朝、目覚めるとアンゼロスはいなかった。
 身の回りの品もほとんどが片付いてしまっていた。
「!」
 慌てて服を着て、部屋を飛び出す。
 と、ディアーネさんにぶつかりそうになった。
「うわっと」
「む。……アンディか。アンゼロスならさっき出たぞ」
「なっ……なんで起こしてくれないんですかっ。いや、そんなこと言ってる場合じゃない」
「まあ落ち着け。斥候は出してあるから」
「せ、斥候?」
「セレンだ」
 はあ、とディアーネさんは溜め息をつく。
「今は幻影も使えてトロットの勝手もわかるあいつが一番斥候に向いているし、クロスボウのストックを持たせてある。何か動きがあったらすぐに飛んでいけるさ」
「でも……」
「アンゼロスを信じてやれ。……それよりお前は早く身だしなみをして朝食を取れ。成り行き次第では昼は食べられないかもしれないからな」
「うぅ」
 もどかしい。
 ……しかし、こういう時にあまり焦りすぎるのもよくないのはわかっている。
 相手は国家権力だ。はっきりした答えをアンゼロスに与えてやれなかった俺が、わけもわからず飛び出したってどうなるものでもないのは確かだった。


「おはようございます、母上」
「なんだいアンジュ、かしこまって。……答えは出たのかい」
「…………」
「……出てないって顔だね」
「母上は……母上は、伯爵になりたい?」
「さあね」
「さあね、って」
「どちらでもいいことじゃないか。アンジュ、決断を私のせいにするんじゃないよ。私が別にスッテンテンになってもいいと言ったらお前はゴシュジンサマについていくのかい? 私がどうしても伯爵になりたいと言ったら、ランドールのせがれと結婚できるのかい? その程度のことなら最初から悩むフリなんかするんじゃない」
「う……」
「大体あの男は何なんだい? 聞けばただのド田舎の鍛冶屋の息子、剣ができるでもない頭が切れるでもない、器用さだけが売り物だって言うじゃないか。その程度の男に、なんだってそんな首輪なんかつけてまで媚びを売ってるのさ」
「ち、違うっ!」
「……どう違うんだい」
「…………」
「話ならいくらでも聞いてあげるよ。他ならぬ愛娘のためだ。時間はいくらでもかけていい。お前が私と離れている間に何があったのか、満足行くまで話してごらん」
「……うん」
「…………」
「最初にあいつと会ったのは、トロット戦争の後だった」


「ふむ。……そう動いたか」
 朝食を取ってから数時間。
 セレンとヒルダさんの買い込んで来た防寒具を片っ端からライラに渡して幻影収納をしていたところで、ずっと黙っていたディアーネさんが耳をピコピコ動かした。
「どうしたんですか」
「……姉上とライラ、それからジャンヌは旅の支度を進めてくれ。話の転がりよう次第ではすぐに出ることになるかもしれん。オーロラ、アンディ、来い。……大闘技場に行くぞ」
「大闘技場?」
「そういう話になってきているらしい」


「……なるほど。随分優しくしてもらったんだね」
「それも、私が男だと偽っていながら、それでもだよ」
「実は女だってわかってたんじゃないのかい」
「だとしても、……それでも、私にとってかけがえのない男だ」
「でもねアンジュ。優しいだけの男ならいくらでもいるさ。そんなに視野を狭く持つものじゃないよ。今のトロットならお前だって……」
「違うよ。アンディは優しいけど、腕力もないけど、強い」
「……そうかい?」
「うん。アイツは強い。……それがわかったから、私は何もかも捧げる気になった。捧げたいと思った。首輪だって本当は、アイツは乗り気じゃなかった。でも本当にアイツが私を安心して抱いてくれるなら、奴隷でもペットでもいい、だから私に名前を書いて、って強請ったから」
「……アンジュ。でも、エクター坊やだって強いよ。それによくできた子だ。きっと誰よりも優しくしてくれる。正直、お前のそれは勢いだとしか思えないね。今はいいとしても、来年や再来年に同じ想いを抱いているかはちょっと疑わしいね」
「……私にそんなことを言われたって、どうしようもないよ」
「ああ。……じゃあこういうのはどうだい?」
「?」
「エクター坊やのいいところを見てやるんだ。あの子は本当に強いらしい。大剣聖のお歴々だって、いずれ自分らの仲間入りだろうってお墨付きさ。お前も剣士なら見る価値はあるだろ?」
「…………」
「それからでもきっと遅くないよ」
「母上は……」
「……アンジュ?」
「私にどうさせたいの?」
「…………」
「母上」
「……シルフィードの長としては、あのジジイに脅されてる身でもある。お前の母親としても、子を売るっていうほど悪い話でもないし、不安定なお前に私の残してやれる一番のものを受け取って欲しいさ。ずっと守ってくれる領地と家っていう、ね」
「……でも」
「だがね、アンジェリナ」
「?」
「リンダ・ノイマンとしては……あの唐変木のエルフ野郎とくっついてお前を産むに至った冒険家上がりのリンダ・ノイマンとしてはね。自分の娘が世の中突っぱねて、自分自身の生き方を決めるってんなら、決して止めたくないね」
「……母上」
「自分の生き方に責任を持ちな、アンジェリナ。自分の弱気を人のせいにするんじゃないよ、私のアンジェリナ。安物を買うことにしたなら残った金を喜びな。高級品を買うのなら使った金を嘆くんじゃない。世の中うまいだけの話はない。それでも選ぶときは選ばなきゃいけないのが人生だ。納得いくだけのものを手に入れるために納得いくだけの対価を払えばいい。そのために何かを捨てるにしたって、せめて自分の意志で捨てな。真正面から痛みを背負いな。誇り高く生きるっていうのは、そういうことだよ」
「……うん」
「さあ、どうする、アンジェリナ」
「……私は……いや、僕は」
「どうするんだい?」


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