久々に迎えるポルカの朝は、必要以上にふかふかのベッドで始まった。
「……うう、寒っ」
 ディアーネさんが予約してくれた宿。
 昔あの家で俺が使っていたベッドよりもさらにふっかふかで心地いいのはいいんだが、おかげで出にくくてしょうがない。

 ポルカは癒しの霊泉があり、ときに北西平原のみならず大陸の他の地域からさえ癒しを求めて人が集まるだけあって、宿は非常に豊富だ。
 町の人口の倍くらいは余裕で泊まれるくらい宿がある。おかげで宿取りはスムーズで助かった。
「はい、アンディ君、足伸ばしてみてー。気合で」
「むんっ……!」
 宿屋の食堂で、ヒルダさんに朝の診察を受ける。
 昨日しこたま霊泉の水を飲み、温泉にも浸かったのだ。足が良くなってるはずということでだ。
「……あっ、動いたわね」
「は……ははっ、動いた。さすが霊泉だ」
 なんとなく結果を知るのが怖くて、食堂に来るまで真面目に試みてはいなかったが、足首から先がちょっとだけ動いた。
「しかし、霊泉でもこれだけしか良くならないのか……ここまでが限界だったらキツいな」
「違うわね、ちょっと見てアンディ君」
 ヒルダさんが俺の膝をめくり、傷痕のあたりをなぞる。
「このあたりでね、移植した鹿肉を安定させる為に刻んだ紋と、霊泉の治癒力がぶつかってる」
「……はあ。つまり?」
 概念を説明されても俺にはよくわからないんだってば。
「要は純粋な再生には鹿肉の部分の紋が邪魔なのね。でもいきなり紋を消したら、もう歩行復活魔法もかけられないし血管だって千切れ飛んじゃうかもしれない。だからちょっとずつ紋をカットして、霊泉の治癒力が足の紋の部分の安定化措置に取って代わるようにすればいいの」
「……ええと?」
「安全にいくなら一週間ぐらいかしらね。毎日朝晩、刻紋を調整しながら霊泉に癒してもらえば、多分いけるわ」
「お、おお!!」
「しかし凄いわね、医療措置の魔術すら押し切って治癒が進む水なんて。研究したいわー」
 最近色ボケっぷりはなりを潜め、医者としての部分で輝き始めているヒルダさん。
 なんだかんだでこの人がいないと、霊泉の力以上のことはできなかった。感謝しきりだ。


 みんなで朝食を取っていると、宿にアップルとセレン、それと身なりの上等な口髭のおっさんが現れた。
「まあ、男爵様」
「お邪魔するよ、おかみさん」
 気安く入ってくる口髭のおっさん。
 ポルカを治める貴族、デュラン・グート男爵その人だ。
 そろそろ55歳くらいのはずだが、温泉の効果でまだ30代くらいに見える。
「アンディ・スマイソン! スマイソン親方の忘れ形見がここだと聞いて来たんだが」
 俺は手を上げた。
「男爵!」
「おお、アンディ! 久方ぶりだな!」
 すたすたと寄ってきた男爵。
 実は昔、さる縁でこの人とは懇意だったのだ。
「奥さん元気?」
「おお、元気元気。この間5人目の子供を産んだよ」
「やるなあ男爵。奥さんだってもう40過ぎ……」
「あわわわわ」
 男爵は俺の口を塞いだ。
「あ、アンディ。どこで聞いているものかわからん、歳の話題には触れてやるな」
「……気にしてるの?」
「かなり」
 あのおっとり奥さんも歳を気にする年頃か……。
 そして男爵はオホン、と咳払い。
「世間話はこの辺にしておこう。セレン君からあらかたは聞いた。セレスタ北方軍団にいたんだって?」
「はい」
「連絡して欲しかったぞ。父上のことは聞いたか」
「……はい」
「……彼のことは残念だった。ルメイロ親方も頑張ってはいるが、やはりスマイソン親方ほどの人がいなくなったのはポルカの大きな損失だ」
「……ありがたいお言葉です」
 昨日思い切りボロボロ泣いたが、それでも領主ほどの人から残念がってもらえると、胸に残っていた哀惜の念にまた火がつき、泣きそうになる。
 しばし、しんみりした空気が流れた。
「……まあ、その話もおいおい……としよう。早速アップル君を覚醒させてくれたそうじゃないか」
「ええ」
「記憶がかなり飛んでいるということで、私も相当警戒されてしまったよ」
 はっはっは、と苦笑いする男爵。その向こうで同じく苦笑いするセレンと、なんともいえない表情で俺たちのやり取りを聞いているアップル。
「だが安心してくれ、彼女の身の安全は私が預かる。決して、二度と北のエルフたちに危害は加えさせない」
「み、身の安全?」
「ああ。未だにな、彼女の狙撃事件が北方エルフたちの意見を分裂させていて、そのおかげで平穏が保たれている部分もあるんだ」


