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 が、グート男爵の館は全然別の雰囲気だった。
「慎重に考えよう」
 ディアーネの言葉にライラが首を捻る。
「慎重も何も。早う取り返しにいくべきじゃろ」
「間違いました、じゃすまないんだ」
 ディアーネは男爵が襲われた時のままの執務室をウロウロと歩き回り、足跡や窓の破砕痕などをじっくりと調べる。
「確かにエルフがやらかした可能性は高いが、やり方が乱暴すぎる。エルフと魔物の噂を聞きつけた山賊の仕業ということも考えられる」
「……山賊?」
 怪訝な顔をするライラに、ディアーネは説明を続ける。
「ひと目でエルフとわかる痕跡が見つかってないんだ。誰もアップルと男爵のさらわれるところを見ていないし、矢の撃ち損じもない」
「……しかし、そうは言っても……山賊なぞ歩き回れる立地でもあるまいに」
「ボナパルト卿は小蛇山脈を越えてここまで直接来たんだ。エルフに見咎められると危ないとはいえ、山賊がやってくる可能性もゼロじゃない」
 ポルカ周辺は辺境も辺境。辺境過ぎて山賊業が成り立たない立地だ。どこかに潜むにしろ気候が厳しすぎるし、山賊をして稼いだ金を動かせる裏社会がそもそも存在し得ない。良くも悪くも山賊が長居するとは思えない土地だ。
 が、遠征してきて罪を犯す可能性はゼロではない。金を持っていそうな貴族である男爵と、彼を脅すために、その周辺にいた弱そうな女を攫っていった……というシナリオも、ありえなくはないことだった。
 身代金の要求がないのは不自然ではあったが、三日やそこらなら慣れない土地での拠点造営に費やした……ということも考えられる。
「そうなるとアンディたちも……いや、アンゼロスやマイアがおったのにみすみす攫われるものか?」
「その山賊が、何かの拍子にアンディを確保してしまったとしたら……悪知恵の回らない奴らばかりだ。ひとまず手を上げるしかなかったのかもしれない」
「なるほどのう……」
「……もしもの話だがな。勘違いでエルフに対して怒鳴り込んでしまったら、それこそ戦争の大義名分を与えてしまう」
「勘違いでなくても戦争にならんかのう。少なくとも我は穏便に済ませてやるつもりはないぞ」
「私もな。だが、政治というのは大義名分で決まるものだ。国の一部が例えどれだけの打撃を受けても、やった者が悪で自業自得なら、その他の大多数はトカゲの尻尾切りという奴で事を済ませようとする。大義がなければ人は動かん。犯人がエルフであるという確証があれば、向かうところに男爵殿たちは必ずいるし、戦争にもなるまい。だがそれがない場合は、男爵殿たちも取り戻せず不必要な戦争を起こしてしまうという最悪の結果になる」
「……俗世というのは大変なのじゃな」
 ディアーネたちは、エルフの起こした襲撃が、いつになく強引だったというその一点に振り回されていた。
 何しろ素早く、そして雪の中だったせいで証拠が少ない。森の中へ続く足跡の追跡はセレンが行っているが、場所が場所だけに危険でもあった。
「ディアーネちゃん、ただいまー」
「姉上、どうだった」
「駄目。アンディ君たちがどこで消えたのか……多分森のほうだと思うんだけど、範囲が広すぎるわ。走るにしてもわざわざ雪の深いところなんて走らないだろうから足跡も頼りにならないし」
「ううむ」
 アンディたちの失跡も、その地点がわからないだけに扱いが難しかった。
 おそらく同時に起きたことなので一緒に扱いたいのだが、マイアがいるとなるとその翼でどこかに行った可能性もある。
 もし、例えばミスティ・パレスに招待されて大過なく過ごしていたとしたら、やはりエルフへの不用意な因縁付けは人間側、ひいてはトロットやセレスタにとっての命取りになる危険があった。
「……アンディに不器用な奴ばかりを付き合わせたのは失敗だった」
「まあ……セレンちゃんやディアーネちゃんなら少なくとも手がかりくらいは置いていくでしょうしねぇ」
 少なくとも、街の市民たちのような無力感とは無縁のディアーネたちだったが……否、力があり思慮を必要とする立場ゆえに行き詰まりを感じていた。
「ただいまです……」
 そこへセレンも戻ってくる。
 ヘトヘトといった体だった。
「セレン、どうだった」
「……魔物に見つかって酷い目にあいました」
「ま、魔物?」
「くまさんの魔物です……おかげで足跡もメッチャクチャ」
「熊……ランバージャックグリズリーあたりか」
 一撃で巨木を叩き折る膂力を誇る熊の魔物である。
 あまりのパワーとスピードゆえ、まともな人間では逃げることも戦うことも満足にできない強力な魔物だが、それでも疲れた程度で済むあたりはセレンの引出しの多さを物語っていた。
「その魔物、まだ近くにおるのかのう」
「一応、街からちょっと引き離してから撒きましたけど。やっつけてくれるなら場所教えます」
「うむ」
「……ライラ?」
「食ってくる。少し虫の居所が悪い」
 すたすたと館を後にするライラ。
 はぁ、と溜め息をつくディアーネ。彼女もストレス発散したいのは山々だったが、まだそれにかまけることはできなかった。
「姉上、協力してくれ」
「なになに?」
「もう一度、アンディの走れそうなルートを調べる。街の人間に目撃されずに失跡できて、なおかつ行軍訓練に使えるような走りやすいルートは限られるからな」
「うん……まあ、そう思うけどねえ」


 セレンを背に乗せたドラゴン体のライラが森の上空を飛び、魔物を撒いた地点まで行く。
 と、そこには既に先客。
「ほ。アーサー・ボナパルト」
「うおぉっ……と、ライラ殿か。失敬」
 ライラの巨体に寸時驚いた様子のアーサー。
 とりあえずドラゴン相手でも一歩も引かない猛者であるのは確かなのだが、傍から見てどこまで本気で驚いているのかわかり辛い男である。
「このあたりでセレンが魔物を見たと言うんじゃが、見んかったかの」
「ああ、あの熊か……私も狙っているんだが、駄目かな」
「狙う?」
「ああいうデカい相手との戦いの特訓がしたくてね。熊の魔物は狼やなんかと違って腕を使うから、より実戦的でいい」
「……この上何と戦うつもりじゃ、おのれは」
「さてね」
 そう言うアーサーの背後から、闇を突き抜けるように熊の魔物が飛びかかる。
「アーサー!」
「うおっ」
 からくもその突進をかわすアーサー。マントが裂かれる。
 が、その突進の直後にライラの巨体に気がついたのか、熊は反転して森の闇に戻っていく。
「ちっ……」
 ライラはセレンを下ろすと素早く人間体に変身。
 アーサーの隣に降り立つ。
「どちらにしろ森を焼かずに奴を殺すのは難しいか。逃がすと厄介じゃ、アーサーよ、我と競争であれを狩ろうぞ」
「う、うむ」
「?」
「そ、そのだな。裸体でこの雪の中を駆け回るのは勘弁してくれないか、ライラ殿?」
「ほ?」
「その……私の足捌きに支障が出てしまう」


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