王都を発ってから数時間。
「……さ、寒くなってきましたわね」
オーロラが服の二の腕のあたりを握り締めて呟いた。
……って。
よく考えたら換気のいい南方製馬車。
もう雪が降っているであろうポルカに向かっているのに、みんなは砂漠あたりにいた時と服装が変わっていない。いくらなんでも暢気すぎる。
「は、早くみんな何か上に羽織れ!山の向こうに行ったら本格的に寒くなるぞ!」
「……姉上、防寒具は?」
「ライラちゃんがしまいこんでたはずだけど」
ちびライラの幻像に目を向けると、馬車の長椅子の手すりに乗ったライラは頭を掻いて気まずそうに笑った。
「……人間体の方にくっついておる。降りんと出せん」
「降りろ!! この先マジ寒いんだから」
段取り悪い……。
ポルカとトロットの間には山地がある。
ボコボコとそびえるいくつもの峰の奥で、ひときわ高くて手間取るのが青蛇山脈の枝毛のような子蛇山脈。その先から一気に寒くなる。
「ほれ」
馬車を下ろして人間体に戻った、というか変身したライラがパチンと指を鳴らすと、ライラの周囲の空間から忽然ともこもこした衣類が出てくる。
「こんな服を着るのなんて何年ぶりだろう」
キルトのコートを纏いながらディアーネさんが居心地悪そうな顔をする。
「私は30年ぶりかしらねー。東方山地におくすりの勉強に行ったとき以来だわ」
……セレスタってあんまり寒いところないからなあ。
「いよいよですねー」
「セレン」
子蛇山脈を見上げながら、改めて感慨にふける。
……もう、十五年も離れていた故郷。
改めて、これから帰るのかと思うと微妙に不安になる。
「もう人生の半分以上はポルカから離れてたんだなあ……」
「?」
「いや、さ。帰ったらどうしようとか、ちゃんと計画立てたいと思うんだけど、なんか細かいとこ思い出せなくて」
「あはは。まあ、子供でしたもんね」
「……だよなあ」
10歳で離れて、25歳の今まで帰れなかった街。
まともに思い出せなくて当たり前だ。
断片的な記憶の中にある風景は、爺さんの代から建ってる古い自宅と、街の霊泉でありがたげに水を受け取る人々と、主に覗きにばかり行っていた温泉と、それとアップルと乳繰り合った猟師小屋。
それと親父の仕事場。
あとはほとんど思い出せない。結構走り回ってたはずなのに。
「ちょっと怖い」
「……そうですか?」
「バッソンなんてほとんど農村みたいな状態から、たった七年で結構な街になっちゃったんだぜ? 15年も経ったポルカがどうなってるのか、全然わかんねえよ」
「確かに……住み着いたばかりの頃とは結構様子変わりましたしねー」
「そっかあ……どうなってんだろうな、ポルカ」
「もう少しですよ、アンディさん。もう少しで、アップルとの約束……果たせます」
「ああ……」
約束か。
……アップル。俺の初恋の人。俺を面食いにして、首輪好きの変態野郎という誤解を作った張本人。
……いや嫌いじゃないけど。でもそういうのとはちょっと違うんだ。雌奴隷とかそういうつもりじゃなくてもっと純粋にツバ付け的な意味でだな。
「アンディー!! セレンー!!」
「……みんな着終わったみたいですね」
アンゼロスに呼ばれ、俺たちは馬車へ戻る。
なんでこんなに不安を感じてしまうんだろう。
ポルカに戻るということは、少なくともマイナスではないはずだ。
俺の足にしろ、アップルの意識にしろ、確かにしっかり治るという保証があるわけではないけれど。親父には怒られるかもしれないけれど。
それはプラスじゃなくて最悪でもゼロなだけ。マイナスというわけではない。
とにかく帰るということに、悪いことなどないはずなのだ。
でも、何故か不安は胸から離れなくて、俺は馬車の中でずっとセレンの手を握り締めていた。
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