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ディアーネとヒルダは森の周りの道を慎重に見回しながら歩いていた。
「何度も見たんだけどね……」
「現場百回だ、姉上」
「ディアーネちゃんって憲兵の経験もあるんだっけ……?」
「いや、特別諜報旅団にはいたことがあるが憲兵はないな」
「ディアーネちゃん、本当によく転職するわよねえ」
「ここ数十年はずっと兵士だ。まああと何年かしたらわからないけれど……ん?」
ディアーネの目に止まったのは、異変ではない。いや、異変といっていいものか。
ここ最近のエルフの襲撃の噂が流れて、めっきり近づくものも減った森。
その近くの道など、そうそう誰も歩いているものではない。
が、夕暮れも迫るそんな道で、縄跳びをしている子供がいる。
「……?」
怪訝な顔をしつつ近づくディアーネ。
「おい、もう暗いから帰った方が……」
「!!」
ビクッと身を強張らせる子供。
その子には見覚えがあった。
「……ん、君は……?」
「あら、鍛冶屋さんちの子じゃない?」
にこやかにしゃがみこむヒルダの姿に、少しだけ気が楽になったのか。
子供はおずおずと二人を見上げた。
「あなた……たち……?」
「私はディアーネ」
「魔法のお医者さんのヒルダ先生でーす」
「……うん」
「お名前は?」
「さ、サラ」
「うん。サラちゃん、遊ぶならもっと明るいうちに街の方で遊んだ方がよくない?」
明るい声で諭すヒルダに、サラと名乗った子供は小さい声で答えた。
「……だ、だって……練習してるとこ、みんなに見られたら冷やかされちゃうし」
「?」
「2重跳び、跳べないの私だけ……」
「…………」
ディアーネは苦笑する。
確かに人の寄り付かない森の近く。みんなに隠れて何かを練習するにはうってつけだろうが。
「しかしこんなに暗くては、人間族は転んでしまうだろう」
「……大丈夫。見える」
「いや、それでも限度が」
「私とおとーさん、暗くても大丈夫。ロウソクなくても、へいき」
「……ああ」
彼女の頭には、小さな角。
丸くてあまり固くなさそうで、よく見なければヘアバンドの模様か何かのように思えてしまう、それでもしっかりと頭に生えた付属物。
「だから、大丈夫」
「そうか。でも夜は魔物が活発になる。やめた方がいい」
「うー」
少女は納得していないようだった。
「……でも、頑張らないと」
「あまり根を詰めてもできるものじゃない。練習には適量というものがある」
「そうよー。いっぱいすればいいってものじゃないの。やりすぎたら次の日に響いちゃうんだぞ? 毎日必要なだけするのがいいの」
ヒルダが指を立てて優しく諭す。
学校の先生と子供、という感じで微笑ましいが、それでもどことなく邪に聞こえるのはヒルダの声だからだろうか。自分が欲求不満なせいだろうか、とディアーネは密かに悩む。
「……お姉さんたちも、暗いのに、見えるんだね」
「え? それはダークエルフだもの」
「セレスタでは、暗いところで見える人もいっぱいいて、みんな気持ちよく暮らせるんだよね」
「……うん。まあね」
少女は、少し切なそうな顔をした。
「おとーさんが、このごろ悩んでる」
「?」
「今なら、セレスタに引越した方がいいのかなって」
「……え、ええ、できるわよね」
オーガ族に対しては寛容とされるトロット王国だが、それでも圧倒的大多数と少数派は見えないところで断絶がある。
その断絶の只中に、混血はどうしても位置してしまう。
セレスタはトロットよりも多数派と少数派の数の差が小さく、種類も豊富で混血もトロットよりはだいぶ多い。差別などない理想の国とは決して言えたものではないが、紛れることは確かだった。
「せっかくもらった工房だけど、本当は元の持ち主の人に返してあげるのが正しいし、サラのためにはセレスタでやり直すのもいいかもしれないって、おとーさんいつも、ベッドの中で呟いてる」
「……うん。来るならきっと、セレスタは楽しいところだよ」
あのハーフオーガの鍛冶屋も、いろいろ悩んでいる。
大変な選択だが、きっと意味はある。
このアンディや男爵の件が片付いたらという条件はつくが、これも縁。移住するというならセレスタの者として、出来る限り彼らの応援はしてあげたい、とディアーネは思った。
が、サラは眉根を寄せる。
「でも、私、ここがいい」
「……?」