 アップルを「同族」とみなすか「余所者」とみなすか。
 その辺はエルフたちの中で意見が割れている。
 客観者のいない身内だけの問題ならハーフエルフなどただの余所者でいいのだ。
 だが、アップルは人間の介在する位置にいた。
 人間にとってはアップルはエルフの眷属でもあり自分たちの眷属でもある。その意味で救助という義務を果たした人間族は道義を通している。
 一方、当時は「強欲な人間に対する制裁」という名目で射殺という手段に出たエルフたちだ。誤射で本来人間族とは関係のない、第三者的立場であるハーフエルフを殺しかけたという事態は大失態であり、またそれを救助しなかったということは人間族から見た道義も通していない。
 これはトロットの人間を野蛮な民として拒絶し続けていたエルフたちの言い分を大きく挫くことになった。
 まして、アップルは一応身元が判明している。このあたりを縄張りにするものとは氏族が違うとはいえ、北方エルフの血を引く娘だ。人間族から見れば紛れもなく北方エルフの近親者、罪は決して小さくはない。
 彼女の痛々しい姿はエルフの語気を大きく弱め、今までの外交交渉を粛々と進めるシンボルとなっていた。


「だが、彼女が覚醒してしまうことで、向こうの態度がどうなるか……まだわからないのだ」
 男爵は小さく溜め息をついた。
「眠っている者には、何も問えぬ。だが目覚めてしまえば、それは静かなるシンボルではなく、欲得もある生き物に過ぎん。極端な話をしてしまえば、一族を侮辱した事にして改めて『異物』として処断し、我々への態度をまた硬化させる言い分にすることも可能なのだ」
「そんな……そこまで卑怯な真似を、エルフが? プライドがあるんじゃ」
 いくらエルフも長生きで魔法ができるだけのただの人とはいえ、そこまで俗物じみた真似をするものだろうか。
 だが。
「ありえない話ではありませんわ」
 そう言って、すぐ近くのテーブルにいたオーロラがティーカップを置いた。
「北のエルフは頑迷で有名ですわ。だれにも犯されることなき楽土があるからこそ、最後の最後には物事の解決を放棄して引き篭もってしまうことができるからと聞きます」
 上品にそう言うオーロラが俺の連れだと思っていなかったのか、男爵は目を白黒させる。
「こ、このエルフのお嬢さんもお前の連れかね」
「ええ、まあ。……この辺みんな、その、同僚とか上司とかその他でして」
「ほ、その他とは。寂しいことを言うのう」
「あ、アタシはその他だか!?」
 いや、ややこしいから黙っててお願い。
 ……と思ったら、男爵、馴れ馴れしく俺の頭を抱え込んで小声。
「…や、やるなあお前。綺麗どころ揃いじゃないか」
「いやその」
「ポルカに来たからには温泉紹介していくんだろう? グッジョブ、さすがアンディ」

 このおっさんと俺の縁。
 ……15年前、たまに温泉覗き仲間でした。
 覗きがばれたとき、金貨10枚の約束でわざと派手な逃走をして男爵の逃走時間を稼いだりもしました。
 ……ああ。情けない思い出。

「いい機会だ、自己紹介させていただこう。ポルカ男爵、デュラン・グートと申します」
 口髭を軽く整えて、男爵が俺の連れの一団に向かって優雅に一礼。
 彼女らは目を見合わせて、順番に自己紹介する。
「セレスタ北方軍団クロスボウ隊、ディアーネ百人長。世話になる」
「同じく、アンゼロス十人長です」
「クラベスの森エルフが長ディオールの娘、オーロラと申します。お見知り置きを」
「砂漠大迷宮のジャンヌ・クラックスだ。よろしくだよ」
「えーと、砂漠南のオアシスでお医者さんしてます、ヒルダでーす♪」
 そして、最後に残ったライラは、すっくと立ち上がって、窓際まで歩く。
 窓を開けると大雪原。その窓を背にして。かっこよく逆光気味のモデル立ちをして。
「ラッセル迷宮のドラゴンパレスの主にしてそこなアンディ・スマイソンの乗騎、黒竜のライラじゃ」
 ばさっ、と豪快に服を脱ぎ捨て、全裸。
 脱ぐな。
「おほっ」
 鼻の下伸ばすな男爵。
 ……そして、脳が揺さぶられる感覚。
 一瞬の後、忽然とライラの姿が消え、外の雪原にブラックドラゴン出現。
「う、うわあああああああ!?」
「ひぃぃっ!?」
 腰を抜かす男爵とアップル。あ、セレンがなだめてる。
「だからいちいち脱ぐな! あといちいちドラゴン体にならなくていい!」
「ほほ、茶目っ気じゃ、茶目っ気」
 すぐに人間体に戻るライラ。
 まったくもう。人を驚かすのに味を占めやがって。


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