80年代以降型の」
「お前みたいな孔雀っぽい飾り付けてリオデジャネイロで踊りそうなラテン系は違うんだ!」
「しかも中途半端に白人エルフ原理主義じゃな。お主ダークエルフとか駄目な口か」
「邪道だ」
「人種差別はよくないぞ」
 何故突然上がり込んできた変な外人娘にそんな説教されなきゃならんのだ。
「ま、いい。頃合いもいいことじゃし。ちとばかりカッコいいところも見せてやろう」
 ブラジル女は大儀そうに立ち上がると、ちゃぶ台を蹴らないように少しだけ距離を取って姿勢を正し、手を広げた。
 六畳一間のワンルームにはひどく似つかわしくない、伸びやかなポーズだ。
「よう見ておれ。お主の満足行くものを見せてやろう」
 スウッ、と、ブラジル女のポニーテールの黒髪が風もないのに浮き上がる。
 どこにでも、それこそバーゲンで売っていそうな安物のプリントTシャツとフレアスカートが、突如沸き起こった光の粒に押し上げられるように裾を広げる。
 中身は紐パンだった。
「!!」
 見てしまったことに対する瞬間的な罪悪感。
 でもブラジル女はニヤッとしただけだった。変な現象に驚いただけと思ってくれてるといいんだが。
「──────」
 そのまま目を閉じて、声のような、それでいて何か電子楽器の響きのような歌を歌い始める。
 ……多分歌だと思う。多分というのは、口は「ア」の形に開けているがアの音が、声が聞こえているのか自信がないのだ。
 そんな不思議な歌に導かれるように、周りに浮いた光の粒が渦を巻き、ブラジル娘の頭上に集まって、天井に緑色の穴を開ける。
「な、なんだぁっ!?」
 ことここに至って、ようやく俺はこいつがどうやら本当に魔法的な何かをやらかしているらしいことを認めた。
 認める。認めるから。
「天井に穴開けるな! 追い出されるだろうが!」
「──────」
 無視された。
 ブラジルエルフはそのまま歌を続け、穴が広がる。
 穴の向こうから何か俺の部屋と違う匂いが流れ込んでくる。
 そして、穴が爆発して。


「神はおる。精霊も悪魔もおる。全部銀河の反対側じゃがな」
「…………」
 俺は巨木の木陰、大草原にちゃぶ台と一緒に座っていた。
 草と土と花の匂いに満ち溢れる、嘘のように綺麗な場所。
「白いエルフも黒いエルフも、お望み通り大地と森に根ざして魔法的な生活を送っておる」
「……何ここ」
「銀河の反対側じゃ。同じような太陽の周りを回る、地球と同じような星」
「なんじゃそりゃ」
「昔のお主らにそんな説明をしても誰も理解できんかった。地面がまっ平らだと信じておった時代じゃったしのう」
「…………」
「ま、そういうことじゃ」
 ブラジルじゃなくてダークエルフはニカッとしてやったりの笑顔を作ると、さっきと同じような歌を歌って場所を俺の部屋に戻した。
「さて、納得はしてもらえたようじゃし。これからもよろしくな」
 ダークエルフは満足したようにどんぶりを流しに置き、スニーカーをつっかけて帰ろうとし始めた。
 だけど、納得がいかなかった。
 こんなに凄いことが出来て、あんなに綺麗なところで生まれたなら。
「お、おい!じゃあ何で地球なんかに! 俺んちの隣なんかに住むんだよ!」
 こんなゴミ溜めみたいな大都会のワンルームに越してくる理由がわからない。
 ダークエルフは振り返り、ニッカリと笑って簡潔に答えた。
「寂しいもんじゃろ、同じ顔つき合わせて、なんにもないところで何千年も生きるなんて」
「…………」
「人間は愚かで、苛烈で、欲深くて弱いかもしれんが。満たされぬ分だけ愛も深い。少なくともワシは千年続く静寂より好きじゃな」
「…………」
「お主ともいい関係になるといいのう」
 なんとも罪深い笑顔だけ残して、ドアが開閉する音が二回続いた。


 2007年。
 人類はまだ、隣の星さえよく知らない。
 そしてここにいる人類の一匹は、どうやら隣の異星人のような異国人のような異種族の遊び相手に選ばれたらしい。

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