「おとーさんは、ここじゃサラがかわいそうだって言うの。でも私、かわいそうなのかな? みんな、時々意地悪するし、やなことも言うけど、でも私、あんまり嫌いじゃない。ずっとみんなでここで暮らすと思ってた。本当に私、セレスタの方が幸せなのかな。みんなと一緒に大きくなるの、だめなのかな?」
「…………」
大人の思う幸せは、子供にとっての幸せとは限らない。
もしかしたら大きな幸せを掴むために諦めさせる小さな幸せは、本人にとってかけがえのないものかもしれない。
よくある話だ。
「私、二重跳び、できるようになりたい。みんなといっしょになりたい。それで、それを無駄にはしたくない。……セレスタに行くって、それよりもずっといいことなのかな。全部なしにしてもいいほど、ステキなところなのかな、セレスタって」
「……そうだな。それは、お姉さんにもわからない」
父を悩ませる大元となった者として、その一行の一人として、ディアーネはしっかりと答えようと思う。
「親というのは子供の幸せを願うものだし、子供は幸せになる権利がある。できるだけそうしてあげようと努力をしているお父さんを、間違っているとは言えない。でも、サラ。今、幸せなら幸せって言ってあげるのもいいと思う」
「え……?」
「親っていうのは子供のために欲張りすぎるところもある。だから満足してるなら満足だって、今の自分になれたことを感謝してるって言ってあげないと、伝わらないこともある。親は努力してしまうんだ。二重跳びと違って、子供を幸せにしてあげられたかどうかは、親は見ただけじゃわからない」
「……うん」
自分も親不孝しているな、と苦笑するディアーネ。思えば父は、仏頂面でひたすら味方を救う努力を続ける自分を見て、きっと本当に救って満足できる唯一の男性がいないことを不幸せだと思ってしまっていたのだろう。
そして、どうせなら人間なんかじゃなくて、もっと実績と寿命の釣り合う男をつけてやろうと奮闘してしまっていたのだろう。
たまには肩でも揉んでやりながら、あなたには既に充分幸福にしてもらった、と言ってやろうと思う。あとは自分で掴むから、と。
「わかった。……私、お父さんにありがとうって言ってみる。それに、きっと二重跳びができたらみんなを見返せるから、心配しないでって」
「ああ」
子供にも、幸せに向かって自分で戦う資格は充分ある。
戦っていることを、その誇りを、大事にして欲しい。
そう思って、ディアーネはサラの髪を撫でる。
と、その瞬間。
にっこりと笑ったサラの背後の闇から、突然熊の魔物が飛び出す。
そして、目の前にいたサラとディアーネを一撃で薙ぎ払って、雪原に飛び出した。
「!!!」
バキャッ、とサラの半身が砕かれるのが見える。
腕が折れ、アバラが砕け、背骨が恐ろしいほどに曲がって、ディアーネの体にぶつかった。
「サラ……っ!!」
ディアーネはサラを抱き締めたまま雪の中に埋まった。
サラは、目を見開いて、ケプッと血を吐く。
「サラーーーーっ!!」
「ディアーネちゃん、貸してっ!!」
一瞬で眼光を名医のものにしたヒルダが二人に飛びつく。
腕は爪で千切れ、ぽとりと雪に落ちる。
脇腹も深手だった。
「姉上っ!! サラを……サラを!」
「わかってる! 絶対助ける……私に任せて!」
高速で手を動かし、止血と魔法処置を次々に始めるヒルダ。
その場をヒルダに任せ、ディアーネは雪の中から立ち上がる。
目の前には熊の魔物。
あまり大柄とはいえないディアーネの前では、小山のよう。
だが、それは今のディアーネには関係がなかった。
目の前にいるのは敵だ。
そして敵には一向、容赦しない。
オアシスのダークエルフ最強の戦士が、その隠された牙を剥き出した。
「死ね」
ようやく追いついたライラとアーサーが見たのは、夕暮れの雪原を十数メートルも伸びる、衝撃で撒き散らされた扇状の血痕。
そして、蹴り足ひとつで胴体を両断された熊の死体だった。
「……ディアーネ」
「お前たちが討ち漏らしたのか……!!」
ライラとアーサーに食って掛かり、二人の胸倉を掴んで、一瞬後にクールダウンするディアーネ。
「……すまん、八つ当たりだ」
「い、いや……我こそ、すまなんだの」
「……申し訳ない」
すぐ近くで血だまりの中、必死に瀕死の少女に処置を続けているヒルダの姿が見えて、アーサーとライラは唇を噛む。
だが。
「……もう。何そんなお通夜みたいな顔してるの」
振り向かずに、ヒルダが明るく言った。
「姉上」
「任せてって、言ったでしょう?」
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