宿の食堂。
 今日も毎朝通りの検診。
「そろそろかしらね」
 そう呟くと、ヒルダさんは医療用の刻紋ペンで俺の足の紋を大幅に書き換えた。
 インクで刻んだ跡を残したりしない直接描画なので(エルフは自分の目で刻んだ紋を読めるのでインク使わなくてもいいらしい)詳しくは読みきれないが、どうも今まで刻んでた紋とは全然違うというのはわかる。
「どう書き換えてるんですか」
「んー? えっとね、今まで刻んでた紋を全部カウンター入れて消してるとこ」
「おお」
 刻紋におけるカウンターとは対抗図形、つまり既存のと正反対の効果の紋を言う。これを上から描いてしばらく置くと、下の図形の効果を相殺して、魔法的に完全フラット状態に戻るのだ。
 つまり。
「そろそろアンディ君、普通に歩けるようになるわ。多分午後には」
「やった!」
 さすがポルカの霊泉。
 本当に完治するとは。いや信じてはいたけどちょっと夢みたいだ。
 飛び上がって喜ぶ俺。
 そして飛び上がった瞬間なにかミシッという痛みで地面に不時着した。
「い、痛ァァァ!?」
「あ、紋消したからもう接続部分が安定してないわよ? できるだけ早く温泉に行って療養始めた方がいいわね」
「は、早く言って下さい」
 地面に這いつくばりながら俺涙目。
 ……うん、まあよく考えればわかる話だし、不注意な俺が悪いんだけどね。

 そして、恒例の朝風呂。
 ほとんどライラとヒルダさんに引きずられるような形で男湯に入ると、中には先客がいた。
「おお、青年」
 旅人のおっさんことボナパルト卿だ。
「ほ」
「お邪魔しまーす♪」
 ライラとヒルダさんが微妙に緊張した様子でそそくさと俺を引きずって、おっさんと少し離れた位置に陣取る。
「な、なんかよそよそしくないか、ライラ」
「う、うむ。流石にその気になれば我をもねじ伏せられてしまう奴というのは久々でのう」
「私、あのおじ様ちょっとタイプじゃなくて……」
 この二人にも苦手なタイプがあったのか。
 ……で、湯に浸かってそれを聞いていたボナパルト卿は微妙に複雑な顔をした。
「言っておくが私は妻子もちだ。ついでに言うと七年前の戦争以来、少し帯剣に冴えがなくてな」
「……勃ちが悪いのか?」
「うむ。おかげで愛人に二人逃げられ……う、うぉっほん」
 慌てて誤魔化すボナパルト卿。
 セレスタならともかく、トロットでは複数の女性と関係するのは建前上素晴らしくないのを気にしてるんだろう。
 ……その背後で、ヒタヒタと水の上を歩く音がした。
「そうか。それは悪いことをした」
 ディアーネさんだった。背筋は伸び、目つきは決して緩くはないが、ライラたちほどは警戒していない。
「……ディアーネ殿。名高い『黒の戦神』と並んで湯に浸かるとは、男の夢ですな」
「私は自分の部隊ではいつも部下たちと同じ湯に浸かるが?」
「……おい青年。もしかしてセレスタ軍はパラダイスなのか」
「いや、多分それ平気なのディアーネさんぐらいだから」
 つか、このおっさんもなかなかいい根性だ。

 湯に浸かっているうちに、足に走った激痛も和らいできた。
 今は少しぐらい力を入れて湯を蹴っても大丈夫だ。
「うん。……その動きができるならほぼ完治ね。あとは表面的な傷痕が全部癒えたら、どう動いても心配ないでしょ」
「よ、よし。……今度こそ『でも』はありませんよね?」
「大丈夫、大丈夫。ヒルダ先生を信じなさい☆」
 ……ようやく。
 ようやく。苦節二十数話、いや一ヶ月と半ぐらい。
 ようやく俺、五体満足に(ほぼ)戻った。
「は……ははは、やったあ。健康って素晴らしい」
「みんな退院の時はそう言うんだけどねー。忘れちゃダメよ、アンディ君」
「はいっ」
 立って飛んだり湯を蹴ったりして中途半端にはしゃぐ俺。
 そしてその俺の足を捕まえて湯の中におもむろに引き倒すライラとヒルダさん。
「ほほ。つまり我らも今後、遠慮はいらんということじゃな?」
「アンディくーん。あとで診察料欲しいなー?」
「……そ、そうっスね」
 忘れてた。
 そう言えばこの人たち、ド淫乱だけど今は抑えてるんだっけ。


 で、そんな俺たちをよそに、ディアーネさんとおっさんは差し向かいで湯に浸かり、遠い青蛇山脈の山々を眺めながらなにやら思い出話らしきものをしているのが聞こえてきた。
「あの戦いで思い知ったよ。私たちの時代は終わろうとしている、とね」
「あれ一つでそう諦められても困るが……まあ、あなたに勝つ方法があった事自体は否定しない」
「はは……私たちは伝統の継承により強さを誇った。が、それに夢中になり過ぎて、新しい時代の流れに、クロスボウ戦術に対抗し切れない戦法に自信を持ってしまった。古い戦場の誇りを守り抜いたがためにね。クロスボウが思ったより長射程で、そのうえで照準を合わせられる感覚強化の魔法がエルフに存在するというのも知っていたのに、その可能性を理解した戦術を編み出せずに多くの部下を二度と戦場に立てぬようにしてしまったのは、我ら最古参の責任だ」
「あなた程度で古参を自慢されても困る。私は確か今年で二百と七歳だぞ」
「ははは、これは失敬」
 意外と和やかだ。
「失礼。……ふう。やはりこの湯はいいな。浸かっているだけで自分がまだまだ戦える気になる」
 おっさんは湯を掬い、しきりに顔を洗っている。それは移植の傷痕も生々しい右目へ、霊泉の霊験を送り込むためだろう。
「実際まだまだ戦えるだろう。ブルードラゴンを張り倒したというが」
「この目がなくては危なかったな。アイスブレスは吐き終わってもいつ切れるか見えぬのでやりづらい」
 青い白目、赤い瞳の、ギョロリとした右目。
 おっさんは、普段その辺を歩くときはゴーグルをつけたまま歩いている。おそらくはこの目を見せないためだろう。
 その目は正直、人間の眼窩に納まるものとしては不気味だった。
「聖獣の目……だったか。どの聖獣から貰った?」
「他国の方に言ってわかるものかな……シューゲイザーという奴だったのだが」
「ああ、天空虎の」
「ほほう? よく勉強しておられる」
「十年前に忍んで聖地に行ったことがあるんだ」
 天空虎。
 原理的に何がどうなってるのかはわからないが、空中を疾駆する虎だ。聖地に5頭しかいない。
 ……っつーか、あのナイフ作りに来た時にディアーネさん聖地までいったのか。
 他国人というかエルフ系なのにいい度胸過ぎる。
「天空虎の目は空間を読み切ると言うな。……これは、次に我々とやりあうことになったら手がつけられないかもしれんな」
「ははは、この私にまたセレスタと戦えというなら流石に叛乱を起こすよ。戦神の罰はもう充分だ」
「そう願おう」
なんだかんだと細かいトゲはあるが、思ったより二人とも冷静に、というか、世間話のような調子で戦争のことを語っている。
 そのことが不思議だった。
「おっさん」
「うむ?」
「……ディアーネさんのこと、憎かったり怖かったりはしないのか?」
「ははは、怖くはあるかも知れんが、憎くは思わん。戦争は終わったのだ」
 おっさんはカラカラと笑った。
「いいか青年。戦争というのは、憎くてするんじゃない。必要だからするのだ。間違えてはいかん」
「あ、ああ」
「兵士が死ぬのは、その手を血で汚すのは、必要だからだ。憎いからではない。力を振るうものは理性的でなくてはいかん。君も兵士なら覚えておきたまえ。軍人の戦いやその理由は、必要のないものであってはいけない。平時にまで相手に敵意を持つというのは必要なことのはずがないだろう。私の痛みは必要なものだった。ただそれだけだ」
「……なるほど」
 さすがは至剣聖。
 明快で、確固たる信念がある。
 ……が、ディアーネさんはそんなおっさんの顔を見つめて、ひときわ厳しい顔つきをした。
「…………」
「……む、何かね」
「……ならば、あなたが戦う力を取り戻したのも、必要だから……か?」
「そこにまで理由を求められても困るなあ。余生を送るにも五体満足は大事だろう、なあ青年」
「あ、ああ……そりゃもちろん」
「…………」
 ディアーネさんは相変わらず厳しい顔をしていた。
 ……何か心配事でもあるんだろうか。


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